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その日から、僕のアストリアでの生活が始まった。
療養のために来たという名目ではあるけど、正直に言えば今の僕にとってそれはほとんど建前のようなものだった。
ヴェルメルで長く患っていた身体は、以前のアストリアでの療養とヴェルメルでの身体作りの甲斐があり、すっかり回復している。
今はどちらかと言えば、アストリア騎士団での修練に通っているような感覚の方が強かった。
アストリア騎士団とヴェルメル騎士団とでは、剣の教え方も、稽古の進め方も、細かなところがかなり違う。
重心の置き方、間合いの取り方、組み手の順序。
同じ剣技でも、こんなにも流儀が変わるのかと感心しながら、僕は毎日の稽古を楽しんでいた。
「そういや、総司坊ちゃんと歳が近い新入りが去年入ったんだよ」
背後から聞こえてきた声に振り向くと、腕を組んだ永倉新八卿がにやりと笑っている。
隣では原田左之助卿が木剣を肩に担ぎながら頷いた。
「なかなか腕の立つ奴らだし、いい稽古相手になると思うぜ」
「へえ。それは、お会いしてみたいですね」
僕がそう答えると、彼らは笑顔で頷いた。
「あの二人なら、丁度今日も来てるはずだ。おーい」
原田卿が訓練場の向こうへ声を掛けると、二人の騎士がこちらに歩いてきた。
一人は、整った顔立ちに穏やかな気配を纏った青年。
姿勢がとても綺麗で、歩き方にもどこか品がある。
もう一人は、その隣で軽やかに歩いてくる、少し小柄な青年だった。
明るい瞳でどこか人懐っこい雰囲気がある。
「紹介するぜ。去年騎士団に入った二人だ」
原田卿がそう言って視線をやると、穏やかな青年が一歩前に出て、丁寧に一礼した。
「はじめまして。僕は伊庭八郎と申します。アストリア公国北部、伊庭子爵家の次男です」
柔らかな声だった。
礼儀正しくて、落ち着いた口調だけど、どこか剣士らしい芯の強さを感じる青年だ。
「大公子殿のお噂は、以前から耳にしておりました。こうしてお会いできて光栄です」
「こちらこそ。ヴェルメル大公家の四男、沖田総司です。よろしく」
そう言うと、隣で小柄な青年がぱっと顔を輝かせて、彼も勢いよく一礼する。
「俺は藤堂平助って言います。アストリア西部の藤堂男爵家の三男です」
にかっと笑うと、再び僕に気さくに話しかけてきた。
「いやあ、永倉卿から聞いてましたよ。あの北部一のヴェルメル騎士団から若い剣士が来てるって。ずっと一度手合わせしてみたいと思ってたんです」
「僕もです。ヴェルメル騎士団と言えば、戦になれば右に出るものはいない、精鋭ばかりが揃っていると評判ですよ」
「うちの騎士団は……まあ、そういうふうに言われることもあるみたいだけどね。でも僕はそんな大層なものじゃないよ。ただ剣が好きで、振っているだけだから」
「とか言って、結局強いんじゃないんですか?」
平助君は腕を組んで、悪戯に笑う。
「今度、ぜひ稽古つけてくださいよ」
「もちろん、僕でよければ」
そう答えると、伊庭君が穏やかに微笑んだ。
「僕もぜひお願いしたいところです。歳の近い剣士と手合わせ出来る機会は少ないですから」
ヴェルメルではつい最近まではずっと最年少だったし、今でこそ年下の剣士も入ってきたものの、僕のような年若い剣士は少ない。
他国で歳の近い相手に出会える機会はそう多くないからこそ、こうして同年代の騎士と剣を交えられることは嬉しかった。
「じゃあ決まりだな。今日の稽古、三人でやってみろ」
「望むところだって!」
原田卿の言葉を聞いて、平助君が木剣をくるりと回す。
伊庭君も静かに剣を構えるから、僕も木剣を握り直しながら二人に微笑みを向けた。
そしてその日の午後。
訓練を終えた僕は、木剣を棚に戻しながら小さく息を吐いた。
