5

「遅くなってすみません。買ってきました」


走る足音が聞こえた直後、相馬が目の前に現れる。
彼はアイスティーを僕の前に置きながら周囲を見回し、小声で尋ねた。


「まだ彼女はいらっしゃいませんか?」

「おかえり。まだ見当たらないよ」

「そうですか、よかった……」


心底安心したような声だったから、僕は思わず苦笑する。
相馬は腰を下ろすと手にしていた紙袋を開き、その中から包みを二つ取り出すと、一つを僕の前に、もう一つを自分の前に置いた。


「隊長も食べてください。お昼、食べられませんでしたから」

「僕はいいのに。これ、卵サンド?」

「そうです。先程、おいしいと聞いたので」


僕は包みを眺めながら首を傾げた。


「聞いたって誰に?」


ロードに視線を向けたまま何気なくそう尋ねると、相馬は卵サンドの包みを開きながら、珍しく機嫌の良さそうな表情を浮かべた。
普段の相馬は感情を大きく表へ出す方ではないからこそ、その僅かな変化が気になった。


「誰かは存じ上げませんが、先程俺が誤って銀貨を散らばしてしまった時に、拾うのを手伝ってくださった方がいたんですよ。その方が教えてくれました」

「へえ、そうなんだ」

「なんと言うか……とても優しい方でした。それに……親切で、明るくて」


どこか遠くを見るような口調に、僕は思わず口元を緩める。


「ふうん。それ、女の子だったの?」

「はい、そうです」

「で、好きになっちゃったんだ?」


卵サンドを一口齧りながら軽い調子で言うと、相馬は目を見開き、みるみるうちに耳まで赤くなった。


「違いますよ!」

「その否定の仕方、あやしいな」

「というか、俺のことはどうでもいいんですよ。隊長の方こそ、真剣に探していらっしゃるんですか?見落としてたら笑えませんよ」

「ちゃんと探してるってば。でも、今のところいないんだ。テラスにもそれらしい子はいないし」


そう答えながら辺りに目を向ける。
でも店が並ぶ一角には生徒たちが集まっていて、一人一人のことまでよく見えない。
もしあの中にセラ嬢がいたとしても、ここからでは見分けることは難しかった。


「この卵サンド、おいしいね」


何気なく感想を零すと、相馬の顔がぱっと明るくなる。


「ですよね!」

「……なんか物凄く嬉しそうだね。人の気も知らないで」

「いえ……、すみません。でも俺は隊長の恋路を一番に応援してますから」


相馬は気を取り直すように小さく咳払いをすると、ふと思い付いたように顔を上げる。


「そう言えば、俺は彼女の特徴を知りません。教えていただければ、それらしい人物を見かけた時に、お伝えすることができるかもしれませんよね」

「ああ、確かにね。でも、特徴か。最後に会ったのは三年以上前だけど」

「髪の色や雰囲気、肌の色など、なんでもいいですよ」


その言葉に、僕はしばらく黙り込む。
会えない間も幾度となく思い出していた記憶の中のセラ嬢の姿が、自然と脳裏に浮かんだ。


「髪は緩く癖のあるミルクティーブロンド。変わってなければロングじゃないかな」

「なるほど。瞳の色は?」

「瞳はアイスブルーで、くりっと大きい感じ。肌は白いよ」

「では、身長や体格は?」

「今はわからないけど、多分背はそんなに高くないと思う。体格も華奢な感じ。太ったりしてなければ」

「なんとなくイメージが湧いてきました。あとは何かこれっていう特徴はありますか?」


僕は少しだけ考えた。
けれど考えるまでもなかったのかもしれない。
だって僕が最初に思い浮かべたのは、髪の色でも瞳の色でもなかったから。


「……そうだね」


自然と口元が緩む。
 

「よく笑う子だよ」


相馬が僕の言葉に静かに耳を傾ける。


「別に大声で笑ったりするわけじゃないんだけど、嬉しい時はすぐ顔に出るし、凄く幸せそうに笑うんだ。見てるだけで、こっちまで嬉しくなるような感じでさ」


話しているうちに、胸の奥に懐かしさが広がっていく。
庭園で見た笑顔も、目が合った時の照れたような笑顔も、全部鮮明に思い出せた。


「それに人を放っておけないんだよね。困ってる人を見ると、自分のことみたいに心配するし、優しい子だよ。それが見た目からも伝わってくる感じかな」


小さく笑いながらそう伝えると、向かいに座る相馬の動きがぴたりと止まる。


「……隊長」

「ん?」

「その方は、笑う時によく、こう……首を傾げた感じの仕草とかしますか?」

「言われてみれば、そうだね。そんな感じ」

「物腰が柔らかくて、上品で」

「うん」

「声は高くて、イメージ的には……まるで天使のような」

「そうそう。よくわかるね」


相馬はそこでふいに言葉を失ったように黙り込む。
手にしていた卵サンドに視線を落としたものの、次の瞬間には何かに引き寄せられるように店が並ぶ方角に顔を向けていた。
その横顔には先程までの穏やかな空気がなく、何かを確かめようとするような緊張が浮かんでいる。


「相馬?」


僕が声をかけても、相馬はすぐには返事をしなかった。
視線だけが忙しなく人混みの中を行き来し、生徒たちの姿を一人一人確かめるように追っている。
どうしたんだろうと思いながらも、僕も再びロードに目を向けた。
でも、下校する生徒はまだそれほど多くない。
女子生徒が何人か歩いてくるのが見えても、その中にセラ嬢の姿はなかった。
でも胸の奥に積もり続ける焦燥を誤魔化すように、小さく息を吐いたその時。


