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街へ出かけた翌日、午前中のレッスンを終えた私は、一人で庭園のベンチに腰掛けながら冬の空を見上げていた。
吐く息は白く、頬を撫でる風も冷たい。
それでも部屋へ戻る気にはなれなくて、ただなんとなく青空を見ていた。
空を見上げていれば、胸の奥に溜まったもやもやも少しは軽くなってくれる気がしたのかもしれない。

けれど、どれだけ澄んだ空を眺めていても、昨日の出来事ばかりが頭に浮かんでしまう。
あの時の総司様の瞳。
私の知っている穏やかな色を失い、まるで別人のようになってしまった横顔。
そして躊躇いなく相手を傷付けていた姿。
怖いわけでも不安なわけでもなく、ただ胸が苦しかった。
あの時の総司様は、まるで私の知らない人みたいだったから。
昨日は咄嗟に嘘をついて庇ってしまったけど、本当にそれで良かったのかは分からない。
見なかったふりをすることは簡単だけど、それが正しいとも思えなかった。

総司様はこれから帝国の剣として生きていく。
私の知らないところで、私の想像もできないような鍛錬を重ね、命の危険と隣り合わせの日々を送っているのかもしれない。
きっと私が思うよりずっと多くのものを背負っているからこそ、人の死や痛みに慣れてしまうことが、総司様自身を守るために必要だったのかもしれないとも考えた。

でも、たとえそうだとしても私は総司様に人の心を失ってほしくなかった。
優しく笑うことも、誰かを大切に思うことも、傷付いた人を見て胸を痛めることも。
そんな当たり前のことを、慣れという名の下で手放してほしくない。
もし本当にそうなってしまうのなら、私は総司様が帝国の剣になることを心から喜べなくなってしまう気がした。

だけど同時に、その夢が総司様にとってどれほど大切なものなのかも知っている。
手紙に綴られた言葉だけでも伝わってくるほど、総司様はその未来を望んでいた。
だからこそ、私の気持ちをそのまま伝えることで、総司様を傷付けてしまうのではないかと怖くなってしまう。


『どうすればいいの……』


小さく呟いた声は、冬の風に溶けていった。
昨夜から何度も考えているのに答えは出ない。
話した方がいいのか、それとも黙っていた方がいいのか。
ようやく正式に婚約が決まったばかりだからこそ、お父様やお母様に心配をかけたくなくて相談することもできなかった。

でも総司様が誰かを傷付ければ、その傷はきっと総司様自身の中にも残るはずだ。
だからせめて、本当に戦わなければならない時以外は、穏やかでいてほしい。
そんな願いを伝えるくらいなら許されるのかな?
そんなことを一人で考えて唸っていた時だった。


「今日は一人なのだな」


不意に声が聞こえて顔を上げると、いつの間に来ていたのか、はじめがすぐ目の前に立っていた。
真剣に考え込んでいたせいで、近付いてくる気配にまったく気付かなかったらしい。


『はじめ、お疲れ様。総司様は今日、アンナ夫人と所用で出かけてるの。もうそろそろ帰ってくるんじゃないかな』

「そうか」


鍛錬を終えたばかりなのか、はじめは騎士服姿のままそこに立ち、座ることなく私を見下ろしていた。
私が小さく首を傾げながら見上げると、はじめは少し間を置いてから静かに口を開いた。


「昨日のことだが」

『うん?』

「セラはあの総司の様子を見て、何も思わないのか?」


その言葉に、自然と表情が曇った。
昨日のことを思い出さない日は、きっとしばらく来ないと思う。

はじめは昨日の一部始終を見ていた。
そして異変に気付いたからこそ、総司様を止めてくれた。
私が真っ先に止めていれば、あの男の人があんなに怪我を負うこともなかったかもしれないのに、咄嗟に動けなかった自分を何回情けなく思ったことだろう。


『昨日は総司様のことを止めてくれてありがとう。はじめが止めてくれて良かったよ』

「止めなければ最悪の事態になりそうだったからな。あの場で人を殺めたとなれば収拾がつかないだろう」

『さすがにそこまでは……』

「ないと言い切れるか?」


低い声に、私は言葉を失った。
実際私は、はじめと同じことを考えてしまっていたから。


「総司があの場で腹を立てるのは理解できる。俺もセラに手を上げられた時は、怒りを覚えた。だが昨日のあれは、明らかに正当防衛の域を越えすぎている。セラも昨日、総司を見て怯えていたように見えたが」


