9

夜会の会場を後にした僕は、千と別れて東部に向かっていた。
千は中部の宿舎で一泊し、明日の朝に公爵邸に戻るらしい。
ローゼンガルド家の屋敷に帰る様子がなかったところを見ると、両親との関係は相変わらず芳しくないことが伺えた。
千にはこれから重大な任務に携わることだけは伝えていたものの、その内容までは話していない。
たとえ公爵夫人であっても、今回の計画は機密事項だ。
今夜の夜会への出席すら計画の一部であることを、彼女は知るはずもなかった。

しばらく馬を走らせ、僕たち五人は東部の宿舎に辿り着いた。
ここ数日ほとんど休めていなかったから、今夜こそは早く眠りたい。
でもようやく着替えを済ませてベッドに入ろうとしたその時、廊下の向こうから聞き慣れた話し声が近付いてきて、いつもの四人が当然のような顔で僕の部屋に入り込んできた。


「なんだよ、隊長。もう寝るのか?」

「こんなに早く就寝とは。年寄りのようだな」

「いや、あと少しで日付が変わりそうなんだけどね」

「隊長、今日もお疲れ様でした」

「マジで夜会ってのは疲れるよなぁ。俺にはああいう堅苦しいのは性に合わねぇぜ」


呆れながら部屋を見回せば、三木と武田はいつの間に持ち込んだのか酒瓶を取り出して勝手に飲み始めているし、龍之介と相馬はすでにソファーに腰を下ろして寛ぎ始めている。
完全に長居するつもりらしい。


「ねえ、僕は寝たいんだけど」


そう抗議してみたものの、返ってきたのは同情するような、あるいは何かを察しているような生温かい視線だった。
三木と相馬にじっと見つめられ、僕は思わず眉をひそめる。
すると、その空気を察したらしい武田がグラスを傾けながら口を開いた。


「それにしても、アストリア家のご令嬢は実に見目麗しかったな。噂には聞いていたが、あれほどと思わなかったぞ」


武田が誰かを素直に褒めるなんて珍しい。
だからこそ余計に耳に残ったのかもしれないけど、今夜ばかりはセラ嬢のことを考えたくなかったから、何も答えず黙り込んだ。
すると今度は三木が腕を組みながら感心したように続ける。


「ああ、俺も正直驚いたぜ。もっとこう冷たくて近寄り難い女かと思ってたんだがな。実際会ってみりゃ全然違ぇじゃねぇか」

「だろだろ!?俺もそう思ったんだよ!なんつーかさ、あれだ、天使だろ!天使!俺、最初見た時マジで天から降りてきたのかと思ったぞ!」

「は、天使ね」


思わず鼻で笑ってしまったものの、その言葉は皮肉にも僕の胸に真っ直ぐ突き刺さった。
確かに以前の僕も似たようなことを考えていた。
いや、以前どころか今夜だってそうだった。
頭上から落ちてきた彼女と目が合った時、月明かりを背負いながら僕を見つめるその姿に、不覚にも本気で天使かと思ってしまったんだから。

だけど、その天使は残酷だった。
愛らしい笑顔も、人を疑うことを知らないような優しさも、昔から何一つ変わっていないのに、その全てが今の僕には苦しかった。
かつては甘い蜜のように心を満たしてくれた優しさが、今では傷口に流し込まれる毒のように胸を蝕む。
もう手の届かない場所へ行こうとしている相手から向けられる優しさほど、人を惨めにさせるものはない。


「隊長。今日、何かありましたか?」


不意に相馬の落ち着いた声が聞こえ、僕は意識を引き戻された。


「何かって?」

「いえ。ただ、随分お疲れのようでしたので」

「まあ、疲れてはいるけどさ。皆も同じでしょ?」

「そういう意味ではありません」


相馬は静かに首を横に振った。


「隊長の場合、体力的な疲労というより精神的な疲れに見えたんです。あと数日後には計画の実行日も控えていますし、俺たちで良ければ話を聞きますよ」


その言葉を聞いて、僕は思わず四人を見渡した。
酒を飲みながらも、三木も武田も龍之介も、誰一人ふざけた顔はしていない。
全員が真面目な瞳で僕を見ていた。

もしかすると、本当に僕の様子を心配してここに来たのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎり、少しだけ胸がむず痒くなる。


