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今日は総司さまが遠く離れたヴェルメルからこのアストリアまで来てくださる日。
私は朝からずっとそわそわして、心が落ち着かなかった。
何度も鏡を見てしまうし、髪を整えてはまた触ってしまう。
リボンの形を指先で直してみたり、お洋服の裾をそっと撫でてみたりして、小さく息をついた。


『……まだかな』


窓の外を見ていると、もう外へ出る時間だと言われて、わたしはお父さまとお母さまと一緒に公爵邸の前へ出た。
風に揺れる木々の葉の隙間から、細かな光がきらきらと落ちていて、外はとてもいいお天気。
でも、わたしの胸の中はそれどころではなくて、遠くの門の方へ何度も目を向けてしまっていた。

それから程なくして、砂を踏む音と一緒に、馬車の車輪の音が聞こえてくる。
視線の先には、ゆっくりと門をくぐってくる一台の馬車が見えた。
あの馬車に総司さまが乗っていると思うと、心臓が急に早くなる。
胸の奥でドキドキと鳴る音が、自分でも分かるくらい大きくて、どうにかなってしまいそうだった。

馬車が邸の前で止まり、御者が扉を開く。
先に降りてきたのはアンナ夫人だった。
以前と変わらず綺麗で、懐かしいその姿を見ただけで少し嬉しくなる。
そしてそのあと、馬車からは総司さまが降りてきた。
その姿は前にヴェルメルで会った時より、ずっと背が高い。
肩の線もすらりとしていて、立っているだけなのに大人っぽく見えた。

どうしてだろう。
ほんの少ししか時間は経っていないはずなのに、前よりも更に精錬されて見える。
心臓が苦しいくらい早く鳴っていたけど、目を逸らすことができなかった。


「よく来てくれたな、アンナ夫人、総司殿。長旅だったろう」 
  

お父さまが一歩前へ出て、朗らかな声で挨拶をした。


「いいえ、公爵閣下。こうしてまた皆さまにお会いできるのを楽しみにしておりました」

「本当に遠いところをありがとうございます。アンナも総司さんもお疲れでしょう」


大人たちの挨拶の声を聞きながらも、わたしの心はずっと総司さまの方へ引き寄せられていた。
総司さまが、ふとこちらを見る。
そして目が合うと、総司さまはにこっと優しく微笑んでくださった。
かっこよくて、優しくて、わたしよりずっと年上のお兄さまみたいで。
こんな素敵な人の隣に立ったら、自分がすごく子供みたいに見えてしまうのではないかと、少しだけ不安になる。
それでもお会いできたことが嬉しくて仕方がない。
わたしは一歩前へ出て、背筋を伸ばした。  


『アンナ夫人、お久しぶりです。お会いできて嬉しいです』


そう言うと、アンナ夫人はふわりと優しく笑ってくださった。


「セラ嬢、お久しぶりですね。より一層綺麗になられて。セラ嬢にお会いできるのをとても楽しみにしていたのよ」


その声は以前と同じで、とても温かい。
わたしは少し照れながら、また小さく笑った。
それから視線が、自然と総司さまへ向く。
総司さまは静かにこちらを見ていて、前より少し高い位置からわたしを見下ろしていた。
その視線に胸がまた高鳴ってしまう。


『総司さま……お久しぶりです。アストリアまで来て頂きありがとうございます』


少しだけ声が小さくなってしまったけど、総司さまは優しく目を細めてくれた。


「お久しぶりです、セラ嬢。そして公爵閣下とユフィ夫人もご無沙汰しております。こうしてまたお目にかかれることを、嬉しく思います」


大好きなその声を聞いて、胸の奥がふわりと温かくなる。
お父さまも総司さまを見て、嬉しそうに少し目を細めた。


「総司殿は、随分と体つきがしっかりしてきたな。前に会った時より、ずっと頼もしく見えるぞ」

「そうでしょうか?」

「ああ、このままだとすぐに追い抜かされてしまいそうだな。いやはや、ご立派になられた」

「お気遣いいただきありがとうございます。そのように言っていただき光栄です」

「気遣いではなく本当のことだとも。騎士らしい顔になってきたじゃないか」


お父さまの言葉に、総司さまは少しだけ照れたように笑った。
その横顔がとても綺麗で、わたしは思わずじっと見つめてしまう。
すると、総司さまがふとこちらを見るから、再び目が合ってしまった。


「どうかしましたか?セラ嬢」

『あ、いえ……。その……総司さま、以前お会いした時より、背が高くなられましたよね』


そう言うと、総司さまは目を瞬かせ、それから柔らかく笑った。


「そうですか?」

『はい。前の時より、ずっと大人っぽく見えます』


少し恥ずかしくなりながらそう言うと、総司さまは目を細めてこちらを見た。
その視線がやわらかくて、胸がまた小さく揺れる。


「セラ嬢こそ、以前より更に綺麗になられましたよ」

『ありがとうございます……』


どうしよう。
今日はどうして、こんなに緊張してしまうんだろう。
久しぶりだから?
それとも、総司さまのことが前までよりもっと好きになったから?
ずっと見ていたいけど、目が合うと恥ずかしくて、思わず顔を俯かせてしまう。
それでもやっぱり眺めていたくて、総司さまをちらりと見上げた。


