10

初めてのヴェルメルでの日々は毎日がきらきらしていた。
悲しいこともあったけど、ここでは毎日総司さまに会える。
それだけでわたしの心はあたたかくなり、幸せな気持ちになった。
けれど楽しい時間も、あと少しで終わってしまう。
明日にはここを出て、アストリアに戻らなければならないと考えると、明日なんて来なければいいのにと思ってしまう。


『お父さま、お母さま。そろそろ総司さまの講義が終わる時間なので、行ってまいりますね』


お部屋でお茶をしているお二人にそう告げて、わたしは広いお屋敷の中を歩いて行った。
そしてふと視界に入った窓の外。
窓辺にいる綺麗な薄緑色の鳥を見て、思わず足を止めた。


『わあ……きれい。総司さまの瞳の色みたい』


ヴェルメルはアストリアとは気候が違うから、鳥や虫、植物もアストリアでは見たことないものが生息している。
興味津々で観察していると、すぐ近くのお部屋の扉の隙間から使用人の方々の声が聞こえてきた。


「そう言えば、聞いた?総司様、また問題を起こしたらしいわよ」

「そうなの?ようやく少し健康になってきたと思ったら、今度は何したのよ」

「昨日の騎士団内の公開試合で、シリル様のことを木剣で何度も叩いて結構な怪我を負わせたみたいなの。試合終了後、一方的に痛めつけたって聞いたけど」

「ええ?やだ……だから今朝、食卓の席での雰囲気がおかしかったのね」


衝撃的な内容に身体は一度かたまったけど、隠れて他の方の話を聞いてまうのは良くない気がして、再び足を進めようとした。
けれど次に聞こえた言葉に、身体がそのまま動かなくなってしまった。


「しかも総司様は反省するどころか弱いシリル兄上が悪いとまで言ったそうよ。怖い子よね」

「……でも、やりそうよ。あの子って、いつも何考えてるかよくわからないし、人の心を見透かしたような視線も子供らしくないし。気味が悪いわ」


怖い?
気味が悪い?
そんなはずない。
総司さまはたしかに、あまり感情を表に出さないし、静かで涼しい顔をしていることが多い。
でもわたしの前では、ちゃんと笑ってくれる。
優しく名前を呼んでくれる。
あの瞳は、冷たくなんてないのに。


「私も苦手よ。でも今回の縁談は珍しく順調そうじゃない?よくお相手も逃げださないわよね」

「アストリアはここから遠く離れてるから、総司様のお噂も知らないのよ。わざわざこんな場所まで会いにきて……お気の毒よね」


え……、わたしの……こと?
頭の中が真っ白になる。
まるで自分までどこか遠くに突き放されたような気持ちになった。


「さあ、ここの掃除は終わったから次の部屋に行きましょうか」


部屋から人が出てくる気配がして、わたしは慌ててその場を離れる。
すると廊下を曲がった先で、見慣れた後ろ姿が視界に入った。
やわらかな茶色の髪が光を受けて揺れて、総司さまだとわかった瞬間、わたしの心には花が咲いた。


『あ……』

「総司、来なさい」


声をかけようとした時、アンナ夫人が現れて総司さまの腕を掴んだ。
その横顔がいつものアンナ夫人とは別人のように見えて、身体が固まる。
離れた場所で見ているわたしに気付かないまま、アンナ夫人は総司さまを連れて少し先にある部屋へと入って行ってしまった。


『どうしよう……』


総司さまとは、この時間に会う約束をしている。
お二人の邪魔をしてはいけないと思っているのに、胸の奥がそわそわと落ち着かなかった。
もうすぐお別れなのだと思うと、少しでも長く総司さまのおそばにいたいと願ってしまう。
気づけば誘われるようにして、お二人が入って行った部屋の前まで来ていた。

先ほど見かけたアンナ夫人の表情が、頭から離れない。
眉を吊り上げ、あんなにも怒りを露わにしているお顔を、わたしはこれまで見たことがなかった。
そして腕を掴まれたときの、総司さまの少しだけ傷ついたような横顔。
その面影に胸を押されるようにして、わたしは扉をほんの少しだけ開けてしまっていた。