「別に何もないよ」

「そうは見えぬがな」

「そうだぜ。抱え込むより吐き出した方が楽になることだってあるだろ」

「だから何もないってば」


僕が素っ気なくそう言うと、龍之介が勢いよく身を乗り出した。


「でも今回の計画って凄いよな!だってセラ嬢をこっちに連れて来るんだろ?あの感じの悪い王太子だって絶対慌てるしさ。それにセラ嬢だって隊長の傍にいれば、また隊長のことが好きになると思うんだ」


龍之介はそう言って豪快に笑うから、その単純さに思わず苦笑が漏れる。
でも三木も武田も相馬でさえ、程度の差こそあれ龍之介と似たようなことを考えているらしく、誰もその言葉を否定しなかった。

おそらく皆、今日の夜会でセラ嬢と王太子の姿を見た僕が少なからず傷付いていると思っているんだろう。
もちろん、それが全くの見当違いというわけじゃない。
あの子の隣に立つ男を見て何も思わなかったわけじゃないし、胸の奥に残る痛みが消えたわけでもない。

でも僕の中にあるのは、そんな分かりやすい感情だけではなかった。
なぜなら、たとえこの計画が成功してセラ嬢を手元に置けたとしても、あの日々はもう戻らない。
ただ彼女が笑っていてくれれば満足だった頃の僕も、その笑顔を守りたいと願っていた頃の僕も、もうどこにもいない。
五年という時間の中で、僕自身が変わり過ぎてしまったんだから。
だから今さら昔のように好かれたいとも思わないし、あの頃の関係を取り戻せるとも思っていない。
それでもなお、彼女を手放せない自分がいることだけは否定できなかった。


「まあ……今回の計画が成功すれば、結果的にあの王太子には痛手になるだろうね。でも僕は別に、それでセラ嬢の気持ちを取り戻そうなんて思ってないよ。今さら振り向いてほしいとか、昔みたいに好かれたいとか、そんなことを考えているわけじゃないしね」


相馬が意外そうに目を瞬かせる。


「そうなんですね」

「だったら何のためにやるんだ?」


龍之介の問いに、僕は笑みを浮かべて言葉を続けた。


「北部の現状くらい君達も知ってるでしょ。小麦の価格は上がり続けているし、冬になれば北の港が氷に閉ざされるせいで、東部の港と物流に頼らざるを得ない。軍事力だけを見れば北部の方が上でも、食糧と流通を握られている以上、本当の意味で主導権はこちらにはないんだよ。東部はその優位性を理解しているからこそ、ずっと強気な態度を崩さないけど、そんなのって癪でしょ?だから今回の計画は、セラ嬢を人質として帝国が預かることで、その歪な力関係を壊すためのものなんだ。東部に握られている首根っこを振りほどいて、北部が主導権を取り戻すためにね」


誰も反論しないのは、それが感情論ではなく現実の話だと分かっているからだ。
それでも龍之介だけは納得しきれない顔をしていた。


「じゃあ隊長がセラ嬢を手に入れるための計画じゃないのか?」

「そんな個人的な理由で兵を動かせるわけないでしょ」


即座に返すと、龍之介は本気で驚いたように目を丸くした。
その反応に三木が呆れたように酒を飲む一方で、武田は眉を顰めて僕を見た。


「伊吹の愚鈍さには毎度呆れ果てるが、そもそもその娘は本当にそこまでして人質として確保する価値があるのか?貴様の私情を抜きにして答えてみろ」


詰問するような視線を向けられ、僕は小さく笑った。


「あると思うよ。何よりセラ嬢は東部軍を統括するアストリア公爵家の一人娘だ。それに近いうちに王太子妃になるはずだった女性でもある。彼女一人の身柄で動く人間は決して少なくない。それに、はじめ君もそうだ。今日いたレーヴェルン公爵家の嫡男は昔からあの子をとても大切にしているからね」


すると相馬が静かに言葉を継いだ。


「レーヴェルン領は帝国最大級の穀倉地帯ですからね。現在の北部はその供給に大きく依存していますから、レーヴェルン公爵家に対する発言力を少しでも確保できれば、その政治的価値は決して小さくはないでしょう」

「そういうこと。連中は下手に帝国を刺激して、セラ嬢に危険が及ぶことだけは避けたいと思うはずなんだ。王太子も、近藤公爵も、はじめ君もね。だから多少不利な条件でも呑まざるを得なくなる。たとえ内心では納得できなくても、セラ嬢を危険に晒す賭けには出られないだろうってこと」

