7

食堂に立ち込める異臭と、見るだけで吐き気を催すような料理を前に、僕は静かに眉を寄せ、その場に居並ぶ使用人達を一人ひとり見渡した。
僕の姿に怯えたように固まる者もいれば、顔色を失って目を逸らす者、今にも泣き出しそうに唇を震わせる者もいる。

けれど、もう遅い。
彼女達がどんな弁明をしようと、僕の中の決断が揺らぐことはなかった。


「この場にいる使用人は、一人残らず拘束して。全員を地下牢に収監する。誰一人として逃がさないように」


静かな声で命じると、食堂の入口に控えていた三木や武田をはじめとする第一部隊の騎士達は、寸分の迷いもなく動き出した。
悲鳴を上げる者も、自分は関係ないと叫ぶ者もいた。

でも僕はさっきからずっと、この食堂の空気を見ていた。
誰一人として戸惑いはなく、誰一人としてセラ嬢を気遣う視線も向けない。
ただ面白い見世物でも眺めるように、彼女が虐げられる様子を楽しみ、傍観していただけだった。

この世の悪には二つの形がある。
自ら手を下して他者を傷付ける者と、自分は手を汚さず、その光景を愉しみながら見届ける者。
後者は罪を犯している自覚すら薄い分、時として前者以上に始末が悪い。
僕自身、とっくに綺麗な人間ではなくなったからこそ、そんな人間の醜さだけは嫌というほど理解できるし、だからこそ到底見過ごす気にはなれなかった。


「総司、使用人達をどうするつもり?」


静まり返った食堂に残されたのは、僕と三人の奥方だけだった。
最初に口を開いたのは千だ。
この状況でも気丈な態度を崩さないあたり、自分には然程責任がないとでも思っているんだろう。


「これから一人ずつ話を聞くよ。その上で、それぞれに見合った処分を決める。まあ、結果がどうあれ、この屋敷で働き続けてもらうことはないけどね」

「あれだけの人数が一度にいなくなったら、お屋敷が立ち行かなくなるわ」

「あのさ、この屋敷の当主は僕なんだけど。その判断をするのは君じゃなくて僕だよ」

「でも、日頃から屋敷を切り盛りしているのは女主人である私よ。あの者達はルディオン公爵家が創設された頃から仕えてきた使用人達なのよ。一度に全員を失えば、新しい者を育てるまで屋敷の運営に大きな支障が出るわ」

「よくそんな理屈を口にできるね。屋敷の運営は、人を揃えることじゃない。主人として家人を正しく統率し、秩序を保つことだ。その結果がこれなら、管理者としての責任を果たしていたとは到底言えないよ。本来、使用人は主人の意向に従い、その家の名誉を守るために働く存在だ。にもかかわらず、客人であり、しかも東部でも指折りの名門、アストリア公爵家の令嬢であるセラ嬢に危害を加え続けた。その時点で、彼女達は使用人として最低限守るべき一線を踏み越えている。そんな者達を雇い続けることの方が、公爵家にとって遥かに大きな損失だとは思わないの?」


はっきりと言い切ると、それ以上反論できないと悟ったのか、千は唇を噛み締め悔しそうに俯いた。
僕は静かに視線を移し、今度はニコラを見据えた。


「ニコラ、これはどういうこと?」


前から、この子には裏表があるとは思っていた。
でも、それだけだった。
まさかセラ嬢をここまで傷付け、平然と笑っていられるような人間だったなんて、さすがに予想していなかった。

胸の奥で、どす黒い怒りが音もなく煮え立つ。
セラ嬢の痩せ細った身体も、火傷の痕も、怯えきった瞳も、次々と頭に浮かび、そのたびに剣に手を伸ばしたくなる衝動が込み上げる。

……でも駄目だ。
ここで感情に任せれば、全部台無しになる。
この子に与える結末は、こんな場所で終わらせるには惜しい。
だから僕は、胸の内で渦巻く感情を何事もなかったように飲み込み、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべた。
するとニコラは、その笑顔を見ただけで安心したように涙を零し、僕に縋りついてくる。


「だって、だって……総司様があの子にだけ、素敵なドレスをたくさん買ってあげるから……ニコラ、悲しくなっちゃって……っ」

「……え?それで意地悪したの?」

「はい……。だって総司様はニコラの旦那様なのに、セラ嬢ばかりずるいって……悔しかったんです」


……は?本気で、それだけ?
たったそれだけの理由で、セラ嬢の身体に火傷を負わせ、食事まで奪っていたのかと愕然とする。
呆れるくらい愚かで、救いようがない。
こんな相手に言葉を尽くしたところで意味はないし、自分が何をしたのかすら理解できない人間に、何を教えても無駄だから。
僕は小さくため息を吐くと、縋りつく彼女の肩に軽く手を添え、優しく身体を離した。


