5
今日はセラに会うため、隣のレーヴェルン公国からはるばる公子様がやってきた。
色々な事情で彼に苛立ちを抱いていた僕は、試合の際にくだらない提案をしてしまった訳だけど。
それは騎士団とセラを巻き込んでの大事になり、結果として山南さんのお叱りを受けることで事態は収束を迎えた。
公子様は思いの外強く、剣を振るっている間は余計なことは考えずただ相手を倒すことだけ考えていたと思う。
この高揚感に似た感覚は中々味わえるものではないからこそ、僕にとって貴重な体験になった。
勿論、今日のように突っ走ってしまうのは僕の良くないところだけど、あの子を狙う相手は早いうちに排除しておきたかったんだから仕方ない。
まさかあんなリスクを背負って戦うことになるとは思わなかったものの、負けるつもりはなかったし、あの男より自分の方が強いことを証明したくて剣を振る手を止めなかった。
まあ実際は勝敗のつかないまま試合は中断され、最後はセラも涙目に。
僕を見てもくれないままどこかに行ってしまうから、それからの半日はずっともやもやした感情のまま過ごしていた。
そして夜も更けた頃。
公子様も帰っただろうと、僕は彼女に会いに行くため、自分の部屋を抜け出す。
部屋に行くのはセラが寝込んで以来だから、少しばかり緊張している僕がいた。
「よいしょっと」
セラの部屋は以前同様薄明かりが着いている。
木を登ってバルコニーに降り立った僕は、この前のように彼女の部屋の窓から侵入を試みた。
でも今夜は残念ながら鍵が掛けられているらしい。
軽く叩いてみても反応がなかったから、駄目元で隣の部屋の窓を試してみることにした。
「あ、こっちは開いた」
良かった、これなら内接しているドアからセラに会いに行くことが出来る。
そう考えて迷うことなく部屋へ入ったものの、人の気配と同時に殺気を察知し、護身用で身につけている短剣を懐から出した。
「何奴!」
「……くっ……」
外は月明かりのせいで明るい。
それに反して部屋の中は暗く、暗闇に慣れていないこの目では、周囲を確認することは不可能に近かった。
咄嗟に構えた短剣のお陰で振り下ろされた剣は受け止めることが出来たものの、僕の上に馬乗りになった相手の顔は見えなかった。
でもこのままでは埒が明かないと、窓に掛かったカーテンを力のままに引っ張り、乱暴に外す。
すると月明かりに照らされたのは、とっくに帰ったと思っていたあの公子様だった。
「……あんたは昼間の……」
「は……?なんで君がまだこの城にいるのさ」
剣を一度弾き飛ばしたけど、今度は剣先を僕に向けたまま振り下ろしてくる。
剣を持つ彼の手を掴み必死で阻止したものの、その剣先は今にも僕の喉を突き刺そうとしていた。
「寝込みを襲うとは卑怯な真似を……!」
「違うってばっ……」
「嘘をつくな、昼間の腹いせに寝首を欠くつもりだったのだろう……!」
「そんなことして何になるのさ……!君にっ……興味なんか、ないんだけどっ……」
「ならば何故ここに……」
そう言い掛けて、はっと何かに気付いた様相を見せた後、彼は剣を下ろす力をより強めた。
「あんたは……まさかセラの部屋に侵入を試みようとしていたのかっ……」
「……くっ……」
まずい、このままじゃ本当に首を貫かれる。
こんなところで終われるかと渾身の力で身を捩り、なんとかこの男の拘束から抜け出すことが出来た。
けれど弾き飛ばされた短剣は、今はもう手元にはない。
体勢を立て直す暇もないまま、直ぐ真上からは剣が振り下ろされようとしていた。
『だめっ……』
ふわりと甘い香りが鼻を掠めたと同時に、目の前の男の動きがぴたりと止まる。
物音を聞いたセラがこの部屋の異変に気付いてくれたのだろう。
彼女の小さい身体が、床に座ったままになっている僕を庇うように護ってくれていた。
『はじめ、剣をしまって』
「だがその男は窓から不法侵入をはたらいたのだ。このまま見過ごすわけにはいかん」
『でも剣は必要ないでしょう?』
眉を顰めながらも言われた通りに剣をしまった彼は、その表情を緩めることなく僕のことを睨んでいる。
僕は僕で、また厄介事になったことにため息を吐き出しながらも、今日ばかりは自分の浅はかな行動を後悔せずにはいられなかった。
「山南さんが仰られた通り、俺にこの男を裁く権利はない。故に剣は収めたが、このことは近藤公に報告させてもらう」
そう言ってドアの方向に歩き出した彼を、セラがその服を掴んで咄嗟に止めた。
『待って、お父様には言わないで?』
「何故だ」