「だが、本当にそんな都合よく進むのか?むしろ奪い返しに来る可能性もあると思うんだが」


三木の言葉に、僕は思わず笑ってしまった。
すると彼は露骨に眉を顰める。


「何がおかしいんだよ」

「いや、別に。確かにその可能性も十分あるだろうなって思っただけ」


そう言ってから、僕はゆっくりと目を細めた。


「近藤公爵も、王太子も、はじめ君も、セラ嬢を取り戻すためなら何だってすると思うよ。多分そのまま泣き寝入りはしないだろうね」


そこまで言ってから、ふっと口元を緩める。
それは楽しい話をしている時のような笑みだったのかもしれない。
少なくとも龍之介はそう感じたらしく、途端に顔を引き攣らせていた。


「でも、もし本当に奪い返しに来るなら、それはそれで構わないかな。結局は全面戦争になるだけでしょ?だったら話は簡単だよ。東部が力で解決したいなら、こっちも遠慮する必要はない。徹底的に叩き潰して、東部ごと血祭りに上げればいいだけだから」


静まり返った室内に、自分の声だけがやけに穏やかに響いた。


「むしろその方が楽しそうじゃない?外交だの交渉だの面倒な手順を踏まなくても、堂々と邪魔な奴らを消せるんだから」


実際にそうなれば、その通りにするだけの話だ。
戦争になれば多くの人間が死に、街も焼かれる。
家族を失う者もいるだろう。
そんな当たり前の未来を思い浮かべても、不思議なくらい心は動かなかった。
必要ならやる、それだけだ。


「うわ……隊長、やっぱ怖ぇ……」


龍之介の呟きを聞き流しながら、僕は気怠げにベッドへ身体を投げ出した。
数日後にはアストリア領に出向く日。
その作戦の中核を担うのは間違いなく僕自身なのに、なぜか現実味が薄かった。
天井を見上げながら、静かに息を吐く。


「だからね、そもそもセラ嬢が僕を好きになることなんて、もうないと思うよ。むしろ恨まれるだろうね。だって僕はこれから、あの子が守ろうとしてきたものを壊しに行くんだから」


故郷も、家族も、未来も。
彼女が大切に抱えてきたもの全てを踏みにじる側に、僕は立つ。
この計画がセラ嬢を傷付けることになることは最初から分かっていたけど、それでも僕は止まるつもりはない
たとえ軽蔑されても、憎まれても、泣かれても構わない。 
今さらそんなもので揺らぐくらいなら、とっくにこの計画から手を引いているし、そうまでしても、あの子が誰か別の男の隣で生涯を終える未来は耐えられなかった。
そんな身勝手で醜い執着を抱えている自分を理解しているからこそ、綺麗事を並べるつもりもなかった。


「隊長は、それで本当に宜しいんですか?」


相馬の問いかけに、僕はしばらく黙っていた。
胸の奥には、今日の夜会で見たセラ嬢の姿がまだ焼き付いている。

王太子の隣で微笑む姿、僕には向けられなかった柔らかな眼差し。
あれだけで十分だった。
僕が彼女にとって特別な存在ではないことくらい、嫌というほど理解できたんだから。


「うん。構わないよ。帝国に利益をもたらして、その上でセラ嬢を手元に置ける方が合理的だからね。少なくとも僕にとっては、その方がずっと価値があるよ」


それは虚勢でも慰めでもなく、本心だった。
現にこの計画が本格的に動き始めてからというもの、僕はどれほど膨大な仕事を押し付けられても不思議と苦にならなかった。
帝国の剣となって以来、何のために剣を振るい、何のために戦い続けているのか分からなくなることもあったけれど、今は違う。
手を伸ばす先に明確な目標がある。
それだけで、人間というのは驚くほど前に進めるらしい。


「じゃあさ、セラ嬢を連れてきた後はどうするんだ?」


龍之介の問いに、僕はベッドへ横たわったまま視線だけを彼に向けた。
 

「どうするって?」

「ちゃんと仲良くするのか?まさか閉じ込めたまま、虐めるんじゃないだろうな」


眉を吊り上げながらそう言う龍之介に、僕は思わず吹き出してしまう。


「さあ、どうかな。そこまではまだ考えてないけど。でも特別扱いはしないよ。だって人質だからね」


そう答えながら、僕は薄く目を細めた。

今頃、北部では東部に対する警戒心が着実に植え付けられている頃だろう。
ルヴァン王国との関係改善に向けた協議を東部が拒絶したこと、アストリア公爵家が軍備を増強していること、さらには王族が南部との接触を深めていること。
そうした事実の断片に都合のいい解釈を付け加えながら、東部が北部への侵攻を企てている危険な勢力であるかのような情報が各地に故意的に流されている。
元々小麦の高騰などで東部に不満を抱いていた民衆は、少しずつ「東部は危険で煩わしい存在なのではないか」という認識を抱き始めているはずだった。

