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それは冬を迎えようとしている肌寒い日の朝。
お父様がテーブルの朝食を食べ始めるなり私に話し掛けてきた。
「今日は良い知らせがあるぞ」
お父様の良い知らせは、正直私にとって良い時とそうでない時があるから、然程期待しないで続きの言葉を待つ。
「昨晩より斎藤公爵がアストリア公国にいらしているそうだ。彼は他の公務があり時間が取れないそうなんだが、公子のはじめ殿がセラに会いにこちらにくるとおっしゃっている。今日は勉強を休んで構わないから彼をもてなして差し上げなさい」
『はじめ様?』
お会いしたことのない公子様がどうして私に会いにくるのかと首を傾げていたけど、そんな私を見てお父様は太い眉を少し下げて見せた。
「なんだ、セラは覚えてないのか?」
『もしかしてお会いしたことかあるのですか?』
「勿論あるとも。昔はよく一緒に遊んでいて、とても仲が良かったのだぞ」
お父様のお話によれば、生前母が特に親しくしていたお友達が斎藤公爵の奥様だったらしい。
私と公子様を含め、よく四人でお互いのお城を行き来していたそうだ。
母が亡くなった後も、その奥様は公子様を連れて度々こちらに顔を出して下さっていたようだけど、彼女が流行り病で命を落としてからは会える機会がなかったと聞いた。
『あ……そう言えば、少しだけ覚えているかもしれません』
確かとても真面目で、剣が好きで、そして優しい男の子だった気がする。
当時のシルエットはそれとなく思い出したけど、顔までは思い浮かべることが出来なかった。
「それならば良かった。他の国を訪れた帰りだと言っておられたから、少しばかり疲れているかもしれないな。ゆっくり過ごして頂きなさい」
『はい、分かりました』
とは言え、数年ぶりに会う公子様が今どのようなお方になられているかもわからない今、どうもてなすべきか頭を悩ませた。
取り敢えずお父様に言われた通り、よそ行きのドレスに着替え、侍女の方々に髪のセットやちょっとしたお化粧を施された私は、見た目だけは公女らしく変身する。
そして最後の仕上げに一番大切な四つ葉のペンダントを身につけて、すっかり準備は整った。
「お嬢様、最近そちらのペンダントをお気に召していらっしゃるのですか?」
『うん、これからは毎日このペンダントを付けたいなって思ってるの。なので明日からは別の物を用意して頂かなくて大丈夫だよ』
「承知いたしました。とても可愛いですものね、そちらの宝石はスフェーンですか?」
『スフェーン?』
「七月の誕生石ですよ。お嬢様の誕生日からそのペンダントをお見かけしていたので、勝手にそう予想しておりました」
『そうだったんだ。私七月の誕生石はルビーしか知らなかったから気付かなかった……』
「プレゼントして下さった方にお尋ねしてみてはいかがですか?きっとそうだと思いますよ」
にっこり微笑む侍女の言葉を聞いて、余計にこのペンダントが特別に感じる。
総司は何も言っていなかったけど、これがその宝石だとしたら総司は私の誕生石まで考えて選んでくれたことになるからね。
「お嬢様、今公子様が城に到着されたとの連絡を受けました。ご準備の方は整いましたか?」
総司を思い浮かべてぼんやりしていると、山崎さんの声で我に返る。
鏡の前で慌てて身なりを確認した私は、部屋を出てお父様と一緒に敷地内の広場へと歩いて行った。
「暫くぶりだな、はじめ殿。暫く見ない間にすっかりご立派になられたな!」
「近藤公爵、お久しぶりです。本日は礼節を欠いた突然の訪問申し訳ありません」
「我々の間で気遣いは無用だとも。折角いらしたのだから、ゆるりとなさるがいい」
「ありがたく存じます」
「セラもはじめ殿に会うのは久方ぶりだな。ご挨拶しなさい」
藍色の髪の毛とその瞳、凛とした佇まいはどこか懐かしさを感じさせる。
