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僕と千嬢の思惑通り、僕たちの顔合わせが好感触だったと知った父は、その後別の令嬢を招くことはしなかった。
そのことに安堵はしつつも、セラ嬢に言えない秘密を抱えてしまったみたいで、心が重くなった。
そんな中、セラ嬢から僕に手紙が届く。
今日は手紙と一緒に、ハンカチが一枚同封されていた。
「あ、刺繍がうまくなってる」
前回は小さな星が一つ、ハンカチの端っこに刺繍されていた。
けれど今回は、もっと大きく綺麗な花が咲いている。
丁寧に刺繍されたその花を撫でると、彼女が日々努力している姿が目に浮かぶから、僕の頬は思わず緩んだ。
――
親愛なる総司さま
こんにちは。
いつもあたたかいお手紙をくださって、本当にありがとうございます。
総司さまから届くお手紙は、わたしにとって大切な宝物です。
前にいただいたお手紙も、宝物の箱の中にしまいました。
夜になると、寝る前にそっと取り出して読むのが、最近のわたしのいちばんの楽しみなのです。
あまりにも何度も読んでいるので、この頃は目を閉じても総司さまの書いてくださった言葉が思い浮かぶくらいになってしまいました。
この前のお手紙で、総司さまがすきとおっしゃってくださったこと、とてもとてもうれしかったです。
うれしすぎて、お父さまとお母さまにできることなら早く正式に婚約をしたいとお願いしてしまいました。
けれど、お二人にはまだ少し早いのではないか、と言われてしまいました。
その時は少しだけしょんぼりしてしまったのですが、かわりにとても素敵なお話を教えていただいたのです。
だから今日は、そのことを総司さまにもお伝えしたくてお手紙を書いています。
わたしは今まで、なぜお父さまとお母さまがすぐに婚約を認めてくださらないのか、よく分かっていませんでした。
わたしはこんなにも総司さまがだいすきなのだから、早く将来の約束ができたらいいのに、と思っていたのです。
その日、わたしはお二人に正直にお話ししました。
総司さまがだいすきなこと、総司さまとお話ししているととても幸せなこと、これからもずっと一緒にいられたらいいなと思っていること。
するとお母さまはわたしの話を聞いて、恋をしているのねとおっしゃったのです。
恋というのは、その人との未来を願わずにはいられなくて、どんな時でも心が自然とその人へ向かってしまう、そんな特別な気持ちなのだそうです。
そして、その恋を大切に育てていくと、いつかそれは愛に変わるのだと教えてくださいました。
総司さまは、愛というものをどのようなものだと思われますか?
わたしは言葉は知っていましたが、その意味を深く考えたことはありませんでした。
けれどお母さまは、愛というのはその人の幸せをいちばんに願う気持ちなのだとおっしゃいました。
自分のことよりも、相手のことを大切に思えてしまうほど深くて大きな想い。
守りたい、支えたい、そして共に歩いていきたい、そんな覚悟がそこにあるのだそうです。
恋はすぐに生まれるけれど、愛になるまでには少し時間が必要なのだとも聞きました。
でも、その時間の中でお互いを想い合って育てていった気持ちは、とても強くて大切な絆になるのだそうです。
お父さまとお母さまは、わたしと総司さまの想いが育って愛になった時、その時に将来の約束をしなさいとおっしゃいました。
それが、お互いをいちばん大切にすることなのだとも。
そのお話を聞いた時、わたしは思ったのです。
わたしも総司さまをきちんと大切にできる人になりたいと。
だから、この気持ちを大事に育てていきたいと思いました。
もし少し時間がかかってしまったとしても、総司さまとの絆がその分深くなるのなら、それもきっと素敵なことだと思ったのです。
総司さま、総司さまはどう思われますか?
少し時間が必要だとしても、わたしと一緒に愛情を育てていってくださいますか?
