4

翌朝。
僕は基礎鍛錬を終え、汗を流してから正装に着替えた。
大公子としての一日は目まぐるしく過ぎていく。
剣術の鍛錬だけでなく、戦術の講義、政務の基礎、騎士団での稽古。
どれも大公子である僕にとって欠かせない務めだ。
父は厳しいし、何より僕自身が怠りたくなかった。

けれど今日、セラ嬢と顔を合わせたのは朝食と昼食の時間だけだった。
食卓越しに微笑んでくれた顔が、もう随分前のことのように思える。
彼女がヴェルメルに滞在できるのは、たった二週間ほど。
本当はもっと一緒にいたいし、話したいことも沢山あった。

だからこそやるべきことを完璧にこなして、夕刻からの時間を堂々と彼女に使おう。
そう決めて稽古着の手袋をはめようとした時だった。
腰につけていた剣帯の飾り紐が、後ろに引かれた感覚がした。


「……?」


思わず振り返ってみても、誰もいない。
広い稽古場の回廊にも特に人はいないし、気のせいかと首を傾げて再び前を向いたけど、また引っぱられた感覚があった。


「え?」


振り向くと同時に、ふわりと動く影が視界に入る。
僕の背中に慌てて隠れようとしている、小柄な姿。
僕の着ている外套の陰に半分身を潜ませながら、いたずらを見つかった子どものような笑みを浮かべていた。


『ふふっ』

「セラ嬢?」


名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうに笑った。


『総司さまを見つけたので追いかけてきちゃいました』


その言葉に思わず目を瞬いてしまったのは無理もない。
いつもは大人しくて少し恥ずかしがり屋なのに、わざわざ稽古場まで追いかけてきて、こんないたずらを仕掛けてくるなんて思わなかった。


「剣帯を引っ張るなんて大胆だね」

『引っ張ったのは、ほんの少しだけですよ』


悪びれた様子はなく、むしろ楽しそうに瞳を輝かせている。
子どもらしい無邪気さがそのままこぼれたような表情に、胸が反応する。

こんな顔もするんだ。
そう思ったら、いつもとは違う姿を見られて嬉しいと思ってしまう。


「僕が気付かなかったらどうするつもりだったの?」

『その時はもっと強く引っ張ります』


真剣な顔で堂々言うものだから、思わず笑ってしまう。


「僕が転んだらどうするのさ」

『その時はちゃんと支えますから大丈夫』

「君に支えられるの?」

『もちろんです』


小さく胸を張る仕草がまた可笑しくて、その様子一つ一つすら愛おしく感じた。


「稽古場は危ないよ。騎士たちが鍛錬してるし」

『はい。でも、総司さまがいらっしゃるから大丈夫だと思いました』

「それは信用されてるってことなのかな」

『はい。総司さまは、わたしを守ってくださるでしょう?』

「もちろん」


迷いなく答えた時だった。
背後からくすくすと聞き慣れた笑い声が聞こえて、嫌な予感がすぐに背中を撫でた。
振り向くと、回廊の柱にもたれるように立っているのは長男とその下の兄。
僕より五つ上のクラウス兄上は、いつものどこか意地の悪い笑みを消し、柔らかな微笑みを浮かべていた。


「セラ嬢は随分と可愛らしいことをなさるのですね」


声音も物腰も、よそ行きのものだ。
セラ嬢はぱちりと目を見開き、すぐに優雅に一礼した。


『クラウス様、アルベリク様、ごきげんよう。いらしたとは知らず、申し訳ありません』

「とんでもない。それより僕達の名前を覚えていていただけて光栄です」


クラウス兄上は穏やかに微笑む。
けれど兄達の視線が僕へ流れた時、それは途端に冷たいものに変わった。


「滞在中、不自由はありませんか?」

『はい。皆さまに良くしていただいております』

「それは安心しました。総司が迷惑をかけていなければ良いのですが」

『迷惑など、とんでもありません』


セラ嬢は少し慌てた様子で首を振った。
クラウス兄上は、わざとらしく眉尻を下げて微笑んだ。


「そう言っていただけるのはありがたい。しかしね、総司は身体が弱くて……気の毒な子なのですよ」


その声音は、同情を滲ませるように優しい。
でも彼らのことだ、僕を貶めようとしていることはすぐにわかった。


「幼い頃から思うようにいかないことも多かったので、仕方のないことかもしれませんが、少し卑屈に育ってしまったところがありまして。僕達とも、あまりまともに話してくれないんです」

