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牢の扉の前で、彼女の声が震えていた。
『お父様、お願いします。この方だけは助けてください』
「そうは言っても、そう簡単に釈放は出来ないのだよ」
『私達の話を聞いてください。聞いて頂ければ彼に罪はないと分かって頂けると思います』
鉄格子の向こうでは、彼女が今にも泣きそうになりながら、僕のために懸命に言葉を続けてくれている。
父親である近藤公爵にすがるように、僕の解放を願ってくれていた。
「お嬢様、お気持ちはわかりますがさすがに無罪放免というわけには……」
『ですがこの方がいなかったら、私は今ここにはいません。私を助けてくだったのは彼なんです……!』
彼女の声に込められた必死さが伝わるたび、うまく言い表せない心境になる。
けれど僕を助けようとする彼女の姿を、僕はただ黙って見つめることしかできないでいた。
「……そうか。セラは彼に助けて貰ったんだな?」
『はい。この方は私を護るために、大人の男の人達相手にたった一人で戦ってくださったんです。私が熱で動けなくなった後も、私を背負って騎士団のところまで連れて行ってくださったのはこの方です』
近藤公爵は僕と彼女を交互に見て、苦しそうな表情を浮かべている。
そしてしばらく沈黙した後、大きく息を吐き出した。
「わかった。お前達の話を聞こう。山南君、牢を開けてやってくれ」
「ですが、近藤さん……。宜しいのですか?」
「セラがここまで頼んでいるのに無視するわけにはいかんだろう」
山南と呼ばれた人が、静かに肯定の返事をする。
直ぐに鍵が回る音がして、重い鉄の扉がゆっくりと開いた。
「山崎君、拘束を解いてあげなさい」
「しかし……足はともかく、手もですか?」
「ああ、そうしてあげなさい」
少しつり目のもう一人の男によって手足の拘束が解かれ、僕はその場で立ち上がった。
まともな食事も摂らず、尋問の疲れも抜けていないため足元が多少覚束ない。
けれどそのことすら気にならなかったのは、僕の前に立つセラが目に涙を浮かべたまま優しく微笑んでくれたからだった。
『……よかった』
彼女のその言葉だけで、僕はどれだけ救われたかわからない。
牢を出ると、山崎と呼ばれた男が険しい顔つきでこちらを見ていた。
「近藤さん、本当に彼の拘束を解いてしまって宜しいのでしょうか?」
「まずは話を聞くだけだ。何があったのか、事実をしっかり確かめねばならないからな」
「しかし先程確認したところ、この者は組織の人間複数人を斬りつけ、五名も死者が出ています。俺は反対です」
思えばあの時は奴らの動きを封じることに必死で、喉や胸、手首などを容赦なく刺していた。
勿論死んでも構わないと思っていたし、あんな奴らは死んでこの子に償うべきだ。
だから否定もせずその場で立っていれば、彼女が僕を庇うように口を開いた。
『お話していませんでしたが、私は地下室で男の人達七人に押さえつけられ今にも殺されるところだったのです』
牢屋の前、セラは先程より落ち着いた口調で話す。
そしてその話を知らなかっただろう三人は、涙目でそう語る彼女の話を酷く衝撃を受けたような表情で聞いていた。
『その前には……乱暴に檻から出されて、お腹を蹴られ……髪も引っ張られて……』
ずっと耐えていただろう涙が今にもこぼれ落ちそうになり、彼女は慌ててそれを拭う。
その儚い泣き顔はとても綺麗な反面、僕の心を苦しくさせるから、僕もきつく拳を握ってただ彼女を見つめていた。
『今にも喉に剣が突き刺さるところでした。でもその中で彼は私を助けてくれたんです。見張りの報酬を受け取った後だったのに、それを捨ててまで私を逃してくれたんですよ。それがこの方にとってどれだけ怖くて勇気のいることだったか、お父様なら分かってくださるでしょう……?』
この子はただ助けて貰ったことに感謝の気持ちを抱いてくれているだけではない。
その時の僕の心情まで、まるで自分のことのように考え、寄り添おうとしてくれていることが彼女の言葉を聞いて初めて分かった。
その彼女の気持ちや優しさが嬉しいと感じたからこそ、この子を救えたことに今更ながら安堵していた。
「何も知らず、すまなかったな」
セラの言葉を聞いた三人は、もう僕について何かを言ってくることはなかった。