「わかったから、もう泣かなくていいよ。でも、もうこんなことはしないって約束してくれる?少しくらいは僕の立場も考えてほしいな」

「……はい、ごめんなさい。もうしません。だから、許してくれますか?」

「もちろん許すよ。君達は僕の大切な奥さんだからね」


その一言だけで、ニコラは心底安心したように表情を緩めた。

……本当に単純だ。
許すなんて、そんなわけないのに。

セラ嬢の涙も、震える身体も、傷だらけの腕も、僕は一つ残らず覚えている。
君があの子に与えた痛みは、君自身の人生で返してもらう。
もちろん誰にも僕だとは気付かれない形で。
だから今は笑うんだ。
その方が絶望した時の顔は、きっと今よりずっと無様だから。


「でもね、千もリーシェもニコラも、一つだけ忘れないで。セラ嬢は陛下から僕に預けられた大切なお客様なんだ。あの子の身に何かあれば、責任を問われるのは僕だけじゃない。このアルディオン公爵家そのものになる。君達には負担をかけて申し訳ないけど、無理に仲良くする必要なんてないし、好きになれないならそれでも構わない。ただ、何もしないで。関わらなくていいし話しかけなくてもいい。でも、あの子に手を出したり、傷付けるようなことだけは、もう二度としないで。それさえ守ってくれれば、僕はそれ以上何も望まないから」


僕が穏やかな笑みを浮かべたままそう告げると、食堂にはしばらく重たい沈黙が流れた。
やがて三人は顔を見合わせ、それぞれ小さく息を呑む。


「……わかったわ」


最初に口を開いたのは千だった。
その声に続くように、リーシェも静かに頷く。


「私も……余計なことはしませんわ」


そして最後に、涙を拭ったニコラも小さく肩を震わせながら俯いた。


「……ごめんなさい。もう、何もしません」


三人の返事を聞いた僕は、ようやく小さく頷き返した。


「うん、それでいいよ。今度同じようなことがあれば、僕も当主として動かなければならなくなるから、そのつもりでね」


その言葉の重みはわかっているだろう、三人も真剣な顔で頷いていた。


その後、僕は食堂を後にすると、そのまま地下牢に足を向けた。
今頃、第一部隊の騎士達は僕の命じたとおり、使用人達を一人ずつ別室に移し、それぞれから証言を取っている頃だろう。
あの場にいた者の中には、ニコラの命令に従っただけの者もいれば、自ら進んでセラ嬢を傷つけた者もいるはずだ。
だからこそ、一人残らず口を割らせなければならなかった。

僕が騎士達に命じたのは、ただ話を聞けということじゃない。
知っていることを一つ残らず話させろ。
誰が命じ、誰が手を下し、誰が見て見ぬふりをしたのか、そのすべてを明らかにしろ。
もし少しでも隠し立てをしたとわかった時は、命の保証はない、そう伝えた上で尋問するよう命じていた。

地下牢に降りると、湿った石壁から冷気が漂い、あちこちの牢からすすり泣きや嗚咽が響いている。
その中で僕に気付いた三木が歩み寄り、数枚の書面を差し出した。


「どう?何かわかった?」

「ああ。主犯はやっぱりニコラ夫人で間違いねぇ。それと厨房にも一人、あいつに手を貸してた野郎がいたらしい。武田が今、そいつを引っ立てに行ってるぜ」

「そう」

「まだ全員の口を割らせたわけじゃねぇが、今聞けてる証言はほとんど食い違いがねぇ。誰に聞いても同じような話ばかりだ。胸糞悪ぃことを、ずいぶん好き勝手やってやがったみてぇだな」


僕は書面を受け取り、一枚ずつ目を通していく。
そこには、セラ嬢が誰に命じられ、誰に押さえ付けられ、何を無理やり口に押し込まれ、どれほど熱い紅茶を浴びせられたのか。
そしてその時、誰が笑い、誰が黙って見ていたのかまで、克明に記されていた。

読み進めるほどに、あの細い身体に積み重ねられてきた苦痛が鮮明に浮かび上がり、胸の奥から黒く煮え立つものが込み上げた。
あの子は、こんな地獄を一人で耐えていたのか。
怖かっただろうし、痛かっただろう。
それでも誰にも助けを求められず、耐え続けていたのかと思うと、悔しさで奥歯が軋む。
書面を握る指に自然と力が入った。


