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その後も僕たちは席を立つことなく、取り留めのない話を続けながら酒を口に運んでいた。
任務の話から始まり、騎士団の愚痴になり、龍之介の失敗談になり、いつの間にか誰が一番酒に強いかというどうでもいい話に変わっていく。

明日は第一部隊にとって数少ない休息の日だから皆も久しぶりに羽目を外したいんだろう。
そしてそれは僕も同じだった。
ここ数ヶ月、胸の奥に沈殿し続けている重たい感情から少しでも目を逸らしたかったし、今夜くらいは何も考えずにくだらないことで笑っていたかった。

グラスを傾けながらぼんやりと暖炉の火を眺めていると、不意に武田が僕に話しかけてきた。


「隊長、今夜こそ以前話していた店に付き合ってもらうぞ」


その声にはいつものように妙な自信が滲んでいた。
僕は気の抜けたまま顔を上げる。


「店?なんだっけ」

「おいおい、忘れたとは申すまいな。帝都でも限られた者しか出入りを許されぬ場所なのだ。隊長ほどの立場になった以上、一度くらいは見ておくべきだろう」


その言葉に龍之介が勢いよく反応した。


「武田さん!俺も行きたいぞ!明日は休みだし、今夜は行けるかもって期待してたんだよ!」

「伊吹君、声が大きいですよ。店中に聞こえています」


相馬が呆れたように窘めると、三木が鼻で笑った。


「そういう相馬も結構でかい声出してんじゃねぇか。気付いてねぇだけだろ」

「俺は普通ですよ」

「いや普通じゃねぇな」

「三木さんには言われたくありません」


二人がいつもの調子で言い合いを始めると、武田は満足そうに頷いた。


「ならば決まりだな。皆で行くとしよう。ここもそろそろ飽きてきた頃合いだろう」


なんだかよく分からないまま話がまとまっていく。
僕もそれなりに酒が回っていたのか、頭の奥が少し熱く思考も普段より鈍い。
欠伸を漏らしながら会計を済ませると、僕たちは夜の帝都に出た。

石畳の街路にはガス灯が並び、冷えた夜気が頬を撫でていく。
武田を先頭にしばらく歩くと、やがて帝都でも一等地と呼ばれる区域に辿り着いた。
そこに建っていた建物は、一目で格の違いが分かるほど豪奢だった。
白い大理石で造られた外壁には精巧な装飾が施され、巨大な窓からは暖かな灯りが漏れている。
入口には燕尾服姿の給仕が立ち、訪れる客一人一人に丁寧に頭を下げていた。

中へ足を踏み入れると、更に圧倒される。
高い天井には幾つものシャンデリアが輝き、磨き上げられた床は灯りを反射して柔らかな光を広げていた。
奥では弦楽器の生演奏が流れ、上品なドレスを纏った女性たちが客と言葉を交わしている。
貴族や将校、高官らしき者たちが静かに酒を楽しみ、騒々しい酒場とはまるで別世界だった。


「へえ」


思わず感心した声が漏れると、武田が満足そうに笑みを深めた。


「やはり、こういう店は初めてか?」

「うん、初めてだね。あんまり興味なかったし」

「隊長という立場にある以上、世の表も裏も知っておくべきだろうが。こうした場所もまた社交の一つ、知らぬでは済まされんのだ」


武田が呆れたように呟くと、龍之介が僕の横にやってきて、にかっと人懐こい笑みを浮かべた。


「隊長も失恋したんだし、たまにはこういう場所でぱあっと気分転換するのも大事だと思うぞ!いつまでも暗い顔してたら損だろ!」

「龍之介」

「なんだ?」

「失恋失恋って連呼するのやめてくれる?思い出しちゃうじゃない」

「え?あ、悪い」

「まあ、別に引き摺ってなんてないけど」


そう口にしたものの、自分でも酷い嘘だと思った。
引き摺っていないわけがない。
こんな喧騒の中にいても、呆れるくらい何度も思い出してしまうんだから。

それでも今夜くらいは、認めたくなかった。
すると三木が妙な笑みを口の端に乗せながら、馴れ馴れしく僕の肩に腕を回してきた。


「だったらよ、その証明をしてもらわねぇとな」

「は?何の証明?」

「引き摺ってねぇっていう証明だよ」

「何それ。どうやって証明しろって言うのさ」

「簡単な話だろ。せっかく休日前なんだし、楽しく飲んで騒いで、帰りに女と一夜でも過ごせばいいんだって!元々そういう夜にしようぜって武田や龍之介と話してたんだよ。今夜ばかりは、隊長と相馬にも付き合ってもらうぜ」