そして近藤公爵に至っては、ただ辛そうに顔を歪め、セラの肩を優しく抱き寄せていた。
「セラ、辛かっただろう。言いたいことは分かったぞ」
『私は大丈夫です。ただこの方が罪に問われるのだけは納得いきません』
「ああ、そのようだな。とりあえずは移動してそこで話を聞こう。山崎君は彼についていてあげなさい」
「はい、承知致しました」
近藤公爵はセラを連れて歩き出した。
そして山南さん、僕と山崎さんもそれに続く。
公爵邸の応接室に通された僕は、椅子に座るよう促された。
そしてその向かいには近藤公爵とセラが腰掛け、山南さんと山崎さんは側で仕えるように立っていた。
「ではまず、君の話を聞こう。尋問でも同じことを話してくれたと思うが、もう一度話して貰えるか?」
僕はまず自分の名前を名乗り、誘拐の一部始終を説明した。
組織の動き、彼女を人質に取ろうとした目的、そして僕が奴らを欺き斬ったこと。
尋問で話した内容と同じだったけど、今度はもっと詳しく、僕の視点で語った。
そして次はセラの番。
彼女も事細かにこの四日間の出来事を懸命に語り、話を全て聞き終えた近藤公爵は、深く考え込むように腕を組んだ。
「確かに、お前達の話を聞くと彼を死罪にするのは、重すぎるかもしれんな」
『お父様、わかっていただけましたか?』
「だが公爵家としては、この件を軽く見るわけにはいかんのだよ」
山南さんの冷静な声が、それに続く。
「彼を信用し無罪放免にするのは簡単ですが、もしそれで問題が起きた場合、責任はすべて公爵家にかかります。そのような無責任なことを、我々の立場で出来ないことはお嬢様も分かっておられますよね?」
その言葉に、彼女は苦しそうに唇を噛んだ。
そしてしばらく考えた後、何かを決意したようにその顔を上げる。
『それでしたら、この方の身柄を公爵邸の騎士団で保護するはいかがでしょうか?』
「お嬢様、何を仰っているのです?」
山崎さんが驚いた声を上げた。
他の二人も思わず言葉を失った様子でセラを見ていたけど、それでも彼女は怯むことなく言葉を続けた。
『この方の剣の腕は素晴らしいです。私を護るために戦ってくれた彼なら、きっとアストリア公国を支えてくれます。騎士団の中で問題なく過ごすことが出来た時には、正式な騎士として認めるとともに、彼の罪をなかったことにして頂きたいんです』
彼女は真剣な表情で、父親である近藤公爵を見据えている。
その言葉には僕自身も驚いて、思わず彼女を見つめてしまった。
なぜならアストリア騎士団への入団は、正に僕が望んでいたことだった。
アストリア公国に来た目的そのものと言ってもいい。
ここの騎士団の評判を耳に入れた時から、この国で生きる希望を見出したかった。
勿論、罪人である僕がここで雇ってもらえることはないと重々承知はしている。
ただ彼女が僕を助けようと必死になってくれることに、どうしようもなく胸が熱くなった。
「……ふむ」
近藤公爵は腕を組んだまま、しばらく考え込んでいた。
そしてゆっくりと頷くと、僕ではなく山南さんと山崎さんへとその視線が向けられた。
「山南君、山崎君。君達はどう思うかね?」
「アストリア公国の騎士団は世界有数の規模です。見習い騎士として鍛え正式に認められれば、それ相応の責任も果たしてもらえますので、このことが万が一外に漏れたとしても、外部からの批判は抑えられるかもしれません」
「つまり、最初は条件付きで彼を受け入れるということかね?」
「ええ。ただし正式に騎士団員として認められるまでは、何かあれば即刻処分となります。それに沖田君、と言いましたか?君の素性も分からないままでは受け入れは難しいですね」
「俺からも一つ宜しいでしょうか?」
「ああ、山崎君の意見も聞こう」
「アストリア公国の騎士団には、厳しい入団試験を経た者だけが入団できるきまりです。彼が何の心得もないまま騎士団に入団してしまっては、逆に行き詰まってしまうのではないかと気掛かりなのですが。周りからの風当たりも厳しいかと」
「それも一理あるな。それに俺が危惧していのは、彼は一度騎士団に捕えられた身だ。彼の顔を見た者が騎士団にいる中、入団させることで規律が乱れないかが心配ではある」
その指摘はもっともだった。
僕は捕えられた身であり、騎士団の中には僕を罪人として見ている者もいる。