次の瞬間。
バシッ、と乾いた音が室内に響いた。
視界の先で総司さまの頬が打たれ、白い肌がじわりと赤く染まる。
扉を押さえていたわたしの指先には力が入った。


「どうして余計なことをしたのよ……!今は公爵家の方々がいらしている時なのよ?!いつもは大人しくしていたのに、なぜ今シリル様に手をあげたの!」


いつもは笑顔で穏やかなアンナ夫人が、今は総司さまを怒鳴りつけて酷く冷たい瞳で睨んでいる。
そして総司さまも苦しそうに顔を歪めて、その場に立っていた。


「……申し訳ありません。ですが僕も強くならなければならないと思いました。いつまでも弱いままでは、誰のことも護れないですから」

「私が言っているのはね、どうして今なのかっていうことよ。わかってるわよね?セラさんと婚約できなければ、私達はこの家での居場所を失うかもしれないのよ?」

「それは十分理解しています。セラ嬢との仲も良好ですから、母上は心配なさらないでください」

「どの口が言うのかしら。正式な婚約を結べていない今は慎重にならなくてはならないの。何か粗相をしてあの子に見限られたら終わりなのよ?それなのにっ……」

「シリル兄上がっ……」


アンナ夫人が総司さまのシャツの胸元を掴み、もう一度手を振り上げると、総司さまはそれに逆らうかのように声を少しあげる。


「試合で僕に勝ったらセラ嬢を自分の婚約者にできないか父上に頼むと仰っていたんです。ですから僕は、シリル兄上が余計な行動を起こさないよう牽制したんですよ」


ぐるぐると考えが巡る。
胸が熱くて、苦しくて、息の仕方さえわからなくなる。
わたしとの婚約がなければ、総司さまはこの家での居場所を失うかもしれないの?
それはつまり、総司さまにとってわたしは……


「僕は……」


総司さまが何かを言いかけた時、ふと総司さまの視線が扉のほうへ流れる。
そしてそこに立ち尽くしていたわたしに気付くと、エメラルド色の瞳が大きく見開かれた。


「……セラ嬢……?」


アンナ夫人もはっと振り返りわたしと目が合うと、部屋の空気が一瞬で変わった。


『あ……申し訳ございません……わたし、その……』


声が震えたけど、もう隠れていることはできなかった。
扉を少し押し開け、部屋の中へおずおずと足を踏み入れた。


『総司さまとお約束をしていたから……でもお話しを聞いてしまって……』


涙が出そうになるのを精一杯こらえていると、総司さまが心配そうに一歩近づいて来てくれた。


「僕を迎えに来てくれたの?」

『はい……』

「……そっか、ありがとう。時間過ぎてごめんね」


総司さまはいつもの優しい総司さまだった。
恐る恐る見上げると、エメラルド色の瞳がやさしく細められていて。
いつものそのお顔を見たとたん、胸の中でこらえていたものがほどけてしまった。