今日の稽古は今まで以上に楽しかった。
ヴェルメルとは違う剣技に触れることもそうだけど、何より同年代の相手と思いきり剣を交えられるのが新鮮だった。
僕は軽く肩を回してから、訓練場の出口へ向かう。
このあとは、庭園でセラ嬢と待ち合わせていた。
午後はピアノとヴァイオリンのレッスンがあると言っていたけど、きっともう終わる頃だろう。
あの子と会えるのを楽しみに、歩き出した時だった。
「今日は手合わせ出来て楽しかったぜ」
「また是非、よろしくお願いします」
後ろから聞こえた声に振り向くと、平助君が木剣を片手に立っていて、その隣には穏やかな微笑みを浮かべた伊庭君もいた。
同じ歳の伊庭君と、一つ年下の平助君。
二人とは、今日の稽古でずいぶん打ち解けた気がする。
「こちらこそ。僕も楽しかったよ。またよろしくね」
そう言って再び歩き出そうとすると、平助君が興味深そうに僕の隣に並んだ。
「なあ、総司殿はこれから何すんの?」
「今日はこれからセラ嬢と約束があるんだ」
そう答えると、二人の周りの空気が何故か一度ぴたりと止まった。
「……え?」
平助君が目を丸くする。
隣の伊庭君も見るからに表情を固くして、僕に尋ねてきた。
「セラ嬢と……ですか?」
「うん。庭園で待ち合わせてるんだよね」
僕がそう言うと、二人は顔を見合わせているけど……なんだろう。
さっきまでの穏やかな空気が、少しだけ変わった気がする。
「総司殿って……セラ嬢とそんなに仲がいいのか?」
平助君がじっとこちらを見る。
僕は少し考えて、それから頬を指で掻いた。
「仲がいいっていうか……」
本当のことを言うのは少し照れくさい。
けれど隠すようなことでもない気がして、二人にならいいかと言うことにした。
「将来、結婚する約束をしてるんだ」
「ええっ?!」
目を大きく見開いた伊庭君が、彼らしくもなく大きな声で反応した。
「正式に婚約されたのですか?!」
「そんな話、聞いてねーぞ!」
ほぼ同時に、平助君も声を上げる。
二人があまりにも本気で驚いているから、僕は唖然としながら思わず苦笑した。
「いや……まだ正式な婚約じゃないよ。ただ将来そうなれたらいいねって、セラ嬢と約束してるだけ」
いわば、口約束だ。
でも僕の中では、一番大切な約束。
僕の言葉を聞いた二人は、見てわかる程、ほっとした様子を見せた。
「……なんだ、びっくりした。口約束か」
「本当に驚きました……。でも、それでしたらまだどうなるか分かりませんよね」
「そうそう。だってさ、俺だって セラ嬢とはめっちゃ仲良くしてるんだからな!」
平助君は、何故か急に胸を張って、そんなことを言い出した。
「え?そうなの?」
思わず聞き返すと、平助君は待っていましたと言わんばかりに身を乗り出して、さらに楽しそうに言葉を重ねた。
「だって歳も近いしさ。一緒に庭で遊んだりもするんだぜ」
「平助君。少し落ち着いてください」
平助君の勢いに伊庭君が苦笑いを一つ。
改めて僕の方へ向き直り、穏やかな声音で丁寧に説明してくれた。
「僕達はまだ騎士見習いの身ではありますが、時折公爵閣下からセラ嬢の遊び相手役を仰せつかることがあるのです」
「遊び相手?」
「はい。庭を散策したり、テラスでお茶をご一緒したり。乗馬の練習にお付き合いすることもあります」
「セラ嬢ってさ、結構負けず嫌いなんだぜ。弓の的当てとかやると、すげえ真剣になるんだ」
「ええ。先日は三人で、庭の迷路を使ってかくれんぼ鬼ごっこをしたのですが……」
伊庭君が思い出したように、くすりと笑う。
「セラ嬢が僕達より先にゴールの噴水へ辿り着こうとして、ものすごい勢いで走って行ってしまわれて」
「そうそう。ドレスの裾つまんで、必死で走ってんの。俺たちが追いついた時には、もう息切らしててさ」
