2.

第一部隊、それはヴェルメル騎士団の中でも、最も危険な任務を専門に請け負う部隊だった。
帝国内で発生する武装組織の制圧、違法組織の摘発、そして要人護衛から国境付近での小競り合いまで、他部隊が後方支援を担う中、第一部隊だけは常に最前線へ立たされる。
生半可な実力では生き残れないし、剣が鈍れば自分だけじゃなく隣の仲間まで死なせることになる。
だから第一部隊には、生半可な覚悟の者はいらなかった。
家柄も肩書きも関係ない。
必要なのは前へ出られる胆力と、最後まで剣を握り続けられる強さだけだった。

その部隊長に僕が正式に任命されたのは、春の終わり頃のことだ。
ヴェルメル大公閣下である父から執務室へ呼び出された時、「第一部隊はお前に任せる」と告げられた。


「人員選定も好きにしろ。必要なら騎士団外部から引き入れても構わん。身分も経歴も問わない。お前が必要だと思った人間を使え」


淡々とした口調でそう言われたけど、その時の僕には、特別誰かを引き入れたいという気持ちはなかった。
今の第一部隊は当初の編成のままでも十分機能しているし、未熟な人間を増やせばかえって全体の足を引っ張る。
だから僕は、その後もしばらく新しい人材を探そうとはしなかった。
あの日までは。


帝都南部の貧民街で、違法武器を扱う組織が急速に勢力を広げているという報告が入ったのは、その少し後だった。
本来なら騎士団管理下にあるはずの軍用剣や特殊加工された短剣が裏市場へ流れ、それらが各地の荒くれ者や犯罪組織へ渡っている。
しかも厄介なことに、連中は孤児や貧民街の子供達を荷運びに使い、自分達は決して表へ出ようとしない。
子供を盾にして表立った摘発を避けるなんて、実に虫の好かないやり方だ。
第一部隊へ制圧命令が下りたのは当然だったし、僕自身が現場へ赴いたのも、組織の幹部が既に逃亡準備を始めているという情報が入ったからだった。

薄暗い路地を歩きながら、僕は静かに周囲を見渡していた。
石壁には雨染みが広がり、湿った空気には酒と汚水の臭いが混ざっている。
道端には痩せ細った子供達が座り込み、大人達は警戒するようにこちらを見ていた。

帝都中心部の煌びやかさとは、まるで別世界だ。
けれど、こういう場所ほど人間の本性はよく見える。
そう考えていた時だった。


「離せって言ってるだろ!!」


怒鳴り声と同時に、何かが激しくぶつかる音が路地裏へ響いた。
僕が視線を向けると、薄暗い裏路地の先では数人の男達が一人の青年を取り囲み、その少し後ろでは、小さな子供達が怯えた顔で身を寄せ合っている。
どうやら、あの青年が子供達を逃がそうとして捕まったらしい。


「ガキどもを勝手に逃がしやがって」

「余計な真似しなけりゃ痛い目見ずに済んだのによ」


男の一人が青年の胸倉を掴み、そのまま石壁へ叩きつける。
それでも青年は苦しそうに息を吐きながら、背後の子供達を庇うように前へ出た。
煤で汚れた羽織を着ているくせに、その目だけは妙に真っ直ぐだった。


「まだ立つのかよ」


男が苛立ったように短剣を抜いた時だった。
青年は咄嗟に腰元から短剣を抜き放つと、振り下ろされた刃を横へ弾き、そのまま低く踏み込みながら男の脇腹へ柄を叩き込む。


「ぐっ……」


男が呻き声を漏らし、体勢を崩す。
その隙に青年は身体を捻り、もう一人の男の足元を払った。

動きは荒いし、型も我流だ。
でもちゃんと剣筋が通っている。


「……へぇ」


思わず小さく呟く。
完全な素人なら、あの間合いで咄嗟に刃を合わせながら、次の動きまで繋げられない。
力任せじゃなく、相手の重心を崩そうとしている辺り、ちゃんと剣を覚えてきた人間の動きだ。

けれど数が悪かった。
背後から飛び込んできた男に肩を掴まれ、そのまま石畳へ叩き伏せられる。
青年の短剣が手元から転がり落ちた。
それでも彼は諦めず、押さえつけてくる男の腕を振り払おうと身体を捩りながら、なおも後ろの子供達を庇おうとしている。


