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それから数日が経ち、またワルツのレッスン日がやってくる。
憂鬱な気持ちを気のせいだと言い聞かせて、私はいつもの練習部屋へと歩いて行った。
もしかしたら新しいリード役の人が既にいらっしゃっているかもしれないと、中に入らずドアの隙間から覗いてみる。
するとその人らしき後ろ姿の肩から下が少しだけ見えて、井上先生とのバランスから考えると背が高くてまだ若そうな印象を受けた。
『どうしよう、緊張する……』
島田さんは年齢がお父様と同じくらいだったから、慣れなかったとは言えそこまで緊張はしなかった。
でも年齢がもし近かったとしたら、これから頻繁に練習するのは少し複雑な心境になった。
何故ならワルツを踊る時、必ず手を重ね合わせなければならない。
一回のレッスンに一時間も手を繋いでいたら、総司よりも多くその人と手を繋ぐことになってしまう。
他の男の人と踊るところを見たくないと言ってくれた総司の言葉を思い出せば、そこに気持ちはなくても彼を裏切ってしまっているような気持ちにさせられた。
「そこで何してるの?」
ドアの前、悶々と考え事をしていると、いつの間にかドアは開いていて頭上からは声が掛けられた。
よく知っている声に誘われて顔を上げると、総司が少し意地悪な笑みを浮かべて私を見下ろしていた。
『総司?ここで何してるの?』
「何してると思う?」
また質問に質問で返してくる総司は、どこか少し楽しげに見える。
私達の近くに歩いてきた井上先生に「入りなさい」と言われて、ご挨拶をしてから中に入ると私達の他には誰もいなかった。
「今日から島田君の代わりに、沖田君がリードを引き受けてくれることになったからね」
「本日から宜しくお願いします、お嬢様」
総司は私の前に跪くと、私の手を取り騎士らしく挨拶までしてくれる。
初めて見るその姿に思わず見惚れてしまったから、数秒間は何も喋ることが出来なかった。
『こちらこそ宜しくお願いします』
我に返った私が同じ様にきちんとご挨拶をすると、総司は嬉しそうに微笑んでくれている。
どうして総司がリードを引き受けてくれることになったのか色々話は聞きたいけど、井上先生の声掛けによってそのままレッスンが開始されることになった。
「二人とも初心者だから最初は基礎から始めていこう。まず沖田君。君はリードと言って動きを決める役割がある。次にどの方向に進むか、どんなステップを踏むかを君が自分の体を使って示す必要があるんだ。気をつけることだが、腕の動きや重心の移動でお嬢様に優しく指示を出してあげなければいけないよ。強引に引っ張ったり押したりしてはいけないからね」
「はい、わかりました」
意外にも真面目な顔で取り組んでいる総司は、私の心情は露知らずで井上先生の言葉を熱心に聞いている。
私も今はレッスンに集中しようと、雑念を取り払うように井上先生の言葉に耳を傾けた。
「次にお嬢様だ。前に一度説明したがもう一度言うよ。君はフォローと言ってリードの指示に合わせて動くという役割が与えられている。リードの動きを感じ取り、それに柔軟に応じることが求められるんだが、リードの手の圧力や体の向き、歩みを敏感に察知することが必要だよ。最初は難しく感じるだろうが、慣れてくれば相手の意図を読み取りそれに合わせて美しく動くことが出来るようになる。そうすればダンスに華を添えられるからね」
『はい、頑張ります』
「最初は互いの動きに注意を払うことが大切だ。コミュニケーションと信頼があれば自然と美しいダンスが踊れるようになる筈だよ」
先生の言葉を聞いて無意識に総司を見れば、総司も私に視線を向けて微笑んでくれる。