「ですがご本人は、私が一番早かったよと、誇らしそうにおっしゃっていましたね。あの時の彼女はとても可愛らしかったです」
「走ったら駄目だってよく大人達に言われてるのに、結局走っちまうだもんな。まあそこが、セラ嬢のいいところなんだけど」
二人は顔を見合わせて、嬉しそうに笑っている。
楽しそうに話すその様子を目の前にしているうちに、胸の奥にじわりと面白くない感情が広がっていくのを感じた。
この感じ、前にも覚えがある。
以前、はじめ君とセラ嬢が微笑み合っていた時に感じた気持ちと同じだ。
「二人とも、セラ嬢と随分仲がいいんだね」
そう返すと、二人は少し得意げな顔をした。
「当たり前じゃん。平助君って呼んでもらってるし」
「僕も伊庭君と呼んでいただいています。仲は良いですよ。とても」
伊庭君も平助君は、一緒になってどこか照れくさそうに笑う。
その表情を見て、すぐ気付いた。
二人とも、セラ嬢のことが好きなんだ。
それは別に、おかしなことじゃない。
セラ嬢は優しいし、可愛いし、あの姿を見てしまうとどうしても自分の手で護ってあげたくなってしまう。
あんな子がそばにいたら、心を奪われてしまうのは当然だ。
でも僕は、絶対にこの二人よりセラ嬢のことが好きだ。
ただ可愛いからとか、優しいからとか、そんな理由だけじゃない。
僕にとってあの子は、本当に特別な存在なんだ。
絶対にセラ嬢でなければ嫌だって、強く思ってしまうくらいに。
「僕もセラ嬢とは仲良いよ。ものすっごくね」
気付けば、張り合うような言葉が口から出ていた。
すると今度は、二人の方が少し面白くなさそうな顔になる。
「物凄くってどれくらい?そもそもさ、総司殿はセラ嬢になんて呼ばれてんの?」
「僕は総司様って呼んでもらってるけど」
「様付け……ですか。随分と距離があるんですね」
「距離があるわけじゃないよ。そもそも呼び方なんて、別に関係ないと思うけど」
「そうでしょうか。ですが総司殿は普段ヴェルメルにいらっしゃるのですから、仕方ないことかもしれません。セラ嬢とは滅多にお会いできないのでしょう?」
「確かにそうだよな。俺たちは毎日のように会えるから、そりゃ仲良くなるのも早いって。まあ、元気出せよ」
「……は?」
なんだか、ものすごい勢いでマウントを取られている気がして、胸の奥の苛立ちが強くなる。
しかも毎日のように会っているなんて、正直面白くないどころの話じゃない。
羨ましくて堪らない。
僕は月に一度の手紙のやり取りだけを楽しみにしながら、ヴェルメルでの日々を過ごしているっていうのに。
「なあなあ、今日は四人で一緒に遊ぼうぜ」
僕が一人で悶々としていると、平助君がぱっと表情を明るくしてそう言った。
「そうですね。セラ嬢もその方がきっとお喜びになると思います」
伊庭君もすぐさまそれに頷いたけど、その提案に僕は静かな声で答えた。
「それはどうかな」
「え?」
二人が同時にこちらを見る。
「セラ嬢は僕と約束してるから、君達が来てもあの子を困らせるだけだと思うけど」
だってセラ嬢は、あんなに可愛い顔できらきらした眼差しを向けながら、僕のことが大好きだと言ってくれた。
だから今日もきっと、僕と二人で遊びたいはずだ。
そう思っていた、その時だった。
遠くの庭の方から、澄んだ声が聞こえてくる。
『平助君、伊庭君』
聞き慣れた柔らかい声。
振り向くと、花壇の向こうの小道から、小さな人影がこちらへ歩いてくるのが見えた。
淡い色のドレスの裾を揺らしながら、両手で帽子を押さえているその姿は、遠くからでもすぐに分かる、セラ嬢だ。
彼女は僕達を見つけると、ぱっと嬉しそうに目を輝かせた。
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