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『わあ、総司様もいらっしゃったのですね。こんにちは』
その声を聞けば、胸が高鳴る。
やっぱりセラ嬢の瞳は、僕を見ると一段と輝く気がする。
「セラ嬢、こんにちは。今ちょうど、君を迎えに庭園の方へ行こうと思ってたところなんだ」
できればこのまま、彼女を連れてここを離れたい。
そんな気持ちを隠しながら、僕は穏やかな笑顔で声をかける。
するとセラ嬢も、嬉しそうにふんわりと微笑んだ。
『ありがとうございます。私も総司さまを探していたんです。三人は……お友達?』
僕を探しに来てくれていたなんて、嬉しいことこの上ない。
ほら、やっぱりセラ嬢は僕のことを一番に気にかけてくれている、
そう思うと、さっきまでのもやもやが嘘みたいに軽くなっていった。
「うん、そうだよ」
僕が答えると、すぐに伊庭君が丁寧に続けた。
「歳も近いので、良い稽古相手になるだろうと紹介していただいたんです」
「今日の稽古も、ずっと三人でやってたんだよな!」
平助君が元気よく言う。
僕は微笑みながら、セラ嬢の表情を眺めていた。
でも、彼女の次の言葉は、僕が予想していなかったものだった。
『そうなんだ。それなら、今日はみんなで遊べるね』
……あれ?
僕は思わず、ゆっくり瞬きをする。
その横で平助君がにやっと笑い、伊庭君もどこか楽しそうに微笑んでいる。
「ほらな?」
「皆で遊んだ方が、きっと楽しいですよ」
二人の言葉に、セラ嬢も素直に頷く。
『うん、そうだね』
その無邪気な笑顔を見た瞬間、胸の奥で小さくため息をついた。
……まいったな。
どうやら今日は、二人きりというわけにはいかなさそうだ。
折角の時間を二人で過ごせないのは残念だけど、僕はその想いを飲み込んで皆の話を聞いていた。
「なあなあ、セラ嬢。さっき迷路の話してたんだけどさ。今日は総司殿も入れて、四人でやろうぜ」
「ああ、庭園にあるんだっけ?」
『はい、あちらの庭の奥にありますよ。背の高い生垣で出来ていて、真ん中に噴水があるんです』
セラ嬢は楽しそうに説明してくれる。
『この前は、私が勝ったんですよ』
「いやいや、あれはちょっとズルかっただろ。近道してたじゃん」
「平助君、あれは偶然ですよ。ですよね、セラ嬢」
『ふふ、そうなの。偶然だよ、たぶん』
三人の会話は、そのまま自然に弾んでいく。
僕は少し後ろに立ったまま、その様子を眺めていた。
こうして見ていると分かる。
セラ嬢は二人のこともちゃんと好きなんだ。
はじめ君の時もそうだったけど、セラ嬢の周りには彼女を大切に思う人達がたくさんいる。
そしてセラ嬢自身も、そんな彼らのことをちゃんと大切にしている。
それはとてもいいことのはずなのに、胸の奥に残るこの苛立ちは、どうしても消えてくれなかった。
どんな時も僕を優先してほしい、なんて言えるはずもない。
それでもセラ嬢を、他の誰かと分け合いたくない。
そんなわがままな気持ちが、どうしても心の奥で顔を出してしまう。
だって僕は、セラ嬢とこうして顔を合わせられるのは、ここに滞在している二ヶ月の間だけなんだ。
その二ヶ月だって、ずっと一緒にいられるわけじゃない。
お互いにやることはあるし、会える時間はどうしても限られてしまう。
だからせめて、会える時間くらいは二人で過ごしたかった。
そうやって時間を重ねることで、公爵閣下やユフィ夫人が言っていた愛情というものが、少しずつ育っていくんじゃないかと思っていたから。
でも……セラ嬢はそうは思わないんだろうか。
