3
皆との食事を終えた後、僕はセラ嬢を誘って石造りの薔薇庭園に来た。
白い東屋の影が長く伸びて、噴水の水音が静かに響いている。
僕は小さな籠を抱えたまま、セラ嬢の手を引き歩いていた。
『総司さま?どこに行くのですか?』
「僕のお気に入りの場所だよ」
僕が微笑みながら振り向くと、彼女も嬉しそうに微笑んでくれた。
辿り着いた場所は、薔薇の咲き誇る庭園の東側。
アーチ状になっている門を潜り抜けた先で、僕は籠を差し出した。
「苺をもってきたんだ。セラ嬢に食べてほしくて」
赤くてつやつやしていて、少し大きめの苺。
一番形のいいものを選んだつもりだ。
セラ嬢は籠の中の苺を見て、大きな目を輝かせていた。
『わあ……きれいな苺。わたしにくださるのですか?』
「うん。セラ嬢の苺だよ」
『ありがとうございます、いただきます』
彼女が小さな手で苺を持ち上げると、やっぱり大きい。
その白い小さな手いっぱいに赤が広がっている。
「その苺、僕が食べさせてあげてもいい?」
セラ嬢は一度だけ驚いた顔をして、それからやわらかく頷いた。
『はい。総司さまがしてくださるなら……わたし、うれしいです』
素直で可愛い。
その甘えたような言葉が、また胸の鼓動を早めていくようだった。
「ちょっと大きいけど、食べられそう?」
『はい。がんばります』
僕はそっと、苺を口元へ運ぶ。
「はい、あーん」
『あーん』
セラ嬢まで同じ言葉を言いながら口を開ける。
大きい苺なのに、セラ嬢の小さな口にまるごと収まってしまった。
頬がぷくっと膨らみ、噛むたびにほっぺがもぐもぐと動く。
白い頬がほんのり赤くなっていて、大きな瞳は僕を見上げたまま。
苺の甘い香りが彼女の吐息と混じって香ってくると、また心が熱くなる気がした。
「どう?」
セラ嬢は口いっぱいのまま、こくこく頷く。
成長はしたけど、目の前にいるとまだ僕よりこんなに小さくて。
そのことを意識すると、より愛しく思えるようだった。
『とってもおいしいです』
ようやく飲み込んで、にこっと笑う。
苺の果汁が少しだけ唇についているのが見えて、僕はそっと彼女の唇の端を拭った。
「ついてるよ」
『ふふ』
その笑顔につられて、また苺を手に取る。
今度は少しだけ小ぶりのもの。
でも、やっぱり彼女には大きかった。
「ゆっくりでいいからね」
『はい』
また口に運んであげると、一生懸命に食べている。
白い頬がまた膨らんで、嬉しそうに目が少し細くなるところが可愛い。
思わずそっとその頬に触れると、その場所は白くてやわらかくてあたたかった。
「はは、ここ凄いふくらんでる。君にその一口は、大き過ぎたんじゃないの?」
『大きいですけど、ちゃんと食べられます』
「えらいね」
少し誇らしげに言うところも愛しくて、僕の声まで自然とやわらかくなる。
「もう一個、いく?」
「はい。総司さまがくださるなら」
苺を口に運ぶと、またほっぺがまるく膨らむ。
何度繰り返しても、幸せそうに食べる姿を見ることに飽きることはなかった。
小さな体、小さな手、小さな口。
それなのに、この子の存在は僕の世界の中心みたいに思える。
守りたいし、ずっと笑っていてほしい。
そんな想いを巡らせながら、僕はそっと彼女の頭を撫でた。
「いっぱい食べて。セラ嬢が笑ってるの、好きだから」
セラ嬢は、もぐもぐしながら僕を見上げている。
ヴェルメルでは女性が食事をしているところをあまりじっと見てはいけないと習ったけど、目を逸らすことが出来なかった。
庇護欲っていうのかな。
本で読んだことがある。
可愛くて、守りたくて、包み込んであげたくなる気持ち。
まさにそれだと思った。
『総司さまも、いっしょに食べましょう?』
小さな指先が苺を摘み、僕の口元で止まる。
誘われるようにそれを口に含むと、セラ嬢が嬉しそうに笑った。
『おいしい?』
「うん、おいしいよ」
『でしょう?』
その少し得意気な言い方が可愛くて、僕はまた笑ってしまう。