『総司は別にはじめに危害を加えようとしてここに来たわけじゃないよ』
「そのようだな。だがその方が問題だろう」
『どうして……?』
「夜遅くにセラの部屋に侵入しようとしていた男を、何故そのままにしておく必要があるのだ」
『違うよ、総司のことは私が呼んだから……』
「それは無理のある嘘だな」
『嘘じゃないよ』
「それが本当なのであれば、そのことを報告させてもらうことになるがいいのだな。婚姻を結ぶ前に、男を自室に連れ込んでいたとなれば悪評も広がる。どちらにしても近藤公が黙ってはいないだろう」
『待って……、そんなことをしたら総司が罰を受けることになっちゃうの……』
「罰を受けるべき振る舞いをしたのはその男だ、自業自得だな」
僕が口を挟むと余計にこの男を煽りそうで黙っていたけど、今にも泣き出しそうなセラの顔を見てしまえば、僕が大人しくしていられる筈がない。
その細い腕を引き僕の後ろに立たせると、僕が代わりに目の前の公子を睨み付けた。
「君の名前、なんだっけ。はじめ君だっけ?」
「なんだ」
「下世話だよね。この家の人間じゃないんだから口出さないでもらえるかな」
「あんたも同じようなものだろう。騎士団所属というだけで大きな顔をするのは間違っていると思うが?」
「大きな顔はしてないよ。してないけどさ、うちのお嬢様がいじめられたら、僕だって黙っていられないんだけど」
「いつ俺がそのようなことをしたと言うのだ」
「見てみなよ。泣きそうになってるじゃない、この子」
その言葉を聞いたセラが潤んだ瞳を隠すように俯くと、はじめ君は多少なりともダメージを受けているらしい。
眉がぴくりと動き、少しの間だけ言葉を失っていた。
「……セラが泣きそうなのは、あんたのせいだろう」
「僕は何もしてないよ」
「あんたが問題を起こしたことが原因だと言っているのだ」
「別にちょっと話したくて来ただけなのに、そんなに過剰に反応しないでくれる?」
「ちょっと話したくて……だと?まさか毎晩のように来ているわけではないだろうな」
「毎晩なわけないでしょ。まだ二回目なんだけど」
「なっ……やはり今日が初めてではないのか……!」
「仕方ないじゃない。色々と事情があるんだから」
「仕方ないで済む話ではない。やはり近藤公に報告をさせて貰う」
曲がったことが嫌いそうなこの公子様は、迷いない瞳で僕を見据えるとそのまま部屋の外に向かって歩き出す。
セラが「待って」と呼び掛けても振り向きもしないから、もう駄目かと心中で歯噛みした。
何が一番辛いって、僕のせいでこの子にこんな顔をさせてしまうことだけど。
どうにか切り抜ける方法を考えながらも、目の前の小さな頭に手をそっと置いた。
「ごめんね」
『総司……』
僕が微笑むといつもは笑ってくれるセラなのに、今日は僕を見上げるなりぽろぽろと涙を零してしまう。
結局こんな顔ばかりさせている自分に辟易していると、セラは涙を拭うなりドアノブに手を置いたはじめ君の後ろ姿に声をかけた。
『もし、はじめが言いたいなら言えばいいよ』
セラが何を言うつもりなのかわからないけど、多分何を言っても無駄だろう。
そしてはじめ君もぶれるつもりがないのか、振り返ったその顔にも迷いは見られなかった。
「ああ、そのつもりだ」
『そのかわり、このことを誰かに話したらはじめとはもう二度と口を利かない』
「な……」
『もう金輪際はじめとは会わないし、これっきりにする。それでもいいなら言えばいい』
滅多に強い口調を使わない彼女が、断固とした声音で言い切った。
その意外性に思わず瞬きをしたのは僕だけじゃなかった。
はじめ君もまた、手にかけた扉を開けられないまま、呆然と立ち尽くしている。
「……何故そこまでこの男を庇う必要があるのだ」
『総司は私の命を助けてくれた人なの。誘拐された時、私を助け出してくれた人なんだよ。だから総司が困ってる時は、今度は絶対私が助けたいの。もうそうするって決めたの……!』
その声には、揺るぎない決意があった。
感情を抑えきれずに震える声、きつく結ばれた唇、それでもまっすぐはじめ君を見据える瞳。
自分のこの後の人生がかかっているはずのこの場で、目の前で僕のために必死になってくれるセラの姿に、完全に心を奪われてしまっていた。
セラがここまで僕を想ってくれている。
その事実が胸の奥に熱を灯し、他のことなんて何一つ考えられなくなっていた。
「だが……」
すっかりドアノブから手を離してしまったはじめ君は、困惑した顔で自分の中の正義と葛藤しているようだった。
