2.
僕が帝国の剣としての役割を継ぐと正式に決まってから、周囲の態度は少しずつ変わっていった。
以前のように兄姉達が露骨に蔑んでくることはなくなり、どこか距離を測るような空気を感じる。
他の奥方達も、不服そうな視線こそ隠さないものの、もう面と向かって余計な言葉を投げてくることはなかった。
使用人達は相変わらず面倒事に巻き込まれたくない様子だったけど、僕のことが囁かれていることくらい嫌でも耳に入る。
それだけ帝国の剣という名は特別であり、敬われ恐れられる存在のように思えた。
「あなたに本当に務まるのかしら」
不意に落とされた声に顔を上げる。
母上は窓辺に立ったまま、どこか複雑そうな表情でこちらを見ていた。
少し前までは弱いだの病弱だのと僕を罵っていたのに、今はどこか不安気な眼差しを僕に向けている。
「努めてまいりますよ。僕は父上の背中を見て育ちましたし、帝国の剣がどれほど誇り高いものかも理解しているつもりです」
「……ええ。旦那様は立派よ。誰より強く、帝国と大公国を護り続けてこられた。だからこそ皆、あの方を恐れながらも敬愛しているの。けれど帝国の剣は、ただ誉れ高いだけの役目ではないわ」
それくらい僕もわかっている。
帝国の剣は、国を脅かす敵を斬るための存在だ。
時には表に出せない汚れ仕事を担い、誰かの憎しみや恐怖を向けられることもある。
そして戦争や紛争が起これば、真っ先に剣を抜き、敵を滅ぼすために最前線へ立たなければならない。
味方が怯んでも血と悲鳴の中を踏み越えて進み、敵を斬り伏せ続ける存在、それが帝国の剣だった。
父がそうして数多の敵を葬ってきた話を、僕は幼い頃から嫌というほど聞いてきた。
「騎士団長であれば、人々に慕われ正義の象徴として立てたでしょう。でも帝国の剣は違う。必要とされながら、同時に恐れられる存在よ。貴族達の中には、あなたを皇帝陛下の刃として警戒する者も出てくるはずだわ」
「それでも構いません。僕は父上のように強くなりたいんです。僕が唯一人より優れているのは剣だけですから」
ヴェルメルへ戻ってきてから、僕の剣の腕は以前より遥かに研ぎ澄まされていた。
父上から罪人の処刑を任されることも増え、どう斬れば一瞬で絶命するのか、逆にどこを裂けば長く苦しむのか、そんな知識まで自然と身についてしまっている。
人を護るための剣技より先に、人を殺すための技術ばかりが洗練されていくのは、少し皮肉だった。
それでも、強ければ誰にも奪われない。
強ければ、誰にも見下されない。
僕が誰にも脅かされないほど力をつければ、セラ嬢の隣で彼女を護り続けることができる。
だったら、どんな形でも強くならなければ意味がない。
弱いままでは、何一つ手に入らないのだから。
「最近、旦那様の仕事によく同行しているようだけど。あなたが罪人の処刑を行っていると聞いたわ。本当は辛いのではないの?」
病弱だった頃の僕がどれだけ苦しんでいても、牙を剥くことしかできなかった人が、どうして今になって僕を案じるのか正直よくわからない。
昔はあれほど恐ろしく見えていた母も、今では僕より背が低い、ただの非力な女の人にしか見えなかった。
「辛い?全く辛くありませんけど」
「でも……強くなるために、仕方なく旦那様に従っているのでしょう?」
その言葉に、思わず小さく笑ってしまう。
なぜならこの人は何もわかっていないと思ったからだ。
罪人達は皆、処刑の直前になると決まって許しを乞う。
震えながら命乞いをして、涙を流し、無様に地面へ縋りつく。
その姿を見る度に、嫌というほど理解する。
弱者とは、こんなにも惨めなのだと。
少し前までの僕も同じだった。
奪われることを恐れて、傷つけられることを怖がって、ただ許しを乞うことしかできなかった。
けれど、そんな願いを聞き入れてくれる人間なんて誰もいない。
弱い者は蹂躙され、力を持つ者に好きなように踏みつけられる。
それだけのことだった。
だから僕は二度と弱者にはならないし、弱者を葬ることなんて辛くもない。