「兄上」


低く声をかけても、クラウス兄上は穏やかな笑みを崩さないまま言葉を続けた。


「セラ嬢のような可憐なご令嬢が、総司のお相手になるかもしれないと聞いて……正直、申し訳ない気持ちになるのですよ。総司は身体は勿論のこと、内面も繊細でね。君のように優しい方に甘えてしまわないか心配なのです」


気遣うふりをしながらも、その視線は楽しげだ。
怒りが湧き上がったけど、ここで僕がそんな感情を出せば兄上たちの思うつぼだろう。
だからこそ僕はゆっくりと息を吸い、落ち着いた口調で言葉を発した。


「ご心配には及びませんよ。セラ嬢に迷惑をかけるつもりはありませんし、甘える気もありません」

『はい。総司さまはいつも努力なさっています。わたしが見習いたいと思う方です』


僕の言葉に続いてそう告げてくれたセラ譲の優しさに、胸の奥があたたかくなる。
でもその言葉を聞いた兄上たちの視線が、わずかに鋭さを帯びたのがわかった。


「随分と信頼されているのですね。ですが実際、総司はヴェルメル騎士団で一番の劣等生なのですよ」


空気が、ぴんと張りつめる。
クラウス兄上は穏やかな顔のまま、柔らかく言葉を続けた。


「アストリア公爵家は同じ軍事貴族として、ヴェルメル大公家との縁談をと考えてくださっているのかもしれませんが……このままでは、総司は我がヴェルメル騎士団での職務を全うすることすら厳しいでしょう。将来の見通しもまだ立っていないことはご存知でしたか?」


淡々と告げられる言葉は、どれも間違ってはいない。
剣の腕も騎士団での実績も、兄上たちには遠く及ばないことは僕自身が一番よく分かっている。
胸の奥が痛んだけど、反論できるだけの材料を僕は持っていなかった。


「ですが我がヴェルメル大公国も、是非アストリア家とは今後ともご厚意にしたいと思っています。軍事を担う家同士、より確かな形でのご縁を結べれば双方にとって益となりましょう。ねえ、アルベリク」


その言葉の行き着く先がどこなのか、考えるまでもなかった。
貴族の世界では、家の利益のために婚約相手が変わることなど珍しくない。
将来がより安定している者へと話が移ることは、理にかなっていると言われてしまえばそれまでだ。

昨日の様子から薄々感じてはいたけど、僕より三つ年上のアルベリク兄上はセラ嬢のことが気に入ったのだろう。
今度はアルベリク兄上が一歩ゆっくりと前へ出て、いつもとは違う丁寧な口調でセラ嬢に話しかけた。


「もし差し支えなければ、総司ではなく、僕とのご縁をお考えいただくことはできませんか?僕でしたらセラ嬢を大切にしますし、あなたを生涯守りますよ。総司より、ずっと」


柔らかい微笑みとともに差し出される言葉は、優しく整っている。
それが余計に僕の胸を締めつけた。
アルベリク兄上のほうがセラ嬢を幸せにできるかもしれないという思いが、否定しきれずに心の奥に広がったからだ。
正式な婚約を結んだわけでもなく、ただ口約束を交わしただけの僕に、彼女を引き止める資格があるのかと考えてしまう。

セラ嬢は驚いたように目を見開き、それから僕を見上げた。
悲しそうに眉を下げるその表情が、胸に刺さる。
けれど喉の奥が固くなり、僕は何も言えなかった。
もし彼女が兄上を選んだとしても、それは責められることではないと分かってしまうから。
しばらくの沈黙のあと、セラ嬢は静かに口を開いた。


『アルベリク様のお申し出は、とても光栄なことだと思います。ヴェルメル大公家とご縁をと仰っていただけることも、ありがたいです。ですが、私は総司さまと先に約束をいたしました。まだ正式な形ではありませんが、私にとってはとても大切な約束なのです』


アルベリク兄上がわずかに目を細めたけど、セラ嬢は懸命な様子で言葉を続けた。


『将来の見通しが定まっていないと仰いましたが、未来は今決まるものではないと私は思っています。総司さまが努力なさっていることも、悩みながら前に進もうとしていることも、私は知っているからです。ですから、私はその未来を信じます』


