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初めてのワルツのレッスンは思っていた以上に楽しかった。
昨晩、図書室で借りたワルツ入門に目を通したお陰なのか、問題なく役割を熟せたと思う。
正しい姿勢を保ちながら踊ることは簡単そうに見えてかなりの集中力を要するけど、それは剣術の稽古と似ている部分がある。
正しい構えや筋肉への緊張感が必要という点では、ワルツも身体にとっては良いトレーニングになるのかもしれない。


『総司凄いね。初めてなんて信じられないくらい、とっても上手だった』

「そう?」

『私ね、この前までステップも満足に出来てなかったんだ。でも今日総司がリードしてくれたから、ようやく身体の動かし方がわかったよ。それにとっても楽しかった、ありがとう』


井上先生が出て行った練習室で、セラは嬉しそうに僕を見上げて温かい言葉を掛けてくれる。
この子のことが好きな理由は数えきれない程あるけど、こうして素直にお礼の言葉を伝えてくれるところもその一つだ。


「セラにそう言って貰えて良かったよ。この前は僕と踊るのは絶対無理とか言ってたけど、そんなことなかったでしょ?」

『うん。まだ少し緊張はするけど、総司とは嫌な感じの緊張ではないから大丈夫』

「へえ、じゃあこの前までは嫌な感じの緊張だったんだ?」

『違うよ、そういうわけじゃないけど、総司以外の男の人と踊るのは抵抗あって。手とか総司としか繋ぎたくないし……』

「僕もだよ。今日実際に踊ってみて、他の人とはやっぱり嫌だなって思ったかな」


嫌と言うより、どちらかと言うと受け付けないレベルで無理かもしれない。
それは少し潔癖な僕の性分と、この子に悲しい顔はさせたくないという理由があるからだ。


「例えば、手汗が凄い人とかだと最悪じゃない?」

『え?私……大丈夫だったかな?』


自分の手を広げて見つめる彼女の心配顔も、その仕草も可愛いくて頬が緩む。
何気ない会話でも愛らしい反応を見せてくれるセラとの時間が、僕はどうにも大好きみたいだ。


「大丈夫だよ。それにセラのだったら手汗でもなんでも大歓迎だから。存分に濡らしてくれて構わないよ」

『ふふ、そんな気持ち悪い言い方しないで』

「だって君が細かいこと気にするからさ」

『総司が手汗凄い人は最悪とか言うから気になっちゃっただけだよ』


この前の島田さんとのやり取りを見ていたら、思わず汗に関しての話題が浮かんでしまうのは当たり前だ。
まあ、この子と踊るのに自分が汗まみれだったら、頻繁に汗を拭かないと申し訳なくなる気持ちはわからないでもないけど。


「セラは何も気にしないでワルツを踊ることだけ考えてればいいんだよ。気にし過ぎてるから、何回も目を逸らすことになるんじゃない?」


僕を見上げては逸らして、また見つめては逸らして。
それを何度も繰り返している姿は、初々しくて可愛いかった。
あれを他の男にもやられたら堪ったもんじゃないから、僕にこの役目を任せてくれた山南さんには感謝しかない。


『でも普段誰かの顔をずっと見つめることなんてしないから、中々慣れないよ』

「でもそこは慣れないとね」

『どうしたら慣れるんだろう。逆に総司はどうしてるの?』

「僕?」


僕はただ単に、愛らしいこの子の顔を一秒でも長く見つめていたいだけだ。
伏し目がちでいる表情も、躊躇いがちに見上げてくる表情も、少し赤らめた表情も、微笑んでくれるその顔も。
何一つ見逃したくないから眺めている、なんて本人には言わないけど。