理不尽に奪われ続けるより、奪う方に回った方がずっと利口な生き方だ。
「いいえ。僕は良い経験をさせていただけたと思っています。この役割を与えてくださった父上には感謝していますよ」
静かにそう告げると、母上は息を呑んだ。
「罪人を処刑して、改めて気付かされました。弱いままでは何も護れない。誰も助けてくれない。結局、力がある人間だけが好きに生きられるんです。奪われる側でいるより、奪う側でいなければ意味がありませんよね」
脳裏に浮かぶのは、父の姿だった。
誰も逆らえず、誰もが恐れ、従う存在。
あの人が一言命じるだけで、人が動き、命すら簡単に消えていく。
昔は恐ろしいだけだったその姿が、今は少し羨ましく思えた。
勿論、今の僕はまだそこには届かない。
けれど、いずれ父のように多くの人間を従わせる力を手に入れられたなら、きっと誰にもセラ嬢を奪われずに済む。
誰にも傷つけさせずに、僕の手で護ることができる。
そう思うと、不思議と剣を振るうことに躊躇いはなかった。
「今になってようやくわかりましたよ。僕がどんな理不尽な目にあっても、一貫して弱いお前が悪いと父上が言い続けていた意味が」
今まで、何度助けを求めても、父も母も決して手を差し伸べてはくれなかった。
痛くても苦しくても、返ってくるのは冷え切った視線と突き放すような言葉だけだった。
弱いお前が悪い。
その言葉を、昔は酷い言葉だと思っていた。
どうして助けてくれないのかと、何度も恨んだこともある。
けれど今ならわかる。
あの言葉は事実だった。
何故って、この世界が最初からそういう風にできているから。
父はそれを理解していたからこそ、弱い僕を切り捨てただけだったんだ。
「父上は最初から、僕にそれを教えてくださっていたんですね」
静かに笑うと、母は複雑そうに眉を顰めた。
「あなたは旦那様に似てきたわね。旦那様も昔から、弱い者には価値がない、強ければそれでいいと仰る方だったもの」
静かな声音だった。
けれどそこには、僅かな諦めが滲んでいるようにも感じられた。
「弱い者は切り捨てられる。生き残れるのは強者だけ。あの方は、それを誰より理解しているからこそ、あれほど強くなったの。あなたも今、同じ目をしているわ」
「それの何が悪いんです?母上も、ずっとそう仰ってきたじゃないですか。強くなければ意味がないと。弱い僕には価値がないと」
母上の表情が僅かに揺れる。
「だから僕は強くなります。誰にも文句を言わせないくらいに。母上も僕にそうなって欲しかったから、体調が悪くて寝込んでいても稽古に行かせようとしていたんですよね」
「……総司」
母は小さく僕の名を呼んだ。
けれどその声音には以前のような苛立ちはなく、どこか戸惑いのようなものが感じられた。
「確かにこの世界は、強くなければ生き残れないわ。でも強さだけで生きていけるほど、人は単純じゃないのよ。旦那様は確かに誰よりも強いわ。けれどその強さのせいで失ったものも沢山ある筈よ」
母は目を伏せたまま、低く続ける。
「あなたが同じ道を歩むなら、きっとこれから先、多くのものを切り捨てることになるでしょうね。あなたがどう生きていくのか、それはあなたの自由だけれど。最後にあなたの手に何が残るのか、よく考えて行動した方が身のためよ」
そう言って部屋を出て行く母の言葉には、遠い未来を案じるような響きだけが残っていた。
だけど正直、切り捨てることの何が悪いのかよくわからなかった。
何かを護るためには、何かを犠牲にするしかない。
そんなこと、父を見ていれば嫌でも理解できることだった。
全てを手に入れられる人間なんて存在しない。
だから強い者は、自分に必要なものだけを選び取る。
だったら僕も、そうなるだけだった。
誰に何を言われようと、もう迷うつもりはない。
僕は自分の進むべき道を行こうと、一人部屋で拳を握りしめていた。
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