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その後、総司様は薫様とはじめを公爵家の賓客として迎え、晩餐の席でもてなしてくださった。
食事を終えた後も、応接間で一時間ほど語り合い、お二人は名残を惜しむように屋敷を後にされた。
総司様は私達の会話には然程加わることはなく、ただ静かにその場を見守るように控えているだけだった。
それでも私にとって、そのひとときは夢と見紛うほど幸せな時間だった。
もう二度と大切な人達と同じ食卓を囲み、穏やかに笑い合える日は訪れないのだと、ずっとそう思い込んでいたから。

自分で自分を傷付けたのだと偽りを口にしなければならなかった時は苦しかったけど、薫様とはじめが私を東部に連れ戻せるよう懸命に動いてくださっている。
その事実だけで、沈みきっていた私の心には少しずつ温かな光が差し込み、明日を信じてみたいと思えるほどの力を与えてくれていた。

やがて夜になり、湯浴みを終えた私が浴室から部屋に戻ると、薫様とはじめを見送っていた総司様が、ちょうど私の部屋に戻って来たところだった。
私は頭を下げ、ひとまず感謝を伝えようと口を開いた。


『本日は、私の友人達を丁寧にもてなしてくださり、本当にありがとうございました』


総司様は私に一度だけ視線を向けると、何事もなかったかのように微笑んでから、さりげなく視線を外された。


「僕は君を預かる立場として、当然のことをしただけだよ」


その言葉は、今日のもてなしはあくまでも公爵家の当主として、そして私を預かる責任を負う者として果たすべき義務を果たしただけだと線を引かれたようにも聞こえた。
それに先程から総司様は穏やかに振る舞ってはいても、その奥底には隠しきれない張り詰めた空気が漂っていた。
薫様とはじめと私が親しく言葉を交わすたび、その眼差しには微かな警戒と抑え込まれた苛立ちのようなものが滲み、終始その場を冷ややかに見つめ続けていたことに気付かないほど私は鈍くはなかった。

だけど、総司様のことを深く考え続けるのはもうやめようと思った。
何を考えているのか知る術なんて私にはないし、知ったところで変えられるものでもない。
私はそれ以上言葉を重ねることなく寝台に腰を下ろした。
すると総司様は静かに歩み寄り、私の前まで来ると、いつもの薬を掌に乗せて差し出した。


「ほら、薬はちゃんと飲んで」

『ありがとうございます』


薬を受け取る指先が触れそうになっても、その距離はどこか遠いままだった。
今日という一日で、総司様との間にはまた一つ、埋めようのない隔たりが生まれてしまった気がする。
少なくとも私は、あの威圧するような鋭い眼差しも、私を力で押さえ込もうとするあの振る舞いも、素直に受け入れることはできなかった。

そして同時に悟ってしまう。
私達は、もう昔のように心を通わせられる関係には戻れないのだと。
今の私は総司様にとって、監視し管理する対象に過ぎない。
この屋敷にいる限り、私は総司様の監督のもとで暮らし、その意向に逆らうことは許されないんだ。
だから今日の出来事にどれほど心を痛め、不満を抱いたとしても、それを口にする意味はない。
総司様もまた、ご自身に与えられた役目を果たしているだけなのだから。


「今日、殿下とはじめ君が話していたことだけど」


おやすみなさいとご挨拶をしようとした時、不意に総司様から声を掛けられ、私は顔を上げた。


『はい?』

「期待なんてしない方がいいよ。君が帝国を出られることはないから」


あまりにも淡々としたその一言が、心の奥深くまで冷たく染み込んでくる。
私の気持ちを慮る色はどこにもなく、ただ事実を告げるような声音だった。


「殿下達は君を安心させたかったのかもしれない。でも、国家間で交わされた取り決めは、そう簡単に覆るようなものじゃない。一度定められたことを動かすには、それだけの理由と対価が必要になる。帝国は情よりも秩序を優先する国だからね」


そこで総司様は一度言葉を切ると、私から目を逸らすことなく静かに続けた。


「だから、あの二人の言葉を真に受けて希望を抱くのはやめた方がいいよ。あとで傷付くのは君なんだから」

   
総司様はこの国を守る帝国の剣であり、私を預かる責任を負う方なのだから、こう口になさるのも当然なのだろう。
私を帝国から遠ざけまいとするような強い意思だけが、その言葉の端々に滲んでいる気がしたけど、小さく微笑んだ。 


