1.

ヴェルメルでの日々が再び始まって数ヶ月が経った頃、僕は父の執務室に呼ばれた。
扉を開けると、そこには既にアルベリク兄上とシリル兄上もいる。
僕が足を踏み入れれば、空気がわずかに張り詰めたのがわかった。

父は机の向こうで書類を閉じ、ゆっくりと顔を上げる。
その視線にはいつもの如く逃げ場を与えない冷たさがあった。


「揃ったか」

「はい、父上」


アルベリク兄上が短く応じる。
僕とシリルも一歩下がった位置で並び、言葉を挟まずその場に立った。


「今後のお前たちの大公家での役割を決めようと思う。クラウスは知っての通りだ。大公家の嫡男としていずれ爵位を継ぐ。問題はお前たち三人だが」


言葉が続くよりも早く、アルベリク兄上が一歩進み出た。


「恐れながら、父上」


深く頭を垂れたまま、はっきりとした声で続ける。


「私は、シリルや総司よりも戦術において優れていると自負しております。クラウス兄上が爵位を継がれるのであれば、私がヴェルメル騎士団を統率し、この地の武を担うのが最も適しているかと存じます。そしていずれはガーディアンブレイドである父上のように、帝国を護る剣としての務めを果たしたく考えております」


誇りと覚悟が滲む言葉を、僕は黙って聞いていた。
なぜなら僕が強くなりたいと思ったのは、父上のためでも大公家のためでもない。
ただ、あの子のためだった。
セラ嬢を護れるように。
セラ嬢が安心して笑っていられるように。
彼女の隣に立っても恥ずかしくない男でいたいと、ずっと思ってきた。

学問も礼儀もすべてそのために積み重ねてきたけど、一番しっくりきたのは剣だった。
剣を握っているときだけ、自分が何者であるかがはっきりする。
誰かを護るための力として、それが真っ直ぐに繋がる気がした。

父上が何を選ぶのかはわからない。
けれどどんな形であれ、僕がしてきた努力を意味のあるものにしたい。
あの子の隣に立てるように。
その思いだけは、誰にも譲るつもりはなかった。


「言葉だけでは判断できん。ついて来い」


低く落ちた声は抑揚もなく、それでいて逆らう余地を与えない。
アルベリク兄上が一瞬だけ口を開きかけたものの、結局何も言わずに閉ざし、静かに頭を下げる。
シリル兄上も同じように従い、僕もまた遅れないように一礼してその背を追った。

案内された先が地下へと続く階段だったとき、胸の奥にわずかな緊張が走る。
それでも誰一人として足を止める者はいない。
石の階段は冷たく、下るほどに空気は重さを増していき、やがて辿り着いた地下牢には湿った匂いと押し殺されたような呻き声が漂っていた。


「これからお前達の適性を見る」


牢の扉が開かれ、数人の男たちが引き出されてくる。
縄で縛られ、地に跪かされ、その肩は小刻みに震えていた。


「こやつらは皇帝に背いた者たちだ。この罪人の首をお前達がはねろ」


アルベリク兄上の呼吸がわずかに乱れる。
視線は罪人へ向けられていたけど、踏み出す気配はない。
シリル兄上も剣に手をかけてはいるものの、その指先に力が入りきっていないのが見て取れる。
僕は父の思惑が何かを考えながら、彼に視線を向けた。


「この機会で、何をお確かめになりたいのでしょうか?」

「強い者には、より強くなれる場を与える。それだけのことだ」


簡潔な答えで、それ以上は語られない。
でもここで結果を残すことが大事だということだけはわかった。

視線を落とすと、目の前には怯えきった罪人たちがいる。
逃げ場を失い、ただ震えながら、何かを口にしかけては飲み込んでいた。

こいつらの首をはね、その命を自らの手で終わらせる。
そう考えたとき、思っていたほどの抵抗は胸に生まれなかった。
もちろん何も感じないわけではないけど、それ以上に強く浮かび上がってくる想いは一つだけだった。

強くなりたい。
あの子の隣に、当たり前のように立てるくらいに。
誰にも軽んじられず、見下されることもない場所に届くために。
そのために、僕はここまで来た。
身体を鍛え、剣を握り続けてきた。
つまり、この機会を僕は絶対に逃すわけにはいかない。


「どうした。腰が引けているのか」


父上の声が静かに落ちる。
その言葉に押されるように、アルベリク兄上が声を上げた。


「……っ、はああ……!」


彼は剣を振り上げたものの、その刃は振り下ろされることなく空中で止まり、呼吸だけが荒く乱れていく。
歯を食いしばり、必死に踏み出そうとしているのはわかる。
それでも、あと一歩が出ない。
シリル兄上もまた、剣を握ったまま動けずにいた。
その手はわずかに震え、視線は罪人と地面の間を揺れているだけだった。


「日々の鍛錬は何のためだ?情けない。そのような根性では、戦に出たとてなんの成果も上げられないな」


父上の言葉を聞きながら、僕は前へ出てゆっくりと剣を抜き、構える。
呼吸は自然と整い、視界は驚くほど澄んでいた。

一歩踏み込んだその身体は軽く、動きに無駄がないのが自分でもわかる。
どこを断てばよいか、迷う必要もない。
振り抜いた刃は流れるように軌道を描き、ためらいなくその首を断った。