「三木」

「ん?」

「さっき食堂に並んでた料理、まだ残ってると思うからここに運んでくれる?それと熱い紅茶も持って来て」


三木は一瞬だけ眉をひそめる。


「……おいおい。まさか食う気か?」

「うん。まあ、食べるのは僕じゃないけどね」


僕が柔らかく笑うと、三木もその意味を察したらしい。
口元だけ吊り上げ、肩を竦めた。


「そういうことか。了解」


余計なことは何も聞かず、そのまま足早に食堂に向かっていく。
ああいうところは、本当に助かる。
僕は小さく息を吐き、再び牢が並ぶ通路を歩き出した。


「本当に……嫌になるよ」


ニコラだけじゃない。
証言によれば、侍女の中にも嬉々としてセラ嬢を傷付けていた者が何人もいた。
その中でも特に悪質だった三人が鎖に繋がれ収容されている牢の前で、僕は静かに足を止める。
鉄格子の向こうにいたのは、今日セラ嬢の身体を押さえつけていた侍女が二人と、熱い紅茶を浴びせようとしていた侍女だった。
僕と目が合った瞬間、三人の顔から血の気が引いていく。
先ほどまでの威勢はどこにもなく、互いに身を寄せ合いながら、小刻みに肩を震わせるだけだった。

暫くして三木が運んできてくれた料理を、彼女達の前に並べる。
散々セラ嬢に食べさせようとしていたくせに、自分達の前に並ぶと顔を青くさせるんだから、本当に身勝手だ。


「これ、君達にとっては普通の食事なんでしょ?さあ、食べて」

「も、申し訳ありません……!もう二度とあのようなことは致しません……!」

「私も反省しております……!」

「公爵閣下、申し訳ありません。お許しください……!」

「許すわけないじゃない。食べなければ、命はないけど」


僕の顔を見て、その言葉が嘘ではないと悟ったんだろう。
三人は顔を青ざめさせながらも、怯えながらもスプーンを手に取った。
最初の一人がスープを口に運び、すぐに顔を歪めた。
喉が鳴り、吐き気が込み上げてくるのが見えたけど、それでも僕は容赦しなかった。


「早くしなよ。これを君たちは毎日、セラ嬢に食べさせてたんでしょ?それにあの紅茶、熱かったな」


彼女たちは必死に口に運ぼうとしていたけど、途中で耐えきれず、一人が嘔吐した。
吐瀉物が床に広がり、腐った臭いがさらに濃くなる。
それでも僕は微笑んだまま、彼女たちを見下ろした。


「ほら、続けて。セラ嬢は何も悪いことしてないのに、何度も我慢してくれたんだよ。君たちも、同じように我慢くらい出来るよね」


彼女たちは泣きながら再び手を伸ばしたものの、もう限界だった。
体を震わせ、涙と鼻水を垂らして懇願するような目で僕を見る。
僕は静かに歩き、床に置かれた熱々の紅茶の入ったポットを手に取った。
先程、セラ嬢の顔にかけられそうになった紅茶。
僕が庇って肩と左側の背中に浴びた、あの痛み。
今もまだ、皮膚が引きつるように疼いている。
あの痛みを彼女が何度も左右の腕に受けていたかと思うと、腑が煮えくり返りそうだった。


「これも、セラ嬢に何度もかけてたんだよね」


僕がゆっくりと熱い紅茶を彼女たちの顔や体にかけると悲鳴が上がった。
皮膚が赤く腫れ、泡立つような音がした。
彼女たちは床に転がり、泣き叫ぶばかりで、もう食べることなどできなかった。


「ニコラ様に命じられたのです、フォークでさしたのも、ご命令があったからで……」

「でも今日見てたら、君は随分と楽しそうにしてたよ」

「ち、違います……ただニコラ様のご機嫌を損ねないようにしようと……」

「打算的だね。どのみち、自分可愛さにセラ嬢を傷つけたことにはかわりないじゃない」


僕はそう言って、彼女たちの目線に合わせてしゃがみ込んだ。
怯えた様子で僕を見つめる三人の瞳に映る僕の顔は、きっと優しく微笑んでいるはずだ。


「僕の秘密を教えてあげるよ。僕はね、セラ嬢のことが大好きなんだ」


彼女たちは体を硬直させた。
聞いてはいけないことを聞いてしまったような、より深い怯えの色が顔に広がる。


「あの子は昔から、僕の唯一の大事な子なんだよ。だから講和の締結を利用して、ようやくここに連れてきたのに……よくも傷付けてくれたね」


怒りを吐き出した声には、自分でもわかるほど憎しみがこもっていた。
僕はゆっくりと立ち上がり、腰の剣を抜くと、冷たい鋼の音が牢内に響く。
彼女たちは鎖の音を立てて体を縮め、息を殺すように僕を見上げていた。


