8

冬の庭園。
芝生の上には霜が残っていて、踏むと小さく音がする。
この前の嵐が嘘のように晴れた空の下、わたしは総司さまと一緒に歩いていた。
とても寒いのに不思議と楽しくて、わたしは何度も足元を見たり空を見上げたりしてしまう。
吐いた息が白くほどけていくのも、なんだかとてもきれいだった。


「転ばないようにね、セラ嬢」

『はい、総司さま。ちゃんと見ております』


そう答えながらも、つい足元の霜を踏んでみたくなってしまう。
ざくざく踏みながら歩いていると、後ろからはくすりと笑う気配がした。


「ほんとに分かってるのかな」

『分かっておりますよ。総司さまは心配しすぎです』

「仕方ないよね。だってセラ嬢は雷が怖くて泣いちゃうくらいなんだなら」

『あれは……あの時は少しだけ寝ぼけていて……』

「ふーん?寝ぼけてただけだったんだ。じゃあまた雷が激しく鳴っててもセラ嬢は一人で寝られるの?」

『寝られ……ます……』

「そっか。じゃあ次に雷の夜が来ても、僕のところに来たら駄目だよ」


そう言って、総司さまは少しだけ意地悪な笑みを浮かべる。
思わず片頬を膨らませてしまったけど、本当はこうして色々なお顔を見せてもらえることが嬉しかった。


『総司さま、最近少し……』

「うん?」

『意地悪です』


ぽつりと呟くようにそう言って総司さまを見上げると、綺麗なエメラルド色の瞳がぱちりと開かれる。


「えっと……ごめん。今のは冗談だよ。怖かったらいつでも来ていいし、もしまた雷が鳴ったら、今度は僕がセラ嬢のところに行くよ」

『総司さまが来てくださるのですか?』

「うん。だって怖いのに、暗い廊下を歩くのは勇気がいるでしょ?だから僕がセラ嬢のところに駆けつけるよ」


わたしが言った意地悪という言葉こそ冗談のつもりだったのに、総司さまは優しく微笑み、そう言ってくれた。
優しくてあたたかくて、いつもわたしを気にかけてくれる。
その眼差しがわたしを大切に想っていると語りかけてくれているようで、胸が高鳴っていった。


『総司さまが来てくださるなら、毎晩雷でも嬉しいかもしれません』

「ははっ、なんでさ。雷、怖いんでしょ?」

『怖いですけど、でもこの前総司さまが一緒にいてくださったら怖くなかったんです。総司さまと秘密のお喋りをしていたのが、とっても楽しかったから』


総司さまのお部屋。
少しだけ落ち着かない気持ちで、それでも嬉しくて。
お話をしているうちに安心して、気づけば眠ってしまっていた。
朝方に目を覚ました時、同じように眠ってしまっていた総司さまがやさしく名前を呼んでくださって。
そのまま誰にも見つからないようにお部屋まで送っていただいた。
誰も知らない、わたしたちだけの秘密の出来事。
怖かったはずの夜が、不思議とやわらかな思い出に変わっている。


「僕も楽しかったよ。秘密っていうのがいいよね」

『わかります。隠し事は良くないことですけど、総司さまとは秘密なことをもっとしたいなって思ってしまいます』

「あははっ、そんなこと言うなんてセラ嬢はいけない子だね」

『でも、総司さまも同じでしょう?』


そう言い返すと、総司さまはまたくすくす笑い、でも何も言わずに隣を歩いてくれる。
その距離がなんだか心地よくて、私はそっと歩幅を合わせた。
並んで歩くたび袖が触れそうになって、それだけで胸が静かに弾むようだった。


「あと一週間か……」

『一週間?』


思わず聞き返すと、総司さまは前を向いたまま答える。


「ヴェルメルに帰る日までだよ」


その言葉に胸がきゅっと締めつけられて、思わず総司さまのお顔を見上げる。
そこには、いつもと同じやわらかな微笑みがあった。
けれどその横顔の奥に淋しさが滲んでいる気がして、わたしは一度唇をきつく結んだ。


『この前総司さまがヴェルメルに帰ってしまわれてから、毎日とても淋しかったんです』


素直な気持ちを口にすると、総司さまが歩いていた足を止める。
そしてわたしの方を見て、ただ黙ってわたしの言葉を聞いてくれていた。


『会いたい時に会えないのはとても悲しくて……アストリアとヴェルメルがもっと近ければ良かったのにって何度も考えました。そうすれば、毎日とはいかなくても、もっとたくさん総司さまにお会いできたかもしれないのにって』


