3.

気付けば相馬を迎え入れてから、数週間が経っていた。
最初に剣を握らせた頃は、ただ力任せに振り回しているだけだったのに、今では随分まともな太刀筋になっている。

もちろんまだ踏み込みは深すぎるし、相手の誘いにも引っ掛かりやすい。
それでも、飲み込みの速さだけは驚くほどだった。
一度叩き込んだことを次にはちゃんと形にしてくるし、何より相馬は負けることを極端に嫌がる。
訓練場で木剣を交えるたび、その気性の強さは十分伝わってきた。


「遅いよ」


振り下ろされた木剣を受け流し、そのまま半歩踏み込んで足を払うと、相馬の身体が大きく揺れる。
けれど彼は倒れ切る寸前でどうにか踏み止まり、悔しそうに歯を食いしばりながら僕を睨み返してきた。


「……ッ、今のは分かってたんです。分かってたんですが、身体が追いつきませんでした」

「頭だけ理解してても意味ないでしょ」

「そんな簡単に言わないでくださいよ。隊長みたいに動けるなら苦労しません」


額へ張り付いた前髪を乱暴に掻き上げながら、それでも木剣を握り直す姿に、僕は思わず小さく笑ってしまう。
最初の頃なら、今ので地面へ転がったまま立ち上がれなかったはずだ。
でも彼はどれだけ叩き伏せても、悔しそうな顔をしながら必ず立ち上がってくる。
その負けん気の強さが、僕は嫌いじゃなかった。

騎士団の連中も、最近では相馬を見る目を変え始めている。
貧民街から拾われてきた少年として距離を置いていた騎士達が、今では鍛錬後に声を掛けたり、稽古にも付き合ったりするようになっていた。
もっとも、相馬本人はそんな周囲の変化に気を配る余裕なんてないみたいだったけど。


「もう一回お願いします」

「本当にしつこいね」

「当然でしょう。俺はまだ、隊長の側へ立てるほど強くありません」


変に取り繕わないところが、いかにも彼らしい。
そして彼が成長していくのを見ているうちに、僕自身も以前より鍛錬へ時間を費やすようになっていた。
夜明け前には誰もいない中庭を走り込み、石畳の上で重心を崩さず動く訓練を繰り返し、腕に重りを付けたまま何百回も素振りを続ける。
執務や外での任務が終わったあとも訓練場に行き、一人きりで剣を振るうことが増えた。

暗闇の中で目を閉じ、空気の流れと足音だけで気配を読む。
視界が奪われても、確実に敵を斬れるように。
どんな状況でも、セラ嬢を護り切れるように。
その想いだけで、身体はいくらでも動いた。

そして相馬がヴェルメルでの生活へ慣れ始めた頃、僕は少しずつ側近としての役割も教えるようになっていた。
その日も僕専用の執務室で書類整理を任せていると、向かい側に立っていた相馬が、どこか迷うように口を開いた。


「前から気になっていたんですが」


羽ペンを走らせながら顔を上げると、相馬は少し眉を寄せたままこちらを見る。


「どうして、俺だったんでしょうか」

「まだそんなこと言ってるの?」

「第一部隊には、俺なんかより腕の立つ騎士が幾らでもいます。身元だって確かですし、騎士としての経歴だってちゃんとしてる。それなのに、どうしてわざわざ俺を側へ置こうと思ったんですか?」


貧民街で出会った時は周囲に他の騎士達もいたから、余計な話は出来なかった。
でも今なら人目もないし、この機会にちゃんと伝えておくべきことのような気がした。
僕は羽ペンを置くと、椅子の背へゆっくり身体を預けた。


「理由なんて簡単だよ。僕は他の騎士達をそこまで信頼していない。ただ、それだけ」

「……信頼していないって、第一部隊の方々はヴェルメル騎士団へ長く仕えてきた人達でしょう」

「だからだよ」


静かにそう答えると、相馬の表情が僅かに強張る。
窓から差し込む夕陽が執務室を赤く染め、その光が長い影を床へ落としていた。


「皆、僕の命令には従ってくれる。表向きはね。でも元々あの人達は、騎士団長であるシリウス卿の下で動いていた騎士達だから」

「それの何が問題なんですか?シリウス様は、隊長の兄上ですよね」

「腹違いのね」


僕が素っ気なく答えると、相馬も何か察したのかすぐには口を開かなかった。


「兄姉達は皆、僕を快く思ってないんだ。いつ足を引っ張られるか分からないし、僕の周囲に探りを入れてくる時もある。だからこそヴェルメルの外から探したかったんだよ。僕自身に忠実に仕えてくれる相手をさ」


やがて相馬は視線を伏せ、小さく息を吐いた。


「俺、そんな大層な人間じゃありませんよ」

「知ってる」

「そこで即答するんですか……」


困ったように眉を寄せる姿が可笑しくて笑ってしまうと、相馬は真っ直ぐこちらを見返しながら静かに言った。


「でも、隊長がそう言ってくれるなら……俺はその期待に応えたいです。絶対に」


その声には、迷いがなかった。
ただ真っ直ぐで、不器用なくらい真剣で、その言葉だけで彼が本気なのだと分かる。
きっと彼は簡単には裏切らない。
そんな確信が、静かに胸へ落ちてくるようだった。


