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中部での舞踏会に出席してから数日。
今日は学院も休みだったこともあり、昼から薫様とはじめが私に会いに来てくださった。
けれど、いつもならそれぞれの馬車で来られるはずなのに、なぜか今日は二人揃って王家の馬車から降りて来られたものだから、不思議に思ってしまう。
首を傾げながら迎えると、薫様とはじめは顔を見合わせて意味深に微笑み合い、何やら秘密を共有しているような様子を見せていた。
その理由を尋ねても、二人ともどこか楽しそうに笑うばかりで教えてくれない。
一体何なのだろうと思いながら来賓室でお茶を楽しんでいると、不意に薫様が紅茶のカップを置き、こちらに視線を向けた。
「実はさ、斎藤が王国騎士団に所属することになったんだ」
突然告げられた言葉に、私は手にしていたマカロンを危うく落としそうになった。
『え?そうなんですか?』
驚いてはじめを見ると、彼はいつも通り落ち着いた笑みを浮かべていた。
けれど、幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた私にはわかる。
一見すると変わらないように見えても、その表情の奥には隠しきれない喜びが滲んでいて、はじめ自身もこの任命をとても嬉しく思っていることが伝わってきた。
「ああ。殿下に是非にと言って頂いてな。来月から王国の近衛隊に配属することに決まったのだ」
『近衛隊なんて。はじめ、凄いね……!』
思わず声が弾んでしまう。
王国近衛隊は、王家直属の精鋭中の精鋭だけが所属を許される特別な部隊だ。
剣技だけではなく人格や忠誠心、指揮能力に至るまで厳しく見極められ、その選抜は非常に狭き門として知られている。
名門貴族の子息だからといって簡単に入れる場所ではなく、むしろ誰よりも優秀でなければ認められない。
だからこそ、その近衛隊に選ばれたという事実がどれほど凄いことなのか、私にも十分理解できた。
昔からはじめは剣を振るうことが大好きだった。
けれど彼はただ剣術だけに打ち込んでいたわけではない。
公爵家の跡取りとして必要な勉学や政務の勉強も疎かにせず、その上で剣の腕まで磨き続けてきた。
その努力を知っているからこそ、胸の奥から自然と尊敬の気持ちが込み上げてくる。
『おめでとう。本当に凄い、私まで嬉しくなっちゃう』
「セラに喜んでもらえるのであれば何よりだ」
はじめの柔らかな声に、余計に喜びの感情が溢れてくる。
すると薫様が、どこか企みを含んだような笑みを浮かべながら口を開いた。
「斎藤が近衛隊になったっていうことは、どういうことかわかる?」
その言葉に私は首を傾げた。
何だろう。
近衛隊に入ること自体はもちろん凄いことだけど、それ以外にも何かあるのかな。
考え込んで数秒後、ふと一つの可能性が頭に浮かび、私は顔を上げた。
『もしかして、王太子殿下付きの近衛兵になったのですか?』
「まあ、今はね。でもそれだけじゃなくてさ」
薫様は楽しそうに笑うばかりで、肝心なことをなかなか教えてくださらない。
ますます気になって、私は薫様とはじめを交互に見つめる。
すると、はじめが静かに口を開いた。
「セラが正式に王家に嫁いだ暁には、俺がセラの近衛として配属できるよう陛下が手配してくださる予定だ」
思わず薫様を見れば、優しい眼差しで微笑んでくださっている。
王宮に嫁いだ後も、幼い頃から共に過ごしてきたはじめが近くで護ってくれる。
それだけでも心強いのに、私が安心できるようにと薫様が気を配ってくださったことが何より嬉しかった。
私のことを考えてくださったのだと思うと、胸いっぱいに幸せが広がっていく。
『わあ……薫様、ありがとうございます。はじめが私の近衛になってくれるなんて、とっても嬉しい。はじめもありがとう』
「ああ、俺もセラを護る役目に就けることを嬉しく思う」
『頼りにしてますね、はじめ卿』
「その呼び方は慣れないな」
はじめの言葉に微笑んでいると、不意に薫様がむすっとした顔になった。
「なんか……喜び過ぎじゃない?そんなに斎藤が傍にいると嬉しいの?」