その言葉に肩がぴくりと震えた。
違う、そうじゃないと私は慌てて首を横に振る。
まるでその言葉を振り払うみたいに何度も。


『違うよ。昨日は血を見て驚いちゃっただけで、総司様に対して怖いとか思ったわけじゃないから』


はじめは私の言葉がまるで本当かどうか確かめるように、しばらく私を見つめていた。


『本当だよ』


真剣にはっきりと伝えると、はじめは小さく息を吐く。


「では、あの場面を見て何も思わなかったのか?」

『それは……』


何も思わなかったわけじゃないからこそ、言葉に詰まる。
むしろ考えすぎて眠れなかったくらいだ。
私が黙り込むと、はじめは静かに続けた。


「総司は年に一度、アストリアへ来ていると言っていたな」

『うん……』

「悪い奴ではないと思うが……正直俺は、セラの近くに総司がいることが心配だ」

『え……?』


思わず聞き返してしまうと、はじめは視線を逸らさないまま続けた。


「俺は総司のことをよく知らない。会ったのも数回だからな。だが昨日の姿を見れば、心配になるのは当然だろう」


責めているわけではないのだと分かった。
はじめは総司様を嫌っているわけでも、否定したいわけでもない。
ただ昨日の出来事を見て、それでも何も言わずにいることができないほど私を案じてくれているのだと、その真面目な声を聞けば分かった。
だからこそ私はすぐに言葉を返せなくて、少しだけ考えてから小さく微笑む。


『心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ。総司様はとっても優しい人なの。昨日だって、私のために怒ってくれたんだよ』


思い出すのは、昨日の出来事だけではなかった。
遠く離れていても欠かさず届いた手紙も、体調を崩した時に誰よりも心配してくださったことも、私が落ち込んでいる時に何も聞かず隣にいてくれた時間も。

私の知っている総司様は優しい。
それだけは誰に何を言われても変わらない事実だった。
けれど、はじめは納得した様子を見せなかった。


「だが俺が違和感を感じたのは今回だけではない。昨年の茶会での様子は、離れた場所からだったが俺も見ていたからな。周りは気付いていなかったようだが、あの大公子の怯え方は尋常ではなかっただろう」

『あの日、総司様はたくさん嫌なことを言われてたのにずっと穏やかに対応してくださってたんだよ。最後に怒ってくださったのは、私がベリアル様に意地悪されたからで……そう、総司様はいつも自分のために怒るわけじゃないの。いつも私を護るために怒ってくださるの』

「そうだとしたら、余計に不安に思うべきではないか?」

『え、どうして?』


総司様は不思議な人だ。
自分のことなら笑って流してしまうのに、私のことになると時々驚くほど感情的になる。
それが嬉しかった。
大切にされているのだと感じられて、幸せだった。

だから私には本当に分からなかった。
総司様が私を大切にしてくれることの何が問題なのだろう。
そんな疑問がそのまま顔にも出ていたのかもしれない。
はじめは少しだけ考えるように目を伏せ、それから静かに言った。


「セラのことになると感情の起伏が激しくなるということは、総司はセラに執着しているということだ。つまりセラが自分の思い通りにならなくなった時、怒りの矛先がセラ自身に向く可能性も大いにある。そうなれば、今度はセラが傷付けられる立場になるかもしれないぞ」


はじめの言葉を聞いて、私は思わず目を瞬かせた。
そんなこと、一度も考えたことがなかったから。
総司様が私を傷付ける?
総司様が私に怒りを向ける?
そんな未来はどれだけ想像しようとしても浮かんでこなくて、むしろあまりにも現実味がなくて少しだけ可笑しくなってしまう。


『あはは、やだな。そんなことはないよ。総司様がいずれ私に何かするかもしれないってこと?ふふ、絶対ない』

「何故言い切れるのだ?わからぬだろう」

『わかるよ。だって総司様は私に怒ったことなんてないもん。いつも穏やかだし、思いやりもあるし、嫌がることを無理にさせたことだって一度もないよ。それにはじめとだって普通に仲良くしてるよね』