「相馬」

「はい」

「強くなりなよ」


すると彼は一瞬だけ目を見開き、それから真っ直ぐ僕を見返した。


「隊長の役に立てるなら、いくらでも強くなります」

「うん。期待してる」


きっとこの先、面倒事はいくらでも起きる。
それでも、相馬を拾った選択だけは間違っていなかったと思えた。

互いに一度微笑み合い、僕は上着を椅子へ掛けながら再び机へ向かう。
すると向かい側に立っていた相馬が、慣れた手つきで封筒を仕分け始めた。
最初は書類整理すら覚束なかったのに、最近では差出人や家門を見るだけで、ある程度どこへ分類すべきか分かるようになってきている。
そういうところも、やっぱり飲み込みが早かった。
でも封筒を何通か捲っていた彼は、不意に怪訝そうな顔をした。


「それにしても、隊長って随分ご令嬢方から人気があるんですね」

「は?なんで?」


思わず眉を顰めると、相馬は呆れたように封筒の束を持ち上げた。


「だって毎日のように何通も手紙が届いてるじゃないですか。縁談だの、茶会の誘いだの……よくこんなに来ますね」

「ああ……それ」


机の上には今日も大量の封筒が積み上げられていた。
騎士団からの報告書や皇宮からの通達に混ざって、やたら装飾の多い手紙が目立っている。
金の箔押しや、香水の匂い付きとか、見るだけで疲れるような封筒ばかりでうんざりする。
僕は椅子へ腰掛けながら適当に一通摘み上げ、そのまま机へ放り返した。
すると相馬は、まだ不思議そうに首を傾げている。


「でも隊長、普段は俺と騎士団にいるか、任務に駆り出されるか、執務をしてるかでしょう。いったいどこでそんなに知り合うんですか?まさか夜中にこっそり出歩いてたり……」

「君、馬鹿なの?そんなことしてるわけないじゃない」

「じゃあ、なんでこんなに来るんですか?」

「知らないよ」


僕は机へ頬杖を付きながら、積み上がった封筒を眺める。
甘ったるい香水の匂いが鼻について、それだけでため息が溢れた。


「露骨なんだよね、最近。僕が次期帝国の剣に選ばれるだろうって噂が流れ始めた途端、こういう誘いが急に増えたんだ。前はこんなことなかったのに」


相馬は手元の封筒を見下ろし、それからゆっくり僕を見る。
僕は視線を逸らしたまま、淡々と続けた。


「まあ……結局、皆見てるのは僕自身じゃなくて肩書きだよ」


昔からそうだった。
腹違いの兄姉達も、周囲の貴族達も、僕そのものじゃなく僕が持つ価値しか見ていない。
利用出来るかどうか、繋がれば利益になるかどうか。
そんなものばかりだ。

だから最近増えたこの手紙も、差出人の名前を見れば、誰がどの派閥で何を企んでいるのか大体分かる。
そんなもの、知りたくもなければ興味もないのに。


「打算的で嫌なんだよね、こういうの」


ぽつりと零すと、相馬は少し黙り込んだ。
そして手元の封筒を見つめたまま、低く呟く。


「気に食わないです」


彼は眉を寄せたまま、真剣な顔で続けた。


「まだ一ヶ月そこらですけど、俺は毎日見てますから。隊長がどれだけ鍛錬してるかも、どれだけ無理してるかも。それなのに肩書きだけ見て寄ってくるなんて、なんか腹立ちます。そんな奴らは無視していいですよ」


その声音には本気で苛立ちが滲んでいた。
ただ純粋に僕の代わりみたいに怒っている。
その真っ直ぐだけど少し不器用な優しさが嫌じゃなくて、僕は小さく笑いながら机へ頬杖を付いた。


「君って、本当に変わってるね」

「そうですか?でも俺は、隊長がそういう連中に振り回されるの見たくありません」

「僕なら大丈夫だよ。利用することはあっても利用される側にはならないから」

「隊長が利用されることがあったら、俺がその相手に痛い目みせます」

「ははっ、頼もしいね。じゃあまずはその面倒な手紙をどうにかしてもらおうかな」

「わかりました。これらは一応俺が目を通して、必要性がなければ破棄して構いませんか?」

「うん、そうして」


相馬は「失礼します」と一声掛けてから封を開き始め、内容を確認しながら机の上へ淡々と分類していく。
最初の頃は貴族の回りくどい文章に苦戦していたくせに、最近では慣れたものだった。 