けれど今のセラの声にいつもの如く反応したのは、きっと山崎君だろう。
バタバタと廊下を走る音が聞こえたと思えば、直ぐ隣のセラの部屋のドアが開かれた音がした。
「お嬢様!?どうなされましたか?入りますよ!」
『どうしよう……、次はここに来ちゃう……』
色々と最悪な状況が重なって、もうお手上げ状態だった。
隠れたところではじめ君が全てを公にすれば、更に不誠実になってしまう。
そう考えると、下手に動くことも出来なかった。
でも僕の方に歩いてきたはじめ君は、何を思ったのか僕を部屋の角へと押し込む。
そしてばさりという音と共に視界が真っ暗になり、先程僕が外したカーテンが上にかけられたのだとようやく気づいた。
「公子様、失礼致します。入りますよ」
山崎君の声が聞こえると、次は部屋のドアが開く音がする。
「どうかなされましたか?」
「いや、今しがた俺が誤ってカーテンを外してしまったのだ」
「さようですか、お嬢様の声が聞こえた気がして来てみたのですが……」
『カーテンが外れてびっくりしてしまって、大声を出してしまいました。ごめんなさい……』
「構いません、何もないのであれば良かったです」
「ああ、すまない」
「今カーテンを付け直しますね」
「構わない。俺が自分で直す故、気にしないでくれ」
「ですが……」
「セラも手伝うと言ってくれているから、問題はない。手間を取らせて悪かった」
はじめ君の言葉に納得したのか、山崎君が部屋から出て行く音がする。
すると僕に掛けられていたカーテンは剥ぎ取られ、苦い顔をしたはじめ君が僕の目の前に立っていた。
「隠してくれてありがとう、はじめ君。まさか君が助けてくれるなんて思ってもみなかったよ」
「俺とて好きでそうしたわけではない。あの場合、こうするしかなかっただけだ」
「へえ、そう。でも一回隠蔽に協力したんだから、これではじめ君も同罪だよ」
「あんたという男は……」
心底呆れた顔を向けられたけど、丸く収まったのは奇跡に近い。
セラのあの一言が、頑固なはじめ君の考えを真逆に変えてくれたのだろう。
『言わないでいてくれてありがとう、はじめ』
「あのような言われ方をされてしまえば、言えるわけがないだろう」
『私はもう、はじめはお父様に報告するのかと思ってたよ』
先程の剣幕はどこへやら、セラは緊張が解けたのかいつも以上におっとりした表情で話している。
そんな彼女を黙って見ていると、僕の視線に気付いたセラもふんわり柔らかく微笑んでくれた。
それから流れのままカーテンを直した僕達三人は、作業が終わるなり互いに顔を見合わせる。
何とも変な組み合わせで居心地も良くないけど、今夜に限っては我慢するしかない。
『総司のこと、言わないでいてくれて本当にありがとう』
「いや、構わない。セラを悲しませるのは本望ではないからな」
『さっきは酷い言い方をしてごめんね、でもどうしてもお父様に言って欲しくなかったの。凄く心配かけると思うし、総司とは前の時も会って少し話しただけだったから』
そうだよね、というような視線を送るセラに合わせて、取り敢えずは相槌をうつ。
実際にはじめ君が勘繰るようなことは、何一つしていないしね。
「ならばあんた達の関係はただの主従関係と大差ない……ということか?」
『うん。でも主従関係というより友達……みたいな感じかな』
「へえ、僕達って友達だったんだ」
主従関係とか友達なんて言われて面白くなかった僕がついそう言うと、セラが少し眉間に皺を寄せて僕を見ている。
「僕的には友達っていうより、可愛い妹みたいな感じだけどね」
敢えてぐりぐり小さな頭を押し潰してみると、それはそれで不服そうな顔して僕を見上げていた。
「そうか、それを聞いて安心した。セラがこの男に騙されているのではないかと心配していたからな」
「この男、じゃなくて総司ね。名前くらい覚えてよ、はじめ君」
「気が向いたら覚えてやっても良いが」
「うわ、酷いな。それ、絶対覚える気がないやつだよね」
いまだ僕を見る目は少し鋭いはじめ君は、僕への警戒心を捨てていないらしい。
勿論それは僕も同じで、はじめ君がセラを狙う限りそれは拭えないと思っている。
「まあ、とにかく僕達ははじめ君が疑うような関係じゃないから安心してよ」
「ああ、わかった」
「でもはじめ君の気持ちは分かるよ」
「どういう意味だ?」
「セラって誰にでも優しいから、やっぱり勘違いする男も多いと思うんだよね。でもそんなことでこの子が危険な目にあったらって思うとやっぱり心配でしょ?そんなの泣くに泣けないし」