もちろん、出回っている情報の全てが事実というわけじゃない。
けれど政治の世界では、真実そのものよりも、人々が何を信じるかの方が遥かに重要だった。

今回の計画に莫大な資金と兵力が投入される以上、帝国政府には国民を納得させるだけの大義名分が必要だった。
東部を潜在的脅威として印象付けることができれば、今回の軍事行動は侵略ではなく安全保障上の必要措置として受け入れられる。
そして交渉を優位に進め、帝国に有利な講和条約を締結できれば、慢性的に続いていた流通問題も改善に向かい、小麦をはじめとした生活必需品の価格高騰に苦しんでいた市民達も恩恵を受けることになる。
そうなれば帝国政府への支持も高まり、遠征を成功させた僕達の評価も自然と上がる。
統治する側から見れば理想的な結果だ。

もっとも、利益を得る者がいる以上、その代償を支払わされる者も当然存在する。
北部の民衆が抱いていた不満や怒りは、今度は東部に向けられることになるだろう。
そしてその不満は、都合よく形のある対象に向けられるものだ。
講和条約によって東部との関係が再編されたとしても、全ての帝国民がその価値を理解するわけじゃない。
中には公爵令嬢一人を連れ帰るくらいなら、もっと多くの領土や財宝、あるいは交易利権でも奪った方がよかったのではないかと考える者もいるだろう。

だからセラ嬢は歓迎されない。
東部の象徴であり、公爵家の令嬢であり、そして帝国に連れて来られた人質。
それだけで十分に憎しみや不満の受け皿になり得る。
本来なら彼女は政治的均衡を保つための重要な保証人であり、一人いるだけで東部全体の行動を縛ることのできる極めて価値の高い存在だけど、そうした国家的価値を理解できる者は多くない。
だからこそ、あの子が帝国へ来た後に待っているのは歓迎ではなく警戒であり、同情ではなく猜疑心だろう。
そしてそのことを誰よりよく理解している僕自身が、そんな未来にあの子を引きずり込もうとしているわけだから、龍之介が言うような仲良い関係になんてなれるわけがなかった。


「俺は隊長の指示通りに動きます。ですが、後悔だけはされないようにしてください」


相馬からの真面目な言葉に、僕は思わず苦笑した。


「今さらだね。もう全部動き始めてるのに」


作戦は既に最終段階に入っている。
帝都では世論形成が進み、各方面への根回しも終わり、必要な人員も資金も動き始めていた。
今さら誰か一人の感情で止められるような計画ではないし、そもそも僕自身に止める気なんて最初からない。
部屋の中に束の間の沈黙が落ちたけど、その静寂を破ったのは三木だった。


「まあ、俺は計画自体に異論はねぇよ。東部を従わせるにはこれが一番被害が少ねぇ。このまま放っておいて数年後に本格的な衝突になるより、よっぽど温和な解決法なんだろうしな。ただセラ嬢を連れてきた後の方が面倒だと思うぜ」

「隊長も理解しているだろうが、東部を屈服させた後は外交の問題になる。軍事の話より余程厄介だ。敵を斬れば終わる戦場とは違うからな」


武田もそう言って、いつになく深刻な音色で言葉を継ぐ。


「連れ帰る娘は単なる人質ではない。講和条約そのものの担保であり、東部との関係を維持するための政治的象徴だ。下手に扱えば東部が反発し、甘やかせば帝国内から不満が出る」

「その点は十分理解してるから大丈夫だよ」


僕は気楽な口調で答えながら天井を見上げた。


「だから公爵邸の外に無闇矢鱈と出すつもりもないし、余計な人間に近付けるつもりもないから」


本来なら人質という存在は表舞台へ出すものではない。
価値があるからこそ失わないために管理する。
そのくらいのことは僕だって理解しているつもりだったけど、相馬は納得していないようだった。