彼を見てこの広場や庭園で遊んだことが次第に蘇り、子供の頃の彼の笑顔も思い出した。
『お久しぶりです、はじめ様。本日は当家まで足をお運び下さりありがとうございます』
「お久しぶりです、セラ嬢。本日はどうぞ宜しく」
私の前に片膝をつくと、その手を取り彼はそう挨拶をしてくれる。
子供の頃を知っているせいか少し照れくさくもあったけど、私が微笑むと彼も微笑み返してくれた。
「申し訳ないが、私はこれから外出しなければならない用事があってな。悪いが今日はセラと自由にこの城で過ごして頂けるかな?」
「承知致しました」
「ではまた夕食の時に会おう」
お父様は外門の前に待機させていた馬車に乗り込むと、そのままお仕事へと出掛けてしまう。
残された私達は特に話すこともなく、数秒間はお互い無言になってしまった。
『あの、はじめ様は何かなさりたいことはありますか?例えば……今日はお天気も良いので乗馬もできますしお庭でピクニックも楽しそうですよね。室内でしたらチェスや音楽鑑賞……あとは本もございますよ』
子供の時のようなおままごとやお絵描きはもうする年齢ではなくなってしまったし、今の公子様が何をお気に召すかは私には分からない。
取り敢えず頭に浮かんだものを羅列してみたけど、公子様は微笑み言った。
「俺は久しぶりにセラの顔が見たいと思い、今日はこちらに寄らせて貰った。なので特に何もしなくとも話が出来れば良いと思っている」
『お話……確かに、そうですね。久しぶりですし私もはじめ様と色々お話させて頂きたいです』
「それは良かった。それと……だな。出来れば昔のように呼んで貰えたらと思うのたが」
『えっと、はじめ君?』
昔の私がどのように呼んでいたのか思い出せずに、取り敢えずそう呼んでみる。
すると僅かに頬を染めたようにも見える彼が、少し照れくさそうに口を開いた。
「はじめ、と呼んでもらって構わない」
『宜しいのですか?』
「ああ。それと堅苦しい敬語もなしにしてもらえるとありがたい。あまり得意ではないのでな」
『ふふ、わかりました。これからは敬語なしで話すね』
確かに私も畏まり過ぎるのは好きではない。
気にせず話せる方が相手との距離も縮まるし、友人らしい関係が築けると思っている。
『えっと、じゃあどうしよう。はじめは甘いものは好き?お茶とかどうかな』
「ああ、喉が渇いたので頂こう」
『良かった、それでしたらテラスでお茶しましょう!今侍女に話して用意していただきますね』
「また敬語に戻っているのだが?」
『あ……そうだったね、ごめん』
肩を竦める私に柔らかい微笑みを向けてくれるはじめは私のことどのくらい覚えているのだろう。
長い年月を会わずに過ごしていたから、なんだか少し照れくさい。
彼も同じなのか、二人して少しぎこちなくて変な感じだけど。
例えばこの人と、お母様のお話や近況など色々話せたら楽しそうだと思っていた。
それからしばらくして。
庭園のテラスに様々なお菓子やお茶を用意してもらった私達は、木陰の下で様々な話をした。
はじめは私よりもずっと昔のことを覚えているらしく、中には私が耳を塞ぎたくなるような幼いころの失態談なんかもあって。
途中お腹を抱えて笑いながらも、だいぶ打ち解けられた気がした。
『そっか、要するにはじめは私に恥をかかせたくて今日ここに来てくれたんだね?』
「そのような訳がないだろう。俺はただお前が知りたいと言った昔のことを語っただけだ」
『私そんなにお転婆だった記憶はないんだけど。はじめが大袈裟に記憶してるだけだよ』
「記憶力は良い方だと自負している。セラが木登りして降りられなくなっているのを何度も助けたこともあるからな」
『私、はじめの前でも木登りなんてしてたの?』
「ああ、叱られても何度も登っていた故、公爵夫人が大変困っておられたのを今でもよく覚えている」
幼い頃の私は、記憶の限りでは大人しい女の子だった筈。
まあ、たまに?
