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あの日以来、僕は今まで以上にがむしゃらになって鍛錬を繰り返した。
最初の頃は無理をし過ぎて体調を壊したりもしたけど、徐々に自分の身体の扱い方も覚え、半年が過ぎた頃には寝込むこともなくなった。
食事量も自ずと増え、身長も伸びたことで、身体つきも遥かに良くなっていった。
一番の変化は、息が苦しくならなくなったことだった。
剣を振るたびに胸の奥が焼けるように痛んで途中で膝をついていた僕が、今では最後まで型を通せる。
息が整うと頭も冴えて、剣の動きがはっきり見えるようになった。
以前なら見逃していた小さな癖が今は面白いくらいよく分かるから、いつの間にか剣を振る時間そのものが楽しくなっていた。
「アンナ、お前と総司は来週からアストリアに療養に行くのだったな?」
昨晩、父が遠征から帰ってきた為、今夜は皆で一緒に食卓を囲むことになった。
以前より健康になったとは言え、僕に何の成果もないことはいまだ変わりない。
父の目つきはいつもの如く鋭かった。
「はい、その予定でございます」
「ならば早いところ正式に婚約を結んでくるんだな。でなければいつ逃げられるかわからんぞ」
その言葉を聞いて、兄姉達はふっと小さな笑いを口元でこぼす。
馬鹿にされることには慣れているから何の反応もせず食事をしていると、不意に父から名前を呼ばれた。
「身体は多少、まともになったのか?」
食卓の向こうから向けられた父の視線には、相変わらず労わりの色はなかった。
「以前よりは動けるようになりました」
慎重に選んだ言葉だった。
良くなったと断言するほどの自信はないし、かといって何も変わっていないとも言いたくない。
でも父は僕の返答を聞くなり、すぐに鼻で笑った。
「以前より……か。随分と曖昧だな。騎士団では何か成果は出したのか?」
「いいえ、まだ特別な成果と呼べるものはありません。ただ、訓練には毎日参加できるようになりました」
父はため息を吐き出すと、再び冷たい視線を僕へと向けた。
「最近お前の態度が悪いと聞いている。兄姉達に対して、生意気な振る舞いをしているそうじゃないか」
彼らに対して、何か言い返した覚えはない。
セラ嬢の手紙を奪われた時は取り返そうとはしたけど、それもその一回限り。
普段は叩かれても、嫌がらせをされても、ただ黙ってやり過ごしてきただけだった。
何も言わずに耐えていること自体が生意気だと言われてしまえば、どうすることもできない。
否定したい気持ちはあったけど、切り捨てられるだけだとわかっていたから、僕は黙り込んだままでいた。
「まさかようやく人並みになっただけで、剣の腕が上がったなどと自惚れているわけではあるまいな?」
「そのようなつもりはありません。自分の腕がまだ足りないことはよく分かっています」
「ならばいい。だが肝に銘じておけ。お前には剣の才も、取り立てて誇れるものも何もない。多少立っていられるようになった程度で、周囲の評価が変わるなどと思うな。それに、お前には元より何の期待もしていない。騎士団で名を上げることは愚か、戦場に出せば足手まといになるのが目に見えているからな」
折角強くなろうとしているのに。
僕なりに努力して、毎日必死に立ち続けているのに、その想いごと無意味だと言われた気がして悔しさが募った。
でもいくら罵られようと、僕の心には大切な人がいる。
あの子の存在が、今の僕を強く支えてくれていた。
「だからこそ早く婚約を正式なものにしろ。アストリアでは余計なことは考えず、療養と称して身体を整え婚約をまとめて戻ってくればいい」
「……分かりました」
そう答えながらも、胸の奥では別の想いを宿していた。
僕は、父の期待のために剣を振っているわけじゃない。
誰かを見下すためでも、名を上げるためでもない。
ただ僕を信じてくれるセラ嬢を、この手で護れるようになりたいだけだ。
だからその気持ちだけは、絶対に奪わせない。
いつか強くなって、誰にも馬鹿にされないようになってやると強く誓った。
息の詰まるような食事の時間を終え、僕はようやく自室へと戻る。
そして夕食の前に受け取ったセラ嬢からの手紙を、そっと引き出しから取り出した。
さっきまでは胸の奥に重たいものが溜まっていなのに、この文字を見るだけで不思議と肩の力が抜けていく。
