3.

アストリアに来てから、気づけば二週間近くが過ぎていた。
幸せな時間というのは、どうしてこうも早く過ぎてしまうんだろう。
今回滞在できる期間も、もう半分が終わってしまったと考えるだけで心が沈んだ。

療養が必要ない今、以前のように長く滞在することはもう許されない。
今の僕は帝国の剣を継ぐ者として、父から与えられる役目も求められるものも、以前より格段に増えている。
アストリアにいる間でさえ騎士団での鍛錬は欠かさず続けていたし、朝早くから剣を握る生活はヴェルメルにいる時とほとんど変わらなかった。

そんなある日のことだった。
今日は午後から公爵邸で茶会を開くと、数日前にユフィ夫人から話があった。
数ヶ月に一度開かれている催しらしく、アストリア近郊の貴族達を招いて交流を深めることが目的なのだという。
これまでは夫人同士の集まりだったらしいけど、今年からは子供達も同席する形になり、規模も随分大きくなったらしい。
母も参加するため、よかったら総司さんもどうかしらと穏やかに誘われた。

正直に言えば、あまり気乗りはしなかった。
東部の貴族達と交流を持つのは悪いことじゃないし、父ならきっとそういう場こそ無駄にするなと言うだろう。
でも僕自身は、知らない相手と愛想よく会話をするくらいなら、その時間をセラ嬢と二人で過ごしたかった。
ただ、セラ嬢がユフィ夫人の茶会に参加しないはずもなく、結局僕は彼女の傍にいるためだけに参加を決めた。

そして当日、公爵邸には華やかな衣装に身を包んだ夫人達が次々と訪れていた。
大人達は本館南側にある硝子張りのテラスサロンへ案内され、陽光の差し込む優雅な空間でにこやかに談笑している。
一方、僕達子供は別の庭園へ通された。
普段セラ嬢と過ごしている広い庭園とはまた違う、西側に造られた薔薇庭園だった。

白い石畳の小道を挟むように淡い青や紫の花々が咲き連なり、中央には円形の噴水がある。
その周囲には繊細な装飾の施されたテーブルと椅子が並べられていた。
庭園には既に十数人ほどの子供達が集まっていて、年齢は僕達と大体同じくらい。
皆それぞれ家名を背負っているせいか、愛想よく振る舞っていた。


「ご機嫌よう、総司殿」

「おっす、昨日ぶり!」


背後から声を掛けられて振り向くと、そこには見慣れた二人の姿があった。


「どうも。君達も参加してるんだね」


声を掛けてきたのは、アストリア騎士団に所属している伊庭君と平助だった。
二人とも今日は騎士服ではなく、貴族らしい正装に身を包んでいる。
とはいえ平助君は相変わらず堅苦しい空気が苦手そうで、ネクタイを少し緩めながら気怠そうに肩を竦めていた。


「勿論です。アストリア家には親子共々、日頃よりお世話になっていますからね」


滞在中、騎士団での鍛錬に参加することも多かったせいで、この二人とは顔を合わせる機会が増えていた。


「総司殿は相変わらず早朝から訓練してんの?真面目すぎだろ」

「平助君がさぼりすぎなんじゃない?」

「いやいや、俺だってちゃんとやってるって」

「そうですか?先程も団長に叱られていましたよね」

「伊庭君、それ今言う?」


二人のやり取りに思わず笑い、何気なく視線を巡らせた時だった。
少し奥まった藤棚の近くに、セラ嬢を見つけた。
淡色のドレスに身を包んだ彼女は、今日も周囲の花に溶け込むみたいに綺麗で、思わず目を奪われる。

そしてその隣にはもう一人、黒紫色の髪の青年が立っていた。
その顔を見て、すぐに思い出す。
幼い頃に顔を合わせたことがある、レーヴェルン公国の斎藤一君だ。
当時から妙に落ち着いた雰囲気だったけど、数年経った今は凛々しさが増し、男らしくなったように思える。
でも一見冷たそうにも見える瞳も、セラ嬢が笑うとふっと緩められ、優しい色を宿す。
その光景を見つめていると、胸の奥が少しざわついた。
セラ嬢は社交的だし、昔馴染みの知り合いと会えば嬉しそうに話すのは当然だ。
そう頭ではわかっていても、見ていて面白いものではなかった。