それだけで信頼を築けている自信に繋がるから、今まで憂鬱に感じていたこの時間が少しずつ幸せな時間に変わっていくのを感じていた。
「先程沖田君に正しい姿勢とホールドを教えたと思うがやってみてくれるかい?」
「はい。えっと……これでいいですか?」
「うん、いいね。綺麗だ。お嬢様も出来るかい?」
『はい』
「いいね。二人とも基本の形は問題ないよ。じゃあこのまま実際に向かい合ってやってみようか。背筋を伸ばして頭を高く保ったままホールドを組んでみておくれ」
島田さんと組んでいた時は、お互いおろおろしてしまって中々スムーズに出来なかった。
少し不安に思いながら自分からは動けないでいると、総司が私の向かいに来て、綺麗な姿勢のまま私の背中に右手を添えてくれる。
そして私の右手を総司の左手が包み、触れている温もりが総司のものだと意識すると心音が早くなるのを感じた。
「手の組み方だが、親指の付け根にある第二関節を互いにくっつけるように組んでごらん。そうすると上手い具合にフィットする筈だよ」
井上先生の言葉を聞いて、私達は再びお互いを見る。
そして今度は組んだ手に視線を移し、言われた場所を意識しながらもう一度手を重ねた。
「あ、本当だ。この方がしっくりきますね」
「だろう?あと沖田君、小指はお嬢様の手首の方に回しておくれ」
「ええと、こうですか?」
「いいね。お嬢様は左手を沖田君の右腕に置いて。親指、人差し指、中指を中心に添えるだけでいいからね」
『はい。これで大丈夫ですか?』
「いいね!二人とも形が凄い綺麗だよ」
先生に褒めて頂いたのは初めてで、思わず嬉しくて総司を見上げる。
すると総司も嬉しそうに微笑んでくれるから、またもっと嬉しくなる。
「じゃあ次は前進ステップを試してみよう。リードする方は左足から、フォローする方は右足からスタートだ。一歩目を大きく踏み出した後、次の足を横に出して、最後に足を揃える。その動きをゆっくりと繰り返してみようか」
先生が手拍子で刻む三拍子。
思わず総司を見上げると、総司も私を見つめてにやりと笑う。
「ステップだって。上手にできそう?」
『ううん、まだあんまりコツは掴めてなくて』
「じゃあ、取り敢えずやってみようか」
『うん……』
「出来るか分からないけど、最初は僕の重心に合わせて軽く動いてみて」
私は最初の一歩が苦手だった。
どのくらいの幅と速さで動けばいいかよく分からなくて、少し遅れがちだった。
けれど総司が合図した声が聞こえると、私を包む総司の手や腕、身体が重心の動きを無理なく感じさせてくれるから流れるように身体が動く。
驚いて総司を見上げると、彼は何も気付いていないのか目を瞬いてみせただけだった。
「おお、素晴らしいよ!君達相性良いね!動きが合ってるし動線もぶれてないし、完璧だよ!」
「本当ですか?嬉しいな、まあ結局ワルツなんて相性ですよね」
「そうだね、初日でここまで出来れば上出来だよ。今の感覚と互いの距離感を忘れないようにしておくれ。では身体に覚えさせる為に、ここからは音楽を掛けて繰り返しやってみようか」
『わあ、凄い……!音楽かけて踊るのは初めてですね、嬉しい』
「ああ、そうだね。島田君の時は彼が汗ばかり拭いて全く進まなかったからね」
「……ふっ、ぷは……」
肩を揺らして笑っている総司は、何がおかしいのか少し涙目になっている。
『どうして笑うの?私……下手?』
「いや……違うよっ……結構前から練習してたのに、まだ曲もかけたことなかったんだなって思ったら……はははっ……」
『酷い、総司。そんなに笑うことないでしょ?』
「ごめっ……音楽かけるだけで凄い喜んでるから……おかしくて……」
『もう……』
ツボに入ったのか、中々笑いが止まらない総司は一人愉快で羨ましい。
でもそんな総司を見ていたら私も笑えてきて、結局二人して笑ってしまった。