玄関先での挨拶がひと通り終わると、お父さまがいつもの朗らかな声で言った。


「さあ、立ち話もなんだ。遠いところを来てくださったのだ、中でごゆるりと過ごされてください」

「ありがとうございます、公爵閣下」


わたしたちは皆で公爵邸の中へ入り、客間へと移動した。
アストリアの冬はそこまで寒さが厳しくないから、窓から見える庭の緑もまだ完全には色を失っていない。
薄い冬の光が静かに差し込み、部屋の中をやわらかく照らしていた。

暖炉には火が入っていて、ほのかな温もりが広がっている。
テーブルには紅茶と焼き菓子が用意され、湯気の立つカップからは優しい香りが漂っていた。


『どうぞ、総司さま』

「ありがとうございます、セラ嬢」


わたしが席をすすめると、総司さまは穏やかに微笑んで椅子に腰掛けた。
久しぶりにこうして同じ部屋で話せることが嬉しくて、胸の奥が静かに温かくなっていく。
お母さまも微笑みながら、柔らかい仕草で紅茶を勧めた。


「長旅でお疲れでしょう。どうぞ召し上がってください」


それから皆で紅茶を飲みながら、ゆっくりと話をする時間が始まった。
ヴェルメルの様子や騎士団のこと。
お父さまは総司さまに訓練の話を聞いたり、最近の剣の稽古の様子を興味深そうに尋ねたりしている。


「ほう、そんな稽古をしているのか。それはなかなか骨が折れそうだな」

「ええ。ですが、とても勉強になりますよ」


総司さまは落ち着いた声で答える。
わたしは紅茶のカップを持ちながら、総司さまを見つめていた。

そんな穏やかな時間がしばらく続き、紅茶も半分ほど飲んだころだった。
お母さまがふと、わたしの方を見てやさしく微笑んだ。


「そうだわ、セラ」

『はい?』

「総司さんを温室へご案内して差し上げたらどう?この前、冬でもたくさんの花が見られるように奥の棚を増やしたでしょう?南の地方から取り寄せた苗も、最近ようやく咲き始めたのよね」


そうだった。
温室の奥には、新しい花棚が作られた。
暖かな場所で育てているから、季節より少し早く花が咲き始めていて、とても綺麗なのだ。


『総司さま、温室に新しいお花が増えたんです。よろしければご案内しても宜しいですか?』

「はい。ぜひ、お願いします」

『では、こちらです』
 

そう言って歩き出すと、後ろから総司さまの足音が静かについてくる。
久しぶりに会えた総司さまと、こうして並んで歩いている。
そのことが嬉しくて、思わず頬がゆるんでしまいそうだった。

淡い冬の光の中で、ガラス張りの温室が静かに輝いている。
屋根に落ちた光がきらきら反射して、まるで小さな宝石箱みたいに見えるから、わたしは少し振り返って笑顔で言った。


『総司さま、この温室なんです』

「広くて花が沢山咲いていて、綺麗な温室ですね」

『ありがとうございます。わたしもここの温室は大好きなんです』


温室の扉を開けると、中からふんわり温かい空気と、やさしい花の香りが流れてきた。
外は冬なのに、ここだけ少し春みたい。


『この奥の棚をこの前新しく作ったんですよ』


小さな鉢をそっと指さす。
温室の奥へ歩くと、棚の上に色とりどりの花が並んでいて、わたしは一つずつ説明し始めた。


『この白いお花はヘレボルスなんです。冬でも咲くお花で、冬の薔薇て呼ばれることもあるんですよ。隣にあるピンクのお花はベゴニアです。温かい場所で咲くので、冬の間は温室で楽しめます。葉もふわふわして可愛いんです』


指先でそっと触れながら説明すると、総司さまの瞳が優しく揺れるのが見える。
総司さまは興味深そうにベゴニアを覗き込み、微笑んでいた。


『こちらの黄色いのはプリムラ・ポリアンサです。寒さには弱いので、こうして室内で育てると長く楽しめます。上の段にあるこの白い小花はガーデンジャスミンです。春に咲く花ですが、温室で育てると冬でも蕾が膨らむんです。あと、あちらの棚には薬草もあります。これはタイムで、消化を助ける作用があるんです。料理にも使えるんですよ』

「へえ、そんな効果があるんだね」

『はい。その隣にあるのはカモミールで、お茶にすると体が温まりますし、風邪の引き始めにもいいんです。そして、これはセージ。傷の消毒や体調を整えるのにも使われています』


総司さまは興味深そうに花を見ていた。
その様子が嬉しくて、話しているうちに、どんどん楽しくなってしまう。
好きなものの話だから、止まらなくなってしまうけど、ふと気付いた。


