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それからさほど日を置かないうちに、ローゼンガルド家から客人が訪れた。
千嬢と顔を合わせるのは随分久しぶりだ。
元々綺麗な顔立ちをしていたけど、以前よりはるかに大人びて、その立ち居振る舞いには一人の淑女として完成された気品が漂っている。
昔のように気軽な調子で声を掛けていいものか迷っていると、彼女は僕の顔を見るなり露骨に眉をひそめた。


「久しぶり。と言っても、あなたの噂はよく聞いてるわ」


その声音には歓迎の色よりも棘の方が多く含まれている。
恐らく耳に入っているのは、あまり褒められた内容ではないんだろう。
とは言え、他人からどう思われようと僕自身はあまり気にする性質ではないし、今さら弁明を並べるつもりもない。
僕は黙って向かい側に腰を下ろし、以前と同じ調子で話しかけた。


「久しぶり。まさかまた会うことになるなんて驚いたよ」

「私もよ。私の母がヴェルメル閣下に手紙を出していたみたい。私は全然知らなかったのだけど」

「僕も先日父から聞いたばかりだよ。結婚しないと駄目みたいだから仕方なくね」

「物凄く失礼な言い方。そういうこと、久しぶりに会った私の前で言う?」

「だって君は社交辞令みたいなのが嫌いでしょ。それに君も、仕方なく来たんじゃないの?」


千嬢はじろりと僕を睨んだあと、不機嫌そうに顔を背けて紅茶に口をつけた。
その反応があまりにも昔と変わらなくて、少しばかり懐かしい気持ちになる。
外見は随分大人びたのに、中身は案外そのままらしい。


「それで、どうするの?私達の結婚」


単刀直入な問いに、僕も遠回しな言葉を選ぶ気にはならなかった。


「僕は君が公爵夫人としてこの家に嫁いでもらえたらありがたいって思ってるよ」


彼女は意外そうに目を見開き、それからすぐに小さく息を吐いた。


「意外ね。あなたからそんなこと言うなんて」

「君のことは知ってるし、一緒にいても変に取り繕わなくていいから楽なんだよ。父から何人か候補を見せられたんだけど、まず君に連絡したのはそういう理由」

「褒めているのかしら、それ」

「さあ、どうだろうね」


そう言いながらも、彼女の表情は先程よりわずかに和らいでいた。
とは言え、ここから先は誤魔化してはいけない話だ。
後になってから不満や誤解が生まれるくらいなら、最初に全部話しておいた方がいい。
僕はカップを置き、彼女を見つめた。


「今日は君が結婚に何を求めるのか聞きたかったんだよね」


誰にだって少なからず結婚に対しての願望はある。
愛情を求める人もいれば、お金や権力、そして自由を優先させる人もいる。
その理想が大幅にずれてしまえば、結婚生活はただの苦痛でしかなくなる。
恋愛感情がないからこそ、僕自身のためにも条件が合う人と結婚したかった。


「僕はアルディオン公爵家の当主として、君に何不自由のない生活を保証するよ。君に求めるのは公爵夫人として領地経営を支えてもらうことと、屋敷の管理を任せることくらいだ。だからそれ以外の時間は、好きに過ごしてもらって構わないと思ってる」


千嬢は何も言わずに聞いていた。
その真剣な眼差しを受けながら、僕は言葉を続けた。


「でも夫としては、君にしてあげられることは何もないと思う。この結婚に恋愛感情を持ち込むつもりはないし、そういう期待を向けられても応えられない。もし君が夫婦として愛し合う結婚を望んでいるなら、僕は相応しい相手じゃないよ」


そこで一度言葉を切り、さらに続けた。


「それから父の意向で、婚約後は一年以内には二人側室を迎える予定になってる。アルディオン公爵家のために必要なことだから、僕も反対するつもりはないよ。結婚はあくまでも家門存続のためにすることだからね」


やがて千嬢は紅茶のカップを置き、じっと僕を見つめた。


「つまりあなたは、私に愛情は与えられないけど、生活の保証はするから公爵夫人として働いてほしいって言っているのね」

「簡単に言えばそうなるかな」

「そして側室も二人迎える予定だと」

「うん」

「随分正直なのね」

「後で揉めるのは嫌だからね」

「でも貴族同士の結婚はそう簡単に離婚できるものではないし、結婚前は疾しいことなんて普通は隠すでしょう?」

「僕は忙しい身だし、自分の家の中でくらい安らかに過ごしたいんだよ。だから同じ家に住んでいたとしても、互いに干渉せず、自由に生活したいんだ」


すると彼女はしばらく僕を見つめたあと、ふっと小さく笑った。


「相変わらずね。人を傷付けることも平気で言うくせに、変なところだけ誠実だわ」


千嬢は少しだけ口元を緩めてそう言うと、その表情は再び真面目なものに戻った。


「いいわよ」


あまりにもあっさりした返答だった。
僕は一瞬意味を理解できず、彼女の顔を見返してしまう。


「いいって?」

「結婚よ」

「そんな簡単に決めていいの?」

「何か問題があるの?」


むしろ不思議そうに聞き返されてしまい、僕は苦笑した。
正直なところ、もっと反発されると思っていた。
側室の話だってしたし、愛情のない結婚だとも伝えた。
少なくとも何度か文句を言われる覚悟はしていたんだけどね。