「さあ……セラ嬢が味わった痛みや苦しみを、今度は君達がちゃんと受け取ってね」


最初の一人に剣を振り下ろした時、剣は肩を深く抉り、肉と骨が裂ける重い手応えが腕に響き渡った。
鮮血が弧を描いて飛び散り、彼女の喉から引き裂かれるような悲鳴が爆ぜる。
その声が石壁に反響するのを聞きながら、僕は剣を引き抜き、彼女の腕を横薙ぎに斬り裂いた。
皮膚が裂け、筋肉が露わになる様子を、熱を帯びた目で見つめる。
血の温かさが頰を伝うたび、胸の奥で甘く苦い疼きが広がっていくようだった。


「君たちがあの子に与えた苦しみを、何倍にもして……僕が、ちゃんと返してあげるからね」


二番目の侍女が這いずって逃れようとするのを、僕は素早く追い、背中を踏みつけて動きを封じた。
剣の先を太ももに沈め、ゆっくりとねじりながら引きずる。
血管が断ち切られ、血が勢いよく噴き出す感触に、僕は唇をわずかに歪めた。
彼女は体をのけぞらせ、絶叫を上げた。
その叫びを聞き流しながら、僕はさらに剣を腹部に滑り込ませ、浅く長く切り開いていく。
熱い内臓の息吹が刃を通じて伝わり、彼女の荒い息が泡立つ嗚咽へと変わった。

三番目の者には、まず顔を浅く斬りつけた。
頰から額にかけて赤い線が走り、血が目に流れ込んで視界を奪う。
彼女が震える手で顔を覆うのを、僕は剣で払いのけ、胸から腹へと一閃させた。
肉が柔らかく開き、温かい血飛沫が手にまとわりつく。
その感触に、僕は声を上げて笑った。


「ははっ……!もっと苦しんでよ……!」


僕は一人ひとりを、急所を避けながら何度も剣で刻み続けた。
腕を深く裂き、足を踏み砕き、背中を抉るたび、彼女たちの悲鳴が重なり合って血の海が床を染めていく。
即死なんてさせない。
セラ嬢に与えた痛みを、ちゃんと味わわせてあげないと。


「あっはは……!どう?痛い?苦しい?自分の愚かな行いを悔いながら死ねばいいよ」


僕の喉から、笑い声が漏れた。
戦いの興奮が、胸を熱くする。
帝国一の騎士として、数多の戦場をくぐり抜けてきたこの身が、今はただ愛する者のために剣を振るうという狂おしいほどの喜びが僕を満たしていく。

断続的な叫びは次第に弱々しくなり、泡を吹く吐息へと溶けていった。
それでも僕は剣を止めず、彼女の痛みを思い浮かべるごとに、胸の奥から抑えきれない狂おしいほどの愛情と怒りが溢れ出していた。
やがて三人の体は、互いの血にまみれて微かな痙攣を残すだけとなった。
牢屋には重い鉄の匂いと、静かな滴り落ちる音だけが残る。


「……これで、セラ嬢はもう傷つけられないね。僕が全部、片付けたよ」


剣に付いた血を丁寧に拭い落としながら、僕は静かに口元を緩めた。


「……相変わらず、えげつねぇな」


地下牢から出た僕を待っていた三木が、どこか呆れたように頬を引き攣らせて言う。
その視線は、さっきまで牢の中で起きていた一部始終を見届けていた者のものだった。


「残っている使用人達も、全員罪人として処刑しておいて。その後は、いつも通り屋敷の焼却炉で処理してくれればいいから」


僕が穏やかな口調で告げると、三木は短く息を吐いて肩を竦めた。


「ああ、わかった。新しい報告が入ったら、また連絡する」

「ありがとう。じゃあ僕は、セラ嬢の様子を見に行ってくるね」


そう言って歩き出そうとした僕を、三木が「ああ、待て」と呼び止める。


「その前に着替えた方がいいぜ。今のままじゃ、さすがに見せられねぇだろ」


言われて自分の姿を見下ろすと、衣服には飛び散った返り血が乾き始め、袖口や手袋にも赤黒い染みが残っていた。
このままあの子の部屋に入れば、きっと怯えさせてしまう。


「……それもそうだね」


苦笑しながら頷き、僕は地下牢をあとにした。
石造りの廊下を歩く足取りは、不思議なほど軽い。

頭に浮かぶのは、あの子の可愛い微笑みだけだった。
傷付いてもなお誰かを信じようとする、あの優しい瞳も、控えめに微笑む愛らしい表情も、すべてが愛しくてたまらない。
僕にとって、セラ嬢は唯一無二の存在だ。
あの子を護るためなら、僕はどんな罪でも背負うし、誰を斬ろうと、誰に憎まれようと構わない。
この手がどれほど血に染まろうとも、あの子だけは傷つけさせない。
その願いは昔と変わらず今も心にあり続けていた。


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