「ガキなんざ放っときゃよかったんだよ。自分まで痛い目見てぇのか?」


男が地面へ落ちた短剣を拾い上げ、にやつきながら青年の腕へ刃を向ける。


「そういう正義感の強ぇ奴は、一回ちゃんと潰しとかねぇとな」


子供達の顔が強張った。
でも押さえつけられている青年は、怯えながらも男達を真っ直ぐ睨み返していた。


「……子供相手に刃物向けるなんて、恥ずかしくないんですか」


声は震えている。
それでも命乞いをしてもおかしくない状況なのに、その目は少しも死んでいなかった。

面白い子を見つけたと考えながら、僕は静かに歩き出した。
石畳を踏む音に気づいた男達が、一斉にこちらを振り向いた。


「なんだてめぇは」


男が短剣を振り上げた時、僕はその懐へ踏み込み、鞘で腕を打ち抜く。
鈍い音と共に短剣が宙を舞い、男が悲鳴を上げた。

そのまま腹へ蹴りを叩き込むと、男は後ろの木箱へ激突し、派手な音を立てながら崩れ落ちる。
残った連中が慌てて武器を抜いた。
狭い路地では人数差なんて大した意味を持たない。
斬りかかってきた男の剣を受け流し、そのまま柄で喉元を打つと、相手は息を詰まらせながら膝をつく。
背後から飛び込んできた男には振り返りざまに肘を叩き込み、最後の一人が逃げようとしたところで、僕は鞘を首筋へ突きつけた。


「動くな。斬るよ」


低く告げると、男達は顔を青ざめさせたまま硬直した。
そして僕の指示の元、他の騎士団員に拘束され連行されていく。
その様子を見ていた青年が、荒い息を整えながら僕を見上げた。


「……ヴェルメル騎士団の方、ですか?」


近くで見ると、頬には殴られた痕があり、手も血で擦り切れている。
それでも彼は、まだ後ろの子供達を庇うように立っていた。


「そうだよ」

「なるほど……強いわけです。助かりました」


媚びるでもなく、怯えるでもなく、ただ純粋にそう口にした声が妙に耳に残る。


「君、名前は?」

「相馬主計です」


真っ直ぐな目だった。
自分が傷ついても、弱い人間を庇おうとする目。
そういう人間は嫌いじゃない。
僕は彼の目の前に行き、その視線を合わせた。


「君、僕の下で働く気ない?」


相馬は呆気に取られたように目を瞬かせ、そのまましばらく僕の顔を見つめていたけど、やがてようやく我に返ったみたいに眉を寄せた。


「……は?」

「だから、僕のところに来ないかって言ってるんだけど」


僕がそう言うと、本気で意味が分からないという表情のまま、僕と倒れている男達を何度か見比べた。


「いや、待ってください。俺、今さっきまでその辺で転がされてたんですよ」

「でも、ちゃんと剣筋は見えてたよ」


僕は地面へ落ちていた短剣を拾い上げながら、小さく肩を竦めた。


「最初に一人の腕を払った時、無意識に避け方を変えたでしょ。完全な素人なら、あの間合いであんな動き出来ないよ」


相馬は少し黙り込んだあと、観念したみたいに息を吐いた。


「……昔から、剣は好きだったんです。まともな師匠がいたわけじゃないですけど、見よう見まねで覚えて、時々用心棒崩れの人に相手してもらってました。まあ、本物の騎士の方から見れば我流もいいとこでしょうけど」


だから押さえ込まれながらも重心の崩し方が上手かったのか。
喧嘩慣れだけではなく、ちゃんと剣を振ってきた人間の動きだった。
しかもほぼ独学で腕を磨く根性にも好感が持てる。


「へえ、そうなんだ。それを聞いてますます気に入ったよ。うちの騎士団に来れば?」

「いや……そんな簡単に言いますけど、俺は貧民街の人間ですよ。騎士団なんて縁もないし、礼儀作法だってまともに知りません」

「別に最初から完璧じゃなくていいでしょ。第一部隊に必要なのは肩書きじゃないし、それに君、剣の才能あると思うよ。独学であそこまで動けるなら十分」

「……いや、俺に才能なんて」

「あるよ。少なくとも、何もしないで諦めるのは勿体ないんじゃない?」


湿った風が細い路地を抜けていく。
後ろでは子供達が不安そうにこちらを見上げていたけど、相馬はその子達を安心させるみたいに小さく振り返ってから、改めて僕へ向き直った。


「あなたは俺に何を望んでいらっしゃるんですか?騎士団への入隊ですか?」

「勿論それもあるけど、君には側近として僕の側でも動いてもらいたいんだ」

「側近……?」

「部隊運営の補佐役。遠征準備とか装備管理とか書類関係とか?そんな感じかな」

「俺が、あなたの?」

「うん」


即答すると、相馬は完全に困った顔になった。


「いや……どうしてそこまで買ってくれるんですか」


何も持っていない自分が、どうして必要とされるのか本気で理解できないんだろう。
だから僕は、相馬の目を真っ直ぐ見返した。


「君は自分より弱い人間のために剣を抜けるでしょ。さっきだって逃げようと思えば逃げられたのに、君は子供達を庇って前に出たじゃない」

「だからと言って、あなたの役に立てるかどうかは別問題だと思いますけど」

「第一部隊は危険な任務を請け負うことが多いんだ。だから僕は、剣が強いだけの人間はいらないんだよね。どんな時でも怯まず相手に向かっていけるか、それが大事だと思ってるんだ」


そう言いながら手を差し出すと、相馬はその手を見つめたまま、しばらく動かなかった。

急な話だから迷いがあるんだろう。
でも同時に、心のどこかで憧れていたはずだ。
剣を磨くこと、もっと強くなること。
自分の力で、誰かを護れるようになることを。
かつての僕がそうだったように、きっと彼もそんな野望はある筈だ。

