6
次の日になり、はじめ君は自国のレーヴェルン公国へと帰って行ったらしい。
昼に迎えの馬車が来ていたと、騎士団の皆が話していた。
かたや僕は稽古の合間を縫ってセラを探し、ようやくその姿を見つけたところ。
彼女を追って図書室の中に入ると、そこには僕達以外は誰もいなかった。
「セラ、今時間ある?」
僕がいることに目を瞬いた彼女は、少し驚いた顔をしながらも一度頷く。
今日はいつものように微笑んではもらえなかったものの、首元にはちゃんと僕のあげたスフェーンのペンダントが揺れていて、思わず口元が緩んだ。
『どうして笑ってるの?』
「別になんでもないよ」
『そう……?』
「昨日はごめんね。セラには色々気を揉ませちゃったかなって思ってさ」
『本当だよ。私、怒ってるんだからね』
怒ってる、なんて自分で口に出すところが可愛いらしくて憎めないけど、そんなことを告げた日には余計に怒られそうだから黙っておく。
「そうだよね、ごめん」
『総司はどうして私が怒ってるのか、わかってるの?』
「あれでしょ、昨日はじめ君に失礼な態度を取ったこととか、あとは部屋に侵入しようとしたこととか」
『違うよ』
「じゃあセラに頼りないって言ったこと?」
『もう全然違うよ。わからないならもういい』
ぷいと顔を背けるその様子は、怒ってると言うより拗ねているようにも見えて、その横顔をただ見つめてみる。
授業で使う予定なのか、メモを見ながら本を探すセラは、彼女を眺めている僕が気になるらしく、困り顔でこちらに視線を向けてくれた。
『……なあに?』
「セラは何に怒ってるのかなって思ってさ」
『私を見ててもわからないと思うよ。自分自身を見つめ直してみたら?』
「あはは、確かに」
『もう……』
若干呆れた様子で僕を見て、再びメモに目を通す。
でも三冊目の本は本棚の高いところにあるらしい、一度見上げた後、梯子を探しているのか周りを見渡していた。
「どれ?取ってあげるよ」
『ううん、大丈夫』
「どうして?僕にできることは頼って欲しいんだけどな」
優しく声を掛けると、セラは一度唇を結び、そっと人差し指を一冊の本に向けた。
『あの緑色の本、取ってもらってもいい?』
「これ?」
『うん、ありがとう』
少し微笑んだセラが本を受け取ろうと手を伸ばす。
それをかわして本を遠ざけると、今度は眉を歪めて僕を睨んだ。
『本、ちょうだい?』
「じゃあなんで怒ってるのか教えて。教えてくれたら渡してあげる」
だってこのままこの子が笑ってくれないのは嫌だし、思っていることがあれば知りたいと思う。
だからそう伝えてセラを見つめれば、手元の本をぎゅっと抱えながら小さい声で話してくれた。
『総司ははじめとの試合に負けたらどうするつもりだったの?』
「どうするつもりもなにも、負ける気なんてなかったよ」
『負ける気がなくても負けちゃうことはあるんだよ?』
「そう?僕は絶対負けないけどね」
『でも勝負の世界に絶対なんてことはないことくらい、総司だってわかってる筈だよ』
セラに言われたことは最も過ぎて、一度僕も押し黙る。
確かにあの時は引くに引けない状況だったから死に物狂いで戦ったけど、正直精神的には命懸けに近い感覚だった。
山南さんに止められた時は、残念に思う気持ちもあったものの、半分は安堵した自分もいたくらいだ。
『もし負けたら騎士団を辞めることになるのに、総司があっさりその条件を飲んだから、総司にとってここでの生活は簡単に手放せるものなんだなって思って……悲しかっただけだよ』
あの時はセラにはじめ君を近付けたくなくてあの提案を出したけど、決してここでの生活やセラとの約束を軽んじていたわけではない。
けれどセラからしたらそう捉えてしまうのも無理はないとわかったから、胸の奥がつかえたような痛みが走った。
「そういうわけじゃないよ。確かに条件は飲んだけど、本当に勝つつもりだったしね。僕が騎士団を辞めるわけないじゃない」
『でも山南さんが止めてくれなかったら、どうなってたか分からないよ?』
「それは僕がはじめ君に負けるって言いたいの?」
『総司が勝つって信じてたよ。でもはじめだって強いから、さっきも言ったけど勝負がどうなるかはやってみないとわからないことでしょ?総司だってはじめと戦って、そう思わなかった?』
セラの言う通り、はじめ君は強い。
今回の一番の誤算は、公子様だという理由で僕が彼をみくびっていたことだった。
それをこの子に見抜かれているようで居心地が悪かったけど、真剣な面持ちで僕を見つめるセラに誤魔化しを言うことはしたくないと思った。
「君の言う通りだよ。試合自体は凄く楽しかったけどさ、打ち合いをしててあんなに負けるのが怖いと思ったのは初めてだったかな」
きっとはじめ君も同じだったに違いない。
それでも僕の提案を受けたはじめ君は、正直男らしいと思ったし、だからこそ僕も一度決めたことは曲げたくないと思った。
その変な意地がセラを悲しませしませることになってしまったわけだけど、きっと僕は昨日のことは忘れない。
そしてまたいつか、はじめ君と思い切り剣を交えてみたいと思う。