「隊長っ……」


相馬の声が僅かに震えた。


「ん?」

「あちらの方……違いますか?」


その声に導かれるように顔を上げる。
そして相馬が見ている先に視線を向けた時、心臓がどくんと大きく脈打った。

店が並ぶ一角。
賑やかな人波の中に、セラ嬢が立っていた。
両手には飲み物を抱えていて、誰かを探しているのか、きょろきょろと辺りを見回している。
その姿を見た時、呼吸の仕方を忘れて、時間さえ止まったように感じた。

ずっと会いたかった。
何度も夢に見たし、何度も思い出した。
もう二度と会えないのかもしれないと覚悟した夜だってあった。
そんな日々の果てに見たセラ嬢の姿は、記憶の中にいた彼女より遥かに綺麗だった。

三年という時間は決して短くない。
だから当然なんだろうけど、最後に見たセラ嬢はまだ少女だった。
でも今、少し離れた場所に立つ彼女は、僕が知っていた頃よりずっと大人びていて、陽光を受けるミルクティーブロンドの髪も、涼やかなアイスブルーの瞳も、かつての愛らしさを残しながら、更に美しく成長していた。

その姿を見て、三年間という歳月をまざまざと突き付けられた気がした。
会えなかった時間、隣にいられなかった時間、彼女の成長を何一つ知らなかった時間。
それらが一度に胸に押し寄せてくる。
それなのに不思議なことに、変わってしまったとは思わなかった。
人を探す時に少し首を傾げる仕草も、辺りを見回す時の表情も、どこか危なっかしくも見えてしまう儚い雰囲気も、僕が知っているセラ嬢のままだったからだ。
でも、目を離せずに見つめ続けていると、不意にすぐ後ろから男の声が聞こえた。


「セラ!こっち」
 

その声を聞いた途端、彼女の顔がぱっと明るくなった。
その笑顔は、僕がずっと恋しかった笑顔だった。
嬉しそうに瞳を輝かせながら振り返る姿を見てしまえば、胸の奥に説明できない痛みが走る。
僕は反射的にフードを深く引き下ろし、顔を隠すように俯いた。


『薫様、そちらにいらっしゃったのですね』


柔らかな声が耳に届く。
あまりにも懐かしい、何度も夢の中で聞いた声だった。

彼女は僕に気付くことなく、僕達のテーブルの真横を通り過ぎていく。
ほんの数歩の距離。
手を伸ばせば届いてしまいそうなほど近い。
それなのに彼女は一度もこちらを見ないまま、僕のすぐ後ろの席へ腰を下ろした。

相馬も僕も息を潜めたまま固まっている。
背中越しに聞こえる声だけが、やけにはっきり耳に届いた。


『お待たせいたしました』

「俺も今来たところだ。ていうか、飲み物買ってきてくれたの?」

『はい。こちらはベリータルトフラペで、こちらはマシュマロハニーフラペです』

「げ……なんかどっちも甘そうだな」

『げ、とはなんですか?おいしいんですよ?』


本当に何も変わっていなかった。
甘いものが好きなところも。
拗ねた時に少しだけ頬を膨らませるような口調も。
相手を責めるのではなく、どこか愛らしく抗議する話し方も、全部そのままだった。

胸の奥にしまい込んでいた記憶が次々と蘇る。
庭園で一緒に過ごした時間も、僕だけに向けられた嬉しそうな笑顔も、触れた時に頬を染めて真っ直ぐ僕を見上げてくれた表情も、何一つ忘れていなかった。

だからこそ苦しい。
会いたくてたまらなかった人が、今こうして手の届く場所にいる。
振り返ればその姿を見ることだってできる。
それなのに僕は動けない。
ただ静かに拳を握りしめることしかできなかった。

そして何より痛かったのは、彼女の隣に座っている人物が僕ではないという事実だった。
三年前なら当たり前のように交わせたはずの会話を、今は別の男が受け取っている。
彼女の楽しそうな声を聞きながら、僕は胸の奥に広がるどうしようもない淋しさを押し殺していた。
あれほど長い時間をかけてようやく会えたというのに、その喜び以上に切なさが胸を満たしていくのを感じていた。


『どちらのフラペにしますか?』

「セラはどっちがいいの?」

『えっと、どっちも?』

「ははっ、なんだよそれ。一つは俺のじゃないの?」

『ふふ、そうでした。では私は、薫様が選ばなかった方で』

「まったく。セラが買ってきたんだから、好きな方選べばいいのに」

『私はどちらも好きですから』

「じゃあお言葉に甘えて。俺は、こっち。ベリーの方を貰うよ」

『はい、どうぞ』


他愛のない会話だからこそ、二人の中の親密さが窺える。
相手の顔も見えないし、どこの誰かもわからない。
そう考えていた時、向かいに座る相馬が小声で話しかけてきた。


「恐らくですが、相手の男はルヴァン王国の王太子殿下です」

「え……?」


アストリアで母が断罪された時、その判決を最終的にくだしたのは東部全域を治めているルヴァン王国だった。
会ったことがないとは言え、あの王太子も僕の存在くらいは知っているだろう。
歯痒く感じながらも、今は行動を起こすことは出来ずに二人の会話を聞いていることしか出来なかった。


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