けれど相馬は、そこでふと迷うように視線を上げた。


「……あの、一つ聞いてもいいですか」

「なに?」

「その……あなたは俺とそんなに歳が変わりませんよね」


随分率直に来るなと思いながら、僕は小さく笑う。


「まあ、そうかもね」

「だったら、そんな簡単に来いって言える立場なんですか?もちろん強いのは分かります。でも騎士団って、もっと年上の人が仕切ってるものだと思っていましたから」


その言葉に、僕は思わず吹き出した。


「あはは、なるほどね」


確かに、そう思うのも無理はない。
周囲にいる第一部隊の隊士達は僕より年上ばかりだし、見た目だけならそっちの方が隊長らしく見えるだろう。
だから僕は肩を竦めながら軽く答えた。


「僕、一応第一部隊隊長なんだけど」


その瞬間、相馬の動きがぴたりと止まった。


「……は?」

「だから、ヴェルメル騎士団第一部隊の隊長」


相馬は信じられないものを見るみたいに僕を見つめ、それから周囲の騎士達へ視線を向けた。
第一部隊の騎士団員達はそんなやり取りにも特に口を挟まず、当たり前みたいな顔で待機している。
その様子を見て、ようやく本当だと理解したらしい。


「隊長って、あの……部隊の一番上ですよね」

「そうだけど?」

「俺、てっきり年上の騎士の人が隊長で、あなたはその……偉い貴族の坊ちゃんか何かかと」

「まあ、あながち間違ってはないかな」


僕がそう言うと、相馬は怪訝そうに眉を寄せた。


「え?」

「僕、ヴェルメル大公閣下の四男だし。一応、大公子ではあるんだよね」


その瞬間、相馬の表情が完全に止まった。


「……はい?」

「だから、大公家の人間。さっきから聞き返してばかりだけど、僕の話ちゃんと聞いてる?」


静かな沈黙が落ちる。
相馬は何度か口を開きかけ、そのたびに言葉を失っていたけど、やがて頭を抱えるみたいに深く息を吐いた。


「……いや、待ってください。だったら尚更おかしいでしょう。なんで大公子様が、こんな場所まで出てきてるんですか……?」


その声には呆れと困惑が半分ずつ滲んでいて、僕は思わず笑ってしまう。


「第一部隊の隊長だからね。現場に出ない方が変じゃない?」

「いや、でも……」


まだ納得しきれない顔のまま呟いていた相馬だったけど、不意に何かを思い出したみたいに後ろを振り返った。
その先では、さっきまで男達に怯えていた子供達が、不安そうにこちらを見つめている。


「……この子達」


小さく漏れた声には、迷いが滲んでいた。


「俺はどうなってもいいです。でも、この子達は……」


たぶん、自分がいなくなった後どうなるのかを考えたんだろう。
だから僕は静かに後ろを振り返り、少し離れた場所で待機していた第一部隊の隊士達へ視線を向けた。


「この子達は騎士団で保護するよ。武器密売組織に利用されてた子供達だからね。事情聴取の後は保護施設へ回そうと思う。少なくとも、この路地裏に残すよりは安全でしょ」


すると相馬は勢いよくこちらを振り返った。


「……本当に?」

「もちろん。嫌がる子を無理矢理引き離したりもしないよ」


相馬はしばらく黙っていたけど、やがてゆっくりその場へしゃがみ込み、不安そうに震えている小さな子の頭を不器用に撫でた。


「……もう大丈夫ですよ。この人達、ちゃんとした騎士みたいですから。君達を守ってくれる筈です」


子供達は不安げに相馬を見上げていたけど、そのうちの一人が恐る恐る服を掴む。


「主計兄ちゃんは……?」


その瞬間、相馬が僅かに息を詰まらせた。
離れたくないんだろう。
自分だけ別の場所へ行くみたいで、後ろめたさもあるはずだ。
だから僕は静かに口を開いた。


「君が強くなれば、護れるものも増えるよ。今の君じゃ守れる人数には限界がある。でも第一部隊へ来れば、もっと力を持てる」


相馬は何も言わなかったけど、その瞳は揺れていた。


「僕は君を見込んで、この話をしてるんだ。だから来なよ、僕と」


そう言って、もう一度手を差し出す。
静かな沈黙のあと、彼はようやく小さく息を吐き、それから覚悟を決めたみたいに顔を上げる。


「俺、もっと強くなれますか?」

「僕と一緒に鍛えるんだから、当たり前でしょ。僕もこれからまだまだ強くならないといけないからね」


すると相馬は、一瞬だけ驚いた顔をしたあと、どこか吹っ切れたみたいに小さく笑った。


「……分かりました」


そう呟くと、彼はゆっくり僕の手を取る。
傷だらけで、熱い手だった。


「俺でよければ、お供します。隊長」


呼び方が変わったことに気づいて、僕は少しだけ目を細める。
これからどんな成長を遂げてくれるのか楽しみに思いながら、僕はその手をしっかり握り返した。

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