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騎士団で起こした今回の騒動は、案の定、近藤公爵やユフィ夫人の耳にも届く結果となった。
本来なら僕一人が叱責を受けるべき話なのに、二人は僕を責めるどころか、自らパメラ夫人のもとへ足を運び、一緒になって頭まで下げてくれた。
その姿を見た時はさすがに胸が痛んだし、自分がどれだけ周囲へ迷惑を掛けているのか改めて思い知らされる。
幸いにもパメラ夫人は怒りを露わにすることなく、若い騎士同士が訓練に熱くなり過ぎただけだと穏やかに受け止めてくださったから、事なきを得た。
もっとも、その後で母から延々と小言を聞かされたことについては擁護のしようもない。
ようやく解放された頃には心身ともに疲れ切っていたけど、それでも最後にやるべきことだけは済ませておこうと、僕は医務室に向かった。
怪我をさせたことについて謝るつもりだった。
あの勝負がどんな経緯で始まったにせよ、結果としてはじめ君をあそこまで傷付けてしまったことに変わりはない。
途中から周りが見えなくなっていた自覚もある以上、まずは自分の口で謝罪するべきだと思っていた。
でも医務室の扉を開けかけたところで聞こえてきたのは、セラ嬢とはじめ君の話し声だった。
入っていくのも気まずくて、そのまま扉の外に立ち尽くしていたけど、聞こえてくる会話の内容に次第に眉をひそめることになった。
途中からだったから全てを聞いたわけではない。
それでも、はじめ君が僕と本気で剣を交えた理由が、単なる腕試しだけではなかったことは理解できた。
彼は僕が以前街で起こした件と同じように、相手を傷付けることへ躊躇いを持たない人間なのかを確かめたかったらしい。
そのために、あれほど傷だらけになっても降参せず、最後まで立ち続けていたんだと言う。
その事実を知った今、先程まで胸の中を占めていた申し訳なさは急速に薄れ、その代わりにじわじわと苛立ちが込み上げてきた。
そもそも、あの勝負を実戦形式にしようと言い出したのははじめ君の方だった。
一太刀ごとに区切る訓練ではなく、実際の戦いを想定した勝負にしようと提案したのも彼だし、遠慮も加減もいらない、目の前の相手を倒さなければ終わらないつもりで来いと言ったのも彼だ。
だから僕は、その言葉通りに行動しただけだ。
それなのに、自分から降参することもなく、打ちのめされてもなお剣を握り続けていた相手が、あとになって僕が危険だと主張するのはどうにも納得できなかった。
矛盾している。
本気で来いと言われたから本気で応じた、それだけの話だ。
もちろん、怪我をさせたことについて悪かったと思っていないわけじゃない。
僕は昔から一度剣を握ると周囲が見えなくなるところがあるし、それが決して褒められたことではないと自覚もしている。
だから反省もしているし、謝るつもりでここへ来た。
だけど、僕の身体にだってはじめ君の剣を受けた痣はいくつも残っている。
痛かったのは彼だけじゃないし、傷ついたのも彼だけじゃない。
それなのに、まるで僕に悪意があったかのように扱われるのは違うと思った。
そして何より、今こうしてはじめ君が傷だらけになっている理由は、単純にはじめ君が僕より弱かったからだ。
剣の勝負なんて、それ以上でもそれ以下でもないはずなのに。
それなのに、はじめ君はまたセラ嬢を僕から遠ざけようとしている。
その事実が胸の奥に重く沈み、僕は誰にも気付かれないように奥歯を強く噛み締めた。
はじめ君が僕を嫌うのは構わない。
警戒するのも自由だし、信用できないと思うのも勝手だ。
だけど、その判断にセラ嬢まで巻き込むのは違うんじゃないかと思った。
彼女は彼女自身の意思で考え、選ぶことができる人なのに、まるで危険なものから遠ざけなけなければならないみたいに僕との距離を取らせようとする姿勢が、どうしても面白くない。
そして、その直後に聞こえてきたセラ嬢の言葉が、僕の胸をさらに深く抉った。
『はじめが怪我をしてまで伝えてくれたことは無駄にしないし、総司様とのことはちゃんと心に留めておくね』
怪我をしてまで伝えてくれたことって何だろう。
僕が相手を傷付けることを躊躇わない人間だっていうこと?
一度感情が昂れば周囲が見えなくなる危うい人間だっていうこと?