もし、ほんの少しでも同じお気持ちでいてくださるのなら、総司さまと一緒にこの想いを大切に育てていけたらとても幸せだと思っています。
けれど総司さまには総司さまのお立場やご事情があることも、わたしなりに分かっているつもりです。
なので無理はなさらず、総司さまのお気持ちを聞かせていただけたら嬉しいです。
季節の変わり目ですので、どうかお身体にはお気をつけてくださいね。
またお手紙を書きます。
セラ
――
膝の上に広げた便箋には、セラ嬢の丁寧な文字が並んでいる。
丸みを帯びたその筆跡はどこかやわらかく、言葉の一つひとつから、彼女がどれだけ真剣にこの手紙を書いてくれたのかが伝わってくるようだった。
そして僕が書いた好きという言葉を、彼女がどれほど大切に受け取ってくれていたのかも。
胸の奥が温かくなるのに、今日はその分苦しくもなった。
手紙を読んで、僕の中でこれまでずっと引っかかっていたことがようやく腑に落ちた。
近藤公爵とユフィ夫人が、どうして婚約を直ぐに認めてくださらないのか。
僕はこれまで、その理由をはっきりとは分かっていなかった。
もちろん、公爵夫妻が冷たい人たちだとは一度も思ったことはない。
会った時の印象はとても穏やかで、セラ嬢のことを大切にしているのだろうということは自然と伝わってきていた。
けれど、父上が口にした言葉が頭の片隅に残っていたのも事実だった。
公爵家はこちらを見極めているのかもしれない。
僕を値踏みしているのではないか、と。
勿論あの人たちがそんなことをするとは思えなかったけど、もし本当にそうだったらどうしよう、とほんの少しだけ不安に思ったことがあったのも否定できない。
でもこの手紙を読んだ今なら分かる。
近藤公爵とユフィ夫人は、ただひたすらにセラ嬢のことを大切にしているんだ。
恋はやがて愛になるのだと教えてくれたこと。
そして愛が育った時に将来の約束をしなさいと言ってくれたこと。
それはすべて、セラ嬢のための言葉だった。
セラ嬢が抱いた想いを急がせないために。
形だけの約束で縛るのではなく、本当に大事な気持ちを育ててから将来を決めてほしいと願っているから。
そこにあるのは、打算でも駆け引きでもない。
ただ娘の幸せを願う、まっすぐな親心だった。
それを理解した今、胸の奥に温かなものが広がると同時に、別の重たい感情がゆっくりと沈み込んできた。
なぜならアストリア公爵家と、僕のいるヴェルメル大公家では、あまりにも考え方が違う。
僕の家では、婚約はまず家の利益のために結ばれるものだと言われてきた。
どれだけ政治的に有利か、どれだけ家の力になるか、そうしたことが何よりも優先される。
恋や愛といった感情には、何の価値もない。
だから父上にこの話をしたとしても、きっと理解されないだろう。
それどころか、そんな悠長なことをしている時間はないと言って、すぐに別の令嬢との縁談を進めるに違いない。
むしろ、もうすでにそうなりかけている現状を思えば、この先の未来に不安を覚えた。
僕はセラ嬢を大切にしたい、本当にそう思っている。
彼女が手紙に書いてくれたように、焦ることなく、ゆっくりとこの想いを育てていきたい。
彼女のご両親が願っているように、時間をかけて確かめながら、少しずつ未来へ進んでいきたかった。
でも、僕にはそんな時間が与えられないかもしれない。
父上は待ってくれないだろうし、家の利益のためなら僕の気持ちなど関係なく別の婚約を進めてしまうことだろう。
もし僕が……セラ嬢にそのことを伝えたらどうなるだろう。
この手紙を書いてくれた彼女の顔が、頭に浮かぶ。
恋を大切に育てたいと言ってくれた彼女の、まっすぐな想い。
あの綺麗な瞳が悲しそうに揺れる光景を想像してしまえば、心が締め付けられるようだった。
僕が彼女の気持ちを軽く見ていると思われてしまうだろうか。
僕が彼女のことを大切に想っていないのだと、そう感じてしまうだろうか。
……そんなこと、絶対にないのに。
むしろ逆だ。
大切だからこそ、セラ嬢の望んでいるようにしたい。
大切だからこそ、焦って形だけの約束なんてしたくない。
もし僕が事情を話したらきっと彼女を悲しませてしまう。
だけど言わなければ、いつかもっと傷つけてしまうかもしれない。
「……どうしたらいいんだろう」
考えても何が最善なのか、答えなんて出ない。
それでも僕は、彼女を諦めたくなかった。
たとえどんなに難しくても、どんなに時間がかかっても、僕の隣にいてほしいのはセラ嬢だけだから。
いつもは受け取ってすぐに書いていた返事も、今夜ばかりは筆が進まない。
自分のいる境遇を窮屈に感じながらも、ただあの子のことを想っていた。
そしてこの想いがいつかもっと大きな愛情となって僕の心を埋めた時、僕はセラ嬢の隣にいられているんだろうかと考える。
願いを託すように見上げた夜空は、今日は雲で霞んでいて。
僕はただ、遠く離れた場所にいる彼女を想うことしか出来なかった。
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