「よし、曲の準備が出来たから試してみよう」
総司の凄いところは、あれだけ笑っていたのに先生が声を掛けると一気に顔付きが変わるところ。
すぐにその顔は凛々しくなり、姿勢も完璧。
そしてリードの役割をきちんと果たしてくれるから、私は安心して総司に身を委ねることが出来た。
「じゃあ流すよ」
しっとりとした綺麗な音楽が流れ、そのリズムに合わせて私達はステップを続ける。
曲が流れるだけで雰囲気ががらりと変わるから、ワルツを踊っている気分を味わえて初めて楽しいと思うことが出来た。
「お嬢様、視線がずれてしまっているね。沖田君と視線をしっかり合わせてね」
『は、はい……』
ステップのことばかり考えて、すっかり視線のことが頭から抜け落ちていたみたい。
慌てて総司を見上げると、総司は涼しい顔で私を見つめている。
その端正な顔はまた私の心音を早くさせるから、途中で恥ずかしくなって思わずまた目線を逸らしてしまった。
「セラ、ちゃんと僕を見ないと」
『うん……』
再び総司を見つめると、総司は先程より柔らかく微笑んでくれている。
どうしてもこの人が好きだと思う気持ちが溢れてしまうから、多分私は今、とても情け無い顔をしているかもしれない。
「じゃあ今度はそのまま後退ステップを試してみよう。今までとは逆に動くのだが、後ろに下がった後、次の足を横に出し最後に足を揃えるんだ」
「逆ですね。じゃあ次から動きを変えるよ」
『うん』
初めての後退ステップだったけど、総司の動きに合わせて自然と身体が正しい動きをしてくれるから問題なく出来ることにまた驚きを感じた。
一日でこんなに踊れるようになるなんて、感動してしまう。
『総司、凄い上手……』
「セラも上手だよ」
「いいね。じゃあ今度は前進と後退をランダムにやってみてくれるかい?沖田君がリードして好きに動いていいからね。お嬢様は沖田君の次の動きを感じ取るんだよ」
『はい』
「わかりました」
重なった手や背中に添えられた総司の手が私を導いてくれるから、総司の重心の変化に合わせて私の身体も自然についていく。
部屋の中を自由に動きながら踊るワルツは楽しくて、こんなに出来るようになるなんて夢みたい。
『わあ、楽しい』
「この前、次から楽しく踊れるよって言ったでしょ」
『ふふ、そうだね』
小声で話して再び視線が重なると、やっぱり恥ずかしくてどうしても視線はずれてしまうみたい。
再び見ては逸らしてを繰り返してると、途中総司は眉を下げて微笑んでいた。
「お疲れ様、今日のレッスンはここまでにしよう。凄い良かったよ、初回でここまで出来る人達は早々いないから、久しぶりに感動したよ」
『先生にそう言って頂けて嬉しいです、ご指導ありがとうございます』
「お嬢様はうまく沖田君に身体を委ねられているね。信頼関係が築けている証拠だ。あとは視線さえ合わせられるようになれば完璧だよ」
『はい、頑張ります』
「沖田君、君は凄いね。リードをしながらも、お嬢様を上手くフォロー出来ているよ」
「そうですか?」
「ああ。上手なリードをするコツは、女性が足を床についたのを感じた後に少し遅れて足をつくことなんだ。これによって相手が引っ張られたり押されることがなくバランス良く踊ることが出来るんだが、君はそれが自然に出来ているね。お嬢様への気遣いが完璧だ!素晴らしいよ!」
「いえ、先生のご指導のお陰ですよ。ありがとうございます」
総司と踊ると流れるように身体が動く理由が分かり、彼のセンスの良さを改めて感じる。
井上先生もいつになく満面の笑みだし、今日のレッスンは少し照れくさくはあったけど、本当に楽しかった。
総司には感謝しかなくて、見上げた先の総司に微笑みを向けた私がいた。
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