『……ふ……ぅ……』

「……セラ嬢、泣かないで」


ぽろりと熱いしずくが頬を伝うと、総司さまが困ったように眉を下げる。
アンナ夫人もすぐにわたしのそばへ歩み寄ってくださった。


「まあ……驚かせてしまいましたね」


その声は先ほどの鋭さが嘘のように、とてもやわらかかった。


「総司が少しばかり軽率な振る舞いをいたしましたので、母として諭しただけなのです。ご心配には及びませんよ」


難しい言葉だけど、叱っただけと言ってくださっているのはわかった。
それでも、わたしは首を横に振ってしまう。


『はい、わかりました。ですが……これからは総司さまを叩かないでいただけますか?』


だいすきな総司さまが傷付くところはもう見たくない。
自分でも驚くくらいはっきりした声が出て、アンナ夫人も少し目を見開いた。


『痛いのは……かわいそうです』


うまく言えないけど、それだけはどうしても伝えたかった。
するとそんなわたしを見て、総司さまが柔らかく笑う。


「僕は平気だよ。これくらいのこと、なんともないから」

『でも……赤くなっていらっしゃいます』


思わずその頬を見つめる。
アンナ夫人はしばらくわたしを見てから、すぐに優しく微笑んだ。


「セラさんはお優しいのですね。確かに少々手が過ぎました。母も反省しています。ごめんなさい」

「母上……」


アンナ夫人が総司さまの頬に軽く触れると、総司さまは少しだけ驚いたようにそう呟いた。


「ですが総司、あなたも無茶はなさらないこと。強くなるのは大切ですが、思慮を忘れてはいけませんよ」

「……はい」


総司さまは素直に頷くと、わたしのほうへ向き直った。


「ほら、もう大丈夫だよ。だから泣き止んでくれる?」


そっと差し出されたハンカチは、以前わたしが星の刺繍を施したものだった。
わたしはこくんとうなずいて、目元を優しく拭ってくれる総司さまを見上げた。


『総司さまが大丈夫でしたら……よかったです』

「うん。心配してくれてありがとう」

「お二人はこの後、お約束があるのでしょう?どうぞ行ってらっしゃい。総司、エスコートをお忘れなく」

「はい、母上」


総司さまが、わたしの前に立ち、そっと手を差し出してくださる。


『……ありがとうございます』


その手に自分の小さな手を重ねると、まだ少しだけ胸はどきどきしているけど、さっきの怖さはもう消えていた。
だって総司さまの手はこんなにもあたたかい。
それだけでわたしは安心できる気がしていた。


それから総司さまは、厨房で苺の入った籠を受け取ると、わたしの手を引いたまま離宮へと向かった。
この前かくれんぼをした庭園。
薔薇のアーチをくぐり、ベンチの上に胸元のスカーフを敷くと、その上にわたしを座らせてくれた。


「苺、食べる?」


わたしが一度頷くと、総司さまは嬉しそうに笑ってわたしの口に苺を運んでくれた。
甘くて大きくて、口の中がいっぱいになってしまうヴェルメルの苺。
口をもぐもぐと動かして頑張って食べているわたしを、総司さまは微笑みながら見守ってくれていた。


『おいしいです』


幸せな時間。
でも今日は、心の中が少し痛い。
総司さまがシリルさまを攻撃してしまったこと。
お屋敷の使用人の方々から、あんな風に悪口を言われていること。
そして総司さまを叩いたアンナ夫人のことや、わたしと婚約しなければ居場所を失うかもしれないと言っていたこと。
わたしは大好きな人のことを、全然知らなかった。
それがわかってしまった今、今まで感じたことのない痛みが心の中に広がっていくようだった。


「セラ嬢?」


気付けば総司さまが、少し心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。
わたしは慌ててにっこりと笑ってみせたけど、頬が思うように動いてくれなくて。
顔からはすぐに笑顔がなくなってしまった。


「……元気なくなっちゃったね」

『そんなことはありません』

「セラ嬢はいつも感情が素直に顔に出るから、わかるよ」

『あ……ごめんなさい……』

「どうして謝るの?僕は隠さないでもらえた方が嬉しいよ」


それなら……無理をして笑わなくてもいいのかな。
総司さまを嫌な気持ちにさせてしまわないかな。

でも本当は最後の一日を、総司さまとたくさん笑って過ごしたかった。
思い出を全部、あたたかな色で染めたかったのに。
笑うことも出来ない自分が嫌で、また涙が湧き上がってしまった。


『……っ……』


これ以上泣きたくなくて、唇をきゅっと引き結び、必死にこらえる。
けれど視線を感じてそっと顔を上げると、総司さまがまっすぐにわたしを見ていた。

エメラルド色の瞳が大きく揺れている。
それでも逸らさずに、ただわたしだけを見つめていた。
思わず瞬きをしてしまえば、堪えていた涙がぽろりと頬を伝ってしまった。


『あっ……』


慌てて拭おうとした時、その前に総司さまの指先がそっとわたしの頬に触れる。
壊れやすいものに触れるみたいにやさしく、こぼれた涙をひとしずくずつ拭ってくれる。
そのぬくもりに触れた途端、さっきまでざわざわしていた心が少しだけ静かになった気がした。


「セラ嬢は、すぐに泣いちゃうんだね」

『わたし……いつもは泣きません。全然泣き虫ではないです』

「ははっ、本当に?」

『本当です……』


少しむきになって言うと、総司さまは楽しそうに目を細める。


「じゃあ、アストリアでは泣くとしたらどんな時に泣くの?」

『……悲しい物語を読んだ時や、大切に育てていたお花が枯れてしまった時とか……』

「セラ嬢らしいね。他には?」

『あとは……この前はお父さまに作ったクッキーを箱ごと全て落としてしまって少しだけ……』

「それは残念だったね。他はどんな時に泣いちゃうの?」


残念だったねという言葉に、胸の奥にしまっていた記憶が浮かび上がる。
頬がひりひりするほど泣いてしまったあの日のことを思い出し、わたしは小さな声で言葉を続けた。


『総司さまがアストリアに来れなくなってしまった時、お手紙を読んで少し泣いてしまいました』


本当は、少しどころではなかった。
何度も何度も読み返して、そのたびに文字が滲んで見えなくなった。
総司さまの悲しみが、紙越しに伝わってくる気がして。
それがたまらなく苦しくて、どうしていいかわからなかったことを今もまだよく覚えてる。