あるいは、自分の欲しいものを最優先させる身勝手な人間だとでも捉えたんだろうか。
どれも否定できない自分がいるからこそ、その言葉は鋭く胸に刺さった。
でも、本当に苦しかったのはそこじゃない。
セラ嬢がはじめ君の言葉を真剣に受け止めていることが分かったからだ。
彼女は優しいから、誰かが傷付いてまで伝えようとしてくれたものを無下にはしない。
そんなことは僕が一番よく知っている。
だからこそ、胸の奥がどうしようもなく痛んだ。
彼女の中で、はじめ君の言葉が意味を持ってしまったことが悲しかった。
今日の勝負で、僕はただ自分の力を証明したかっただけじゃない。
僕なりに誠実でいたつもりだった。
本気で向かってくる相手には本気で応えるべきだと思ったし、それが騎士としての礼儀だとも思っていた。
それなのに、結果としてセラ嬢の心に残ったのは、僕がどんな人間かという疑念だけだ。
そんな考えが頭を過ぎるたびに、悲しさと悔しさと苛立ちが絡み合い、どうにも整理がつかなくなる。
これ以上聞いていたら、きっと碌なことを考えない。
そう思った僕は、半ば衝動的に医務室の扉へ手を掛けると、そのままわざと音を立てるように開いた。
静かだった室内の空気が一瞬で張り詰める。
部屋の奥にいた二人は、弾かれたようにこちらを振り返った。
『あ、総司様……』
小さく僕の名を呼ぶセラ嬢の声が耳に届く。
いつもなら、その声を聞くだけで自然と心が和らいだ。
彼女が微笑んでくれるだけで、一日の嫌なことなんて簡単に忘れられた。
それなのに、今日ばかりはとてもそうは思えない。
目の前にいるのは間違いなく僕が大切に想っている人なのに、その愛らしい顔を見ても胸の苦しさが増すばかりだった。
セラ嬢は僕を見るなり嬉しそうに笑ってくれるわけでもなく、どこか気まずそうに瞳を揺らしている。
その様子が、今しがた聞いてしまった会話を否応なく思い出させて、胸の奥を締め付けた。
『丁度今、はじめの手当てが全て終わったところなんです』
重く張り詰めた空気をどうにか和らげようとしているのだろう。
セラ嬢は僕の顔色を窺うように微笑みながら、柔らかな声でそう言った。
でも今の僕には、その言葉の意味を素直に受け取る余裕がなかった。
だから何だっていうんだろう。
もう大丈夫だから安心してほしいって言いたいの?
あるいは僕が謝る機会を与えられているって、そう受け取るべき?
そんな風に考えてしまう自分が嫌だった。
本当ならセラ嬢は何も悪くないことは分かっている。
それでも一度心に生まれた痛みや不信感は、簡単には消えてくれなかった。
ヴェルメルにいた頃、僕は弱いだの未熟だのと散々言われてきたけど、いくら傷を負っても、相手から謝罪を受けたことなんて一度もない。
勝負に負ければ、それは全て自分の責任だったし、弱い僕が悪いと罵られていた。
だから必死に努力して強くなっただけなのに、強くなったらなったで、また僕が頭を下げなければならないこの状況が納得できなかった。
「あんたも怪我をしたのではないか?先程セラに聞いたが、打ち身によく効く薬があるらしい」
不意に口を開いたはじめ君の方へ視線を向ける。
『そうなんです。ハーブで作った軟膏なんですけど、もし良かったら匂いが苦手じゃないか試してみてください』
セラ嬢は少しだけ表情を明るくすると、棚の上に置かれていた器を手に取った。
そして白い指先で軟膏を掬いながら、ごく自然な仕草でこちらへ歩み寄ってくる。
それはきっといつも通りの善意だった。
僕の身体を気遣ってくれたんだろうし、少しでも痛みを和らげたいと思ってくれたのだろう。
それなのに僕は、その手が届くよりも早く一歩だけ後ろへ下がっていた。
無意識ではなく、自分でもはっきり分かるほど意図的な拒絶だった。
彼女の指先が触れる寸前、避けるように身体を引いてしまっていた。
それに気付いただろうセラ嬢の手が宙で止まり、彼女の表情から微かな笑みが消えていくのが見えた。
『……総司様?』
戸惑ったように呼ばれた声が胸に刺さるのに、苛立ちがおさまらない。
胸の奥に溜まり続けている怒りも、悲しさも、やるせなさも、今にも言葉になって溢れ出してしまいそうだった。
どうしてそんな目で僕を見るの。
どうして僕が傷ついていることには気付いてくれないの。
そんな身勝手な言葉が喉元まで込み上げる。
だけど、それだけは絶対に口にしてはいけなかった。
ここで感情に任せてセラ嬢を傷つける言葉を吐けば、本当に取り返しがつかなくなる。
それこそ、はじめ君が抱いている疑念を自ら証明することになるだけだ。
僕はゆっくり息を吸い込み、荒れそうになる感情を無理やり押し込めると、出来る限り穏やかな声を作った。
「ありがとう。でも僕は大丈夫だよ。この程度の傷は日常茶飯事だしね。それより、はじめ君はどう?今日は怪我をさせてごめん」
その言葉に何の感情も込められていない。