夕暮れの庭は、やわらかい茜色に包まれていた。
遠くで噴水がきらきらと光っていて、やわらかい風がそっと頬を撫でる。
ここがヴェルメルだと思えない程、優しく感じられる時間だった。
「手紙、いつもありがとう」
会えたら絶対に言おうと思っていた。
僕はセラ嬢の小さな手を取り、白いベンチへと導いた。
指先が触れ合うだけで、心臓がやけに忙しかった。
「セラ嬢からの手紙を読むと、いつも凄く元気をもらえるんだ」
いつも僕を肯定して、あたたかい言葉をかけてくれる。
優しい言葉で、僕の傷ついた心を包んでくれる。
自分がちっぽけに思える日も、セラ嬢の手紙を開くと、不思議なくらい胸が軽くなった。
僕よりも年下なのに、彼女の言葉にはいつもどこか芯があって、心にすんなりと届く。
セラ嬢からの手紙に、僕は幾度となく励まされた。
だからもうこの子は、僕にとって必要不可欠だ。
神様が誰にも愛されない僕を憐れに思い、遣わした天使じゃないかと思えるほどだった。
『わたしも総司さまからのお手紙にたくさん元気をいただいてます』
「それなら良かったよ」
『今日はこんなことがありました、って書いてくださるでしょう?それを読んでいると、わたしも同じ場所にいるみたいな気持ちになれます』
「そんな大したこと書けないけどね」
『大したことです。総司さまの毎日は、わたしにとってとても大事なのです』
曇りない瞳でそんなことを言われて、僕は思わず視線をさりげなく伏せた。
でももう一度彼女を見れば、ずっと一生懸命な瞳で僕を見てるから、口元が緩んでしまう。
『わたし、総司さまが笑ってるときが一番好き』
不意打ちだった。
「え?」
『どんな総司さまも大好きですけど、今みたいに笑ってくださるととっても安心します』
「……そう?」
『はい。最初の時よりたくさん笑ってくれるようになったから、嬉しいです』
えへへと笑った愛らしい笑顔を目の前に、顔が僅かに熱くなった。
真っ直ぐな愛情表現はやっぱりまだ慣れないし、照れくさくなるけど、この時間がとても心地良かった。
「セラ嬢がそう言ってくれるなら、たくさん笑えるように努力するよ」
『本当ですか?』
「うん。そのかわりセラ嬢も、僕にたくさん笑った顔を見せてくれる?」
『はい。総司さまが、たくさんお話ししてくれるなら』
「ははっ、条件つきなんだ」
少しだけ笑ってそう言うと、セラ嬢はこくりと頷いた。
『だって、総司さまのお声も好きなんです』
「声?」
『はい。やさしくて、あたたかいです。お手紙も好きですけど、こうして直接お話しするほうがもっと好き』
胸の奥がどくんと鳴った。
どうしてこの子は、躊躇いもなくまっすぐな言葉をくれるんだろう。
「……セラ嬢って、ときどき大胆だよね」
『そうですか?本当のことを申し上げているだけですけど』
本気で不思議そうな顔をしている顔があまりにも無邪気で、愛らしくて。
可愛いなって思ったのに、喉まで出かかった言葉は結局そこで止まった。
「それなら、たくさん話すよ」
『本当ですか?』
「うん。セラ嬢がそんな顔をしてくれるなら、いくらでも」
『そんな顔?』
「えっと、嬉しそうな顔?」
『ふふ。いま、嬉しいですよ』
「見てればわかるよ」
『総司さまが、たくさん笑ってくださるからです』
前に会った時より、会話が弾む。
それはきっと、僕たちが少しだけ大きくなった証拠なんだと思う。
一年後、二年後……僕達が今より大人になった時も、この子は今みたいに僕を見て笑ってくれるんだろうか。
そんな不安が少しだけ湧き上がり、僕は微笑みながらも一度視線を逸らした。
「前に話したことだけどさ」
僕と結婚してほしいと告げたあの時から一年半が経った。
あの時の彼女は、今よりもっと小さくて、それでも一生懸命に頷いてくれた。
でも幼かったからこそ、今もまだあの約束を覚えていてくれてるのか気になった。