「仲良いと言える程、共通の時間を過ごしたわけではない故判断出来ぬが……ただ一つ言えるのは、昨日の怒り方は普通ではないということだ」


本当はベリアル様の件があった時から気付いていた。
だから昨日も、お父様へ本当のことを話さなかった。
大事にしたくなかったし、総司様を守りたかったから。

そして何より、私自身が向き合うことから逃げていた。
愛してくれているから。
大切にしてくれているから。
そう思うことで、自分の中の違和感に蓋をしていたのかもしれない。
はじめにはその蓋を静かに開けられてしまった気がした。


『はじめの言いたいことはわかるつもりだよ。ただね、ああやって怒ることは滅多にないの。ベリアル様の時と合わせてまだ二回だし、それに総司様は良いところもたくさんあって』


そう言いながらも、自分の声にどこか力がないことを私は分かっていた。
はじめの言葉を否定したいのにできなくて、総司様を庇いたいのに上手く言葉が見つからなくて、胸の奥に溜まった気持ちだけが重く沈んでいく。
きっと私は昨日からずっと同じ場所をぐるぐる回り続けているのだ。

総司様は優しい人だし、私を大切に想ってくれているって胸を張って言うことができる。
だけどその一方で、昨日見た総司様の姿もまた紛れもない事実だった。
あの冷たい瞳も、はじめが呼び掛けるまで止まろうとしなかった姿も、全部確かにこの目で見てしまったものだから。
だからこそ苦しいのだと思う。

もし総司様が最初から冷酷な人だったなら、私はこんなに悩まなかった。
優しい人だと知っているから。
大好きな人だからこそ、あんな姿を見てしまったことが苦しい。


「人間誰しも良いところもあれば悪いところもある。怒ることもあるだろう。ただ昨日のは、そういう次元の話ではない。俺が言っているのは、己の怒りを理性で抑えられないことや、他者をあれほどまで攻撃出来てしまうことが問題だと話しているのだ」


はじめの言葉は厳しかったけど、反論する言葉は浮かんでこなかった。
怒る理由が正しいとか、私のためだったとか、そんなことは本当はそれほど大切なことではないのかもしれない。
私がずっと胸の奥に引っ掛けていたのは、もっと別のところだった。
まるで人が変わってしまったみたいに、躊躇いもなく相手に手を伸ばしてしまうこと。
その姿が、あまりにも私の知っている総司様とかけ離れて見えたこと。
だから私はあの場で声を失ってしまったのだと思う。
あんな顔をしている総司様を見たくないと思ってしまったから。


『私もね、総司様には出来る限り穏やかに過ごしてもらいたいなって思ってるよ』


そう呟きながら、私は視線を落として自分の指先を見つめた。
冷えた指先は少し白くなっていて、気付かないうちに力を入れていたことを知る。


『ただ、何か理由があって常に気を張っていないといけないのかもしれないでしょう?総司様が置かれているお立場を考えたら、私の勝手な考えを伝えたら、総司様が苦しくなっちゃうかもしれないって心配だったの』

「確かに総司の立場ならば、手荒なことから避けて通れないかもしれない。だが、総司のような立場にいるからこそ理性を強く持つことが必要だと俺は思う」

『そう……なのかな』


私は小さく首を傾げる。


『私、軍事国家の家に生まれたのに、騎士道とかちゃんと理解できていないのかもしれないね。もっと勉強がんばらなくちゃ』


敢えて明るくそう言うと、はじめは何かを考えるように目を細めた。


「騎士という概念で話せば、東部の騎士が最も重視するのは自制だ」

『自制?』

「力を持つ者ほど、自らを律しなければならないという考え方だ。剣を振るう力があるからこそ、その剣を抜かない判断ができる者が尊ばれる。弱い者を守るために剣を振るうことはあっても、己の怒りに任せて振るうことは許されない。東部ではそう教えられている」