ようやく読める時間が持てたことに笑みを浮かべ、僕は封を切り、便箋を広げた。
――
親愛なる総司さま
こんにちは。
お手紙、いつもありがとうございます。
総司さまからのお手紙は、いただいてから毎日何度も読み返しています。
朝に一度、昼に一度、夜は……数えきれません。
しまっては出して、また読んでしまうので、少し紙がやわらかくなってしまいました。
でも総司さまからのお手紙はとても大切なので、つい胸に当てて持ってしまいます。
もう少ししたら、ようやくまた総司さまにお会いできるのですね。
またアストリアに来てくださると知ってから、嬉しすぎて心が落ち着かなくて、どうしていいのか分からなくなってしまいました。
ですが早く会いたいと思うだけで、なぜか一日がとても長く感じます。
その日が今からとても待ち遠しいです。
総司さまに少しでも成長した私を見ていただきたくて、この半年間はできることをたくさん頑張りました。
先生にも、最近とても熱心ですね、とほめていただけるのですよ。
それから、ミルクもたくさん飲んでいます。
背が伸びると聞いたので、毎日欠かさずです。
ですが正直に書きますと、あまり背は高くなっていません。
鏡の前に立ってみても、ほんの少ししか変わっていないように思います。
なので鏡を見るたびに、総司さまの目線の高さを考えてしまいます。
前に並んで立った時は、私の頭は総司さまのどのあたりだったでしょうか?
あごの下でしょうか?
それとも胸のあたりでしょうか?
もし総司さまが背の高い女の子がお好きでしたら、がっかりさせてしまうかもしれません。
そう考えると、少しだけ不安になります。
けれど、これからもミルクをたくさん飲みますし、きっといつか大きくなれると思っています。
その時まで、どうか待っていてください。
最近は、総司さまにお会いできることが楽しみすぎて、夜もなかなか眠れません。
ベッドに入って目を閉じても、総司さまの声や笑顔を思い出してしまいます。
そんな時は総司さまからいただいたオルゴールを鳴らしてみるのですが、音色を聞くたびにもっと総司さまのことを考えてしまって、余計に目が冴えてしまうのです。
それでも胸が温かくなって、幸せな気持ちになれるから不思議です。
総司さまがいらっしゃったら、たくさんお話をしたいです。
お庭も総司さまに見ていただきたくて、毎日少しずつ手入れをしています。
楽しい時間をたくさん過ごせたらいいなと思っています。
わたしは総司さまのことが大好きです。
この気持ちが総司さまに届いていたら、とても嬉しいです。
どうか、お身体を大切になさってください。
お会いできる日が一日も早く来ることを願っています。
セラ
⸻
最後まで読み終えたところで、思わず息が漏れる。
胸の奥が熱を帯びて、顔に少し血が集まるのが分かった。
……可愛すぎる。
素直で、まっすぐで、いつも一生懸命で。
どうしてこんなにも、隠さずに気持ちを書いてくるんだろう。
会える日を指折り数えて待っているところも、背が伸びたかどうかを鏡の前で確かめているところも、僕のために何かできることを探して頑張っているところも。
きっと僕に伝えたくて仕方がなかったんだと思うと、それだけで口元が緩んでしまった。
ふと、アストリアでの光景が思い浮かんだ。
目の前に立っていたセラ嬢の小さな身体。
僕よりずっと細くて小さくて、それでも一生懸命に僕を見上げてくる。
その姿やあの天使みたいな笑顔を思い出してしまうと、僕の手で護りたいと思ってしまう。
強くなりたいと思う理由も、はっきりしてくるようだった。
今まで、誰かにこんなふうに思われたことはなかった。
身体が弱いとか、役に立たないとか、いなくても変わらない存在だとか、そういう言葉ばかりを聞いてきた。
それなのに彼女は、ただ会えるというだけでこんなにも喜んで、僕のことを考えながら毎日を過ごしてくれている。
大好きだと書いてくれている。
こうしてまっすぐ好意を向けられるとどうしていいか分からなくなるけど、嬉しくて仕方がなかった。
さっきまで胸を押しつぶしていた父からの言葉が、今はもう遠くに感じられる。
そんな言葉より、この手紙のほうがずっと僕の心に響いていた。
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