『じゃあもうあんなこと賭けたりしない?』
「うん、絶対しないよ。不安にさせてごめんね」
頷いたセラにそっと本を手渡すと、それをまた腕に抱えたものの心無しか元気がないように見える。
この子の考えていること全部を知りたいと思ってしまうのは横暴かもしれないけど、何一つ取りこぼすことなく理解したいと思う僕がいる。
『忙しいのに、謝りに来てくれてありがとう』
「ははっ、そんなことでお礼言われても困るんだけど」
『でも昨日の夜も来てくれたから』
「昨日ははじめ君に邪魔されたけどね。あれは正直焦ったよ」
『ふふ、そうだよね。私も昨日はもう駄目かと思った』
そう考えると昨日は色々あり過ぎた濃い一日だったけど、一番鮮明に残っているのはセラが僕のために言ってくれた言葉だ。
「でも昨日は嬉しかったな」
『ん?何が?』
「セラが僕を庇ってくれたからに決まってるじゃない。君が護ってくれるなんて、そんな頼もしいことないよね」
『……絶対そう思ってない顔してる。昨日は私のこと頼りないって言ってたのに』
「頼りないって悪い意味じゃないよ。セラは僕よりずっと小さいし、少し押したらすぐ倒れちゃいそうじゃない。それなのに毎日健気に頑張ってるから、なんか応援したくなるんだよね」
『ふふ、なにそれ。女の子はみんな総司より小さくて力がないと思うよ。総司は女の子みんなにそうやって思うんだ?』
「違うってば。セラだけだよ」
『ふーん?』
何かを疑うような眼差しを向けられて思わず苦笑いするけど、あまり色々伝え過ぎて僕の本心が見抜かれても困るしここで余計なことは言わないでおく。
それでもまだ話し足りなくて、行くねと言った彼女の腕を掴んでしまったのは、言っておきたい言葉があったからだ。
「色々心配ばかりかけたけどさ、僕は変わらず君の専属騎士になりたいって思ってるよ。そのためにもっと努力もするし強くなりたいと思う。だからまだ信じて待っててくれる?」
何かやらかすと、その度にこの子に愛想を尽かされないか無意識に不安に思う自分もいる。
会えない時は特にそう感じてしまうから、話せる時に伝えておきたいと思っていた。
『そう言ってくれてありがとう。私はいつも総司を信じて待ってるよ』
「へえ、本当かな」
『本当だよ。ちゃんと待ってるから……』
「ん?」
笑顔で話していたセラは一度言葉を詰まらせると、その瞳を見てわかる程に揺らす。
その理由がこの子の元気が少し足りない理由に思えて次の言葉を待っていると、聞こえてきたのは僕を気遣う言葉だった。
『あまり無理はしないでね』
「無理はしてないから大丈夫だよ。僕が無理してるように見える?」
『わからないけど……私は総司に会えなくなるのが一番悲しいって思ったから、だから……いなくならないで欲しい』
昨日のことは僕が考えていた以上にセラを不安にさせていたんだろう。
彼女が紡いだのは予想していなかった言葉だった。
でも実際昨日の試合で負けていたり、夜の侵入を報告されていたら、僕は今頃ここにいられていなかったかもしれない。
そう考えると、自分の安易さが浮き彫りになったと同時に、セラがどれ程僕を案じて心配してくれていたのかが理解出来た気がした。
そして僕に必要なのは、セラが誰よりも安心して身を委ねられる騎士になるため、問題を極力起こさないよう気をつけること。
真面目な性分ではないけど、剣の腕だけに気を取られてばかりではいられないと自分自身に喝を入れた。
「僕はいなくならないし、ずっとセラの傍にいるよ。その為にも、これからはもっと行動には気をつけるよ。セラにそんな顔をさせないためにもね」
セラは僕の言葉を聞くと、ようやく安堵したようないつもの微笑みを見せてくれる。
それはきっと僕を信じてくれているからこその笑顔だと分かったから、伸ばした指先でペンダントを撫でた。
「これ、つけてくれてるんだね」
『うん。お気に入りだもん』
首元のペンダントを見て、自分の贈り物を好きな子が付けてくれることに満足感を感じる。
セラは僕を見上げて、この中の宝石について尋ねてきたから、スフェーンという七月の誕生石のことを彼女に話した。
『やっぱりそうだったんだ』
「知ってたの?」
『ううん、昨日侍女さんが教えてくれたの。総司が考えてこれを選んでくれてたなら、もっと嬉しいなって思ってて』
「それなら良かったよ」
『でもなんで教えてくれなかったの?』
「だって選んだ理由をわざわざ説明するのって恥ずかしいでしょ?蘊蓄とかも語りたくないし」
『あはは、変な理由だね』
「じゃあわざわざ言った方がいいの?えっと、僕はどこどこのお店で、君に似合いそうなアクセサリーを探しててー、調べたら七月の誕生石はルビーとスフェーンだったけど、ルビーよりスフェーンの方がセラに似合いそうだったから」
『ええ?長い長い』
くすくす笑うセラを見て、ようやくちゃんと笑ってくれたと安堵する。
自分の口元も自然と上がり、この子のことは勿論この笑顔も護れるようになりたいと思わずにはいられなかった。
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