私は黙って耳を傾ける。
はじめがこうして長く話してくれることは珍しかった。


「もちろん現実は理想通りではない。戦場に出れば綺麗事だけでは済まないこともあるからな。だが昨日の総司の行いは、少なくとも東部の騎士道から見れば大きく外れている」


私は何も言えなかった。
その言葉が思った以上に重く胸へ落ちてくるようだった。


「以前耳にした話だが、北部の騎士は東部とは考え方が違うらしい」

『そうなの?』

「ああ。より実力主義で、荒々しい者も多いと聞く。戦果を重んじる風土もあるそうだ。故に総司が育った環境には、俺の知らない価値観もあるのだろうな」


はじめはそう言いながら、まるで見たこともない土地を思い浮かべるみたいに遠くを見る。


「だが、たとえどんな事情があろうとも俺は昨日のことを見過ごしていいとは思わない。俺の言っていることを理解して貰えるのであれば、今後は総司との付き合い方を見直した方がいい」


その言葉に、私は思わず目を瞬かせた。


『え?付き合い方を見直すって?』

「総司とは距離を置いた方がいいということだ」


はじめは知らない。
私と総司様がもう婚約していることを。
でも、たとえそうじゃなかったとしても、総司様と距離を置くなんて考えられなかった。

総司様と離れることを想像しただけで胸が苦しくなる。
私は小さく息を吸い込み、揺れそうになる心を落ち着かせてから顔を上げた。


『私は、総司様と距離を置くことはしないよ』


はっきりと言うと、はじめの瞳が僅かに細められる。


『はじめが私を心配してくれる気持ちは嬉しいし、ありがたいと思ってる。でも、私が総司様とどうしていくかは私が決めるよ。私ははじめより総司様と長く過ごしてるから、総司様のことちゃんと知っているつもりなの。だから大丈夫だよ』


そう言いながら微笑んだものの、はじめの表情は少しも和らがなかった。
静かな風が吹き抜け、木々の葉がさらりと揺れる。
けれど私たちの間に流れる空気だけは重くて、どこか張り詰めているようだった。


「お前は昔からそうだな」

『え?』

「人を信じすぎるところがある」


はじめは昔から、自分が本当に大事だと思うことほど簡単には譲らない人だ。
だからきっと今も、私の言葉に納得していないのだろう。
しばらくして小さく息を吐くと、真剣な瞳で私を見つめた。


「相手に理由があると知れば理解しようとするし、傷付けられてもその時の事情を考える。セラのそういうところは美徳なんだろう。だが俺は時々危うく見える。それがいつかお前自身を傷付けるのではないかとな」


その声音に責めるような響きはなかった。
けれど、だからこそ胸が少し苦しくなる。
はじめは私を否定したいわけじゃなく、ただ本気で心配してくれていた。


『許すことと、信じることは違うと思うよ。私は昨日の総司様が正しかったと言っているわけじゃないの。でも一度間違えたからって、その人を否定したくないんだ』

「俺は全部を否定しているわけではない」

『うん、分かってる』

「ならなぜ俺の言っていることが分からない」


いつも落ち着いているはじめにしては珍しく、その声が少しだけ強くなった。
普段感情を表に出さない人だからこそ、その僅かな変化がはっきりと伝わってくる。


「俺は昨日一日の話をしているのではない。怒りを制御できず、他者へ向けたという事実を問題視しているのだ。そういう人間は、いつかもっと大きな問題を起こす可能性がある」

『確かに、そういうこともあるかもしれないね』


私が頷くと、はじめは意外そうに目を瞬かせた。
反論されると思っていたのかもしれない。
でも私は、最初からはじめの考えを否定するつもりはなかった。
総司様を大切に思う気持ちと、はじめの言葉を真剣に受け止めることは、私の中では別の話だったからだ。


『ただね、人は誰でも間違えると思うの。はじめだって失敗したことはあるでしょう?私だってたくさんあるし、総司様だってあると思う』


そう言いながら思い出すのは、これまで出会ってきたたくさんの人たちだった。
誰一人として完璧な人なんていなかった。
私もそうだし、総司様だってそうだ。


『だから私は、その失敗だけを見るんじゃなくて、その人が普段どういう人なのかを見て判断したい』


はじめは何も言わずに、ただ静かに私を見つめている。
その視線を受け止めながら、私は続けた。


『総司様はね、本当に優しい人なんだよ』


思い浮かぶのは、これまで積み重ねてきた数え切れないほどの時間だった。
転びそうになった私を支えてくれた手も。
不安で眠れなかった私に寄り添ってくれた雷の夜も。
誰よりも私の気持ちを気遣ってくれた優しさも、何一つ忘れていない。
総司様はいつだって私を大切にしてくれた。
誰にも見えないところで、私が気付かないところでさえ。
だから。


