6
長い移送の末にヴェルメルに戻った僕達を待っていたのは重苦しい空気だった。
大広間の最奥で椅子に腰掛けている父は、僕達の姿を見るなり冷ややかな視線を向けてくる。
僕と母が頭を下げると、父は鼻で笑った。
「まさかアストリアから罪人として送り返されるとは思いもよらなかったな」
隣で母上の肩が小さく震える。
拘束こそ解かれているけど、母は青白い顔をしたまま俯いていた。
「アンナ。貴様、自分が何をしでかしたかわかっているのか?アストリア公爵家との縁談は帝国にとっても有益だった。王国との関係改善にもなる上、北部統治にも利用価値があったというのに、よくも潰してくれたな」
「私はやっておりません……!ユフィを殺してなどいません!」
「事実かどうかはどうでもいい。アストリアはそう判断した。重要なのは結果だ」
いつもの父らしい言葉だったけど、僕は迷わず反論した。
「父上、母上は犯人ではありません」
「だから何だと言っている。帝国の貴族社会では事実など二の次だ」
「ですがこれは完全に濡れ衣です。どうか今一度調査を、アストリア公国、あるいはルヴァン王国に正式に要請していただけませんか?」
「却下する。帝国は他国の裁定を覆すために動く国家ではない。疑惑を再燃させる行動は外交上の更なる損失になるからな」
あまりにも即答だった。
でも帝国側で母の罪を認めてしまえば、母の将来は勿論、僕もセラ嬢との未来を望めないことになってしまう。
どうにか打開策がないかを考えながら、再び口を開いた。
「ですが再調査を要請しなければ、罪を認めることになります。それこそヴェルメルにとって損失になると思いませんか?」
「こうなった以上、今更損失は変わらん。そもそもお前はこの件に深入りする必要がないと思うがな」
「必要がないとはどういうことですか?母上の名誉がかかっていることですよね」
「名誉とは、守るに値する者だけが持つものだ。そしてアンナにはその価値がない。それに帝国中央評議からは既に通達も来ている。今回のアストリア領内における一連の件について、帝国はヴェルメル大公家の内部問題として処理することを承認する、とな」
アストリアで起きた出来事が既に帝国へ伝わっているという事実に、心臓が嫌な音を立てる。
こうなれば真偽を覆すことは難しいだろうということは明らかだった。
「父上は、母上をどうするおつもりですか?」
「本来なら処分して終わりだ。だが今殺せば、周囲は余計な噂をするだろう。だから生かしておく。ただし、ヴェルメル本邸からの退去を命じる。北方西端の離宮へ移送。以後、外部との接触は制限される。社交界への復帰は不可。許可なく帝都・北部領域への移動も禁ずる」
母の顔から血の気が引いていく。
死刑ではなかったものの、生きたまま全てを奪う宣告だった。
それでも母は静かに頷くと、ひとつ息を落とし、父を見上げた。
「承知いたしました。受け入れます。ですが、総司の処遇はどうなりますか?この子は無実です」
母はいつも僕のことを誰よりも気にかけていた。
けれどそれは、僕が劣等生であれば母の居場所もなくなるからだと、そう思っていた。
だからこそ、自身がこうして裁かれる立場に立たされた今も尚、真っ先に僕の名を口にした母の行動は予想外で、気づけば隣に立つ彼女を見つめていた。
「総司の軍務適性については維持評価だそうだ。ただし、身内の疑念が払拭されるまで正式な任官は保留。母親が殺人事件の首謀者として疑われた男だからな」
その言葉に、胸の奥がわずかに軋む。
掴んだと思っていた未来が僕の手からすり抜けて、このまま何も残らないのではないかという不安が付きまとう。
何より、セラ嬢のことは絶対に諦められない。
そのためならなんだってするつもりだった。
「とは言え、総司は北部でも最も将来を嘱望される剣士候補として名が知られている。帝国軍の上層もお前の今後の戦力価値を手放す気はない。アストリアとの婚姻は白紙となったが、代わりとなる縁組はいくらでも整えられるだろう」
「僕はアストリア家のセラ嬢以外と婚約するつもりはありません」
「この期に及んで何をふざけたことを言っている?」
「ふざけてはいません。彼女を諦めるつもりはないと、そう言っているんです」
「口で言うのは容易いが、実際どう動くつもりだ?すでにアストリアからは、金輪際一切の関係を断つという正式な書状が届いている。外交的にも、個人的な接触も、すべて遮断された状態だ。そしてルヴァン王国もその判断を支持している。そこへ北部の大公家が異議を唱えれば、単なる男女の問題では終わらん。お前は一人の女のために東部と北部の均衡を崩すつもりか?」
父の問いにすぐ答えることはできなかった。