その言葉を聞いて、胸の奥が熱くなる。
守られているのは僕のほうだと、思い知らされた。
兄上達はしばらく黙っていたけど、やがてクラウス兄上が小さく息を吐いた。


「……なるほど。総司は幸せ者ですね」


その声には、先ほどまでの押しつけるような響きはなかった。
けれどアルベリク兄上の方は僅かに悔しそうな表情を浮かべると、いつも僕に向けるような冷たい目で薄く笑いながら口を開いた。


「残念ですが、セラ嬢のお考えはよくわかりました。ですが、セラ嬢は本当の総司の姿をご存じなんでしょうか?」


そう言ってわざとらしく首を傾げると、セラ嬢の瞳が揺れた。


「総司は先日の模擬戦で、転んで剣を落としたのですよ。しかも自分の足に躓いて。あれは見事でした。騎士団中の笑い者です。自ら剣を落としてしまう騎士なんて、騎士とは到底呼べませんからね。大公子があれでは、少々格好がつかないでしょう?」


アルベリク兄上は肩をすくめ、まるで愉快な思い出話でもするような調子で続けた。


「それ以外にも、一人で湖に落ちて高熱を出したり。ちょっとしたことで騒いで、次期当主である兄上の頬を引っ掻いた時もありましたね。何一つ成果もあげられないのに、態度だけは一人前です。きっと器が小さいのでしょう」


確かに先日の模擬戦で僕は転び剣を落とした。
足に力が入らなくなったのは、前夜の鍛錬をやり過ぎたせいだった。
言い訳にしかならないとわかっているけど、あれ以来、同じ失敗はしていない。
それでも、セラ嬢にこの事実を知られてしまったことは、胸の奥に鈍い痛みを与えた。

湖に落ちたのも事実だけど、あれは兄上達に蹴飛ばされた時に落ちてしまっただけ。
頬を引っ掻いたのだって、セラ嬢の手紙を取り返したかったからだ。
弁明しようと思えば、言葉はいくつも浮かぶはずなのに、喉の奥で固まって出てこない。
なぜなら、僕は先にセラ嬢のほうを見てしまったからだ。

彼女は黙ったまま、唇をきゅっと結び、俯いている。
いつもの柔らかな表情ではない。
ほんの少しだけ険しさを帯びているその表情を目の前に、僕の心臓は嫌な音を立てていた。


「この話を聞いて、セラ嬢も格好悪いと思うのではないですか?そんな相手が婚約者になってしまえば、あなたも苦労することになると思いますけどね」


もし彼女まで皆と同じ目で僕を見るのなら。
失望したような視線を向けられたら。
そんなセラ嬢の姿を想像しただけで、胸が締めつけられる。
でも僕には、彼女の言葉を待つことしかできなかった。

いつも優しいこの子なら。
僕を知ってくれているこの子なら。
そう願いながらセラ嬢を見つめる。
やがて彼女は小さく息を吸い、ぽつりと呟いた。


『……格好悪いです……』


頭が真っ白になった気がした。
言葉を失い、ただ彼女を見つめる。
遠くで、兄上たちの笑い声が弾けて僕の元に届いた。


「真実を知れば、そう思われてしまうのも当然です」

「セラ嬢ならわかってくださると思っていました」


その笑いが、やけに遠く感じる。
けれどその言葉を聞いて、セラ嬢はゆっくりと顔を上げた。
いつもは柔らかく垂れがちな眉が、ほんの少しだけきりりと上がっている。
小さな体なのに、その姿は凛として見えた。


『人が傷付くことをわざわざ楽しそうにお話しになるのは、とても格好悪いことだと、わたしは思います』


静かな声だったけど、はっきりと響いた。
僕だけでなく、兄上たちも一度言葉を失ったようだった。


『転んでしまったことも、湖に落ちてしまったことも、失敗かもしれません。ですが、人は誰でも失敗を経験して成長していくものです。それを笑うことが立派だとは、わたしには思えません』


彼女の頬はうっすら赤い。
いつもあんなに穏やかなのに、今は僕のために怒ってくれているのだとわかる表情だった。


『総司さまは、いつも努力なさっています。きっと悔しい思いをなさって、それでも前を向いていらっしゃいます。近くで見ていらっしゃるお兄様方ならそれをよくご存知なはずのに、どうしてその部分ではなく、失敗だけをお話しになるのですか?』