結局、こんなふうに思っているのは僕だけなんじゃないか。
父が以前言っていた言葉が、ふと胸の奥に浮かぶ。
最終的に選ばれる自信があるのか……その言葉が気付けば小さな不安になって心の中に静かに残っていた。
そんなことを考えていると、セラ嬢がふいに僕の方を見上げた。
『総司さまも一緒に来てくださいますか?』
「もちろん。セラ嬢が一緒なら、どんな遊びでも付き合うよ」
そう答えると、彼女は安心したように微笑んで、こくりと頷いた。
『ありがとうございます、総司さま。では、迷路に行きましょう』
「よし、決まりだな!」
平助君が元気よく声を上げる。
「この前やった、かくれんぼ鬼ごっこにしようぜ。迷路の中で隠れながら、鬼に見つからないようにゴールを目指すやつ!途中に五つ大きな垣根があるからさ、そこに自分の名前を刻んで、全部のチェックポイントに名前を書けたらゴールを目指していいんだぜ」
「へえ、そうなんだ」
「今日は誰が鬼役をされますか?」
伊庭君が穏やかに言うと、平助君がにやっと笑う。
「じゃあさ、最初は総司殿でどう?」
「え、僕?」
「初めてだろ、迷路。最初は隠れてるより探し回った方が、迷路全体のことがわかりそうじゃん」
「分かったよ。じゃあ僕が鬼ね」
それから僕は迷路の入口の前に立ち、壁の生垣に手をついた。
「三十数えるから、その間に隠れて」
「よーし、行くぞ!」
平助君が元気よく駆け出す。
伊庭君も「では失礼します」と言って静かに迷路の中へ消えていった。
そしてセラ嬢も、小さくドレスの裾を持ち上げながら僕の横を通り過ぎる。
その時、彼女がふっと振り向いた。
『総司さま、ちゃんと見つけてくださいね』
いたずらっぽく笑って、迷路の中へと消えていく。
その様子は本当に楽しそうだ。
僕は目を閉じて、ゆっくり数え始めた。
「……二十七、二十八、二十九、三十」
顔を上げて迷路の中へ入る。
高い生垣が両側に続く道は、思ったより入り組んでいた。
さっき角を曲がった先で、セラ嬢のドレスの裾がひらりと揺れるのが見えたけど、すぐにまた別の道へと消えてしまう。
その向こうからは、平助君の元気な声が聞こえてきた。
「おーい、総司殿!こっちだぜー!」
楽しそうな笑い声が、生垣の間に何度も反響する。
それでも僕は、少しだけ歩く足を緩めていた。
あーあ、困ったな。
せっかくセラ嬢と会えているのに、こんなことで気持ちが沈むなんて我ながら子供みたいだ。
そんなことを考えていると、前の角の向こうから小さな足音が近づいてきた。
軽い靴音が、石畳を小さく叩く。
そしてひょこっと道の先から顔を出したのは、セラ嬢だった。
『あっ……』
お互いに、少しだけ驚く。
どうやら偶然、同じ道に出てきたらしい。
「セラ嬢、見つけた」
名前を呼ぶと、彼女は照れくさそうに微笑んだ。
『もう見つかってしまいました』
「セラ嬢も僕と一緒に、あの二人を探してよ」
『はい、もちろんです』
笑って頷く彼女に微笑みを返した。
でもセラ嬢がふと首を傾げて、じっと僕の顔を見上げてくる。
その視線が、さっきまでの楽しそうなものとは少し違っていて、僕は思わず瞬きをした。
『……総司さま』
「ん?」
『どうかなさいましたか?』
「え?どうして?」
『なんだか少し、元気がないように見えます』
その言葉に、思わず言葉が止まった。
まさか気付かれてるとは思わなかった。
「そんなことないよ」
軽く笑ってそう言ってみたものの、セラ嬢の小さな眉がほんの少しだけ寄っている。
『迷路、あまりお好きではありませんか?』
心配そうな声だった。
その表情を見ていると、誤魔化すのもなんだか申し訳ない気がしてくる。