近藤公爵やユフィ夫人が仰っていた通り、このまま交流を続けていけば、僕達が結ばれる未来も確かにあるのかもしれない。
でも正式に婚約をしていない以上、ただの口約束だけでは不安になるのも当たり前だった。
会えない時間があったとは言え、手紙は続いていた。
だから変わっていないと思っていたのに、久しぶりに顔を合わせたら、思い知らされる。
少し背が伸びて、髪もつややかになって、笑い方も以前よりどこかやわらかい。
きっとこの子は、これからもっと綺麗になる。
それがわかってしまったからこそ、胸の奥にちくりと小さな不安が生まれた。
『前に話したこと?もしかして、総司さまのご友人のことですか?』
手紙に書いたこと、気にしてくれてたんだ。
僕が言いたいのはそのことではないけど、言葉がうまく出てこない。
さっきまであんなに軽やかに話していたのに、肝心なところになると喉がつまるようだった。
「あの話はごめんね。重い話だったよね」
『いいえ。そのご友人も総司さまも、きっと悩まれているのだろうなって気になっていたんです。あの後は大丈夫だったのですか?』
心配そうな顔で見上げられて、胸がちくりとする。
強くなりたいと願いながら、まだ追いつけない自分に焦っているのも、負けて悔しくて眠れない夜があるのも、本当は僕自身の話。
それでも今はまだ、本当のことは言えなかった。
「うん。まあ……まだやられはするみたいだけど平気だって言ってたよ。いずれ自分の方が強くなるんだっていう目標ができたから、鍛錬に精が出るって」
『ご立派な方なんですね。そんなふうに考えられるなんてとても強い方だと思います』
僕は決して強くなんてない。
一年半という年月をかけて、やっと人並みに動ける身体になったばかりだ。
みんなより遅れて、ようやく同じ場所に立てただけ。
それでもこの子の前では、少しでも胸を張っていたいと思う。
この大きな瞳から涙が溢れ落ちないように、僕が守ってあげたいから。
「セラ嬢のおかげなんだよ」
『え?』
「手紙でたくさん励ましてくれたでしょ。それをそのまま伝えたんだ。そしたらさ、僕の友人も君にすごく感謝してた。悩んでた気持ちが楽になったって」
本当は僕が楽になったんだ。
一人で何度も読み返した手紙の文字がどれだけ僕を支えてくれたか、この子は知らないだろうけど。
『わたしは思ったことをそのまま書いてしまっただけですけど、総司さまの大切なご友人が少しでも元気になれたのならわたしも嬉しいです』
「うん。それに僕もたくさん励ましてもらってるから感謝してるよ。セラ嬢って凄いよね」
言った途端、彼女の口元がふにゃりとゆるんだ。
まるで溶けかけた砂糖菓子みたいな、照れた笑い方。
『そんなこと……ありません』
「あるよ」
『ございません……』
「あるってば」
少しだけ意地になって言うと、彼女は恥ずかしそうに両手で頬を押さえた。
その仕草がいちいち愛らしくて、胸の奥がくすぐったくなるようだった。
『あまり褒められると、どうしていいかわからなくなってしまいます』
その声は本当に困っているみたいなのに、どこか嬉しそうでもあって、僕は笑ってしまう。
感情のまま素直に変化する表情に魅入られてしまったら、益々この子を意識してしまうのに。
「もし僕がこれからもっと強くなれたらさ。それは半分くらい、君のおかげだからね」
『半分も……ですか?』
「うん。残りの半分は僕が努力しようと思う。でもセラ嬢が励ましてくれるから、強くなりたいって思えるんだ」
セラ嬢の隣にいると、真っ暗だと思っていた未来が眩しく見える。
もっと強くなりたい。
この子が誇れるような僕になりたい。
そう思える自分がいることが、今は何より嬉しかった。
『わたしも同じです。総司さまがいるから、素敵な女の子になりたいと思いました。総司さまと出会ってから頑張ることが楽しくなって、今色々と努力しているつもりです』
そう言えば、手紙に書いてあった。
