7

夜会に参加した後は、休む暇もなく挨拶回りに追われることになった。
僕がこの地に滞在しているという事実を、できるだけ多くの貴族達に印象付けておかなければならない。
千を伴いながら会場を回り、各地から訪れている有力貴族や近隣領地の領主達に順番に挨拶をしていった。
その甲斐あってか、一通りの挨拶を終えた頃には周囲からも十分な注目を集められていた。

これで今夜の目的は果たしたと言っていい。
ようやく一息つこうとした時、見慣れた四人組がこちらへ向かってくる。
先頭を歩いていた相馬は、僕達の前まで来ると騎士らしく丁寧に一礼した。


「隊長、随分と遅かったですね。お疲れ様です。そして公爵夫人、ご機嫌麗しゅうございます」

「ご機嫌よう。あなたたちも来ていたのね」

 
千が微笑みながら応じると、隣にいた三木が肩を竦めた。


「はい、そうっすよ。隊長に夜会も経験した方がいいって言われましたからね。正直、こういう場所は性に合わねぇんですけど」

「その割には随分楽しそうじゃない」


千がそう言うと、三木は少し気まずそうに頭を掻く。


「まあ、料理は美味いですし」

「貴様は食うことしか考えておらんのか」


武田が呆れたように口を挟むと、三木は露骨に嫌そうな顔をした。
そんな二人を押し退けるように前に出てきたのは龍之介だった。


「夫人、今日も凄く綺麗だぞ!さっき向こうで見かけた時なんか、みんな夫人のこと見てたんだからな!」

「ふふ、ありがとう」

「いや本当だって!隊長なんかもっと感謝した方が」

「伊吹くん」


相馬の静かな声が飛ぶと、伊吹は肩を跳ねさせた。


「あ、悪い!」


相変わらず騒がしい彼らを見て、千も思わず苦笑していた。
すると武田がテーブルからワイングラスを取り上げ、優雅な仕草で千に差し出す。
その口元にはいつもの妖艶な笑みが浮かんでいた。


「夫人。先程から延々と挨拶回りをしていたのであろう。貴族共との愛想笑いほど疲れるものもない。少し休まれた方が良いのではないか?」

「ありがとう」


千は微笑みながらグラスを受け取る。


「でも疲れているのは私だけではないもの。総司の方が疲れた顔をしているわ」

「隊長がお疲れとは珍しいですね」

「確かに。隊長ってこういう場でも全然顔に出さねぇもんな」

「そうそう! 隊長いつも余裕そうだしな!」

「だが今日は少々様子が違うな。機嫌が悪そうだ」


武田の言葉を聞いて、他の三人が一斉に僕を見た。
不思議そうな顔を並べる彼らに、僕は小さく肩を竦める。


「別に。少し疲れただけだよ」


精神的な疲労というものは、案外身体の疲れよりも人を消耗させるものなのかもしれない。
そんなことを考えながら何気なく振り返ったその時、不意に一人の男と視線がぶつかった。
もう二度と会うことはないと思っていたその面影に、僕は思わず目を見開く。
そしてそれは向こうも同じだったらしい。
常に冷静沈着で、滅多なことでは表情を変えないはじめ君が、瞳を大きく見開き言葉を失ったようにこちらを見つめていた。


「……総司」


低く漏れたその声に、隣にいた龍之介が不思議そうに首を傾げる。


「なんだ、隊長。知り合いか?」


龍之介の声はよく通る。
だからこそ、その場にいた人々の視線が一斉にこちらへ集まり、はじめ君の傍らにいた面々もまた、何事かと僕たちに目を向けた。


「どうした、斎藤」


王太子が訝しげに問いかけると、はじめ君はわずかに息を呑みながら首を振る。


「いえ……」


彼の周囲には、懐かしい顔ぶれが揃っている。
まず目に飛び込んできたのは、もちろんセラ嬢だった。
その隣には、アストリア騎士団の訓練場で幾度となく剣を交えた伊庭君と平助君の姿があり、更にその奥には王太子と、その面差しが驚くほどよく似たルヴァン王国の王女だと思われる女性が並んでいた。
王太子と王女は状況を掴めず不思議そうに首を傾げていたけど、それ以外の者たちは皆、僕の存在に気付いた途端、信じられないものを見るように目を見開いている。
そんな沈黙を破ったのは千だった。


「あら、偶然ですね。先程はどうも」


柔らかな笑みを浮かべながら一歩前へ出た千に続き、セラ嬢も柔らかく微笑む。


『先程はありがとうございました。またお会いしましたね』


穏やかな声だったけど、その瞳の奥に浮かんだ驚きまでは隠しきれていない。
すると王太子が不思議そうに二人を見比べた。


「こちらの方々は?」


その問いかけを受けたセラ嬢は、淑やかな笑みを崩さないまま、僕たちに手を差し向けた。


『殿下、ご紹介いたします。こちらはアルディオン公爵、総司様と、公爵夫人であられる千様です』


その紹介が終わった直後、王太子の瞳がはっきりと揺れる。
王女も息を呑むように僕を見つめたものの、すぐにその視線は逸らされた。
母の件にはルヴァン王国も関与していたこともあり、恐らく僕のことは知っているんだろう。
その反応だけで十分理解できた。