鈍い音とともに静寂が広がり、血の匂いがゆっくりと空気に混ざっていく。
息を呑む気配がして視線を上げると、アルベリク兄上とシリル兄上がその場に立ち尽くしていた。
足元に転がる亡骸を前に、言葉もなくただ息を詰めたまま動けずにいる様子は、いつもの威勢が嘘のように頼りないものだった。


「兄上たちは、父上のご指示に従われないのですか?」


僕の問いに、二人は何も答えない。
その様子を見ていた父上が、低く息を吐いた。


「もうよい。こいつらには荷が重いのだろう。総司、お前が代わりにやれ」

「はい」


静かに頷き前へ出ると、残る二人の罪人はすでに恐怖に顔を歪めていた。
声にならない声で何かを訴えているけど、それに意味はない。
刃は迷いなく振り抜かれ、一人目の首を断つ。
その勢いのまま身体を返し、間を置かずに二人目へ。
無駄のない一太刀で、すべてを終わらせる。
剣を軽く振って血を払い、ゆっくりと納めたその時だった。


「はははっ……!そうか、そうか」


父が、愉快そうに笑った。
普段は決して見せないような、はっきりとした笑みだった。


「これは……数年前なら、到底考えられなかったことだな」


そう言いながら、まっすぐに僕を見る。
その視線を受け止めると、父はゆっくりと近づき僕達の前で足を止めた。


「お前達の剣術の腕は、多少の差はあれど大差ないと報告を受けている。総司がやや優れているとも聞いたが、それだけで戦は決まらん。戦場で求められるのは、剣の速さや力ではない。状況を見極める目、退くべき時を知る判断、そして何より迷わず刃を振るえる胆力だ。敵が人の形をしていようと躊躇なく断てるか、隣で味方が倒れても足を止めずにいられるか。そうしたものが欠けた者はその場で終わる。恐れや情に足を取られた瞬間に死ぬのは自分だけでは済まん」


それは長年戦場に身を置いてきた者として、日々感じてきたことなのだろう。
父親としてのあたたかみはまるでないこの人も、戦場に立場立派な騎士だということは僕にもわかっていた。


「お前達はまだ戦場に足を踏み入れたことはないが、適性のない者を戦場に送り込み醜態を晒させる意味はないし、そこで命が途切れればそれまでだ。だからこそ最初に見極める。誰に何を背負わせるべきか、どこに置けば最も力を発揮するのかをだ。適材適所を誤れば、この家も軍も簡単に崩れる。逆に言えば適した者に適した役を与えれば、それだけで戦の趨勢は決まるというものだ」


父は淡々と告げると、まず兄上達に視線を向けた。


「アルベリク」

「……はい」

「お前は北部騎士団団長として、騎士団を統率しろ。軍をまとめ、この地の武を支えよ」

「承知いたしました」

「シリル」

「はい」

「お前はヴェルメルの商務卿として、商と流通を掌握せよ。この地を滞りなく巡らせることに尽くせ」

「承知しました」


再び父の視線が僕へ戻ると、その目にははっきりとした選別の色があった。


「いい目をするようになったな、総司。お前には私の歩んできた道を継がせる」


胸の奥が、強く揺れた。
父上はかつて北部の戦場で名を上げ、戦の神とまで呼ばれた人だ。
軍の中にありながら、ただ一振りで戦局を覆し、勝敗を引き寄せてきた存在。
そして帝国を護る剣として、北部で崇められ、その名を挙げてきた。
僕がその道を継げるなんて。


「お前も騎士団の一員としてその先頭に立て。剣を振るい、戦を押し切れ。だがそれだけではない。お前を次のガーディアンとして皇帝に推薦することにする」


帝国の守護刃と呼ばれるガーディアンブレイド。
これは正に、父が長年携わってきた役職だった。


「これは騎士団の中の役目だけではない。帝国そのものが持つ剣だ。ヴェルメル騎士団に属し、戦場では先頭に立つ。だが同時に帝国より直接任が下ることもある立場だ。内容も目的も、限られた者しか知り得ぬ軍を通さない命令だ。必要とあらば単独で動き、騎士団の指揮系統を越え戦の外側からも刃を振るうがいい。私がそうしてきたように、お前もまた北部にその名を刻め」


騎士として戦場に立つだけではない。
帝国そのもの剣として扱われる存在。
それは、誰にでも与えられる役目ではないからこそ、胸の奥には抑えきれない熱が広がっていった。


「はい、父上。お任せください」


認められたのだとわかる。
ようやく届いた、そう思える場所に今確かに立つことができている。
セラ嬢の微笑む顔が頭に浮かび、僕の口元も弧を描いた。

そして僕ならきっと出来る、このまま理想の未来を手に入れられるという希望が胸に湧き立つ。
この先に何が起きるかも知らないまま、この時はただこの決定に喜びだけを感じていた。


- 494 -

*前次#


ページ:

トップページへ