「総司殿?どうかしましたか?」


不意に伊庭君に声を掛けられて、意識を引き戻される。


「いや、別に」


気づけば長いこと藤棚の方を眺めていたらしい。
何でもないように答えたつもりだったけど、隣にいた平助君があからさまに顔をしかめる。


「絶対なんかあるだろ。今めちゃくちゃ機嫌悪そうな顔してるって」

「そんなことないよ」

「いや、ある。なんか怖ぇもん」

「……怖くはないと思いますが、少々目つきが鋭くなっていますね」


伊庭君にまでそんなことを言われて、僕は小さく息を吐いた。
そんなにわかり易く態度に出したつもりはなかったのに、自分で思っている以上に顔に出ていたらしい。

でも、もう一度視線を向けた先で、はじめ君がセラ嬢に身を寄せ、彼女の髪についた葉を取ってあげているところを見てしまったから、胸の奥がまたざらついた。


「ちょっと行ってくる」


気づけばそう口にしていて、僕は二人の返事も待たず歩き出していた。


「え、どこに行くんですか?」

「おーい、総司殿?」


後ろから平助と伊庭君の声が聞こえたけど、振り返らないまま藤棚の方へ向かって行った。
別に、何か言いたいことがあるわけじゃない。
ただ、あのまま離れた場所から二人を見ているのが嫌だった。
けれど藤棚へ辿り着く前に、僕の目の前には淡い色のドレスが広がった。


「ご機嫌よう。初めてお見かけしますね」

「どちらの方なのですか?」


柔らかな香水の香りと共に、三人の令嬢が僕を囲むように立っている。
皆きちんと着飾っていて、好奇心を隑そうともせずこちらを見上げていた。

面倒そうなのに捕まった。
内心ではそう思ったものの、アストリア公爵家と親しくしている家の令嬢達に無愛想な態度を取るわけにはいかないし、この手の社交には幼い頃から慣れている。
ヴェルメルでも茶会や公式の場に顔を出すことは珍しくなかった上、帝国の剣を継ぐ立場になってからは、以前よりこうした場へ同席させられる機会も増えた。
だから僕は自然に背筋を伸ばし、穏やかな笑みを浮かべて一礼をした。


「はじめまして。北部ヴェルメル大公国より参りました、沖田総司と申します。現在は母に同行し、アストリアへ滞在させていただいております。以後、お見知り置きを」


滑らかに口にした言葉は、ほとんど反射的に出たものだった。
すると令嬢達は一斉に息を呑み、目を輝かせた。


「まあ……ヴェルメルの方でしたのね。どうりでアストリアではお見かけしたことがないと思いました」

「総司様のような方にお会いしたことがあれば、きっと忘れられませんから」

「とても綺麗なお顔立ちをしていらっしゃるのに、凛々しさもあって本当に素敵です」


ご令嬢がそれぞれ自己紹介した後、矢継ぎ早に向けられる言葉に、僕は柔らかく微笑みを返す。


「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいですよ」

「総司様はおいくつなのですか?」

「十三です。皆さんとそれほど変わらないと思いますよ」

「もっと年上に見えました。落ち着いていらっしゃいますもの」

「身長も高いですし、ヴェルメルの方は皆こんなにスマートなのですか?」


楽しそうに笑い合う彼女達に言葉を返しながら、頭の中ではセラ嬢のことを考える。
でもセラ嬢に視線が届く前に、不意に目の前の令嬢の一人が少し緊張したように口を開いた。


「総司様は、その……ご婚約はされていらっしゃるのですか?」


他の二人までぴたりと会話を止め、揃ってこちらを見つめてきた。

やっぱり聞かれるんだ。
帝都でもヴェルメルでも、こういう場では似たようなことを何度も尋ねられてきた。
父の跡を継ぐ立場になってからは特に増えたように感じる。


「残念ながら、まだですよ」


穏やかに答えた直後、令嬢達の瞳がぱっと輝いた。


「では今は、どなたともご縁はないのですね?」

「ええ。まだそういう話はありませんね」


この子達が僕のことを知らないということは、セラ嬢が話していないことになる。
それなら僕も余計なことは言わない方がいいだろうと、そう告げた。
すると三人は嬉しそうに顔を見合わせ、小さく弾んだ声で笑い合う。
その反応に、胸の奥で小さく苦笑が零れた。


「先程から皆、総司様のことを噂していたんですよ。背が高くて、とても素敵な方がいらしているって」

「王国の騎士様みたいで、本当に格好良くて」

「それにお話の仕方まで洗練されていらっしゃいます」

「そんなふうに褒めていただけると光栄ですね。ですが、東部でこれほどお美しい方々とお知り合いになれた僕の方が幸運ですよ」


令嬢達の頬がみるみる赤く染まっていく。
別に愛想を振り撒きたいわけじゃないけど、こういう場では相手を気分よくさせる受け答えをするのも礼儀のうちだった。


「まあ。総司様って、本当にお上手」

「どきどきしてしまいます」


こう返せば相手が喜ぶことくらい、もう嫌というほど知っている。
相手を自然に褒め、気分よく会話を続ける。 
全て幼い頃から何度も叩き込まれてきた、貴族としての処世術だった。

だからこそ、この会話に特別な感情なんて何もない。
実際、目の前の令嬢達がどれほど頬を染めていても、心は少しも動かなかった。
むしろ意識はずっと別の場所へ向いていて、気づけばまた藤棚の方へ視線を向けてしまいそうになる。
すると令嬢の一人が、噴水近くの席へ目を向けながら微笑んだ。


