6.
十一歳のお誕生日に届いた総司様からのお手紙には、お祝いの言葉と一緒に、北方遠征へ向かわれるという報告が綴られていた。
危険なことはしないから大丈夫、と書かれていたけど、反勢力の鎮圧に向かう以上、本当に危険がないはずがない。
私は急いで小さなお守りを作り、お返事のお手紙を書いて、それからの日々をただ祈るような気持ちで過ごしていた。
無事でいてほしい。
どうか怪我をしませんようにと、そればかりを願いながら。
「セラお嬢様、お手紙が届いております」
『ありがとうございます……!』
胸が跳ねる。
けれど、今までだって何度も期待しては、差出人の名前を見て落胆してきた。
だから今日も、逸る気持ちを抑えながら封筒を一通ずつ確認していく。
そして最後の一枚を見て、私は思わず息を呑んだ。
そこに記されていたのは、見慣れた総司様の文字。
『……届いた……』
小さく零した声は、自分でも驚くほど震えていた。
次のお手紙は、遠征から戻ったら送ると以前書かれていた。
つまり、この手紙がここにあるということは、総司様が無事に遠征を終え、ヴェルメルへ帰還されたということ。
それだけで胸がいっぱいになってしまう。
「まあまあ、随分嬉しそうね」
お母様がくすりと笑いながらそう言った。
私は頷きながらも、待ちきれずに封筒を開いた。
本当は大切にゆっくり読みたかったけど、今日だけはそんな余裕は少しもなかった。
『良かった……。総司様、お怪我もなく無事にヴェルメルへ戻られたそうです。数日休息を取った後、こちらへ来てくださるみたいで……』
安堵した途端、じわりと瞳が熱くなる。
お父様とお母様にそう伝えると、お二人もどこか安心したように微笑んでいた。
「そうか。それは何よりだな。総司殿が無事帰還されたのであれば、こちらも迎える準備を整えねばなるまい」
「ええ。初めての遠征で反勢力の鎮圧に赴かれたのでしょう?きっとお疲れになったでしょうね」
『はい。総司様、敵を混乱させるために裏から回り込まれたそうなんです。最後は大公閣下が反乱軍を鎮められて、無事に終結したと書かれていました』
手紙には、剣も抜かなかったよ、とも書かれていた。
危険なことは何一つなかったと、私を安心させるような言葉まで添えられている。
でもそう書いてくださるほど、きっと私が心配していることをわかってくださっているのだと思うと、余計に胸が締めつけられた。
それに何より、総司様が戦場に身を置いていた。
その事実を想像するだけで、今でも心臓が落ち着かなくなってしまう。
『お手紙を頂くまでの一ヶ月半、本当に毎日不安でした。寿命が縮んでしまった気がします』
そう零すと、お父様とお母様は顔を見合わせ、少し困ったように、それでも優しく微笑まれた。
「心配になるわよね。けれど……総司さんは、いずれお父様の役割を継いで帝国の剣となる方なのでしょう?」
『はい。以前のお手紙にそう書かれていました。とても名誉あるお役目ですよね』
帝国の剣。
それは北部大帝国を護るために存在する、特別な騎士。
ヴェルメル騎士団に属しながらも、皇帝陛下の命により動く特務部隊を率いる存在なのだと、総司様は教えてくださっていた。
「ああ。誠に素晴らしいことだ。だが、セラもわかっているだろう。それだけ総司殿が背負うものもまた、大きいということだ」
お父様は穏やかな声音のままそう言って、静かに私を見つめた。
その眼差しは厳しいものではなかったけど、娘を案じる父親として、私の覚悟を確かめているのだと伝わってくる。
「総司殿とセラは、まだ正式に婚約しているわけではないが、互いに将来を見据えている関係だ。もし本当に総司殿と夫婦になるのであれば、セラはこれから先、今のような想いで彼の帰りを待つことになる。そのことは理解しているな?」
「今回の遠征より、もっと危険な場所へ赴くこともあるでしょうし、その中でも総司さんは、いずれ先陣を切って戦場へ向かわなければならない立場になるはずよ」
わかっていたことではあるけど、言葉にされると急に現実味が帯びてしまって、私は思わず膝の上で指先をぎゅっと握りしめた。
総司様が剣を振るう姿は綺麗で、誰より強くて、眩しいくらい格好いいと思う。
けれどそれと同時に、傷ついてほしくないとも思ってしまう。
危険な場所へ行ってほしくない。
どうか無茶をしないでほしい。
本当は、そんな気持ちばかり胸の中に溢れていた。
けれど私は、総司様がどれほど努力してきたのかを知っている。
初めてお会いした頃の総司様は、今よりずっと身体が弱くて、苦しそうに咳き込まれることも多かった。
少し無理をしただけで顔色が悪くなってしまうこともあって、そのたびに私は心配でたまらなかった。
それでも総司様は諦めなかった。
何度も鍛錬を重ね、剣術を磨き、苦しくても立ち止まらずに前へ進み続けてきた。
その積み重ねが、今ようやく形になろうとしている。
そして何より、そのことを総司様自身がとても嬉しく思っていることが、お手紙の端々から伝わってきていた。
だから私は、この前のお返事にも、不安や弱音は一つも書かなかった。
心配しています、行ってほしくありません。
そんな言葉を綴る代わりに、私はただ、応援していますとだけ書いた。
総司様なら大丈夫、総司様を信じて待っています、と。