それはセラ嬢からのまっすぐな問いだった。
アルベリク兄上は一度言葉を詰まらせていたけど、すぐに柔らかな笑みを取り戻した。


「……いえ、我々にそのような意図はありませんよ。軽い冗談のつもりでした」


クラウス兄上も、その言葉に援護するように肩をすくめた。


「お気を悪くさせてしまったのなら、僕からも謝ります。弟も、決して総司を傷付けるつもりではなかったはずです」

『冗談であっても、悲しくなることはございます』


その一言に、兄上たちは気まずそうに黙り込み、やがて形だけの微笑みを残して去って行った。
足音が遠ざかり回廊に静けさが戻ると、セラ嬢はぽつりと呟いた。


『……ごめんなさい』

「え?」

『わたし、お兄さま方に言い過ぎてしまったかもしれません……』


その不安そうな顔を見た瞬間、胸の奥に溜まっていたものが一気にほどけた。


「ううん、そんなことないよ」


情けない失敗も、未熟さも、全部知られてしまった。
それでも彼女は、今も僕の隣に立ってくれている。
その事実が何よりも嬉しくて、胸の奥に渦巻く鈍い痛みが別のかたちに変わった気がした。
でも目の前の彼女の大きな瞳に涙が溜まっていることに気付けば、それどころではなくなってしまった。


「セラ嬢?」


名を呼んだだけで、彼女の表情は崩れた。
堪えていたものが一気に溢れ出すように、ぽろぽろと涙が零れていく。


「あ……セラ嬢……」

『……ううっ……』

「……君を悲しませてごめんね」


そう言いながら、僕は自分の拳を強く握っていた。
きっと嫌な気持ちにさせただろうし、怖かったかもしれない。
こんな遠くまで会いに来てくれたのに、僕のせいであんな空気の中に立たせてしまった。
本当は僕が守るべきだったのに、結局はセラ嬢一人に背負わせてしまった気がする。
その事実がどうしようもなく情けなくて、胸の奥で自分を責める。
けれど彼女は涙を零しながら、それでも懸命に首を横に振った。


『……悲しいわけじゃ……なくて……』

「でも、そんなに泣いてさ……」


問いかけると、彼女は息を詰まらせながらも震える声で続けた。


『だって、悔しいのです。総司さまはこんなに優しくて……素敵な方なのに……』


その言葉を聞いて、さっきまで胸を覆っていた暗い感情が、ゆっくりと溶けていくのを感じた。
惨めだと思っていた自分や情けないと思っていた自分を、この子は否定してくれる。
僕の失敗ではなく、僕そのものを見て認めてくれている。

セラ嬢は小さな指先で何度も涙を拭うけど、次の涙がすぐに頬を伝った。
その必死な姿が胸に刺さり、泣き止ませてあげたいと思うのと同時に、その泣き顔がどうしようもなく愛おしいと感じてしまう。

この子は、僕のためにこんなにも悔しがってくれている。
それを知った今、兄上たちの言葉はもう気にならない。
僕の心には、ただセラ嬢の存在だけが静かに広がっていくようだった。


「ありがとう。僕のために怒ってくれて」


ポケットから取り出したハンカチは、以前セラ嬢が僕に刺繍を施して贈ってくれたものだった。
あの日、これを受け取った時の喜びを僕は忘れたことがない。


「このハンカチ、前にセラ嬢が贈ってくれたものだよ」

『あ……』

「凄く大切にしてるんだ。二日に一回は必ずこれを使ってる。明日は洗濯に出しちゃうから手元にはないけど、明後日にはまた綺麗になって戻ってくるはずだよ」


そう言いながら、そっと涙を拭ってあげる。


「だから、セラ嬢が泣いたり何か食べこぼしたりしたら、明後日はまたこれで拭いてあげる」


少しだけ冗談めかして言うと、彼女は涙目のまま、くすくすと笑った。
その泣き笑いの表情が、胸の奥に柔らかく沁みていく。
僕は静かに息をついてから、改めて彼女を見つめた。


「僕はね、他の誰に何を言われても平気だよ。僕にとって一番大事なのは、セラ嬢がかけてくれる言葉だから」


優しいと言ってくれたこと。
素敵だと言ってくれたこと。
その言葉が、僕の中で何よりも強い力になる。

もし次、この子が悲しむことがあれば、この瞳から涙が溢れないように今度こそ僕が守りたい。
次は僕が闘わなければと思いながら、もう一度そっと彼女の涙を拭った。

涙を拭っても拭っても、セラ嬢の睫毛はまだ濡れていた。
けれど、さっきまでの嗚咽は少しずつ落ち着いていて、彼女は小さく息を吸いながら、懸命に気持ちを整えようとしている。
その様子を見つめながら、僕は自然と微笑んでいた。


