2

それから幾日かが過ぎ、ついに僕と相馬が計画を実行する日がやって来た。

本来なら、帝国の剣という立場にある僕が数日もの自由な時間を確保することは容易ではない。
各地から上がってくる報告への対応に加え、騎士団の訓練や会議への出席もあるため、以前のように思い立ったその日に遠出ができる身分ではなくなっていた。

だからこそ今回の任務は都合が良かった。
東部近郊で行われる密輸組織の調査は、少人数による機動力を重視したものだったため、僕と相馬を含む数名だけで動くことが許可されていたし、任務終了後も現地で追加調査を行う可能性があるという名目で、数日の裁量時間を与えられていた。
もちろん、それをこんな目的に使っていることが発覚したら、上官たちには盛大に呆れられるだろう。
けれど今さら引き返す気にはなれなかった。

任務を終えた僕たちは現地で分かれ、僕と相馬だけは調査の名目でそのまま東へと馬を走らせる。
道中、相馬はいつも通り淡々としていたけど、僕だけは落ち着かなかった。
王都に近付くたびに鼓動が速くなり、気付けば何度も手綱を握り直している。
たった三年とも言えるし、長い三年だったとも言える。
その間、一度も会えなかった人がこの先にいるのだと思うと、どうにも平静ではいられなかった。

急いで向かった甲斐もあり、数日後には無事に王都に到着した。
僕たちは学院から少し離れた場所にある宿を借り、翌日の視察に備えて準備を進めることにした。
すると相馬が荷物の中から小瓶を取り出し、僕の前に置いた。


「何それ」

「染料です」

「染料?」

「念のためですよ。隊長、そのままだと目立ちますから」


言われてみれば、確かにその通りだった。
もし誰かが僕を知っていた場合、余計な騒ぎになる可能性もある。
結局、相馬に押し切られる形で染料を使うことになり、一時間ほど経った後、僕は宿の鏡の前で複雑な顔をしていた。


「なんか……変じゃない?」


鏡の中に映る自分を見ながらそう呟く。
いつもなら柔らかな茶色を帯びている髪が、今は艶のある黒色に染まっていた。
顔そのものは変わらないのに、それだけで別人のような違和感がある。
毛先を摘まみながら眉を寄せる僕とは対照的に、相馬は満足そうに腕を組んでいた。


「そんなことありませんよ。隊長は何をしても格好良いです」

「そんなこと言うのは相馬くらいだけどね」

「いえ、恐らくこれでも女生徒の視線は集めてしまうと思いますよ。制服を着られたとしても、内側にフード付きの服を着た方が良いかもしれませんね。それと当日は、眼鏡などの変装もしていただきます」

「僕、学院に視察に行くんだよね?」

「ええ」

「なんだか指名手配犯みたいになってきたんだけど」


相馬は真顔のまま「安全第一です」と答える。
絶対に少し楽しんでいそうだと思いながらも、それ以上は何も言えなかった。

明日になれば、セラ嬢に会えるかもしれない。
その可能性が現実味を帯びれば帯びるほど、胸の中は落ち着きを失っていく。
嬉しいのか、不安なのか、自分でもよく分からない。
ただ、こんなことをして本当に良いのだろうかという思いだけは、何度も頭をもたげていた。
やがて沈黙に耐えられなくなった僕は、窓際で書類を確認していた相馬に声を掛ける。


「ねえ、相馬」

「はい?」

「やっぱり、やめようかな」


相馬の手がぴたりと止まった。
そして数秒後、呆れたようなため息が聞こえてくる。


「何を今さら言っているんですか」

「いや、だってさ」

「隊長はいつも度胸があるでしょう」

「そんなことはないけど」

「そんなことありますよ」


相馬は椅子へ深く腰掛け直しながら、半ば本気で言った。


「戦地では何人敵が向かって来ても真っ先に突っ込んで行くじゃないですか。普通の人間なら躊躇する場面でも平然としているのに、どうして女性一人を相手にするとこうなるんです?」

「そんなの決まってるでしょ。戦場の敵には嫌われてもかまわないからだよ」


僕は視線を落としながら続ける。


「でもセラ嬢は違うから」


もし会えて、話しかけられたとして。
その先で彼女がどんな顔をするのか分からない。
それが怖かった。

三年間ずっと会いたかったはずなのに、いざ目前まで来ると逃げ出したくなるんだから、我ながら情けない。
しばらく沈黙した後、僕はぽつりと呟いた。


「……もし、話しかけて拒絶されたらどうしたらいいと思う?」


セラ嬢は優しい。
だからたとえ僕に会っても、冷たい言葉を投げるような人ではないと思う。
でも、あの最後の手紙だけは違った。
優しい彼女があそこまで決意の滲む言葉を書いたんだ。
それだけ僕と距離を置きたかったのではないかと考えると、今さらになって胸を締め付ける。
相馬はしばらく思案するような顔をした後、静かに口を開いた。


「そうですね……そうなったら、いっそ……」

「いっそ?」

「気絶したふりをしてみてはいかがですか?」


相馬は至って真面目な顔をしている。


「……は?」

「隊長が突然倒れれば、セラ嬢もきっと放ってはおけないと思います」

「君、自分で何言ってるか分かってる?」

「わかってます。これも作戦ですよ」

「気絶することのどこが作戦なのさ」

「倒れた隊長を看病することで、セラ嬢も以前の気持ちを取り戻すかもしれませんよ」

「だからって倒れたふりをしろって?」

「駄目ですか?」

「駄目に決まってるでしょ」


そう言いながらも、あまりにも馬鹿馬鹿しい提案だったせいで、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩む。


「では、拒絶されたらいっそそのまま公爵家へ正式に結婚の申し込みをしてみてはどうですか?」

「はい?」

「どうせ拒絶されるなら最大級に拒絶された方が諦めもつくでしょうから」


思わず口を開けたまま固まる。
相馬はやっぱり真面目な顔だった。
真面目な顔なのが余計にたちが悪い。


「君、今すごく酷いこと言ったよね」

「いいえ。むしろ前向きな提案です」

「どこがさ」

「もし成功したら万事解決です」


そんな理屈があるわけない。
僕がうんざり気味にため息を吐き出すと、相馬はようやく堪えきれなくなったのか、小さく笑い声を漏らした。

結局、相馬は最初から僕を励ますつもりだったのかもしれない。
その笑いにつられて僕も笑えば、少しだけ肩の力が抜けた気がした。

けれど笑いが収まった後も、胸の鼓動だけは静まらない。
明日になれば、僕はセラ嬢の前に立つことになる。
僕は、ちゃんと自分の言葉で話すことができるのだろうか。
宿の窓から見える王都の灯を眺めながら、答えの出ない問いばかりを抱えたまま、僕は静かに夜を迎えていた。

- 550 -

*前次#


ページ:

トップページへ