『……あ』


言葉が止まる。
総司さまの方を見上げて、少し慌ててしまった。


『ごめんなさい……わたし、一人でおしゃべりし過ぎてしまいました……』


胸の奥が少しだけしゅんとする。
わたしはお花が好きだから、つい夢中になって話し過ぎてしまっていた。

せっかく総司さまと久しぶりに会えたのに。
もしかしたら、総司さまはあまり興味がないかもしれないのに。
そう思うと、少しだけ恥ずかしくなってしまった。
すると、総司さまが優しい声で言った。


「セラ嬢は花がすごく好きなんだね」


わたしはその言葉を聞いて、誘われるように顔を上げる。
すると総司さまは、穏やかな瞳でわたしを見つめてくれていた。


「セラ嬢の好きなものを知ることができて、僕は嬉しいよ。だからそんな顔しないで。謝らなくていいんだよ」


不安だった胸の奥が、温かく包まれていく。
その優しい眼差しと言葉に触れた瞬間、思い出した。

そうだ。
わたし、総司さまに会えたら言いたい言葉があったんだ。
手紙にも何度も書いた言葉。
前に会った時から、何度か伝えてきた言葉。

でも、また会えたら、絶対に伝えたいと思っていた言葉。
わたしは少しだけ息を吸って、総司さまを見上げた。


『総司さま』

「うん?」

『わたし、総司さまのことが大好きです』


伝えた瞬間、胸がどきんと大きく鳴った。
ここまで真剣に、ここまで真心を込めて伝えたのは初めてだった。
だから、今すごく緊張している。
でも、それ以上に気持ちは高揚していた。
前よりずっと大きくなったこの想いを、こうして総司さまを目の前にして伝えることができたのだから。

けれど。
総司さまは、珍しく大きく目を見開いていた。
そしてそのまま数秒、固まって動かない。


『……?』


思わず首を傾げてしまう。
すると総司さまは勢いよくわたしから顔を逸らして、その場にしゃがみ込んでしまった。


『え?総司さま……?』

「ごめん、ちょっと待って……」


総司さまらしくない行動に、わたしはきょとんとしてしまう。
手の甲で顔を少し隠しているけど、耳が赤い、頬も赤い。


『総司さま、お顔が真っ赤です』


思わずそう言うと、総司さまは視線を逸らしながら、どこか照れくさそうに言う。


「いや、だって……会ったばかりでいきなりそんなことを言われたら、そうなるよ」

『そうなんですか?』


お会いしたばかりに言わない方が良かったのかな。
でもわたしは、今言いたかった。
総司さまのお顔を見た瞬間、好きな気持ちが胸いっぱいに溢れてきて、どうしても伝えたくなってしまったから。

いつもはどこか大人びていて、落ち着いていて、わたしよりずっとしっかりしている総司さま。
その総司さまが、今はどこか照れくさそうにしている。
その様子がなんだか可愛らしくて、わたしの口元は自然と緩んでしまった。

わたしは総司さまの前に回り込んで、同じようにそっとしゃがみ込む。
すると総司さまは、少し罰が悪そうに視線を逸らした。


「……あと少し待ってね」

『はい。でも、何を待てばいいのですか?』

「それを聞いちゃうの?」


よくわからなくて、また首を傾げてしまう。
すると総司さまは、ふっと笑った。


「ははっ。本当に困るな」

『え?わたし、困らせてしまいましたか……?』


少し慌てて聞くと、総司さまは小さく首を振る。


「ううん、違うよ。嬉しくて、少し困るっていう意味」


さっきまで真っ赤だった総司さまのお顔は、もういつもの穏やかな表情に戻っていた。
総司さまがゆっくり立ち上がるから、それにつられてわたしも一緒に立ち上がる。
そのまま総司さまを見上げると、わたし達の視線が静かに重なった。

温室の中には、花の甘い香りが満ちていた。
ジャスミンの甘い香りと、ベゴニアの淡い花の匂い。
それに混じって、タイムやカモミールの爽やかな香りも漂っている。
ガラス越しに差し込んだ柔らかな光が、総司さまの茶色い髪を優しく照らしていて。
その中に立っている総司さまは、とても綺麗だった。
初めて総司さまにお会いした時も思ったことだけど、やっぱり総司さまは絵本の中から出てきた王子さまみたい。
わたしはそのお顔を見つめながら、心臓がとくんとくんと早くなっていくのを感じていた。

総司さまは……好きって言ってくださらないのかな。
わたしの大好きな総司さまの声で、一度くらい好きって言ってもらえたら嬉しいなって、そんなことを思ってしまった。
勿論、言ってくださらなくても大丈夫。
それでも胸の奥でほんの少しだけ、小さな期待が揺れていた。

でもその時、総司さまは少しだけ視線を逸らして、ふっと微笑んだ。


「ありがとう。嬉しいよ」


良かった。
総司さまが、嬉しいって言ってくださった。
それだけで十分だよね。
わたしはそう思って、にこりと笑顔を返す。


『はい……』


胸の奥のどこかが、小さくちくりと揺れたけど。
でも総司さまは、この前のお手紙では好きって書いてくださった。
だから、言葉にしてもらえなくても気にしない。
そう自分に言い聞かせながら、わたしは総司さまの目の前に立っていた。


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