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帝都へ戻ってからの日々は相変わらず忙しかった。
与えられる任務は華やかなものばかりではなく、要人警護や治安維持はもちろん、反帝国組織の摘発や潜入調査、時には表に出せない始末まで請け負う毎日だった。
夜の闇に紛れて標的を追い、見つかれば斬り伏せ、命を狙われながら帰還するような任務も珍しくもなかった。

でも忙しくしている間は余計なことを考えずに済む。
セラ嬢の姿が脳裏をよぎれば剣を振るい、その度に込み上げる苛立ちを敵に叩きつけるように剣を走らせるのが常だった。
もっとも、人を斬ることにも、自分の命を賭けて前線へ立つことにも、僕はとうの昔に慣れきっている。
相手を殺さなければこっちが死ぬ。
そんな理屈を何度も繰り返しているうちに、人の命を奪うことへの戸惑いはどこかに消えてしまったらしい。
あるいは最初から、僕はそういう人間だったのかもしれない。
血に濡れた任務から戻っても胸は痛まず、敵の断末魔よりも、たった一人の少女に拒絶された事実の方がよほど心に残るんだから。

そんな毎日を繰り返しながら、夜になれば仲間達と帝都の一等地エリアに繰り出す。
そんな日々を送りながら気付けば半年が過ぎ、僕は十八になった。
明日の任務は午後からだから、久しぶりに時間に追われることもなく過ごすことが出来る。
その夜も僕は仲間を連れて馴染みの店で酒を飲んでいた。


「公爵閣下、今夜は私とご一緒してくださいませんか?」

「ずるいわ。今夜こそ私を選んでくださるって仰っていたじゃありませんか」


東部では然程注目を集めない僕も、帝国内ではそれなりに有名らしい。
夜会でも、こうした一等級の店の中でも、ご令嬢達が言い寄ってくるのはいつものことだった。


「僕はどっちでもいいよ。三人でもいいしね」

「ええ?私は閣下と二人きりで過ごしたいんです」


目の前のご令嬢二人は揃って顔を赤くしたものの、本気で怒っている様子はなく、むしろ困ったように笑いながら互いの顔を見合わせていた。

昔からそうだった。
甘い言葉を囁くのも、人をその気にさせるのも難しくない。
けれど、どれだけ綺麗な女性が隣に座ろうと、どれだけ楽しげな時間を過ごそうと、胸の奥に空いた穴だけは埋まらない。
むしろあの子のことが忘れられないからこそ、こうして別のことで意識を埋め尽くそうとしていることは、自分自身が一番よく分かっていた。


「ねえ、どちらと過ごしてくださるの?」

「僕は煩わしいことが嫌いでさ。一度関係を持っただけで勘違いする子が多いみたいで、最近ちょっと困ってるんだよね。だから今夜限りで割り切って遊べる子としかそうゆうことしたくないんだけど、君達はそれについてはちゃんと理解あるのかな」

「私は割り切っておりますわ。婚約者がおりますし」

「私もしつこくつきまとったりしませんよ。一夜の夢だと思って、その後は心に留めて生きていきます」


二人とも真剣な顔でそう言ってくれるけど、正直なところ僕には大した違いがなかった。
どちらを選んでも結末は同じだし、明日になれば名前すら曖昧になっているだろう。
ただ一人は婚約者持ちだと言うから、それなら話は別だった。
婚約者がいる相手に手を出して余計な面倒事を抱え込む趣味はないし、そもそも婚約者がいるにもかかわらず平然と他の男に身を寄せるような子は好きになれない。
とは言いながらも、そんなことを考えている僕自身も大概ろくでもない人間だから、偉そうに言える立場ではないけど。


「じゃあ、今日の相手は君にする。そっちの君は婚約者のこと、ちゃんと大切にしないと駄目だよ」

「そんな……」

「閣下、嬉しいですわ。さっそく行きましょう?」

「いいよ」


そう答えながら微笑んでみせるものの、胸の内は当たり前の如く冷めていた。
せめてこの子がセラ嬢に似ていたら少しは違ったんだろうかと想像し、いや、違うなとすぐに打ち消す。
顔だけ同じでも意味がない。
むしろ見た目はそのままでいいから、中身だけセラ嬢だったらどれほど良かっただろうと考えてしまう。
それでも、結局は満足できないんだろう。
あの子の声も、仕草も、笑い方も、少し困った時に視線を逸らす癖も、全部ひっくるめてセラ嬢だから意味があるのであって、似た誰かでは代わりにならない。
そんな当たり前のことを思い知らされるたび、僕は自分が思っていた以上に救いようのないところまで来ているのだと実感する。
会えなくても忘れられず、忘れたいと言われてもなお執着し続け、別の誰かで誤魔化そうとしては結局物足りなさだけを抱えるんだから、我ながらどうしようもなかった。