僕が頑張ってるから、自分も木登りを卒業するって。
レッスンも今まで以上に頑張っているし、身長を伸ばすために毎日欠かさずミルクも飲んでるって。
あの時はなんて健気なんだろうと思いながら読んでいたけど、今こうして真面目な顔で言われるとなんだか少しおかしくて。
思わず吹き出してしまうと、セラ嬢は目をぱちくりさせて僕を見上げた。
『え?』
「ごめん、なんでもないよ」
『ええ?気になります』
「ミルク、毎日飲んでるんだっけ」
『はい。そうなんですけど、長旅の間は飲めなかった日もあって……。そのせいで伸びるはずの身長が伸びなくならないか心配です』
笑うのは失礼だとわかっているのに、口元がゆるみそうになるから、必死で押さえて言葉を発した。
「会った時に、身長凄く伸びたなって思ったよ」
『え?本当ですか?良かった……』
「でも、どうしてそんなに身長を気にしてるの?大きくなりたいの?」
『いつか総司さまの隣に並ぶ時に、あんまり小さいと良くないと思ったんです。大人になってから後悔しても遅いので、今のうちから伸ばしておこうと思って』
指先をもじもじと絡めながら、俯きがちにそう言う。
その仕草が愛らしくて、胸の奥にあった不安が少しずつ溶けていくようだった。
この子はちゃんと考えてくれている。
未来のことや、僕の隣に立つ日のことを。
胸の奥をかすめていた、約束は忘れられていないだろうかという心配は、もうしなくていいように思えた。
「身長は気にしなくていいよ。高くても低くてもセラ嬢には変わりないし」
『気にします。総司さまの好みに合わせたいんです』
「でも僕、身長が高い方が好きだなんて言ってないよ」
『では、低い方がお好きなのですか?』
「そういうことじゃなくてさ」
好きな方なんて、そんなことは考えたこともない。
だって僕が見ているのは、背の高さなんかじゃない。
優しくて、純粋で、僕の何気ない一言にこんなにも真剣な顔をしてくれるところ。
嬉しそうに頬を緩めたり、不安そうに眉を下げたり。
どんな時も一生懸命なところが可愛いなって思う。
でもそれをそのまま口にするのは気恥ずかしい
だから、少しだけ遠回しに伝えることにした。
「セラ嬢は、そのままでいいと思うよ」
『そのまま?このままの身長?』
「ははっ、違うよ。身長は気にしないでいいよってこと。伸びたら伸びたでいいし、伸びなくても構わないよって、そういう意味」
『総司さまは本当に、気になさらないのですか?』
「うん。僕はね」
本当は言いたい。
君が笑ってくれるなら、それでいいって。
隣にいてくれるなら、それで十分だって。
でもその言葉を言うのは、やっぱりまだ照れくさかった。
「セラ嬢が一生懸命なのはちゃんと知ってるし。それだけで十分だよ」
何より、僕とのことを真剣に考えてくれるその気持ちが嬉しいと思う。
それに彼女が僕を気にして背伸びをしようとしてくれるなら、僕はもっと高い場所に立たなくてはいけない。
この子の隣に、胸を張って立てる僕でいるために。
『ありがとうございます。でもわたしは努力はしたいです。総司さまのことを考えながら頑張る時間、好きだから』
僕も同じだった。
ヴェルメルでの生活は決して楽じゃない。
厳しい稽古、容赦のない叱責、思うようにいかない自分への苛立ち。
それでも踏みとどまれるのはセラ嬢がいるからだ。
この子のことを思いながら剣を振るう時間が、僕にとって一番生きていると感じられる時間だった。
「僕もだよ。だからこれからは一緒に頑張ろうか」
『はい……!』
いつになく元気な声が聞こえて思わずまた笑ってしまったけど、手紙でのやり取りをしていたからこそ僕達の距離は以前よりずっと近い。
こうやって絆を深めていけば、いつか本当にセラ嬢の隣に立てる未来が来るに違いないと思うことができた午後だった。
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