僕は少しだけ視線を逸らして、小さく息を吐いた。
「……そういうわけじゃないよ。ただ……今日はセラ嬢と二人で遊べると思ってたからさ」
その言葉を聞いて、セラ嬢の瞳がぱっと大きくなる。
「前にセラ嬢が言ってくれたでしょ、僕を他の奥さんと分けっこしたくないって。僕も今、たぶん同じ気持ちなんだと思う」
迷路の中で、風が静かに葉を揺らす。
僕は少しだけ頭を掻いて、罰が悪い気分のまま続けた。
「ごめんね、こんなこと言って」
セラ嬢を困らせたいわけじゃないし、こんなわがままな気持ちを知られたくなかった。
でもここで楽しいふりを続けてしまえば、明日も明後日も皆で過ごすことになってしまうかもしれない。
それだけは嫌だった。
『私……総司さまは伊庭君や平助君とも一緒に遊びたいだろうなと思っていました。だから、今日は皆で遊ぶ方がいいかなって……』
そこまで言ってから、彼女は小さく首を振る。
『総司さまが、私と二人で過ごしたいと思ってくださっていたのに……気付かなくて、ごめんなさい』
先程まであんなに嬉しそうに笑っていたのに、今はその顔に笑顔がなくなってしまった。
しゅんとしてしまったその姿を見た時、胸の奥が少し痛んだ。
「セラ嬢、そんなに落ち込まないで。僕がわがままを言ってるって自覚はあるし、セラ嬢が誰と遊ぼうと自由だしさ」
『いいえ。総司さまは、私にとって一番大事な方です。だから、総司さまと二人で過ごす時間を、一番に大切にしたいと思います』
少し頬を赤くしながらも、真剣な瞳でそう言ってくれる。
目の前にいる小さな女の子が、どれだけ真剣に僕の言葉を受け止めてくれたのかがわかったから、先程までの苛立ちや焦りが和らいでいくのを感じた。
「そう言ってくれてありがとう。でも、今日は皆で遊ぼうか」
『でも……』
「ほら、あの二人も楽しみにしてるみたいだし」
ちょうどその時、遠くから平助君の声が響いた。
「おーい!二人ともどこだー!」
伊庭君の落ち着いた声も続く。
「平助君、静かにしてくださいよ。君が鬼役ではないんですから」
「だって全然探しに来てくれねーんだもん」
「迷路ですからね。簡単に見つかってしまっては面白くないでしょう」
二人のやり取りを聞いて、僕達は視線を合わせてくすりと笑う。
「じゃあ、探しに行こうか」
僕が一歩進むと、後ろからくいと服の裾が引かれて振り返る。
するとセラ嬢はいつものように、僕を見上げてくれていた。
『明日からは総司さまと二人で遊びたいです』
「セラ嬢は……本当にそれでいいの?」
『はい。総司さまと二人でいられる時間、わたし……大好きだから』
そして、小さな指がそっと僕の指に触れる。
気付けば小指が絡められて、彼女が柔らかく微笑んだ。
『約束。明日は二人で遊びましょう?』
「うん……約束」
その時だった。
また遠くから平助君の声が響く。
「おーい!本当に迷子になってねーだろうなー!」
「平助君、迷子なのはむしろ君では?」
「はあ?違うって!」
二人のやり取りに、思わず僕は吹き出した。
セラ嬢もくすくすと笑っている。
「行こうか」
『はい』
彼女は嬉しそうに頷いて、僕の隣に並んだ。
迷路の細い道を、二人で歩き出す。
冷たい風が生垣を揺らし、空気は少しずつ冬の匂いを帯びていた。
今日は、二人きりにはなれなかったけど。
それでも明日は二人で一緒にいようと、この子が言ってくれるなら。
その約束だけで、胸の奥は不思議なくらい満たされていくようだった。
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