『私は総司様を信じるよ』


はじめの瞳が僅かに揺れた。
けれど、その表情が変わることはなかった。


「セラの考えは分かった。だが、それでも俺は総司との関わり方を今一度考え直すべきだと思っている」

『それは……もう会わない方がいいって言いたいの?』

「それは俺が決めれることではない。セラが総司を信じたいなら信じればいい。だが、今までと同じように何も疑わず心を預けるべきではないのは確かだ」


その言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
はじめは本気だ。
意地になっているわけでも、感情的になっているわけでもない。
本心からそう思っているのがわかるからこそ苦しかった。


『どうしてそこまで……?』


私がそう尋ねると、はじめは少しの間だけ黙り込んだ。
言葉を選んでいるようだったけど、その表情には迷いというよりも、どう伝えれば私に理解してもらえるのかを考えているように感じられた。


「昨日見えたものが、俺にはただの衝動的な怒りには見えなかったからだ。感情に流された結果というより、総司という人間の本質が表に出たように見えた、と言えば伝わりやすいだろうか」

『本質……?』

「もちろん昨日の様子が総司の全てだとは言わない。だが、あれもまた総司の一部なのだろうと思っている」


その言葉に、私はすぐには返事ができなかった。
なぜならその考え方は、私の中にはなかったものだったからだ。
私はずっと、昨日の総司様を特別な出来事として考えていた。
普段の総司様とは違う、怒りに飲まれてしまった一瞬だったのだと。


『でも、それだけで総司様のことを判断するの?』

「判断しているわけではない。俺が言いたいのは、見えたものをなかったことにするべきではないということだ」

『それはどうして?』

「人の本質はそう簡単には変わらない。普段どれだけ穏やかに振る舞っていても、強い感情に突き動かされた時に出るものこそ、その人間の根幹だと俺は思っている。だからこそ俺は昨日見たあの姿を、なかったことにはできない。いくら優しくとも、狂気じみた一面を隠し持っていることは事実だからだ」

『そんな……狂気じみたなんて……』

「ならば聞くが、あの時の総司の目をセラも見ただろう。あの目を見て違和感を感じたからこそ、あの場で動けなくなったのではないのか?」

『……っ』


反論できなかった。
図星だったからだ。
私はずっと、その気持ちに蓋をしていた。
総司様を信じたいから。
昨日のことだけで何かを決めたくなかったから。


「セラにはもっと慎重になってほしいと思っている。俺は、お前が傷付くところを見たくない」


その声は真剣で、はじめの優しさが分かるからこそ胸が痛かった。

もしかしたら、はじめは私よりずっと冷静にあの場の出来事を見ていたのかもしれない。
総司様の様子だけではなく、私の様子まで。
だからきっと、私があの瞬間に抱いた戸惑いにも、とっくに気付いていたんだろう。
気付いていたからこそ、その気持ちから目を背けるなと教えてくれている。
見たものを見なかったことにするなと。
信じたいのであれば、良いところだけではなく、見たくない部分も含めて判断するべきなのだと。
私はしばらく黙り込んだあと、そっと視線を上げた。


『はじめの言いたいこと、少し分かった気がする』


誰よりも真面目で、不器用なくらい誠実な人だと思った。
だからこそ自分が正しいと思ったことから目を逸らせないし、相手が傷付くかもしれない言葉であっても必要だと思えば伝えようとする。
それは厳しさではなく、はじめの優しさなのだろう。


『私、総司様のこと、ちゃんと真剣に考えてみる。ありがとう、はじめ』


総司様を信じる気持ちがなくなったわけではない。
むしろその逆で、私は総司様のことをもっと知りたいと思った。

優しいところも、昨日見せたあの激しい一面も。
はじめの言葉を真摯に受け止めて、目を背けずに向き合いたいと思った。
その上で、総司様の全てを愛したい。
総司様を信じるということは、きっとそういうことなのだと、ようやく分かった気がした。

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