さらに厳しい試験を経て騎士になった者たちからすれば、こんな形で入団するのは到底受け入れがたいことだろう。
そして僕の素性……それを明かさない限り、彼らが信用してくれるはずもない。
目の前に積まれた三つの問題。
それを乗り越えなければ、騎士団に入ることはできないということだ。
「そもそも一番大事な彼の意見を聞いていません。君はアストリア公国の騎士になることについて、どうお考えですか?」
山南さんの言葉に僕は顔を上げる。
予想外の方向に話が運んでいる現状の中、僕は正直に全てを話す覚悟を決めた。
「僕がこの国に来た本来の目的は、アストリア公国騎士団の入団試験を受けたかったからです。実際に数ヶ月前、僕は入団試験を受けに一度こちらに来ています」
そう切り出すと、山南さんと山崎さんが目を細めた。
「騎士団の入団試験に?」
「ええ。でも僕は門前払いをくらったんです。僕の身なりを見た騎士団長に、貴族の騎士団は浮浪者に施しを与える場所ではないと嘲られしまって。話すら聞いて頂けませんでした」
それを思い出すと、胸の奥が冷えたような感覚がする。
全てをかけてここに来たあの日、どれだけの絶望を味わったことだろう。
騎士団に行けば、剣の腕を見てもらえれば、きっと道が開けると信じていたのに、それすらも叶わなかった。
「そのとき、僕は既に金銭を使い果たしていました。公国を出ることもできず、食べるものもなく……勿論最初は真っ当な仕事を探しましたが、まともに雇ってもらえる場所がある筈もなくて」
「……それで、あの連中と盗みを?」
山崎さんの低い声に、僕は目を伏せた。
「ええ。そうしなければ、生きていけませんでしたから。貴族の屋敷に忍び込んだり、路地裏で商人の荷物を奪ったり……そのうち、よくない連中と関わるようになりました」
「その連中の仕事の一つが、今回の誘拐だったというわけか」
近藤公爵の言葉に、僕は頷く。
「そうです。僕は金銭のために見張りを引き受けました。違法な仕事だとは知っていましたが、生きるために背に腹はかえられませんでした。まさかそれが貴族令嬢の誘拐だとは思いもしませんでしたけどね」
「けれど、知った後も見張りを続けたのですよね?」
「はい、最初は報酬のために目を瞑りました。ですが、彼らが彼女の命を奪うつもりだと知ったとき、さすがに黙っていられなかったんです」
「それで、君はセラを助けてくれたのだな」
「……ええ」
沈黙が落ちる中、セラはじっとこちらを見つめていた。
その瞳には何の疑いも浮かんでいない。
ただ静かに僕の言葉を受け止めようとしてくれていた。
「それだけ正義感の強い君が、なぜ見張りなどをしていたのか、まだ信じきれないですけどね」
山南さんの言葉に、僕は苦笑した。
「無理もありません。僕自身、誇れる生き方をしてきたとは言えませんから。この公国に来る前も、生活の為に窃盗は繰り返していましたからね」
僕の言葉を聞いて眉を顰める近藤公爵を目の前に深く息を吸う。
ここからが本題だった。
「ですが……だからこそアストリア公国の騎士として生きたいと思ったんです。その為の機会をもう一度僕に頂けないでしょうか?」
「君は、なぜそこまでして騎士団に入りたいんだ?生活のためか?」
「その理由はただ生きるためではありません。僕は剣の腕を磨き、自分の手で何かを護る力を得たいんです」
僕は力を込めて言った。
こんな機会は二度と来ない。
これをものにできなければ、いくら罪が軽くなったとしても燻った生活を送るだけの日々を過ごすだけになる。
「僕はこれまで、剣を使うことでしか生きられませんでした。けれどアストリア公国の騎士団でなら、正しく剣を振るうことができる。この国を護るために戦える。それが、僕が今一番に望んでいることです」
僕が唯一誇れるこの剣術の腕を、真っ当な形で役立てたい。
誰かを傷つけるためではなく、誰かを護るためにこの剣を振るえたらそれ以上のことはないと思った。
それに僕の剣の腕を認め、僕を信じてくれているセラの言葉が、僕の胸の奥に刻まれている。
この子の気持ちに応えたいと思った今、騎士団への入団はより強い希望となって僕の心を照らしていた。
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