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先程までの張り詰めた空気が嘘だったかのように、狩猟会が始まった。
周りの人達は楽しそうに談笑しながら、それぞれグループになって森の中へと入って行く。
私はアルディオン公爵家の奥様方と行動することになっていたけど、千様とニコラ様、リーシェ様から向けられる視線は、冷えきった刃のように絶えず私に突き刺さっていた。

けれど、私は何ひとつ悪いことはしていない。
それどころか、あれほど非道な振る舞いをし、それを見て見ぬふりまでしておきながら、何事もなかったように嘘を重ね、今なお私に敵意を向けられるそのお心の方が、私には理解できなかった。
だから私は、怯えることなく静かにその瞳を見返した。 


「行くわよ。この辺りは人が集まりすぎて獲物が散ってるわ。日が沈む前に奥の谷まで急ぎましょう」


千様が迷いなく言い放つと、奥様方は当然のように頷き、護衛の騎士の方々も馬上で一礼して、その後を追う。
騎士の方々は私たちの間に流れる刺々しい空気に気づいているのだろう。
困ったような、苦い表情を浮かべながらも、主人である奥様方の機嫌を損ねないよう馬を進めていく。
私はその一団の最後尾から静かについて行ったけど、狩猟を楽しむ余裕なんて少しもなかった。

結局、私の考えは何ひとつ実を結ばなかった。
それどころか、私の振る舞いが東部の印象まで悪くしてしまったのではないかという思いばかりが胸を締めつける。
どうして私ばかりが責められるのだろう。
どうして、真実を口にした者が追い詰められなければならないのだろう。
あまりにも理不尽で、どこに逃げても出口の見えない現実に、胸の奥が押し潰され、涙が滲みそうになるのを必死に堪えた。

その間にも一行は速度を上げ、森の奥へと進んでいく。
けれど東部では女性も乗馬は嗜むものの、狩猟をする習慣はほとんどない。
馬をこれほど速く駆けさせ続けた経験はなく、必死に手綱を握って追いかけるだけで精一杯だった。
ときおり護衛の騎士の方が心配そうに振り返ってくださるものの、先頭は待つことなく進み続け、その背中は少しずつ、少しずつ遠ざかっていく。
満足に食事を摂れない日々が続いた身体は、とうに限界へ近づいていた。

息を吸うたび胸は苦しく、指先から力が抜けていく。
頭はぼんやりとかすみ、目の前の景色が揺らぎ始めると、胃の奥から込み上げる吐き気に思わず唇を噛み締めた。
それでも立ち止まるわけにはいかない。
ここで遅れれば、また何を言われるかわからない。
私は震える手で手綱を握り直し、懸命に馬を走らせた。
けれど気づけば、もう誰の姿も見えなくなっていた。
木々が生い茂る深い森は、どこを見ても同じ景色ばかりで、さっきまで聞こえていた馬の蹄の音も、人の話し声も、いつの間にか消えている。


『……皆さま?どちらにいらっしゃいますか?』


恐る恐る呼びかけても返事はない。
胸の奥が冷たくなり、私は辺りを見回した。
右へ進めばいいのか、それとも左なのかもわからない。
焦りばかりが募り、鼓動は速くなる一方だった。

とにかく皆に追いつかなければ。
そう思って馬の腹を軽く蹴り、勘を頼りに木々の間を駆け抜けていく。
けれの茂みの奥から一羽の大きな野鳥が激しく羽音を立てて飛び立ち、同時にどこかで獣の唸るような声が響いた。
その途端、驚いた馬が高く嘶き、前脚を跳ね上げる。


『きゃっ……!』


手綱を引いても、馬は恐怖に支配されたように言うことを聞かず、一気に駆け出してしまった。


『待って……!お願い、落ち着いて……!』


枝が顔をかすめ、何度も木の幹すれすれを駆け抜けるたびに身体が激しく揺さぶられ、手綱を握る腕から力が奪われていく。
暴走した馬は森を抜けるように一直線に駆け続け、その先で突然、視界が開ける。
そこには切り立った崖が口を開けるように広がっていた。


『……っ!』


馬は崖際で急停止しようと大きく身を翻した。
その激しい反動に耐え切れず、私の身体は鞍からふわりと浮き上がる。
伸ばした指先は何も掴めず、世界がゆっくりと傾いていく。
崖の向こうに広がる青い空だけが、不思議なくらい綺麗に見えて。
私の身体は冷たい風にさらわれるように、深い谷底へと投げ出されていた。
どれほどの高さから落ちたのかもわからない。
耳元で風が悲鳴のように唸り、その直後に全身を打ち砕くような激しい衝撃が襲った。
息が詰まり、声さえ上げられないまま、私の意識は深い闇へと沈んでいった。