胸の奥に溜めていた想いが、静かに溢れていく。
大好きな人には、もっと会いたい。
そう想うことはきっと、とても自然なことだから。
でもわたしの想いはそれだけじゃない。
だからこそ最近わたしが考えていたことを、言葉にして伝えることにした。


『ですけど、遠いからこそ総司さまとのお手紙のやり取りが本当に幸せなんです。久しぶりにお会いできる時は、会えなかった時間が長かった分だけもっと嬉しいです。それに会えない間に総司さまがどれだけ成長されたのかも、よくわかるんです。なので、悪いことばかりではないですよね。次に総司さまにお会いできる日をとても楽しみに、毎日を過ごすことが出来るから』


そう言い終えた時、冷たい北風が頬をかすめ、思わず肩をすくめた。
その様子に気づいた総司さまが一歩近づき、そっとマフラーをわたしの首元へと巻いてくれた。


「僕も同じだよ。近ければ近いで良いこともあるかもしれないけど、遠いからこそ気付ける大切なこともあるよね」


すぐそばで落ちる声が、やわらかく耳に触れる。
マフラーに入り込んでしまった髪を、指先でやさしく整えながら、総司さまは少しだけ目を細めた。


「僕も最近、よく考えてることがあってね。離れてる時間があるからこそ、会えた時の一瞬一瞬がすごく大事に思えるんだ。どんな些細なことでも覚えておきたいって思うようになったし、セラ嬢と過ごす時間を無駄にしたくないって思うようになったよ」


穏やかに続けられる言葉を、わたしは静かに受け取る。
少しだけ距離が近くなって、視線が重なると、心地良いドキドキが胸中に広がっていくようだった。


「だからさ、離れてる間もちゃんと繋がっていられるようにしたいんだ。手紙でも次に会う約束でも……何でもいいから」


その言葉に、胸の奥がじんと熱を帯びる。
きっと総司さまとなら、いくら離れていてもこの絆を強くしていけると信じることができた。


『はい。わたしも同じです。離れている間も、総司さまと繋がっていたいです』


そう答えると総司さまは安心したように微笑んだ。
冬の冷たい空気の中で、その笑顔だけがやけにあたたかく感じられた。
そのとき不意に穏やかな声が庭の奥から届いた。


「セラ、総司さん」


振り返ると、お母さまがこちらを見て微笑んでいる。
その姿はあたたかくて、わたしも思わず笑顔になった。


「ごきげんよう、ユフィ夫人」


総司さまが丁寧に一礼する。
私はその隣で、お母さまのもとへと歩み寄った。


『お母さま、お呼びでしょうか?』

「ええ。二人に見せたいものがあるの」


総司さまと顔を見合わせて、笑顔で頷くと、お母さまは歩き出す。
その後ろをついていけば、お母さま専用の温室へとたどり着いた。
お母さまが足を止めた先に、大事に置かれている鉢がある。
そこに咲いていたお花は、透きとおるような淡い光をまとった花びら。
白にも青にも見えるその色は、冬の空をそのまま閉じ込めたみたいに輝いていた。


『そのお花はお母さまがとても大事にしているお花ですよね?』


私は前から知っていた。
お母さまがこの花だけは庭師に任せず、自分で水をあげていることを。
どんなに忙しい日でも、この花の前では足を止めることを。
でもその理由までは知らなかった。


「ええ、とても大切な花よ。この花はエトワールフィアというの。私の生家で代々受け継がれてきたものなのよ」

『代々でございますか?』

「ええ。母から娘へ、そしてまたその子へと、ずっと繋がれてきたのよ」

「では、とても大切なものなんですね」

「ええ、とても」


お母さまはそう言って、そっと花に触れた。
その指先は、まるで壊れものに触れるみたいにやさしかった。


「この花はね、結婚した時に母から種をもらうの。そしてその種を新しい家へ持っていって、自分の手で育てるのよ」

『お母さまも、そうなさったのですか?』

「そうよ。お父さまとの婚約が決まった時に、私も母からこの花の種を受け取ったわ」


お母さまは少しだけ微笑んで、どこか昔を懐かしむような眼差しで言葉を続けた。


「この花は、とても繊細で育てるのがとても難しいの。少しでも心が乱れているとうまく育たないのよ」

「心が……ですか?」

「ええ。不思議でしょう?でもこの花は、育てる人の想いにとても敏感なの。大切に想う気持ち、相手を思いやる気持ち、そういうものがなければ芽も出ないことがあるのよ。それに咲いたとしても、種を実らせるのはもっと難しいの」