「総司様、よろしければあちらで座ってお話しませんか?」

「もっとヴェルメルのお話を聞いてみたいですわ」

「お茶もまだ召し上がっていませんでしょう?」

「ありがとうございます。でも今日は色々な方がいらっしゃっていますし、あまり一ヶ所に留まってしまうのも失礼ですから」


やんわり断りながら、自然な動作で今度こそ藤棚の方へ視線を向ける。
けれど、そこにいたはずのセラ嬢の姿がいつの間にか見当たらなかった。

……あれ?
ついさっきまで、はじめ君と一緒にいたはずなのにどこへ行ったんだろう。

表情には出さないまま、さりげなく視線を巡らせる。
すると少し離れた場所で、はじめ君が伊庭君と平助君に話しかけられているのが見えた。
平助君がいつもの調子で勢いよく喋っていて、はじめ君は相変わらず静かな顔でそれを聞いている。
その様子に少しだけ胸のつかえが下りたものの、肝心のセラ嬢はまだ見つからなかった。

再び視線を巡らせると白いレースの日除けが揺れる丸テーブルに、ようやくセラ嬢の姿を見つける。
彼女はドレスの裾をふわりと椅子へ流しながら、静かに腰掛けていた。
細い指先でティーカップを持ち上げ、令嬢達と穏やかに話しながら小さく微笑んでいる。
午後の柔らかな陽射しが横顔を照らしていて、その姿はまるで絵画みたいに綺麗だった。
周囲に座っているのは同年代くらいの女の子達だけで、そこに男の姿はない。
そのことを確認できた今、自分でも驚くくらい肩の力が抜けた。

そんな時、不意にセラ嬢がこちらを振り返る。
ぱちりと目が合った瞬間、胸の奥に熱が広がった。

ようやく見てもらえた。
ただそれだけのことなのに、心の奥に柔らかな花が咲いたみたいに嬉しくなってしまう。
でもセラ嬢は一瞬だけ目を丸くしたあと、なぜかふいっと顔を逸らした。


「……え?」


あれ?今なんで露骨にそっぽを向かれたんだろう。
僕に気づかなかった、なんてことは流石にないよね。
だってちゃんと目は合ったし、セラ嬢だって確かに少し驚いたような顔をしていた。
それなのに、まるで見てはいけないものでも見たみたいに顔を背けられてしまったから、胸の奥が急に落ち着かなくなる。

……僕、何かした?
そこまで考えたところで、他のご令嬢のことを美しいだなんだと褒めてしまったことを思い出し、背中に嫌な汗が滲む。
よく見れば、僕が立っている場所とセラ嬢の席はそれほど離れていないし、周囲も静かだ。
つまり、令嬢達に愛想よく返していた言葉を、普通に聞かれていた可能性がある。


「……最悪」


心の中で小さく呻く。
もちろん本気で口説いていたわけじゃないし、あんなものはその場を和ませるための、半ば癖になった受け答えだ。

でもセラ嬢は、そういうところを妙に真面目に受け取る時がある。
この前も、随分と女の子の扱いに慣れてしまわれたのですねと、少し膨れていたことがあったくらいだ。
あの時は拗ねた顔が可愛かったけど、今思えば結構本気で気にしていたのかもしれない。

いや、でも流石に怒ってはいないよね。
……たぶん。

とは言え、どうにも気になって仕方がない。
じっとしていられずセラ嬢の方へ向かおうとして、一歩踏み出したその時だった。


「総司様、どちらへ?」


袖を掴んでいた令嬢が、甘えるようにぐっと僕を引き留める。
柔らかな布越しに伝わる力に足を止めると、別の令嬢が無邪気な笑みを浮かべながら口を開いた。


「そう言えば、総司様は将来のお相手を探していらっしゃるとおっしゃっていましたよね」

「え?」

「もしかして、それで今回のお茶会にご参加を?」

「……いや」 


確かに婚約はまだしていないと答えた。
でも、将来の相手を探しているなんて一言も言っていない。
そもそも、相手なんてとっくに探し終わっている。
今はただ、その相手との距離を少しずつ縮めている最中なだけだ。

それなのに、よりによってこんな誤解を招きそうな言い方をされて、複雑な心情で「そういうわけではないんですけどね」と返しながら、恐る恐るセラ嬢の方を見る。
するとちょうどその時、セラ嬢が再びこちらを振り返った。
だけど、セラ嬢は僕を見るなり、またぷいっと顔を逸らしてしまった。


「…………」


……まずいな。
セラ嬢にしては珍しく、素っ気ない気がする。
あんなふうに露骨に視線を逸らされるなんて初めてで、胸の奥が妙に落ち着かなかった。

とりあえず、ちゃんと誤解を解かないと大変なことになる。
そんなことを考えていると、セラ嬢がふと時計を見て、そのまま静かに立ち上がった。
ドレスの裾を揺らしながら、彼女は令嬢達へ柔らかく一礼すると、どこかへ向かうように歩いていく。
その姿を見失いたくなくて、僕は令嬢達に軽く会釈を返しながら、急ぐように後を追った。


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