「僕は特に何も考えてないよ。でも……そうだね、これで見納めだと思って見つめてみれば?」

『見納めって……もうこのワルツが終わったら総司の顔が見れなくなるって思いながら踊るってこと?』

「そうそう」

『そんなこと考えて踊ってたら悲しくなっちゃうよ。なんか涙出てきちゃいそうになる……』

「はは、既にちょっと泣きそうな顔になってるけど」

『その方法は駄目だよ。もっと明るい気持ちでワルツ踊りたいの』

「確かにね。ワルツを踊る度にセラに泣かれたら困るし」


僕を恋しがって泣いてくれるなら嬉しいけど、どちらかと言えば嬉しそうにしているセラと踊りたい。
好きな人と踊れるのは、最高に幸せなことだからね。


「じゃあ普段から練習すればいいんじゃない?そうしたら自ずと慣れてくると思うよ」

『練習って?空いてる時間にワルツ踊る?』

「それもいいけど、踊らなくても見つめることなら場所を選ばず出来るでしょ」


僕のことを真っ直ぐ見つめていたのに、僕がそう言うと意識したのか途端に視線が下げられていくその様子が面白い。


「はい、じゃあ僕を見つめてみて」

『……今は無理だよ』

「なんで?」

『総司にそう言われると余計に意識して出来なくなっちゃうの。私のタイミングでやりたいの』

「変なの。いつやっても変わらないと思うけどね」

『総司はそうかもしれないけど、私は違うんだから仕方ないでしょ?』


全く視線を合わせてくれなくなったセラの様子には笑ってしまうけど、僕の中にはまたちょっとした悪戯心が湧いてくる。


「セラは恥ずかしいこと平気で言うくせに、こういうところでは恥ずかしがるよね」

『私は別に恥ずかしいことなんて言ってないよ。それにドキドキするのは、もう仕方ないことなの。生理現象だし』

「じゃあもっとドキドキすることをしたら、見つめるくらいじゃドキドキしなくなるのかな」


セラに詰め寄ると、彼女も何か感じたのか少し後ろに後退る。
でも直ぐ後ろには練習室の壁があって、小さな身体は僕の腕に遮られて直ぐに逃げ場をなくしていた。


「試してみる?」


僕を見上げて綺麗な瞳を潤ませるセラの表情が好きだ。
この顔で見つめられて何も感じないではいられないから、からかうつもりが僕の方が呑まれてしまった。
頬に添えた手が彼女の顔を上げさせると、セラも素直に伏し目がちになって、僕を受け入れようとしてくれるのが伝わってくる。
そして温かくて柔らかい温もりが唇に触れると、僕の心は今日も完全に君に堕ちてしまう。


『……ん……』


優しくなぞるようなキスを繰り返し、何度も飽きることなく唇を重ねる。
左腕を細い腰に回し引き寄せると、ワルツを踊る時以上に身体が密着して、僅かに沸き立つ興奮に似た感情が僕の心中に芽生えた。

一度唇を離すと先程より潤んだ瞳が僕を見つめて、まるでそれがもっとと誘っているようで困るわけだけど。
続けたいのは僕も同じだから、再び彼女の唇に自分のを重ねた。


「どう?これでもう見つめるくらいじゃ恥ずかしくなくなった?」


ひとしきりセラの唇を堪能した後、彼女にそう尋ねてみる。
でも首を横に振ったセラは、いつもの如く困り顔で顔を赤らめていた。


「凄いね、今日は耳まで真っ赤だよ」

『言わないで、見ないで……』


耳を両手で隠してみても、その顔は真っ赤なままだから何の意味もない。
余裕のなさそうな表情をまじまじと眺めていると、そんな僕をセラは恨めしげに睨んでいた。


「今見つめてみてよ。もうこれ以上赤くなれないくらい真っ赤だから、今更恥ずかしがらなくてもいいじゃない」

『恥ずかしいから真っ赤なのに、矛盾してるよ?』

「はは、そっか」

『もう、総司のせいでこれからもっとワルツが苦手になっちゃったらどうするの?』

「なんでさ、さっきは僕と踊れて楽しかったって言ってくれたのにね」

『意識しちゃうと余計に恥ずかしくなっちゃうの。これから目を見ないといけない時に、毎回今日のこととか思い出したら余計に駄目なのに……だからもうほっといて』


少し膨れ気味のセラだけど、それが本当であればむしろそうであって欲しい。
頬にかかる柔らかい髪を退かしてあげると、セラがまだ少し色付いた頬のまま僕を見上げた。


「毎回思い出すことになっても問題ないと思うよ。むしろ僕的にはその方がいいかな」

『総司は面白がってそう言ってるだけでしょ?』

「違うよ。君がいずれ他の男と踊る時、その男と目を合わせる度に、僕とのことを思い出してくれたら嬉しいってこと」


目の前にいる相手ではなく常に僕を想って踊ってくれるなら、この醜い嫉妬心も少しは抑えられる気がした。
この身体に他の男が触れるのは嫌だけど、一番嫌なのはたとえ少しだとしても、この子の心が他の奴に持っていかれることだ。


『その時は総司が私のところに来てくれるんじゃないの?』

「行けるなら行きたいよ。でもそうもいかない時もあるかもしれないでしょ」


瞳を揺らしたセラは僕を気遣っているのか、別のことを考えているのか、僕を見上げたまま言葉を探している様子だ。
僕以外とは踊らないなんて、そんなことは現実には無理だということくらい彼女も理解しているからこそ、その顔は少し悲しそうにも見えた。


『私は誰と踊っても、必ず総司を思い出しちゃうと思うよ』

「そうだといいけどね」

『絶対そうだよ。きっとこれから先、私は誰と話しても誰と踊っても、絶対総司と比べちゃう。それでやっぱり総司が一番大好きだなって思うの。私には後にも先にも総司しかいないよ』


僕の大好きな笑顔で告げてくれた彼女からの言葉は、僕が心で思っていたことと同じだった。
それがとても嬉しくて、切なくもあって。
溢れくる想いが止まらなくて、気付いた時には腕の中にきつくセラを抱き締めていた。


「僕も同じだよ。後にも先にも君だけだ」

『ふふ、嬉しいな』

「好きだよ」


この絆や愛情が少し足りとも途切れないように、僕はなるべく素直な気持ちを君に伝えたいと思う。
勿論全てを言葉にするのは難しい時もあるけど、言葉にしないとこの気持ちは溢れて抱えきれなくなるから、君にはその都度聞いて欲しい。
そしてその笑顔を見せてくれたら僕はまた君を好きになるから、そうしたらまた君に言おう。
僕の想いが絶えず君に届くように。


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