私はその言葉をひとつひとつ胸の中で受けとめながら、小さく頷いた。
花なのにまるで人の心みたいだと思った。
その時、隣にいた総司さまがふと何かに気づいたように視線を落とす。


「ユフィ夫人のエトワールフィアには、きちんと種子が実っていますね」

『本当です……すごいです』


近づいてよく見ると、花の奥に小さな実がいくつも結ばれている。
光を含んだようにかすかに輝いていて、触れたら消えてしまいそうなほど儚い。
お母さまはその様子を見て、静かに微笑んだ。


「ええ。大切に想い続ければ、花もそれに応えてくれるのよ」

『……とても、すてきです』



思わずそう呟くと、お母さまは私のほうを見てゆっくりと頷いた。


「この花はね、咲いたあと、特別な形にして大切な人へ贈るの」

『特別な形……でございますか?』

「ええ。フロレア・グラースといって、ガラスの小さな額にこの花を一輪だけ封じ込めるのよ」

『一輪だけ?』

「ええ。たくさんではなく、その一輪に想いを込めるの。そうして、それを夫となった人へ贈るのよ」

「それには、どのような意味があるんですか?」

「その花を贈られた夫婦は、生涯、心を違えずに寄り添い続けることができる。そう言い伝えられているの」


温かいその言葉が、胸の奥に深く染みていく。
まるでその花そのものが、ずっと昔から私たちを見守ってきてくれたみたいだと感じた。


「あなたたちは、いつか本当に結婚するかもしれないでしょう?」


その言葉に胸が小さく跳ねる。
思わず総司さまのほうへと視線を向けると、彼もわたしを見て柔らかく微笑んでくれた。
その様子を見てくすりと笑ったお母さまは、そっと花に手を伸ばし、小さな実のひとつに触れる。


「そうなった時には、この花を二人で育ててほしいわ」

『わたしと……総司さまで、ですか?』

「ええ。一人ではなく、二人で。そしてもし種が実ったなら……」


お母さまはそっと実を開く。
中から現れたのは、ほんの小さな、光の粒のような種だった。
それを私の手のひらに乗せると言った。


「あなたたちの子供にも、この話をしてあげて。そして、この種を渡してあげてほしいの」


手のひらに乗った小さな重みを、指先をそっと閉じてその種を包み込む。
総司さまと再び視線を合わせ、二人同時に微笑みを浮かべた。


『はい。大切にいたします、お母さま』


冬の冷たい空気の中で、手のひらの中だけが、なぜかあたたかく感じられた。
そんな時、不意に総司さまが何かに気づいたようにお母さまを見上げる。


「ユフィ夫人。ヴェルメルのような寒い土地でも、この花はきちんと育ちますか?」


その声はどこか不安を含んでいるように感じた。
総司さまの横顔はとても真剣で、この花を大切に想ってくれている彼の優しさに胸があたたかくなる。


「確かにこの花は寒さにも暑さにも弱いの。環境が変われば、それだけで枯れてしまうこともあるわ。けれどね」


お母さまは顔を上げて、私たちをやさしく見つめた。


「どんな土地であっても、必ず咲かせることはできるのよ」

「それは、どのようにすればいいのでしょうか?」

「その土地に合わせて手をかけること。守ること。工夫すること。そして何より二人で向き合うこと」


その言葉は静かだったけど、はっきりとしていた。


「寒い場所なら、温めてあげればいい。光が足りなければ、与えてあげればいいの。でもそれは、一人では難しいこともあるでしょう?だからこそ二人で育てるの。この花は一人ではなく共にあることで咲く花なのよ」


その言葉に、胸の奥があたたかくなる。
総司さまは少しだけ目を伏せてから、静かに口を開いた。


「承知いたしました。必ずセラ嬢とこの花を咲かせます」


総司さまの声が、静かに響く。
そのとき、冬の光がふいに差し込んで、花も、種も、すべてがやわらかく輝いて見えた。
その光の中で、私はただ胸いっぱいに幸せを感じていた。
そしていつか来る二人でこの花を育てる日を楽しみに思いながら、手のひらの種を見つめていた。


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