そんな気持ちを抱えてグラスを置くと、選んだ女性が嬉しそうに腕に手を絡めてくる。
僕はそれに抵抗することもなく立ち上がったけど、向かいの席にいた相馬が露骨に顔を曇らせた。


「隊長、またですか?」

「うん。数時間したら戻るから」

「クラウス様にご指摘を受けたこと、もう忘れてしまったんですか?これ以上は本当にまずいですよ」

「あの人が無駄に口煩いのは今に始まったことじゃないでしょ」


軽く笑いながらそう返したものの、その言葉で思い出したのは先日の出来事だった。

クラウス兄上はわざわざ僕の領地までやって来て、長々と説教をして帰っていった。
表向きは領地視察だの近況確認だのと言っていたけど、実際の目的が僕の素行不良について苦言を呈することだったのは明らかだった。


「お前のその女遊びはどうにかならないのか?」


そう言った時の兄上の顔がことのほか真剣で少し笑えた。
意外と真面目な彼は、結婚してからというもの、妻一筋らしい。
第一皇女であるラミア夫人と結婚し、今は彼女も妊娠して、順調な結婚生活を送っているという。


「そんなに遊んでませんよ。それに向こうから寄ってくるんですよね。断って女性のプライドを傷つけてしまうのも可哀想じゃないですか」

「……またそうやって屁理屈を。そんなことばかりしていると、いつか刺されるぞ」

「僕が女性にやられる筈がないでしょ。仮に僕を刺そうとしてくる子がいたら、刺されるより前にその腕を斬り落としますよ」


至って真面目に返したのに、兄上は盛大にため息を吐き出している。
でも、昔の兄上なら今のように僕を気にかけることなんて全くなかった。
むしろ僕のことなんて放っておけばいいという態度だったはずなのに、兄弟が僕一人になってからというもの、やたらと兄らしい顔をするようになり、体調を気遣ったり、余計な小言を並べたり、まるで今まで失った時間を取り戻そうとしているかのように世話を焼いてくる。

正直ありがたいとは思うけど、だからといって大人しく言うことを聞く気にはなれなかった。
兄上がどれだけ心配しようと、僕の中に空いた穴を埋められる人物は一人しかいないからだ。


「ラミアも心配しているんだ。そろそろ結婚はしないのか、自分が誰か紹介しようかと気にかけてくれているぞ」

「気にかけて頂かなくて大丈夫ですよ。結婚はしませんので」

「しませんのでって、それでどうやって領地を経営していくんだよ。奥方がいないと負担が大きくて大変ではないのか?」

「正直、物凄く大変です」


即座に返ってきたのは僕ではなく相馬の声だった。
思わず横を見ると、相馬は真顔で頷いている。
その様子に思わず苦笑すると、兄上まで頭痛を堪えるような顔になった。


「ほら見ろ。側近にまで心配されているじゃないか」

「相馬は心配性なんですよ」

「隊長が無茶をなさるからです」

「ほらな」


二人して責めるような視線を向けてくるものだから、僕は肩を竦めるしかなかった。
すると兄上は小さく溜息を吐き、今度は少し真面目な顔になる。


「父上もお怒りだぞ。総司の話が出れば、帝国の剣としての働きよりも女性関係の噂の方がはるかに多いとな」

「おかしいですね。僕は相当働いていますし、帝国にもかなり貢献しているはずなんですけど」


実際、危険な任務は率先して引き受けているし、成果だって出している。
それなのに貴族達が興味を示すのは、誰を斬ったかではなく誰と一夜を過ごしたかの方らしい。


「貴族の連中というのはそういうものだ。下世話な話題ほど好まれる。せっかく名誉ある地位に就いたというのに、勿体ないとは思わないのか?」

「思います。切実に」


またしても相馬が僕より先に答えたから、今度はさすがにげんなりする。


「なんで相馬が答えるのさ」

「俺も日頃から思っていますので」

「余計なこと言わなくていいよ」


そんなやり取りを交わしても、兄上の表情は少しも和らがなかった。


「僕はやるべきことをやっていますし、誰にも迷惑をかけていないんですから、私生活くらい好きにさせてくださいよ」

「俺は別に構わないさ。だが父上はそう思わないだろう。何か言われる前に改めた方がいいと思ったから、今日ここに来たんだ」

「子供の頃と違って、今更父上に何を言われても怖くありませんよ。僕はここの当主ですし、口を出されたくありませんね」


昔なら違った。
父の機嫌一つで立場も生活も左右されたし、逆らうという選択肢そのものが存在しなかった。
けれど今は僕は独立した公爵家の当主であり、誰かの顔色を窺いながら生きる必要なんてない。
そう思っていたけど。