「はじめまして。アルディオン公爵家当主、総司と申します」

「妻の千でございます。本日はお目にかかれて光栄です」


すると王太子は一瞬だけ表情を引き締め、それから丁寧に礼を返した。


「これはご丁寧に。ルヴァン王国王太子、薫だ」

「はじめして。王女の千鶴と申しますわ」


そう名乗った彼らの視線は礼儀正しく僕に向けられていたものの、その奥には隠しきれない警戒が混じっていた。
敵意というほど露骨ではないものの、歓迎とも違うどこか冷めた色をしている。
そんな中、王太子がふとセラ嬢に視線を向けた。


「まさかこんな場所で、帝国にその名を轟かせたアルディオン公爵に会うことになるとは思わなかったな。人の縁というのは本当に不思議だ。一度途切れたように見えても、思いがけない形で再び巡り合うことがあるからね。まあ、それが必ずしも望ましい再会とは限らないけど。そう思わない?セラ」


穏やかな笑みを浮かべながら語られたその言葉に、僕のこめかみはぴくりと揺れた。
ここまで露骨な物言いをするとは思わなかった。
しかも、その問いをセラ嬢に向けるあたりが余計に癇に障る。

この男も僕と似たようなものなのかもしれない。
王太子という立場にいても、案外独占欲が強いらしい。
恐らくこの男は、自分より前に彼女と縁を結んでいた僕が気に入らないんだろう。
だからこそ、わざわざセラ嬢に同意を求めるような真似をしているのだと思えた。
まるで彼女の口から、再会など望んでいなかったと言わせたいみたいに。
そんな思惑が嫌でも伝わってきて、胸の内の苛立ちはますます募っていくようだった。

視線を向ければ、セラ嬢は目を見開いていた。
さすがに、こんなことを聞かれるなんて予想していなかったんだろう。
困ったように瞳を揺らし、どう言葉を返すべきか迷っている様子が見て取れる。
でもその微妙な沈黙を破ったのは、またしても龍之介だった。


「え?セラ嬢ってまさか、あのアストリアのセラ嬢か!?」

「伊吹君……!」


相馬が慌てて龍之介の肩を掴み、半ば無理やり頭を下げさせる。


「申し訳ありません……!失礼いたしました!」

『いいえ、お気になさらないでください』


セラ嬢は少しも気分を害した様子を見せず、いつも通り穏やかに微笑んでいた。
けれど彼女の周囲にいる者達は違う。
僕に向けられる視線が決して好意的なものではないことくらい、その鋭い視線から嫌でも伝わってくる。
そしてそんな空気の中、はじめ君が静かに口を開いた。


「騎士の教育が出来ていないのだな」


感情を込めた非難というより、ただ事実を述べているような声音だった。
でもその言葉に僕か反応するより先に、王太子が小さく肩を竦める。


「まあ、未熟さなんて誰にでもあるものだろ。もっとも、そういうものを見過ごすか、きちんと向き合うかは、導く立場にいる人間次第なんだろうけどね」


王太子がそう言った直後、今度は僕の隣の空気が変わるのを感じた。


「……は?」


低く押し殺した声を漏らしたのは三木だった。
普段なら多少の嫌味など受け流すのに、今の言葉には反応せずにいられなかったのだろう。
三木が一歩踏み出しかけた気配を感じ、僕はすぐに声をかけた。