木には登っていたかもしれないけど。
『その話、誰にもしないでね?恥ずかしいから』
「昔の話でも恥ずかしいものなのだろうか?」
『恥ずかしいよ……猫被ってるだけで本当はお転婆なのかな、なんて思われたくないもん。それに今はしっかりとした淑女だしね?』
「ふ、そうだな」
『どうして笑うのかな』
「いや、特に深い意味はない」
絶対含みがあるように感じてはじめを少し睨んでみると、彼は少し困ったように眉を下げながらも微笑んで言ってくれた。
「久しぶりにセラを見た時、とても成長していて驚いた。想像以上に、その……綺麗になっていたからな」
『綺麗ではないけど、そう言ってくれてありがとう。はじめこそかっこよく成長していて驚いたよ』
「だが俺のことをすっかり忘れていたように見えたが」
『忘れてないよ、はじめには沢山優しくしてもらったことよく覚えてるよ』
木登りの話は覚えていないけど、転んだ時にハンカチを膝に当ててくれたこととか、大好きなパイを落として泣いた時、はじめが自分の分を私にくれたりとか。
思い返すと一方的に迷惑を掛けていたような記憶ばかりだけど、彼と話すうちに沢山のことを思い出した。
「セラと比べると俺は然程変わっていない。剣の腕だけは多少成長しているとは思いたいが」
『昔からはじめは剣術に目がなかったもんね』
「ああ。セラは何か昔と変わったことはあるのだろうか」
『私?』
私は特に何も変わっていないとは思うけど、自分だと正直よく分からない。
なにせ先程まで、はじめの前で木登りばかりしていたことも忘れていたくらいだ。
『私も特に変わってないかな?ヴァイオリンの腕は上達してると思いたいけど』
「ふ、そうか」
一口紅茶を飲んだはじめは、少し黙り込んでから咳払いを一つ。
マカロンに口をつけた私を見つめると、静かな声で聞いてきた。
「では……まだ縁談なども決まってはいないのか?」
『縁談?勿論決まってないよ。お父様が心配性だから、私はあまり他の貴族の方と交流していないの。社会経験を積むのは、もう少し成長してからで良いって言われてて』
「そうか」
『はじめは?』
「無論、俺も決まってはいない」
『そうなんだ』
そうだよね、この年から決まってしまっていたら窮屈に思ってしまいそう。
そもそも私は王家の人間ではないから、誰の奥様になるかは自分で決めたいと思っている。
勿論、お父様が許してくれればの話しだけど。
「先程、セラは幼い頃のことを覚えていると言っていたが」
『うん?』
「子供の頃にした約束も覚えたいるだろうか?」
庭園の花弁が綺麗に舞う中、はじめの頬が色付いて見えた。
凛々しい顔は今は少しだけ緩んで、私を見る真っ直ぐな瞳は珍しく揺れている。
『約束?』
「ああ。俺達が成長したら……」
はじめはそう言い掛けて言葉を止めると、急にその顔を険しいものにする。
そして椅子から立ち上がるとほぼ同時に剣を抜き、直ぐ近くの茂みにそれを突き刺した。
『はじめ?どうしたの?』
その一連の動きの速さと勢いに私が驚いて声を掛けると、茂みを覗き込んだはじめが少し腑に落ちないような表情で剣を懐にしまった。
「いや、今しがたここから殺気を感じたのだが……」
『え?殺気?』
「気のせいだとは思えんほどの殺気だったが、誰もいなかった」
やっぱり納得がいかないのか、はじめはまだ辺りを警戒して見回している。
ここには小さい頃から住んでいるけど、警備が厳重な敷地内では事件が起こったことはなかったから、私は思わずくすくす笑った。
「何故笑うのだ」
『だって、ここは安全だよ?』
「わからぬだろう。俺達はいつ何時刺客に襲われてもおかしくはない身だからな」
『確かにそうかもしれないけど、ここは騎士団の皆さんがいつも守ってくださってるから外よりかは比べものにならないくらい安心して過ごせる場所だよ。だからはじめもそんなに気を張らなくても大丈夫だよ。ここではゆっくり過ごして?』
いつまでも座らないはじめにそう声を掛けると、彼も納得してくれたのか再び席に着いてくれる。
「聞いていいかわからぬが……お前が野蛮な輩に攫われたという話を父から聞いて心配していた。大丈夫だったのだろうか?」
『うん、街に出た時に攫われちゃって……。でもこの通り元気だし何もされなかったから大丈夫だよ』
「だが怖い思いをしたのだろうな。その話を聞いたのもつい先日のことだった故、知っていればもっと早く会いに来られていたのだが」
『もしかしてそれで来てくれたの?』
「ああ」
私を気遣って来てくれたことを知れば、その優しさは嬉しいと思う。
小さい頃の優しいままのはじめが今もここにいるんだとわかって、心が温かくなるのを感じた。
『ありがとう、心配掛けてごめんね』
「礼を言われることではない。俺がそうしたかっただけだからな。無事でいてくれて良かった」
『うん。私もはじめにこうやって久しぶりに会えて
良かったよ、来てくれてありがとう』
この世界には沢山の人がいて、殆どの人が自分とは接点のない生活を送っている。
けれど私の周りにいる人達とはどこかで縁があって、こうして話したり同じ時間を共有して絆を深めることが出来るのだから、人との出会いは生きていく上でとても貴重なものだと思った。
私が攫われた時のこともそう。
あの日、あの街で事件に巻き込まれていなければ、私と総司はきっと永遠に出会うことはなかっただろう。
そう考えると人との縁は不思議で、どこか運命のようにも感じてしまう。
私は総司と会うために、あの日あの人達に誘拐されたのだと思えば、あの出来事は私にとって凄く大きな人生の転機だったのかもしれない。
もし時間が戻ったら、どんなに怖い思いをするとわかっていても、私はまた同じ道を通って総司に会いに行ってしまうのだろうと考えていた。
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