7
雷の音がいまだに聞こえる部屋の中。
あたたかな光が灯り、僕達の周りの空気は柔らかかった。
小さく頬を膨らませるようにしたセラ嬢は、僕をじっと見つめている。
けれど完全に怒っているわけではないのは、その仕草の端々からすぐに分かった。
『総司さま、意地悪です』
「ごめんね。セラ嬢があんまり怖がってるから、ついからかいたくなっちゃって」
『……もう』
「本当に何もいないから安心していいよ」
そう告げながらもう一度髪に触れると、彼女はわずかに視線を逸らした後、再び僕を見上げてきた。
『少しだけ、びっくりしてしまいました』
「うん、そうだよね」
『心臓も早くなってしまいました』
「ははっ、それは完全に僕のせいだね」
『どうして笑ってるんですか?わたし、怒ってるんですからね』
少しだけむきになったみたいにぷっくりと片頬を膨らませたまま、じっとこちらを睨んでくる。
以前はこんな顔、見せてくれなかった。
僕の前ではいつもおとなしかったのに、今はこうして拗ねたり文句を言ったり、感情をそのまま向けてくるようになったことが分かる。
頻繁には会えない時間の中で、確かに近づいてきた距離を感じて嬉しくて仕方なかった。
「セラ嬢が膨れても、怖くないかな」
『わたしも怒ると怖いはずです』
「えー?そう?」
くすくす笑いながら返すと、今度は少し考えるようにしてから、セラ嬢が首をかしげた。
『総司さまは怒ったら怖いですか?』
「僕?僕は……どうなんだろうね」
胸の奥で熱くなることはあっても、それをそのまま外に出すことはほとんどない。
声を荒げることもないし、感情のままに振る舞うこともない。
ヴェルメルではそういう感情はできるだけ押し込めるようにしているし、出してしまえばきっと面倒なことになるからだ。
思い出すのは、シリル兄上に向かって抑えきれずに木剣を振り下ろしたあの時だけ。
あれは多分、相当怒っていたんだと思う。
「セラ嬢は僕が怖いと嫌?」
『え?』
「もし僕がすごく怒ったらさ、セラ嬢はすぐ泣いちゃいそうだなって思ったんだけど」
少しだけ意地悪にそう言ってみると、彼女は何かを想像したみたいに目を伏せる。
それからしゅんと眉を下げて小さく首を振った。
『怖い総司さまはあまり……見たくないです。総司さまには優しいままでいて欲しいから』
そっか。
やっぱりこの子は、僕にそうであってほしいんだ。
だったら僕の答えは最初から決まっている。
「うん。僕はセラ嬢に絶対怒らないし、君を怖がらせたりしないよ」
その言葉を聞いて、彼女の表情がふっと緩んだ。
口元がふにふにと動いて、嬉しさを隠しきれていない。
「あははっ、なんか嬉しそうだね」
『嬉しいですよ。わたし、総司さまが優しくしてくれると、他の人が優しくしてくれるよりもずっと嬉しいんです』
「そうなんだ。どうして?」
『それはきっと総司さまがわたしにとって特別な人だからです。お友達とも家族とも違って、総司さまはわたしにとって世界で一人だけの王子さまだから』
セラ嬢は出会った頃から僕を王子さまみたいだと言ってくれていた。
病弱だった僕にそんな印象を抱いてくれるご令嬢なんて一人もいなかったのに、セラ嬢だけは違った。
実際の僕は王子とは程遠い存在だし、どうしてセラ嬢が僕のことをそう思ってくれるのかはわからないけど、嬉しいことには変わりない。
なぜなら僕にとっても、彼女は世界でただ一人の大切な女の子だからだ。
「そっか。僕が君の王子さまなら、ちゃんとセラ嬢のことを護らないとね」
さっきみたいに、ほんの少し意地悪をして困らせるのは楽しい。
拗ねた顔も戸惑う仕草も、どれも愛おしくてたまらないと思う。
でも、本当に怖がらせるのは違う。
悲しませるなんて、絶対にあってはならないことだ。
そしてもし、僕ではない誰かがこの子を傷付けようとするなら。
その時きっと僕は、理屈なんて関係なく、そいつを壊してしまいたくなるほどに憎んでしまうのだろう。
『じゃあ、先程の意地悪のお詫びをしてくださいますか?』
セラ嬢は僕を見上げると、甘えるようにそんなことを言ってくる。
その瞳はまだどこか潤んでいるのに、同時にいたずらっぽくも見えて頬が緩む。
「いいよ。沢山怖がらせちゃったみたいだし、お詫びに何かしてあげる。何がいい?」
そう言うと、セラ嬢の表情がぱっと明るくなった。
そして何のためらいもなく、僕の膝の上にころんと頭を預けてきたから思わず目を瞬く。
けれど当の本人は、そんな僕の反応なんて気にもしていないように、嬉しそうに寝転んだままこちらを見上げていた。
『総司さまに、頭を撫でてもらいたいです』
「あはは、なにそれ」
『だめですか?』
「だめじゃないよ」
やわらかな髪に触れて、指先でゆっくりと撫でていく。
するとセラ嬢は、安心したように顔を綻ばせていた。
『……気持ちいいです』
「それはよかった」
さらさらと指の間をすり抜けていく髪の感触が心地よくて、自然と手の動きがやさしくなる。
彼女は僕に身体をを預けたまま、まるで懐いた子猫のように嬉しそうに瞳を細めていた。
「セラ嬢って、甘えん坊なのかな」
『いいえ、全然?』
「全然って。こんなことしてて、説得力がないんだけど」
『本当に甘えん坊ではないですよ。でも総司さまには甘えたいなって思います』
「それなら僕だけに甘えてよ」
セラ嬢は頷くと、そのまま静かになる。
僕も何も話さないまま、穏やかな時間の中で互いのことだけを見つめていた。
『……すこし、眠くなってきました』
「こんなふうにされたら、眠くもなるよ」
そう言うと、彼女は小さく頷く。
けれど目はもう、半分ほど閉じかけていた。
「眠っていいよ。公爵閣下や夫人が戻ってきたら起こしてあげる」
『ありがとうございます』
それから少しして、規則正しい寝息が静かに聞こえはじめた。
「……早いな」
思わず、くすりと笑う。
膝の上で眠るその姿は、さっきまで雷に怯えていたことも全部忘れてしまったみたいに、穏やかな顔をしている。
「ほんとに……可愛いな」
起こさないように、そっと撫で続ける。
やわらかな髪の感触と、伝わってくる体温が、静かに胸を満たしていくようだった。
当たり前に身を預けてくれることが、僕達の愛情がちゃんと育まれている証のように思えてしまう。
こうした日々を積み重ねて、一日も早くセラ嬢と正式な婚約を結びたいと考える僕がいた。
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