「また縁談の誘いですね。こっちは茶会で、こっちは観劇ですか。皆さん本当に暇なんですね」

「君も随分言うようになったよね」

「だって、内容がほとんど同じでしょう。ぜひ一度お話をとか、貴方様のことは以前から憧れていましたとか。こんなのばかりです。よく飽きませんね」


相馬は悪態を吐きながら次の封筒を開く。
でも紙を捲る音が途切れたことに気付いて顔を上げると、相馬が妙に怪訝そうな顔で手紙を見つめていた。


「どうしたの?」

「いえ……なんか、この手紙だけ違和感があるんですよ」

「違和感って?」

「今までのと全然内容が違うっていうか……」


そう言いながら、相馬はもう一度便箋へ視線を落とす。


「総司様の夢を見ましたとか、早くクッキーを食べてもらいたいとか。早く会いたいとまで書いてあります。新手の策略ですかね」

「……差出人、誰?」

「アストリア家のセラ嬢って方ですけど」


そこまで聞いて、僕は勢いよく立ち上がっていた。
椅子が大きな音を立てて後ろへ滑る。


「え、隊長!?」


驚く相馬を無視して机を回り込み、そのまま彼の手から手紙を奪い取った。


「……まさか、読んだの?」


低く落ちた声に、相馬がぱちぱちと目を瞬かせる。


「え?あ、はい。途中までですけど……」

「途中まで読んだんだ」


思わず相馬を睨むと、彼は困惑したように眉を下げた。


「そんな駄目な内容でしたか?」

「内容が駄目とかじゃないよ。君が読んでいい手紙じゃないんだけど」


そう言うと、相馬はますます訳が分からないという顔になる。
でも、読ませたくなかった。
だってあの子の手紙は、セラ嬢が僕に向けてくれる気持ちそのものだから。


「……隊長?」


不意に呼ばれて顔を上げると、相馬が少し探るような目でこちらを見ていた。
どうやら僕は、さっきから手元の便箋を見つめたまま、随分長いこと黙り込んでいたらしい。


「何?」

「……なんか、意外で」

「何が」

「その顔が、です」


意味が分からず眉を寄せると、相馬は少し困ったように笑った。


「いや、変な意味じゃないんです。ただ……そのご令嬢の手紙読んでる時の隊長、いつもと全然違ったから」


その言葉に、僕は無意識に便箋へ視線を落とす。
白い紙に並ぶ、柔らかな文字。
何度読み返しても飽きないくらい見慣れているはずなのに、指先で触れるだけで不思議と胸の奥が温かくなる。


「そんなに違った?」

「違います。なんというか……すごく大事そうに読んでたので」


誤魔化そうと思えば出来たと思う。
でも相馬は、軽々しく人の秘密を喋るような男じゃない。
必要以上に踏み込んでくることもないし、変な好奇心で詮索するタイプでもなかった。
だからなのか、気付けば僕は思ったより素直に口を開いていた。


「……まあ、大事ではあるかな」

「え、本当に?」

「何、その反応。君が言ってきたんでしょ」

「だって隊長は女性に興味あるように見えなかったので意外で」

「失礼だな。僕も一応男なんだけど」

「いや、変な意味じゃなくてですね。隊長って、誰が相手でも態度変わらないじゃないですか。以前お見かけした時も、令嬢達に囲まれてても興味なさそうでしたし」


それは否定出来なかった。
実際、彼女以外に心を動かされたことなんて一度もない。
誰かと恋をして未来を重ねるなんて、自分には縁のない話だと思っていたし、そういう生き方をするつもりもなかった。
騎士として強くなることしか考えていなかったし、それ以外を必要だとも思っていなかった。


「大事な方、なんですよね?」

「うん」


短く認めると、相馬はどこか安心したように息を吐いた。


「なんか、良かったです」

「良かったってなんで?」

「隊長って、ずっと張り詰めてる感じがしてたので。強くならなければいけないとか、誰より前に立たなければいけないとか……そういうの全部、一人で背負い込んでる感じがしてました。だから、ちゃんと気を抜ける相手がいるんだなって思ったら、少し安心しました」


確かにセラ嬢の前だけでは、余計なことを考えずに穏やかでいられる。
失敗しても、弱っていても、何も出来ない日があっても、あの子はきっと僕を責めない。
ただ静かに隣で微笑んでくれる。
それだけで、自分が少し人間らしくいられる気がした。


「結婚は考えてるんですか?」

「うん。この冬に正式に婚約したんだよね」


そう告げた瞬間、相馬の顔がぱっと明るくなった。


「本当ですか!?それはおめでとうございます!」

「なんで君がそんな嬉しそうなの?」

「だって嬉しいですよ。俺はてっきり、隊長はずっと一人で生きていく人だと思ってたので」

「酷くない?それって偏見だよね」

「勿論、今は違います。彼女のこと考えてる時の隊長はちゃんと幸せそうです」


その言葉が妙に胸へ残って、僕は少しだけ目を細めた。
そんな風に自分を形容されたことなんて今までなかったから、胸の奥が妙に温かかった。

このあとも任務があるし、片付けなきゃいけない仕事も山ほど残っている。
それでも今だけは、不思議なくらい心が軽かった。
封筒を胸元へしまうと、相馬がふっと笑う。


「早く会いたいって顔してますよ、隊長」

「そんな顔してないから」

「してますって」


迷いなく言い切られて、僕は苦笑した。
隠しているつもりだったのに、案外分かりやすかったらしい。
でも、それでもいいかと思った。
あの子を想って笑える自分を、悪くないと思えたから。

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