「今回、隊長は人質相手がセラ嬢だったからこそ、迷わずアルディオン公爵家で受け入れることにされたんだと思いますが……」


相馬は少し言葉を選ぶように視線を落とした後、静かに続ける。


「隊長の事情を知らない者達からしたら、面倒な役回りを押し付けられたようにしか見えないと思うんです。つまり俺が危惧しているのは、むしろ公爵邸の中の人間です」


その言葉に僕は僅かに眉を顰めた。
すると相馬は困ったように眉を下げる。


「例えば公爵夫人や側室であるニコラ様やリリアナ様は歓迎はされないでしょう。他にセラ嬢の貰い手はいなかったのかと思う筈ですよ」


確かにその可能性はあるし、むしろそう思って当然だろう。
公爵家という場所は慈善事業をするために存在しているわけではない。
ましてや他領の令嬢を人質として受け入れるなんて、面倒以外の何物でもないから。
でも、僕は気にならなかった。


「まあ、そうかもしれないね」


あっさりとそう答えると、相馬が僅かに目を瞬かせる。


「でも、それは仕方ないんじゃない?だって事実だからね。あの三人からすれば、自分に何の利益もないどころか、突然厄介な仕事が増えるようなものだろうし、歓迎されないのも当然だよ。それに僕だって逆の立場なら同じことを考えると思うよ。どうしてうちが引き受けるんだってね」


龍之介が思わず吹き出した。


「隊長、自分で言うのかよ」

「だって事実だし。ただね」


そこまで言いかけたところで、胸の奥に鈍い苛立ちが広がるのを感じた。
相馬の言葉は間違っていないし、むしろ正しいのだろう。
千も、ニコラも、リリアナも、セラ嬢が公爵邸に来ることを快く思わない可能性は十分にある。
でもそれを想像した途端、酷く気分が悪くなった。

元々あの三人との婚姻は政治のためのものだ。
家を守るため、計画を進めるため、周囲を納得させるため。
必要だから結んだだけで、そこに愛情なんて欠片もないし、それは三人も理解している筈だ。

それなのに今になって、その関係が足枷のようにまとわりついてくる。
もし僕が独り身だったなら、こんな面倒なことを考える必要すらなかったのに。
ようやくセラ嬢を迎え入れようとしているのに、どうして他人の顔色まで窺わなければならないんだろう。
その理不尽さが、無性に腹立たしかった。


「僕は公爵家の当主だよ。たとえあの三人が不満に思おうが関係ない。受け入れると決めるのは僕だし、公爵家をどう動かすかを決めるのも僕だ。そもそも講和条約に関わる重要案件なんだから、あの三人に口を挟まれる筋合いなんてないしね」


吐き捨てるようにそう言いながら、僕は構わず続けた。


「それに文句があるなら皇帝に言えばいいって話だし、それでも納得できないなら公爵邸から出て行けばいいと思ってる。少なくとも僕は、セラ嬢を受け入れることで誰かの許可を取るつもりなんてないよ」


僕が少し強く言い過ぎたせいだろうか。
相馬はいつになくしゅんとした様子で肩を竦めた。


「そう……ですよね。出過ぎたことを言って申し訳ありません」

「いや、別に相馬が謝る必要はないから。心配してくれてるのは分かってるしね。それに皆には協力してもらいたいことなんかも出てくると思うから、悪いけど……よろしくね」


苦笑いをしながら上体を起こしてそう言うと、相馬はすぐに背筋を伸ばした。


「勿論です。隊長のご命令でしたらどのようなものであっても従いますし、セラ嬢のことも含め、俺に出来ることでしたら全力でお支えいたします」


その言葉に、龍之介が大きく頷く。


「俺も賛成だな。ようやく隊長が何年も追い続けてきたセラ嬢が来るんだろ?だったら歓迎するに決まってるじゃねぇか。護衛でも何でも必要なら言ってくれよ!」

「俺も同じだ」


三木も腕を組んだまま口元を緩めた。


「ここまで来たら最後まで付き合うさ。セラ嬢が帝都に来るなら、少しでも居心地良く過ごせるようにしてやりてぇしな」

「まったく、貴様らは揃いも揃って甘いな。だがまあ、私も異論はない。ようやく隊長がそこまで執着した娘が来るのだからな。歓迎くらいはしてやろう」

「みんな、ありがとう」


小さくそう呟くと、四人は当然だと言わんばかりに頷いた。

数日後にはアストリアに向かう。
その先に待つ未来がどんなものになるのかはまだ分からない。
それでも、少なくともこの場にいる仲間達は僕の選択を否定せずにいてくれるらしい。
だから今だけは、その事実が少しだけ心強く思えた。

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