それからどれくらい眠っていたのだろう。
重たい瞼をゆっくりと持ち上げると、辺りはすっかり夜になっている。
目に映ったのは、木々の隙間から覗く冷たい星空だった。


『……うっ……』


掠れた声が喉から漏れた途端、全身に鋭い痛みが走り、思わず息を呑む。
腕も肩も背中も、どこが痛いのかわからないほど痛みに覆われていて、呼吸をするだけでも胸が軋んだ。

それでも、このままではいけない。
ここから出なければ。
震える腕を地面につき、なんとか身体を起こそうとした、そのときだった。


『……え?』


右脚がまったく動かない。
慌てて視線を落とすと、崖から崩れ落ちてきたのであろう大きな岩が、折れた太い木の幹との間に私の脚を挟み込んでいた。
落下した衝撃で岩が斜面を転がり落ち、その途中で倒れた木にぶつかって止まったのだろう。
その狭い隙間に、運悪く私の脚だけが巻き込まれてしまっていた。


『お願い……』


痛みに耐えながら岩に両手を添え、力いっぱい押す。


『お願い……抜けて……』


何度も、何度も押した。
肩が震えるほど力を込め、歯を食いしばって身体を預けても、岩はまるで山の一部になってしまったかのように、ぴくりとも動かなかった。
頭が真っ白になった時、森の奥から低く唸るような獣の鳴き声が響く。


『……っ!』


身体がびくりと跳ね、鼓動が一気に速くなる。
耳を澄ませば、風に揺れる木々の音さえ獣が近づいてくる足音のように聞こえてしまう。
夜の森は恐ろしいほど静かで、その静けさがかえって恐怖を際立たせていた。
それに秋とはいえ、北部の夜気は骨の髄まで凍えそうなほど冷たい。
薄い狩猟服では寒さを防ぎきれず、身体は小刻みに震え続ける。

寒い、痛い、怖い……。
そう感じた時にはもう、頬に温かなものが伝い落ちていた。
泣いていると気づいた途端、堪えていたものが溢れ出すように、涙は次々と零れていった。


『うぅっ……う……』


どうして、こんなことになってしまったのだろう。
アストリアから突然帝国へ連れて来られ、アルディオンでは心も身体も傷つく毎日を過ごした。
それでも、ただ耐えるだけでは何も変わらないと思ったから、私なりに考えて、考え続けて、この方法なら誰かを傷つけることなく、皆様のお立場も守りながら、今の状況を変えられるかもしれないと信じて、勇気を振り絞って陛下にお話しした。
あれが、私にできる精一杯だった。

けれど現実は違った。
話は拗れ、全てを話したことにより帝国中の人達が敵になってしまったかもしれない。
挙句、腕に残る傷も、火傷の痕も、毎日空腹に耐え、怯えながら過ごしてきた時間さえ、全て私の虚言だと片づけられてしまった。

私は誰かを責めたかったわけではない。
誰かを裁いてほしかったわけでもない。
ただ私が毎日、胸が押し潰されそうな思いで過ごしていたことを知ってほしかった。
もうあの場所には戻りたくないと、少しでもわかってほしかった。
それだけだったのに。
誰一人として、私の悲しみに手を伸ばしてはくださらなかった。

……総司様でさえ。
私を守るとおっしゃったあの方も、私の言葉を信じてはくださらなかった。
帝国に来てからというもの、この国は私にとって、希望とはあまりにも遠い場所になってしまった。
ここで息をするたび、心が少しずつ削られていく。
まるでこの国そのものが、私を静かに飲み込んでしまおうとしている地獄の牢獄のように思えてならなかった。


『帰りたい……』


掠れた声は夜の森に溶け、誰の耳にも届くことなく消えていった。
このまま、私はここで死んでしまうのだろうか。
もしそうなれば、帝国の皆様はどう思われるのだろう。
厄介な人質が、自らの不注意で命を落とした。
それだけのことだと受け止められ、ようやく面倒な存在がいなくなったと胸を撫で下ろす方もいらっしゃるのかもしれない。
そう思うと悲しくて、また涙が頬を伝った。

瞼を閉じると、懐かしいアストリアの景色が浮かぶ。
優しく笑ってくれる家族や公爵邸のみんな。
穏やかな陽射しが降り注ぐ庭園や、大好きな友人達。
あの温かな日々が、もうずいぶん昔のことのように思えてしまう。

会いたい。
もう一度だけでいいから、皆に会いたい。
けれど、その願いとは裏腹に、冷えきった身体にはもう指先ひとつ動かす力さえ残っていなかった。

次に目を覚ますのなら、どうかアストリアのお屋敷で。
あの温かな寝台の上で、いつもの朝を迎えられますように。
そんな叶うはずもない願いを胸に抱いたまま、私は嗚咽を耐えるように泣き続けていた。

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