だって、大好きな人の夢は応援したかった。
総司様が必死に掴もうとしている未来を、私も一緒に信じたいと思ったから。
それに総司様は、お手紙の中でこう書いてくださった。
もっと強くなって、君がどんな時でも安心して笑っていられるようにしたい。そのために僕は前へ進み続けるよ、と。
その言葉を読んだ時のことを、私は今でもずっと忘れられない。
嬉しくて、胸がいっぱいになって、何度も何度も読み返した言葉だった。
そんなふうに想ってくださる総司様の気持ちを、私が受け取らないでどうするのだろう。
だから私の答えはもう決まっていると、私は顔を上げお父様とお母様を見つめた。
『……正直に言うと、私は総司様に危険なことをしてほしくありません。怪我もしてほしくないですし、戦場のような場所に向かわれると考えるだけで、今でも胸が苦しくなります。ですが……総司様が今まで、どれだけ努力を重ねてこられたのかを私は知っています。だから、その努力の先にある未来まで、私の不安で否定したくないんです』
言葉を零しながら、私はゆっくり息をつく。
お父様もお母様も、静かに私の言葉を聞いてくださっていた。
『総司様はきっと、ただ戦いたいわけじゃないんです。護れるものを増やしたくて、そのために強くなろうとしていて……その中に私をちゃんと置いてくださっていて』
そこまで言うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
同時に目頭が熱くなり瞬く間に潤んでしまったから、それを誤魔化すように微笑んだ。
『なので私は、総司様が信じている未来を一緒に信じたいと思っています。たとえ不安でも、怖くても……帰ってくる場所として笑顔で待っていたいです』
これが、今の私の本当の気持ちだった。
しばらく静かな時間が流れ、それからお母様がどこか安心したように目を細めた。
「大切な人が傷つくかもしれないと思って、不安にならない人なんていないものね。けれどその怖さから目を逸らさずにそれでも支えたいと思えることが、とても大切なのだと思うわ」
その言葉は優しく胸に沁みこんできて、私は思わずお母様を見つめた。
お母様もきっと、昔から何度もこうして、お父様の帰りを待ってこられたのだろう。
公爵家と騎士団を支える立場であるお父様も、決して安全な場所にばかりいらしたわけではないはずだから。
「総司殿は、確かに将来、帝国を背負う立場へ進んでいく男だろう。あの年齢で既にあれほどの才覚と覚悟を持っている。しかも、それを驕ることなく努力を重ね続けているのだから、大したものだ」
お父様はそう仰って、小さく笑われた。
「正直、最初は驚いたのだ。セラがあれほど懐く相手がこんなにも早く現れるとは思っていなかったからな」
『お父様……』
少し恥ずかしくなって俯くと、お母様がくすくすと笑われる。
「でも最近は、二人を見ているととても自然なのよね。総司さんはセラを本当に大切にしてくださっているし、セラも総司さんのことを心から想っているのが伝わってくるもの」
『……はい。総司様といると、不思議と大丈夫だって思えるんです。どんなに不安なことがあっても、総司様はちゃんと前を向いて進んでいかれる方だから……その姿を見ていると、私も一緒に頑張りたいって思えて。だからきっと、私は総司様の隣にいたいんだと思います』
「ならば、その気持ちをこれからと大事にしなさい。戦う者にとって、帰りたい場所があることは何よりの支えになるものだ。剣の腕が立つだけでは、人は長く戦えん。守りたいものがあるからこそ、人は限界を超えて立ち上がれる。総司殿も、おそらくそういう男なのだろう」
お父様の声は穏やかだった。
けれどその言葉には、長い年月を生きてきた人だけが持つ重みがあった。
「だからセラは無理に平気なふりをしようとしなくていい。怖い時は怖いと言っていいし、寂しい時は寂しいと言っていいのだ。ただ、それでも相手を信じようとする心だけは、失わないことだぞ。きっとそれが、総司殿にとって一番の支えになるからな」
お父様とお母様からの言葉を聞いて胸の奥が温かくなった。
不安が消えたわけではない。
これから先、今日よりもっと怖い思いをする日だってきっと来る。
けれど総司様が前へ進こうとするのなら、私もその隣でちゃんと未来を見つめていたい。
そして総司様が帰りたいと思える居場所になりたいと思った。
『はい。私、そうなれるように頑張ります』
そう答えると、お母様が優しく微笑みながら私の髪を撫でてくれた。
「ええ。けれど今は、難しいことばかり考えなくてもいいのよ。せっかく総司さんが無事に帰ってこられたのだもの。まずは元気なお顔を見て、たくさんお話しなさい」
『ふふ……はい。きっと総司様、心配しすぎだよって笑われると思います』
「その時は、それだけ大切に想っているのです、と返してやればいい」
『ええ?そんなことを言ったら、総司様はきっと困ってしまいますよ』
けれど、そう言いながら浮かんだ総司様のお顔は、少しだけ照れたように笑っていて。
その姿を想像しただけで、さっきまで胸を締めつけていた不安が、少しだけ優しいものに変わっていく気がした。
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