「少しは落ち着いた?」


そう問いかけると、彼女は目元を赤くしたまま、こくりと頷く。


『お見苦しいところをお見せしてしまいました』

「全然、見苦しくなんてないよ。むしろ……」


言いかけて、少しだけ言葉を選ぶ。


「僕のためにそんなふうに泣いてくれる人がいるんだって思ったら、嬉しかったよ」


彼女の瞳が、ゆっくりと揺れた。


『嬉しい……のですか?』

「うん。さっきまで、正直ちょっとだけ落ち込んでたんだ。やっぱり僕はまだまだだなって思い知らされたし、セラ嬢に格好悪いところばかり見せてる気もして」


彼女は慌てたように首を振る。


『そんなことはありません。わたしは……』

「うん、知ってる。君がどう思ってくれてるか、さっきちゃんと聞いたから」


そう言うと、彼女は少しだけ頬を赤らめ、視線を落とした。


『総司さまは……どうして、あのようなことを言われても、怒らないのですか?』

「怒ってないわけじゃないよ。悔しいし、腹も立つ。でも……」


言葉を探しながら、ゆっくり続ける。


「兄上たちは、僕よりずっと上にいる人だから。実力も、経験も。だから中途半端に反発しても、余計に自分の未熟さを突きつけられる気がしてさ」

『それでも……総司さまは努力なさっています』

「うん。でも努力してるっていうことを盾に、自分を正当化するのは少し格好悪いでしょ」


彼女は小さく目を瞬いたあと、ふわりと優しく微笑んだ。


『格好悪くなんてありません。努力をなさっている方は、とても素敵です』

「セラ嬢は、僕に甘いよね」


少し意地悪く言うと、彼女は首を傾げた。


『甘くないですよ?正直に申し上げているだけです』

「じゃあ、もし僕が本当にどうしようもない人だったらどうするの?」


少しだけ試すように問いかけると、彼女は驚いたように目を見開いたあと、静かに首を振った。


『総司さまは、そのような方ではございません』

「どうしてそう言い切れるの?」

『わたしは、総司さまをちゃんと見ています。いつも前を向いていらっしゃる方だってわかってます。でも……もし総司さまが本当にどうしようもない人だったとしても、優しくて素敵な方だって知っているから。だからその時は、わたしが総司さまを立派にして差し上げます』


僕は言葉を失う。
そんなふうに言ってもらえるなんて、思ってもいなかった。


「……それは、ちょっと恥ずかしいな。女の子に頼るなんてさ」


そう言いながらも、胸の奥が静かにあたたかく満ちていった。


「でもセラ嬢がそこまで言ってくれるなら、僕はその分もっと頑張らないといけないね」

『無理はなさらないでくださいね』

「大丈夫。無理はしないよ。君が隣にいてくれるなら、僕は強くなれそうな気がする」


彼女は驚いたように瞬きをして、それからそっと視線を伏せる。


『総司さまこそ、わたしでよろしいのですか?』

「セラ嬢じゃなきゃだめだよ」


自然に出た言葉だった。
セラ嬢は僅かに頬を染めて、しばらく何も話さなかった。
でも静かな時間が流れた後、彼女は言ってくれた。


『わたしも……総司さまがいいです。誰に何を言われようと、絶対に総司さまがいい。わたしはずっと、総司さまの味方でいます』


手紙にも書いてくれたその言葉を、本気で信じてみたいと思った。
なぜなら今日、セラ嬢は何を言われても凛として僕の味方でい続けてくれた。
だから僕も、何があってもセラ嬢の味方でありたいと思うよ。


『ありがとう。僕もセラ嬢の味方でいるよ』

『ふふ』

「でもね、あんまり僕のことで泣かないで。僕、セラ嬢の涙には弱いみたいからさ」

『それなら、できるだけ気をつけます』


セラ嬢が笑って言ったその返答が可笑しくて、僕も笑う。
さっきまで胸を締めつけていた重さは、もう消えていた。
代わりにあるのは、静かであたたかな確信。
たとえまた誰かに笑われても。
この子が隣で僕を見ていてくれているなら、それだけで何度でも立ち上がれる気がしていた。


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