「いや、こんな条件を簡単に飲んでもらえるなんて思ってなかったからさ」

「私、前から言っていたでしょう?総司様となら結婚してもいいって」

「それは覚えてるけど、半分冗談だと思ってたよ」

「失礼ね。私は案外真面目よ」

「そうだとしたら、相当な物好きだね」


僕の言葉を聞いて、千嬢は少し考えるように視線を窓の外に向け、それから笑った。


「でも私もあなたと一緒にいて楽だから。それに、総司様って私と少し似ていると思うのよね」

「そう?」

「ええ。例えば、無理に誰かと群れるのが好きじゃないところとか、必要以上に他人の人生に踏み込まないところとか。人当たりは悪くはないけど、本当に心の中に入れる相手はほとんどいないでしょう?」


確かにその通りだったから、思わず言葉に詰まる。


「あと、誰かにあれこれ指図されるのも好きじゃないし、表面上は穏やかなのに、案外頑固で、自分が決めたことは絶対に曲げないでしょう?」

「それ、僕の悪口?」

「違うわよ。私に似てるって言ってるでしょう?」

「それなら君の悪口じゃない」

「失礼ね」


昔から彼女はこうだった。
容赦なく物を言うくせに、不思議と嫌味には聞こえない。


「でもまあ、確かにそうかもしれないね」


そう答えると、千嬢の顔がぱっと明るくなった。


「良かった。やっぱりそうよね」


どこか嬉しそうなその様子を見ていると、彼女はさらに身を乗り出すように続けた。


「それにね、総司様みたいな人は誰か一人を特別に想ったりしないでしょう?」


僕の指先がわずかに止まる。
でも彼女は気付かないまま、笑顔で言葉を紡いだ。


「私もそうなの。もちろん友人とかそれなりに大切な人はいるわ。でも、この人がいないと駄目だとか、この人だけは特別だとか、そういう感覚が昔からよく分からないの。だから流行りの恋愛小説とか読んでみたけど、全く共感できなくて。だから総司様を見てると安心するのかもしれないわ」 

「なんで?」

「無理に特別になろうとしなくていいって思えるからかしら。総司様って、誰に対しても同じ距離で接していて、良い意味であまり執着がないというか……皆に対して等しく関心や興味が薄そうだもの。総司様の噂を聞いて、確信したわ」


そう言って小さく微笑む彼女の表情には悪意なんて欠片もなく、ただ自分の感じたままを素直に口にしているだけなのだろう。
僕はそんな彼女を見つめながら、すぐには言葉を返すことができなかった。

もしセラ嬢と出会う前の僕だったなら、その意見に迷うことなく同意していたと思う。
誰か一人の存在に心を振り回されるなんて愚かしいことだと考えていたし、人間関係なんて所詮はその場限りのものだと割り切っていた。
誰かがいなくなったところで生きていけなくなるわけではないし、たった一人のために人生そのものが変わってしまうなんて、物語の中だけの大袈裟な話だと思っていた。

けれど、いつからだろう。
気付けば僕の心には、何年ものあいだ変わることなく一人だけが居座り続けていた。
遠く離れていても忘れられず、何を見ても思い出してしまい、会えない時間の長さに胸を痛めることさえある。
その存在が、自分でも認めたくないほど深く人生に入り込んでしまっている。

だからこそ、今の彼女の言葉は、少しだけ苦しかった。
君が思っているほど、僕は誰にでも同じじゃないよ。
その言葉だけは胸の奥へ静かに飲み込みながら、僕は何事もなかったかのように柔らかな笑みを浮かべる。


「そうかもしれないね」


その返事に千嬢は満足そうに頷いた。


「それなら私達、似た者同士だから上手くやっていけるわ。私は大公家で領地運営について学んできたし、公爵夫人としての仕事も問題なくできると思う。それに、あなたに何かを求めることも基本しないわ」

「それは助かるな」

「ただし最低限の体面くらいは保ってもらうわよ。夫婦なのに殆ど顔も合わせないなんてことになったら周囲に余計な詮索をされるもの」

「ああ、なるほどね」

「だから、たまに食事くらいは付き合ってもらうわ。あと夜会も」

「それくらいなら別にいいけど、案外要求が多いな」

「夫婦なんだから当然でしょう?愛情は求めないって言っているだけで、円満な夫婦を演じないとは言ってないもの」


そう言いながら彼女は楽しそうに笑う。
得意げに微笑む彼女を見ながら、僕は内心少しだけ安堵していた。
少なくとも彼女は、この結婚に幻想を抱いていない。
僕が与えられないものを求めてくることもないだろうと、彼女の話を静かに聞いていた。

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