「本来ならそうだ。だが父上が皇帝陛下の弟だということを忘れたわけではないだろう?」


まさにそこが厄介で、父の命令に従う必要はなくなった代わりに、僕は帝国の剣として皇帝に絶対の忠誠を誓っている。
つまり父が直接ではなく皇帝を通して圧力を掛けてきた場合、話は途端に面倒になることは目に見えていた。
兄上もそれを分かっているからこそ、わざわざ忠告しに来たのだろう。


「父上は俺にすら、他にも奥方を迎えないのかと言ってくるんだ」


兄上が呆れたようにそう言ったから、僕は思わず眉をひそめた。
 

「まさか側室を迎えるつもりなんですか?」

「俺は生涯ラミアだけだ。彼女を悲しませることはしないと決めている。それに幸いなことに、ラミアは皇女だからな。陛下も俺には側室を迎えてほしくないらしい。だから父上の言葉を聞き流せているが、お前の場合は違うだろう」


その言葉に、思わず深いため息が漏れた。


「そう考えると、尚更結婚なんてしたくないですね。無理矢理妻を迎えたところで、今度は側室を迎えろだの、跡継ぎを増やせだの言われるんでしょ?そんな生活のどこに魅力があるんですか」

「言いたいことは分かる。だが現実問題として、公爵家の当主には家を存続させる責任があるからな」

「面倒ですね」

「面倒だな」


珍しく兄上が即答したので、少しだけ笑ってしまった。
でも、その後に続いた言葉は笑い飛ばせるものではなかった。


「だが一人目くらいは自分の意思で選んだらどうだ?今みたいに遊んでばかりいると、気付いた時には父上に勝手に決められていてもおかしくないぞ」


兄上は忠告のつもりで言ったんだろうし、実際その通りなんだと思う。
父上が本気になれば縁談の一つや二つ、いくらでも持ってくるだろうし、皇帝から直に命令が下れば僕がそれを拒める筈もない。

でも自分で選べるなら、そんなものとっくの昔に選んでる。
誰を妻にしたいのかも、誰と生きていきたかったのかも、十年以上前から決まっていた。
決まっていたのに叶わなかっただけだ。

他の令嬢を紹介されたところで何も感じないし、結婚相手を選べと言われても、その席に座る女性の顔はどうしても霞んでしまう。
その先に浮かぶのは、結局いつも同じ人だった。
だから次に進めない。
進まなければならないことはわかっているのに、心だけが頑なに動こうとしなかった。


「言いたかったのはそれだけだ」


兄上はそう言って立ち上がった。
その声音には説教を終えた安堵と、弟を心配する気持ちが混じっているように感じた。


「わざわざありがとうございます」


僕も立ち上がりながらそう答える。
兄上は何か言いたげにこちらを見たけど、結局それ以上は何も言わずに部屋を後にした。


そんな数日前の記憶が脳裏に浮かんだまま、僕は今夜も記憶に残らない相手を抱いていた。
相手の名前も顔も、すでにぼやけている。
ただ柔らかな肉体と、甘い吐息だけが現実で、結局思い浮かべる人はいつも同じだ。


「……くっ」


熱い波が一気に駆け上がり、僕は彼女の内部に熱い精を勢いよく放った。
でも快楽の後には、いつも深い虚しさが訪れる。
この行為はセラ嬢への想いを消すどころか、かえって鮮烈に刻みつけるだけだった。

もし僕が、セラ嬢のことを思い浮かべながらこんな行為を繰り返していると知ったら、君はどんな顔をするんだろう。
呆れるだろうか、それとも軽蔑するだろうか。
けれど、そんなことを考えたところで意味はない。
君はもう僕を拒絶したんだから、今更評価が下がることもないし、嫌われることを恐れる必要もない。

それなのに胸の奥では、忘れたいと言った君の言葉ばかりが繰り返し蘇った。
忘れ去られるくらいなら、いっそ忘れられないくらい憎まれた方がましだとさえ思ってしまう自分がいる。
そのあまりにも歪んだ願いに気付いた時、思わず苦笑が漏れた。
そんなことを望むような人間ではなかったはずなのに、いつからこんなふうになってしまったんだろう。

ふと脳裏に浮かんだのは、まだ幼かった頃のセラ嬢だった。
無邪気に笑いながら僕の名前を呼び、何の疑いもなく隣に駆け寄ってきてくれたあの頃の君は、確かに僕を見てくれていた。
あの時間だけは偽りではなかったはずなのに、気付けば何もかも手の届かない場所へ行ってしまっている。
何がいけなかったんだろう。
どこで間違えてしまったんだろう。
答えのない問いだけが静かに胸へ沈み、結局僕は失ったものの大きさだけを抱えたまま、眠れない夜を過ごしていた。

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