「ああ、それは同意見だ」
「だから僕はこの子に変な虫が寄ってきたら、その場で握り潰そうと思ってるんだ。可愛い妹が虫のエサになっちゃったら可哀想だからね」
勿論、はじめ君も僕からしたら虫だよ。
そんな意味を込めてにっこり微笑んでみる。
すると含みある言葉の真意に気付いているのかいないのか、はじめ君は怪訝そうな顔付きで僕を見ている。
「それであんたは俺にあのような条件で試合をするよう仕向けたのか」
「別に仕向けたわけじゃないよ、話の流れでそうなっただけかな」
「どちらにしても、握り潰せなくて残念だったな」
やや高慢な物言いに、僕は思わず瞳を細める。
やっぱりあの時、仕留めておくべきだったとため息を吐き出した。
「山南さんもタイミング悪いよね。あと一分でもあれば僕が勝ってたんだけど」
「いや、あのまま続けていたら俺が勝っていた」
「へえ、随分な自信だね。悪いけど君みたいなお坊ちゃんに僕が負けるわけないから」
「俺とて、あんたのような礼儀知らずの騎士風情にやられる筋合いはない」
次に手合せした時は、余裕で僕が勝てるように強くなる。
出来ることなら、これっきり会いたくはないけど。
『二人ともそんなに強いんだから、もっと有意義なことのために戦えばいいのに』
僕にとって、そして多分はじめ君にとってもこの子のこと以上に有意義だと思えることがないのに、セラは少し呆れた様子でため息を吐いている。
そして時計に視線を移すと、僕達に向かって微笑みを向けた。
『でも二人が少し仲良くなれたみたいで安心したよ。これでゆっくり眠れそう』
「もう寝るのか?」
『うん、今日はそろそろお部屋に戻るね。じゃあ……おやすみなさい』
「ああ、おやすみ」
「おやすみ、はじめ君」
はじめ君にそう伝えてセラの後に続いていくと、僕の首根っこははじめ君に思い切り掴まれていた。
「何故あんたが彼女の部屋に行こうとする?」
「え?だって元々その予定でここに来たんだけど」
「駄目だ。あんたはこのまま帰れ」
「嫌だよ、まだこの子と話してないじゃない」
「明日話せば良いだろう。セラも寝ると言っていた筈だが?」
「少しくらいいいでしょ。ね、セラ」
そう言ってセラを見たけど、心なしが僕を見る彼女の目つきは冷たかった。
つい先程までは僕のために泣いてくれて、あんなに可愛かったのに、その変わりようには些か納得がいかない。
『もう夜も遅いし、見つかったら大変だから総司は帰った方がいいと思う』
「だそうだ」
「でも今日ははじめ君がいるから、はじめ君に会いに来たことにすれば万が一見つかってもお咎めなさそうじゃない?」
『総司、これ以上問題を起こさないで』
珍しくセラに叱られて、しかも耳が痛い話だったから何も言い返せず苦笑い。
確かに今日の僕は、問題を起こし過ぎている自覚はあったから、こう言われても仕方ないのかもしれないけど。
「あんたは兄というより弟のようだな」
『そうだよね。総司は私のことを妹扱いしてくるけど、どちらかと言うと私がお姉さんだと思ってる』
「絶対違うから。こんなに頼りないお姉さんはいないよ」
『……なにそれ、ひどい……。頼りないって言われるの、一番嫌なのに……』
え?そうなの?
僕が言った頼りないは、儚げで可愛いこの子を護ってあげたいっていう良い意味なんだけど、セラにとっては捉え方が違ったらしい。
僕を少し悲しそうに睨みつけると、「おやすみ」と言って部屋に入ってしまった。
「あんたが俺にだけではなく、常に失礼な男だということがよくわかった」
「いや……別に悪い意味で言ったわけじゃないんだけどね」
「悪気がない方がより悪質な場合もある。あんたはもう少し言葉に気をつけるのだな」
前にも誰かに言われた台詞を再び言われて、言い返す気力もなくなってくる。
そんな僕をバルコニーへと追い出すと、はじめ君は鍵を閉め、挙句カーテンまでもきっちり閉めてしまった。
「あーあ」
結局また揉め事を起こしてセラを困らせただけで終わった侵入計画は、こうして幕を閉じた。
でも心が温かかったのは、セラの言葉が嬉しかったから。
僕を護ると言っていたセラは僕から見ると頼りない女の子だけど、実際僕は何度も彼女に救われている。
早く会いたいからこの夜すら越えたくなるけど、明日会えるのを楽しみに、僕は一人綺麗な月を見上げていた。
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