セラ嬢にこれ以上失望されたくない、疑われたくない。
そのために選んだ言葉だった。
つまり僕は、自分を守るために謝っただけだ。
「いや、構わない。いつまでも負けを認めなかったのは俺の方だからな」
よく言うよ、と心の中で思わず吐き捨てる。
そんな言葉、本心のはずが無い。
僕を試し、自分の知りたい答えを得て、今こうしてセラ嬢にその結果を伝えた。
はじめ君からすれば、全て思い通りに進んだはずだ。
「はじめ君が強いから、つい夢中で打ち合っちゃったよ。これからは気を付けるから、許してくれる?」
「ああ。あんたこそ強かった。俺ももっと精進せねばならないと気付いた。いい試合をしてもらえて感謝している」
「こちらこそ。今日はゆっくり休んで、早く良くなって」
穏やかな言葉が交わされる。
聞こえてくるのは礼儀正しく整った会話だけだった。
でも、僕もはじめ君も互いに剣を交えた時よりもずっと慎重に、腹の内を隠しながら言葉を選び続けている。
表面だけを取り繕った穏やかな応酬は、まるで鞘に収めたまま刃を突き付け合っているみたいで、その場に立っているだけなのに酷く疲れた。
「じゃあ、僕は行くよ」
顔に穏やかな微笑みを貼り付けて、僕は医務室を出る。
先程まで無理やり浮かべていた笑みは消え、吐き気がするほどの嫌悪感が迫り上がってくるのを感じた。
まさか、アストリアにいてこんなに憂鬱な気分になる日が来るなんて思ってもみなかった。
こんなことならヴェルメルで鍛錬をしていた方がよほど有意義だったと思ってしまう。
そうすれば少なくともセラ嬢に対して、不満を持つこともなかった筈なのに。
『総司様……っ』
長い廊下を歩いていると、背後から慌てた足音が近付いてくる。
聞き慣れた声に足を止め、僕は小さく息を吐いてから振り返った。
「どうしたの?」
そう尋ねると、セラ嬢は少し息を切らしながら僕を見上げる。
『総司様はお身体大丈夫ですか?手当てとか、もし私に出来ることだったらお手伝いしたいなと思って』
「僕は大丈夫だよ。だから気にしないで」
出来るだけ優しく返したつもりだったけど、セラ嬢は納得してくれなかった。
『でも、総司様も怪我をしているでしょう?』
「このくらいなら平気だよ」
『平気じゃありません』
思ったより強い声が返ってきて、僕は少しだけ目を瞬く。
するとセラ嬢は気まずそうに肩を縮めた。
『ご、ごめんなさい。でも私、本当に心配で……』
「謝らなくていいよ。心配してくれてるのは分かってるから」
そう言って微笑んでみせると、セラ嬢は少しだけ安心したようだった。
でも、その様子を見ても僕の気持ちは晴れないどころが、むしろ苦しかった。
君は優しい。
だからこうして僕のことも心配してくれる。
でも、僕が欲しかったのはそんな優しさじゃない。
「本当に悪いことをしたなって思っててさ。セラ嬢もはじめ君のことを凄く心配しただろうし、ごめんね。わざとじゃないんだけど、反省してるよ」
『謝らないでください。それに訓練の中での出来事ですから』
「でも実際、はじめ君をあんな状態にしたのは僕だからね。稽古に夢中になり過ぎるのは僕の良くない癖だし、僕が悪いよ」
『総司様だって怪我をしていますし、はじめも自分で降参しなかったって言っていました。だから私は、総司様が悪いなんて思っていません』
迷いのない言葉だった。
でも本来なら嬉しいはずなのに、なぜだか素直に喜べない。
だって、本当にそう思ってくれてるんだろうか。
はじめ君は違う意見らしいけど。
セラ嬢の本音だって、僕には見えない。
それと同時に、どうしようもなく意地の悪い考えも浮かんでしまう。
もし本当に僕のことを信じているなら、どうして僕を見た時、あんなにも瞳を揺らしていたんだろう。
どうして僕じゃなく、ずっとはじめ君に寄り添っていたんだろう。
そんな言葉は口にしたところで惨めになるだけだけだから言わないけど。
『総司様?』
黙り込んだ僕を心配したのか、セラ嬢がそっと呼びかけてくる。
「ありがとう」
『え?』
「庇ってくれて」
そう言って微笑むと、セラ嬢は困ったように首を横に振った。
「とにかく僕のことは気にしないで、はじめ君の傍にいてあげてよ。今ははじめ君の方が辛いと思うからさ」
『ですが、私は総司様と……』
「本当に大丈夫だから」
穏やかに言葉を重ねると、セラ嬢は僕の拒絶を悟ったのか黙り込んだ。
悲しそうに唇を結んだ表情を見てしまえば歯痒くも感じられたけど、今はこの子と一緒にいても僕はきっと優しく出来ない。
彼女を責めてしまうかもしれない言葉を吐く前に離れたかった。
「じゃあ、僕はもう行くよ」
そう言うと、セラ嬢は淋しそうな顔のまま僕を見つめていた。
その視線を感じながら、僕は穏やかな笑みを崩さないまま踵を返した。
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