「ごめんね。あの時のことも、今日のことも。本当はセラ嬢をたくさん笑わせてあげたいんだけど、僕が頼りないからだめなんだよね」


寂しそうに笑う総司さまの顔を見て、わたしは勢いよく首を横に振った。


『違います……!総司さまはとても頼もしいですし、わたしが泣き虫だからいけないんですっ……』

「そんなに慌てなくていいのに。それにさっきは泣き虫じゃないって言ってなかった?」

『ヴェルメルでは少し泣き虫でした。ですから、わたしの方こそごめんなさい……』


総司さまのことになると、どうしてこんなに心が忙しくなるんだろう。
うれしくて、苦しくもあって、でもそばにいられるだけで幸せで。
気持ちに振り回されてばかりいる自分が恥ずかしくなって、指先をもじもじといじっていると、すぐ隣からは優しい総司さまの声が聞こえてきた。


「どうして謝るの?僕は嬉しいよ」

『わたしが泣き虫だと嬉しいのですか?』


少しだけ首をかしげながらたずねると、総司さまは困ったように笑う。


「そういうわけじゃなくて、なんて言えばいいのかな。セラ嬢が僕のために一生懸命泣いてくれる姿がさ、なんだか見ているだけで……」


そこで、総司さまはめずらしく言葉を止めてしまった。
いつもならすらすらと続くのに、今日は違う。
一度眉を下げて小さく微笑むと、ふっと息を吐いてからもう一度わたしを見た。


「僕はね、素直なところがセラ嬢の良いところだと思ってるし、君が考えてることや感じてることをありのまま知りたいって思ってるよ。だからセラ嬢には変わらないで欲しいかな」


泣き虫なところは、直さなくてはいけないものだと思っていた。
けれど総司さまがそう言ってくれると、泣いてしまう自分も少しだけ許してあげてもいいのかもしれないと思える。
そしてわたしの心の中までも大切にしてくれる総司さまが、もっと好きになった。


『わたしも総司さまの良いところなら、たくさん言えますよ』

「え?」


総司さまについて、知らないことは沢山ある。
でもそれと同じくらい、総司さまの良いところもわかってる。


『優しくしてくださるところや、わたしを守ってくださるところ。わたしの話をきちんと聞いてくださいますし、たくさん笑ってくださるところも好きです。心配して、やさしく注意してくださるところも……あと、おいしい苺を食べさせてくださるところもです』


話しながら、自然と頬がゆるんでしまう。
総司さまは目をぱちぱちと瞬かせていたけど、わたしは止まらなかった。


『それに、剣術も学業もたくさん努力なさっていますし、字もとても綺麗です。総司さまが笑ってくださると、まわりの景色まできらきらするくらい綺麗なんですよ。それに、そのエメラルドの瞳も……』

「セラ嬢、ちょっと待って」

『え?でも、まだたくさん……』

「あまり褒められると恥ずかしいんだよね。僕、褒められ慣れてないからさ」


そう言って、少しだけ視線を逸らす。
その横顔がほんのり赤く見えて、胸がとくんと鳴った。
じっと見つめていると、やがて視線が戻ってきて、総司さまはやわらかく笑った。


「ありがとう。セラ嬢くらいだよ、僕のことそんなふうに言ってくれる子」

『そうでしょうか?総司さまを見たら、きっとみんな素敵な方だって憧れてしまう思います。だから……少し不安にもなります』

「何が不安なの?」

『もしいつか……総司さまに好きな女の子ができてしまって、その子も総司さまのことが好きになったら、わたしはどうすればいいのかなって……そんなふうに考えたんです』


その時総司さまは、それでも家のためにわたしと婚約するのかな。
それとも大公閣下のように、奥様を何人ももらうことにするのかな。

アストリアでは、奥様はお一人だけだと聞いている。
けれどヴェルメルでは、家のために複数の女性と婚姻を結ぶことも多いと教わった。
実際、大公閣下にはアンナ夫人のほかにも奥様がいらっしゃる。
それを知ったときから、心のどこかがずっと落ち着かなかった。