そのあまりにもわかりやすい反応に、私は思わず笑ってしまう。
向かいの席では、はじめも小さく肩を揺らしていた。
王太子として堂々と振る舞われることも多い薫様だけど、こういうところは昔から少しも変わらない。
そんな変わらない姿を見ると、なぜだか心がほっとするから不思議。
『勿論嬉しいですけど、薫様が心配されるようなことはありませんよ?』
そう答えても、薫様はどこか納得がいかないように眉を寄せている。
すると今度は、はじめが穏やかな笑みを浮かべたまま口を開いた。
「セラの言う通りだな。殿下も少しは成長されては?」
「なっ、その言い方はなんだ!子供扱いするな!俺は王太子だぞ!」
むきになって言い返す薫様を見て、私はつい笑みを零してしまう。
王太子と近衛騎士という立場になっても、こうして気兼ねなく言葉を交わしている二人は昔のままなのだと感じられて、その光景が何だかとても愛おしく思えた。
『ふふ。でも嬉しいです。益々薫様の元に嫁ぐ日が楽しみになりました』
少し前までの私は、総司様が迎えに来てくださると信じていた。
十七歳のデビュタントを終えたら、八月のうちに迎えに行く。
あの約束は、離れて過ごした数年間ずっと私の支えだったし、淋しい時も苦しい時も、その言葉を思い出しては前を向いてきた。
けれど先日の舞踏会で偶然再会して、私はようやく現実を見ることができた。
だから大丈夫。
もう過去に縋ったりしない。
これからは前だけを向いて、今私の傍にいてくれる人達を大切にしながら、その人達と一緒に幸せになりたいと思う。
そんな決意を胸に薫様を見つめると、薫様は満足そうに微笑んだ。
「セラがそう思ってくれたなら良かったよ。ちなみに、斎藤が役に立たなかったら直ぐに俺に報告しなよ。速攻でクビにするから」
「あまり気軽に人の人生を左右しないで頂きたい。理不尽な理由で解任されるのは、流石に納得がいかないからな」
呆れたように返すはじめに、私はまたくすくすと笑いが止まらなくなる。
「理不尽じゃないよ。セラの安全が最優先だからね」
「その基準で言うなら、殿下ご自身が最も危険だと思いますが」
「は?どういう意味だよ」
「ご自身でお考えになられたら宜しいかと」
二人とも真面目な顔をしているのに、昔からこうして言い合っている姿を見ると何だか可笑しくて、幼かった頃を思い出す。
王太子殿下と近衛騎士。
立場は大きく変わっても、二人の関係だけは昔と変わらないままなのだと思うと、それがとても嬉しかった。
「おい、セラは笑い過ぎだ」
『あははっ、だっておかしくて。王宮でもいつもそんな調子なんですか?』
「知らないよ。斎藤は今日が近衛としての初仕事だからね」
『だからご一緒にいらしたんですね』
「それもあるし、俺達はこの後用があってね」
先程までの穏やかな空気とは少し違う声音に私が首を傾げると、はじめが静かに説明を続けた。
「殿下が南部へ向かわれる故、俺も他の近衛達と共に同行する予定なのだ」
『これからなんて大変ですね。ですが、どうして南部に?』
私が尋ねると、薫様は手元の紅茶を一口飲んだ。
優雅な所作でカップを置いた後、小さく息を吐き、僅かに眉を寄せる。
その表情を見ただけで、あまり良い話ではないのだと察した。
「北部のタルタリア帝国から王国宛てに正式な外交文書が届いたんだ。内容はかなり強引でね。東部港湾の共同管理権の譲渡、小麦価格の長期固定、それから帝国軍の駐留権まで要求してきた上に、南方諸国との軍事協力も制限しろと言ってきた」
思わず息を呑む。
それは外交交渉というより、主権への干渉に近い要求だった。
東部港湾は王国経済の要であり、小麦価格もまた国家財政に大きく関わる問題だ。
そこに他国軍の駐留まで認めれば、王国は帝国に対して極めて弱い立場に置かれてしまう。
『……そんな一方的な内容を?勿論、お断りされたんですよね?』
「ああ。あんな無茶苦茶な要求を呑めるわけがないと陛下も仰っていた」
薫様は呆れたように肩を竦めた。
けれど、その瞳には警戒の色が浮かんでいる。
おそらく王宮でも、様々な対応を進める準備をされているのかもしれない。