アストリア側が再調査を拒絶し、帝国側が承諾している以上、今の僕には母の潔白を証明する手段もなければ、セラ嬢に直接会って事情を話す方法すら残されていない。
それどころか、今後どのように動けば状況を覆せるのか、その道筋さえ見えていなかった。
それでも、諦めるしかないと割り切れるほど、僕の想いは軽いものではないのも事実だった。
「総司……お願いよ。もうセラさんのことは忘れてちょうだい」
「母上まで何を仰るんですか?」
「あなたが動けば動くほど状況は悪くなるの。近藤閣下がどれほどセラさんを大切にしているか、あなたもよく知っているでしょう。もしあなたが無理に近づけば、それはセラさんを苦しめることになるのよ」
「ですが、僕も母上も何一つ悪いことはしていないじゃないですか。それなのに、どうして僕達だけがこんな扱いを受けなければならないんです?誰も調べようとしない。誰も話を聞こうとしない。ただ一方的に疑われて全てを奪われるなんて僕は納得出来ません」
黙ったまま拳を握り締めていると、隣に立つ母が震える指先でそっと肩に触れた。
その仕草には、僕を止めたい気持ちと、何もしてやれない苦しさの両方が滲んでいて、かえって胸の奥の痛みを強くする。
「納得できるかどうかの問題じゃないのよ。貴族社会は真実だけで動いているわけじゃないの。疑われた時点で終わることもある。そしてあなたがセラさんに執着し続ければ、それは東部と北部の対立を招く火種になりかねないの。あなたの今後にも大きく関わってくることなよ」
「だからと言って、セラ嬢は簡単に手放せるような軽い存在ではありません」
本音を吐き出したことに後悔していなかった。
強くなることは長年の目標だったし、そのために人生の大半を費やしてきたことも事実だ。
それでも今の僕には、それよりも大切なものがあった。
セラ嬢だった。
彼女と出会う前の僕なら、きっとこんな言葉は口にしなかっただろう。
父に認められることだけを考え、剣を磨き、与えられた役割を果たすことだけを考えて生きていたはずだった。
けれど、セラ嬢は僕の人生を大きく変えてしまった。
生まれて初めて誰かといる幸せを知り、だからこそ失いたくなかった。
たとえ今は会うことすら許されず、彼女が僕をどう思っているのかもわからなくなっていたとしても、その想いは変わらなかった。
「なるほど、ようやく理解した。お前は帝国の剣を目指していたのではない。女に選ばれるための飾りとして剣を振っていただけだったということか」
「違います」
即座に否定したものの、父は聞く耳を持たなかった。
「違わん。国家よりも女を優先し、責務よりも感情を優先する。それがお前自身の言葉で証明された。北部最強の剣士候補と呼ばれようが、結局その程度の覚悟だったということだ。たかだか一人の女のために自らの立場も将来も捨てると言うのなら、それは愚か者の振る舞い以外の何ものでもない」
「父上のおっしゃることは理解しています。ですが僕は、セラ嬢も帝国の剣も諦めるつもりはありません」
「随分と欲張っているようだが、覚えておけ。今後お前がアストリアへ接触し、独断で東部との問題を引き起こした場合、大公家はお前を守らん。その瞬間からお前は私の息子ではない。大公家の人間でもない。帝国の後ろ盾も失うとな」
それは脅しではなく本気だった。
だからこそ、母が青ざめた顔で父を見上げた。
「それに、これからはアルベリクやシリルの適性も再評価するとしよう。少なくともあの二人は、女一人のために己の責務を投げ出すような真似はせんだろうからな」
「旦那様……!」
「剣とは力だけではない。責務を背負う覚悟だ。今の総司にはその資格が欠けている。お前が本当に欲しいのが女なのか、それとも剣なのか。その答えが出るまで、私はお前を帝国の剣として認めるつもりはない」
その言葉は叱責ではなく、冷酷な見切りのように感じた。
「下がれ」
その一言で会談は終わった。
母は僕を心配そうに見つめていたけど、父に促されるように部屋を出ていく。
僕も一礼して執務室を後にした。
長い廊下を歩きながら、僕は拳を握り締めた。
失ったものは大きいし、未来は見えない。
それでも、まだ終わったわけではない。
セラ嬢を取り戻すことも、母の潔白を証明することも、帝国の剣になることも。
今はただ、そのすべてが遠く霞んで見えるだけだ。
だからこそ僕は立ち止まらない。
たとえ愚かだと言われようと、いつか必ず自分の手で道を切り開いてみせると心の中で静かに誓いながら、僕は薄暗い回廊の先へと歩き出した。
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