『……はい。私も、人質という立場がそんなに簡単に変わるものではないことは分かっています。薫様もはじめも、すぐに私を連れ帰れると思ってあのお話をされたわけではないはずです。ただ、諦めずに動いてくださると伝えたかっただけなのだと思います』


私は一度だけ視線を伏せ、それからもう一度総司様を見つめた。


『ただ私は、そのお気持ちを信じていたいのです。大切な方達が私のために力を尽くしてくださることまで、自分から諦めてしまうのは違う気がするのです。それに……希望を持つことまで失ってしまったら、きっと私はこの先を笑って過ごせなくなってしまいますから』


人の運命はその時々で姿を変えていく。
いつか私も、この帝国で生きる意味を見つけられる日が来るのかもしれない。
正式に私の処遇が決まれば、その立場でできることを精一杯果たそうとも思っている。
けれど今の私は、ただこの屋敷で監視される毎日を送るばかりで、自由もなければ、自分に与えられた役目すらない。
だからこそ、明日も前を向いて歩いていくためには、小さくても希望が必要だった。
そんな私の言葉を聞いた総司様は、なぜか口元だけをわずかに緩めて、ふっと笑った。


「君は純粋だね。でも、人を信じ過ぎるのはやめた方がいい。まして希望を他人に託すなんて愚かだよ」

『別に託しているわけでは……』

「そうかな。少なくとも今の君には、自分の力だけで現状を変える手立てはない。この前は思うようにいかなかったから、今度は殿下達が動いてくれるから帰れるかもしれないと思ってる。違うの?」


返す言葉が見つからず、私は唇を結ぶ。
総司様はそんな私を静かに見つめたまま、容赦なく続けた。


「現実を見なよ。君がどれだけ信じようと、その結果は君にはどうにもできない。それに期待は人を簡単に裏切る。だから僕は、君に無駄な期待はするなと言っているんだ」


総司様は私から目を逸らすことなく、静かに言い切った。


「叶うかどうかも分からない未来に心を預けて毎日を過ごすくらいなら、その希望は今日ここで捨てた方がいい。今の君に必要なのは、帝国で生きていく覚悟だよ」


総司様の言葉は現実的だった。
そして、その一つ一つを否定できるだけの理由を、私は持っていなかった。

確かに私一人では、この状況を変えることはできない。
薫様とはじめが動いてくださっていることも、私には祈ることしかできず、その結果を待つしかないのが現実だ。
そう思うと、総司様の仰ることは間違いではないのかもしれない。
期待を抱くから、傷付く。
信じるから、絶望する。
そんなことは、この帝国に来てから何度も思い知らされてきたはずだから。
それでも私は静かに顔を上げ、小さい声で告げた。


『そうかもしれません。私一人では何も変えられませんし、薫様達が動いてくださったとしても、その先がどうなるかは分からないと思っています。だから総司様がおっしゃるように、期待をし過ぎるのは良くないのかもしれません』


言葉にしてしまうと、それは自分で自分の希望を少しずつ閉ざしていくようで、胸が痛んだ。


『ですが、私はまだこの国で何か役目をいただいているわけでもありません。ただ毎日を過ごすだけの日々の中で、希望まで手放してしまったら……私はきっと、自分がここで生きている意味まで見失ってしまいます。ですから、もう少しだけ信じていたいのです。叶うと決めつけるのではなく、そうなれたらいいなと願うくらいは、お許しいただけませんか?』


総司様は私をじっと見つめていたけど、やがて諦めたように小さく息をついた。


「……そう。そこまで言うなら好きにすればいいよ。ただ、僕は忠告したからね。期待した分だけ傷付くのは君だ。その時になって泣いたって、僕は慰めてあげないよ」


そう言い残すと総司様は私に背を向け、この話はもう終わりだと告げるように執務机に向かって書類に手を伸ばした。

今の言葉は、私を案じてくださっての忠告だったのだろうか。
それとも、いつまでも故郷を諦めきれない私に、呆れてしまったのだろうか。
考えても答えは出ないけど、この先が何も決まらないまま日々を重ねていくことが、今の私には苦しかった。

帝国で生きていくのなら、その覚悟を決めたい。
もし帰れる日が来るのなら、その日を信じて耐えたい。
けれど今の私は、そのどちらも選ぶことができず、ただ行く先の見えない毎日を過ごしているだけだった。

私は胸の前でそっと両手を重ね、小さく息をつく。
総司様が机に向かう静かな物音だけが部屋に響く中、私は寝台に身を横たえ、ゆっくりと瞼を閉じた。
その夜は、眠りに落ちるまで、総司様の最後の言葉が何度も胸の中で繰り返されていた。

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