「三木、余計なことはしないで」

「ですが……」

「いいから」


笑みを崩さないまま制すると、三木は納得していない顔のまま口を閉ざす。
それを確認してから、僕は改めて穏やかな微笑みを浮かべた。


「申し訳ありません。僕の教育が足りていなかったようです。不快な思いをさせてしまったのでしたら、お許しください」

『いいえ。そんな……頭を上げてください。私の方こそ先程は総司様に大変なご迷惑をおかけしてしまったのに』

「は?なに?セラは公爵と会ってたの?」


咄嗟に僕を庇うために言ってくれただろう彼女の言葉は、今度は王太子を刺激したらしい。
彼女は目を見開いたまま僅かに固まり、すぐに先程の出来事を簡単に説明していた。


「バルコニーから落ちたって……、どうしたらそんなことになるんだ!危ないだろ!」

「薫、煩いわよ。セラさんに怒鳴らないで」

「そもそも殿下がセラを一人にするから悪いのでは?」

「それは……確かに俺が悪かった。ごめん、セラを一人にして」

『いいえ。薫様は大切なお話し合いがあったのですから、仕方のないことだと思います。どうか謝らないでください』

「僕達も来るのが遅れてしまってごめんなさい。セラの護衛として常に側にいたかったのですが、予定より別の任務が長引いてしまって」

「俺もごめん。でもこれからはちゃんと側で護るからさ!」

『伊庭君と平助くんも、そんなに謝らないで。私が張り紙に気付かなかったからいけなかったの』


次から次へと向けられる心配と謝罪。
それはセラ嬢がどれほど大切にされているのかを何より雄弁に物語っていた。
昔から人に愛される子だったけど、こうして改めて目の当たりにすると、その存在の大きさを思い知らされる。
そして大切に想われているからこそ、彼らは僕を快く思っていないのだろう。
彼女の周囲にはもう確かな居場所があって、その輪の中に自分の居場所はないのだという事実だけが、妙にはっきりと見えてしまったように感じられた。
目の前の光景をぼんやり眺めていると、隣から小さなため息が聞こえた。


「これ、いつまで続くのかしら……」

「さあね」


王族を前にして無言のまま立ち去るわけにもいかず、僕は気付かれないよう小さく息を吐き出した。
正直なところ、この場から一刻も早く離れたかった。
懐かしい顔ぶれが揃っているだけでも落ち着かないのに、その中心にはセラ嬢がいる。
しかも彼女は何事もなかったかのように穏やかな笑顔を浮かべているから、なおさら居心地が悪い。
そんな僕の内心など知らないまま、セラ嬢が僕達の方に向き直り、申し訳なさそうに眉を下げた。


『あ……お引き止めしてしまって申し訳ありません』

「いいえ。セラ嬢は皆様に慕われていらっしゃるのですね。とても素敵なことだと思いますよ」

『千様こそ、本当にお幸せそうで羨ましいです。総司様は帝国の剣と称されるほどお強くていらっしゃいますし、こうして信頼の厚い騎士の皆様も常にお側におられるのでしょう?とても心強く、頼もしいことですよね』

「ふふ、ありがとうございます」


そう言いながら千は僕に一瞬だけ視線を向ける。
僕が微笑み返せば、少しは仲睦まじい夫婦のやり取りに見えるだろう。
けれどその光景を見つめるセラ嬢の瞳は相変わらず穏やかなままで、気にした素振りも見当たらないことが、かえって僕の胸を重くさせた。
やがて場の空気を切り替えるように、王太子がゆっくりと口を開く。


「さて、俺たちはそろそろ失礼しようか」


その一言で会話は自然と終わりに向かった。
はじめ君が静かに一礼し、伊庭君も平助君もそれに続く。
王女も優雅に会釈をし、最後にセラ嬢が柔らかな微笑みを浮かべながら頭を下げた。


『本日はお会いできて嬉しかったです。それでは失礼いたします』


その言葉に形式的な返礼を返しながら、僕は内心で小さく息を吐く。
ようやく終わった、これ以上彼らと顔を合わせずに済む。
そう思った矢先だった。
王太子がふと立ち止まり、振り返る。
その顔には変わらず穏やかな笑みが浮かんでいたけど、その瞳の奥にあるのはただの善意ではなかった。


「そういえば」


王太子は僕と千を交互に見つめて、その整った顔により一層笑みを浮かべた。


「千嬢はお美しい方ですね。聡明で気品もあって、公爵夫人としても申し分ない。公爵とはまさに理想のご夫婦という印象だ」

「まあ、ありがとうございます」


隣で千が恐縮したように微笑む。
でも王太子の言葉はそこで終わらなかった。


「俺も来月にはセラ嬢と婚約する予定だ。君達のように仲睦まじい夫婦を目指すつもりでいるよ」

「そうなんですね。それはおめでとうございます」

「ありがとう。君達も、どうか末永くお幸せに」


僕に向かって、ふっと意味ありげな笑みを浮かべると、王太子はそのまま踵を返した。
最後のその表情が、妙に胸に引っ掛かる。
まるで僕の胸の内を見透かしているかのような、余裕に満ちた笑みだった。

やがて王太子は先を歩くセラ嬢を呼び止め、その肩をそっと抱き寄せる。
セラ嬢も自然にその隣に寄り添い、二人は何か言葉を交わして微笑み合いながら人混みの中へと消えていった。
その後ろ姿を見つめながら、僕は小さく奥歯を噛み締める。
今日一日で積み重なった苛立ちの中でも、今のやり取りは間違いなく一番不愉快だった。

王太子の最後の言葉は、ただの祝福ではない。
少なくとも僕にはそう思えなかった。
君には既に妻がいる、だから金輪際セラに関わるな。
言葉にすればそんなところだろう。
王太子は僕の心情なんて何も知らないはずなのに、あの穏やかな笑顔の奥には確かな牽制があった。

セラ嬢の隣に立つ男としての余裕も、勝者のような態度も、その全てが癪に障る。
気付けば手にしたグラスを握る指先に力が入り、琥珀色の液面が僅かに揺れていた。

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