王太子という立場上、私には話せないこともきっとたくさんあるのだろう。
それでも今の表情を見れば、王宮が今回の件を決して軽く見ていないことだけは伝わってきた。
「そしてレーヴェルン公国にも昨日書簡が届いた。小麦価格の件で、一度帝国から外交使節団を派遣する可能性があると書かれていたらしい」
「セラのところには何か帝国側から来ていないか?」
その言葉を聞き、今朝の光景が脳裏に浮かぶ。
朝食後、お父様と山南さんが珍しく難しい顔をしながら話し合っていた。
何の話だろうと思っていたけど、今なら繋がる。
『先日、アストリアにも帝国の外交使節団から訪問要請があったと聞きました。今朝、父が本日使節団の方々がこちらに訪問されると丁度話していたんです』
私がそう答えると、薫様は「ああ、やっぱり来たか」と小さく息を吐いた。
「まあ、アストリアにまで接触してくること自体は予想の範囲内だけど、厄介だな」
『外交使節団として来る以上、無下にはできませんものね。けれど歓迎し過ぎれば余計な憶測を呼びますし、冷たく扱えばそれはそれで問題になります。結局、相手の意図を探りながら慎重に対応しなければならないのでしょう?』
「ああ。追い返せる相手なら簡単なんだけどね。向こうは友好を口実にしながら色々探ってくるだろうし、こちらも余計な情報は渡せないし」
「タルタリア帝国ほどの大国となると、何気ない会話一つでも後々の交渉材料にされるかもしれないからな」
「近藤公は優秀だから心配はしていないけど、それでも相手をするのは骨が折れるだろうな」
薫様の言葉に、私も小さく頷く。
穏やかな笑顔の裏で互いの思惑を探り合う外交というものは、剣を交える戦場とはまた違う意味で大変なんだろうと思った。
『本日は、その件があって南部に出向かれるのですか?』
私が尋ねると、薫様は静かに頷いた。
「ああ。帝国の要求を拒否した以上、これから先は外部との結束が何より重要になるからね。南部の諸侯達にも現状を説明しなければならないし、王家としての方針を直接伝えておきたいんだ」
そう言って紅茶のカップに指を添えながら、薫様は続ける。
「それに南部は海運と交易の要でもある。帝国が東部港湾の共同管理権を求めてきた以上、向こうが今後どんな動きを見せるかわからないから、念のため各地の領主達とも話をしておきたいんだよ」
『そうだったのですね……』
私が頷くと、薫様はふっと微笑んだ。
「まあ、今すぐ戦になるような話じゃないよ。ただ、こういう時だからこそ王家が動いている姿を見せることも大切なんだ」
その声はいつもと同じ穏やかなものだったけど、王太子としての責任と覚悟が滲んでいた。
幼い頃から知っている薫様なのに、こうして国のことを語る姿を見るたびに、以前よりずっと大人になられたような気がする。
同時に、薫様が未来の王として真剣に国を支えようとしていることが誇らしく感じた。
『薫様もはじめも、どうかお気を付けて行ってらしてください。お二人ともお忙しいとは思いますけど、無理はなさらないでくださいね。私は公爵邸で、お帰りを楽しみに待っています』
そう言うと、薫様は少し照れたように笑った。
はじめも穏やかに微笑みながら、小さく頷いてくれる。
「セラにそう言ってもらえると頑張れる気がするよ」
「俺も殿下をしっかりお護りする故、安心して待っていてくれ」
「多分三、四日したら戻って来れると思う。その間学院は休むことになるけどね」
『わかりました。ではその頃には美味しいお菓子を用意してお待ちしていますね』
「それは楽しみだ」
「帰還後の予定ができたな」
先程まで帝国の話をしていたとは思えないほど優しい空気が流れていて、その光景が嬉しい。
これから先、薫様に嫁げば立場も環境も大きく変わるのかもしれない。
それでも、こうして笑い合える時間を大切にしていきたいと思う。
窓の外では夏の陽射しが庭を優しく照らし、来賓室には穏やかな午後の空気が満ちていた。
私は紅茶のカップをそっと手に取りながら、数日後の再会を楽しみに思いながら二人に微笑みを向けていた。
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