わたしだけの旦那さまになってほしいなんて、そんなわがままは言えないけど。
それでも気づけば、ぽろりと本音がこぼれてしまっていた。
すると総司さまは珍しくきょとんとした顔をして、何度かまばたきをしていた。


「……ん?どうしてそんなことを心配してるの?」

『総司さまはご事情があってわたしとの結婚を考えてくださってるのですよね。だから……』


最後まで言いきる前に、総司さまは静かに首を振った。


「違うよ。たしかに最初にアストリアに来たのは、療養と家門同士の繋がりを作るためだったけどさ、僕は正直憂鬱だったんだ」

『ゆうつつ……?』

「うん。今までも何度となく見合いの席はあったけど、結婚なんてまだ考えられなかったし、今から相手を決めるのも嫌だった。家の決まりごとで未来が決まるのは、息苦しかったんだよね」


それなのにと、総司さまはまっすぐにわたしを見る。


「セラ嬢と会って、一緒に過ごしていくうちにさ。君が僕の奥さんになってくれたら、どんなに嬉しいだろうって思ったんだ」


その瞳は、澄んでいて、真剣で。
胸がどきどきと早くなるのに、不思議とあたたかい。
まるで、総司さまの気持ちがそのまま心に流れ込んできたみたいだった。
嬉しくて、口元がふにゃりとゆるんでしまう。


『……ほうとうに?』

「うん、本当だよ。だから他に好きな女の子なんてできないから、そんな心配はしなくて大丈夫だよ」

『それなら総司さまは大公閣下のように奥様を何人もお迎えにはなりませんか?わたしだけの……旦那さま?』


不安な気持ちのまま思い切って聞いてしまえば、総司さまは少し驚いた顔をする。
でもすぐに微笑むと、照れた様子で言ってくれた。


「もちろん。セラ嬢だけだよ」


その一言で、胸にかかっていた薄い霧が、すうっと晴れていく。
ずっと曇っていた気持ちが、ようやく光を見つけたみたいだった。 


「まさか……セラ嬢がそんなことを心配してたなんて思わなかったよ」

『アストリアにいた時は、心配ごとはなかったのです。でもヴェルメルに来て、大公閣下に奥様が三人いらっしゃると知ってから……いずれわたしも、総司さまを他の奥様とわけっこしなければならないのかなって……』

「ぷっ、ははっ……わけっこって……」

『笑いごとではありません。これは大切な問題なんです。だってわたしは、総司さまを誰かとわけっこしたくありません』

「僕もわけっこされるのはちょっと嫌だけどね」

『わたしはちょっとどころではありません。すごくすごく嫌です。だから総司さまは、わたしとだけ結婚を……』


今ここで約束してもらう勢いで総司さまに詰め寄ってしまったけど、気付けばすぐ近くに目を瞬いている総司さまの顔。
どうしてか急に恥ずかしさを感じて、そこで言葉が止まってしまった。
でも、そんなわたしに総司さまは言ってくれた。


「僕はセラ嬢とだけ結婚する。君を一番に大切にするよ」


ドキドキドキドキ、心臓がうるさい。
でもとても嬉しくて、気付けば笑顔になっていた。


『わたしも総司さまとだけ結婚します。総司さまを一番に大切にします』


早くその日が来ればいい。
そうすれば毎日一緒にいられるし、こうしてお話ししたり一緒に笑ったりできる。
大人になるのが今から待ち遠しくてたまらないな。


「ありがとう、嬉しいよ。でも……そんなこと言われたら、大人になる日が待ち遠しくなっちゃうかな」

『わたしも……わたしもね。今、同じことを考えていました』


思わず顔を見合わせて、小さく笑う。


「セラ嬢もそう思ってくれてるなら、君がデビュタントを迎えたら、すぐに迎えに行ってもいい?」

『はい。総司さまが迎えに来てくださる日を、わたしはずっと待っています』


そっと差し出した小指に、総司さまの小指が絡む。
それだけで、この約束がとても特別なものになった気がした。
指先のぬくもりを感じながら、わたしはただひとつだけ願う。

この約束が叶うその日。
わたしたちが今と同じように、笑い合えていますように。


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