「三木さん」


三木の腕を僕の肩からどけると同時に、相馬が即座に口を挟んだ。


「隊長を妙な道に引き込もうとするのはやめてください。隊長は真面目な方なんです」

「なんだよ、俺は普通のことを言ってるだけだろ。辛気臭い顔してるよりよっぽど健全じゃねぇか」

「少しも普通じゃありませんし、健全でもありません」

「相馬も隊長も妙なところで堅物なのだな。酒と女くらいもっと肩の力を抜いて楽しめばよいものを」

「堅物というより、この二人はお子ちゃまなんだろ。龍之介ですら、この前経験済みだってのにな」

「だああ!そういうことはバラさないでくれよ!」


武田と三木の言い方が少し癪に障る。
僕もあと半年もしないで十六になるし、いつまでも子供扱いされるのはいい気分じゃなかった。


「僕は別に堅物じゃないよ」

「ほう?」

「酒を飲むのも遊ぶのも、各人の自由でしょ」

「ならば隊長も今宵は女と寝屋を共にするということか?」

「別にいいよ。ちょうど溜まってたし」


間を置かずにそう答えると、相馬の瞳がこれでもかと言うほど大きく見開かれた。


「隊長……!?」


相馬の声が裏返った。
龍之介が噴き出し、三木が「おっ」と前のめりになる。
武田だけが静かに、値踏みするような視線でこちらを見ていた。


「なに?」

「いえ……その、隊長らしからぬ発言に、少々面食らってしまいまして」

「そう?でも性欲なんて人間の三大欲求の一つでしょ。食欲も睡眠欲も誰も恥ずかしがらないのに、どうしてそれだけ特別扱いするの?おかしくない?」

「……理屈は、わかります。わかりますけど、隊長の口からそんな言葉をが出てくるとは思っていなかったので」

「僕がそういうことに興味ないとでも思ってた?」

「思っていた、というより……」


相馬は少し困ったような顔をして、視線を泳がせた。


「隊長は、もっと恋愛というものに一途な方だと」


それは少し前までなら、きっと迷いなく肯定できた言葉だった。
でも今は、僕自身が自分が何を考え、何を望んでいるのかすら分からなくなっている。
だからこそ、その言葉は思った以上に深いところに刺さった。


「別にそんなんじゃないし。それに、それとこれとは別の話だよ」


僕はウイスキーの入ったグラスを取り上げて、中身を一息に飲み干した。
喉を焼く熱さが、胸の奥の何かをごまかしてくれるような気がして、少しだけありがたかった。

すると三木が隣で酒を飲みながら肩を竦めた。


「相馬、お前考えすぎなんだよ。一途だからって酒も飲まねぇ、遊びにも行かねぇなんて話になるわけねぇだろ」

「ですが……」

「だいたい隊長だって男なんだぜ。お前の中でどんな聖人君子になってんだよ」

「そこまでは言っていません」

「言ってるようなもんだろ」


三木が呆れたように笑う。
そのやり取りを聞いていた龍之介が勢いよく頷いた。


「そうだぞ!俺もびっくりしたけど、逆に安心したんだ」

「何が?」

「いやだって、隊長って普段あまりにも隙がなさすぎるんだよ。仕事も完璧だし、剣は強えし、女の話にも興味なさそうだし」

「まったく貴様らは騒々しいな。隊長も年頃の男なのだぞ。その程度の話で驚く方がおかしいのだ」

「武田さんが言うと説得力ありますね」


相馬が半ば呆れたように言うと、武田は悠然とグラスを傾ける。


「当然だ。人の情というものを知らねば、人を動かすことも出来んからな。隊長が一途であることと、新たな出会いに目を向けることは必ずしも矛盾せん。何を選ぶかは自身の問題なのだ」

「珍しくまともなこと言うね」

「なんだと?つまり私が普段は出たらめばかり申していると、そう言うのだな?」

「そこまでは言ってないよ」

「ふん、どうだかな」


武田が鼻を鳴らしたその時だった。
不意に柔らかな声が聞こえてくる。


「失礼いたします」


顔を上げると、一人の若い女性がテーブルの傍らに立っていた。
淡い色のドレスを纏い、綺麗に結い上げられた髪がシャンデリアの光を受けて輝いている。
この店で客の相手を務めている女性の一人なのだろう。
彼女が慣れた所作で微笑むと、龍之介が露骨に背筋を伸ばした。


「お飲み物はいかがですか?」

「は、はい!」

「お前、なんで急に緊張してんだよ」

「だ、だって綺麗だろ!?」

「声がでかいぞ」

「煩いですよ、伊吹君」


賑やかなやり取りに女性も思わず笑みを零した。
店内には他にも同じように客と談笑する女性たちの姿が見える。
皆上品で、場の空気を和らげる術をよく知っているらしい。
武田はそんな様子を眺めながら満足そうに頷いた。


「どうだ。悪くない場所だろう」

「確かに思ってたより普通だね」


僕がそう答えると、女性は少し不思議そうに首を傾げた。


「初めていらしたのですか?」

「うん」

「それは光栄です」


穏やかな微笑みだった。
けれど不思議なことに、どれだけ綺麗な笑顔を向けられても胸は少しも動かなかった。
ただ、別にそれを寂しいとも思わない。
グラスの中で揺れる琥珀色の酒を見つめながら、僕はそんなことをぼんやり考えていた。

それでも隣では龍之介が必死に話題を探し、三木がそれを笑い、武田が偉そうに講釈を垂れ、相馬が頭を抱えている。
その騒がしさだけは、少しだけ心地よかった。 

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