7

紅茶を選び終え、お屋敷に戻った頃には、空はすっかり夜の色に染まり、昼間の暖かさが嘘だったかのような冷たい風が庭木を揺らしていた。
今夜も総司様とお部屋で夕食をいただいた後、私はいつものように湯浴みを済ませ、寝着に着替えて寝台に腰掛ける。
机では総司様が書類に目を通していたけど、ひと区切りついたのだろう。
羽根ペンを置くと、そのまま寝台の傍まで来て、私の向かいに立った。


「ちょっと腕を見せてもらってもいい?」


その言葉に小さく頷き、私は両腕を差し出した。
この屋敷で負った傷や火傷の痕は、まだ肌に残っている。
それでもお薬のおかげで、赤みは随分と引き、痛々しかった傷跡も日に日に薄くなってきていた。
総司様は私の返事を待ってから、寝着の袖を傷に触れないよう持ち上げる。
触れる指先は優しくて、その仕草だけでも私を気遣ってくださっていることが伝わってきた。


「だいぶ良くはなってきたけど、まだ痕はあるね」

『でも、総司様がご用意してくださったお薬のお陰でだいぶ治ってきていますね』


毎朝と毎晩、湯浴みを終えた後に塗っているその薬は、小さな硝子瓶に入っている。
優しいハーブの香りがする柔らかな軟膏はするすると肌になじんで、傷口に沁みることもない。
あれほど酷かった火傷や切り傷が、短い間にここまで回復したのだから、その効き目には驚くばかりだった。


「明日からも毎日忘れず塗るんだよ」

『はい。お気遣いありがとうございます』


総司様は、この傷の様子を毎日のように確認してくれる。
以前も女性の身体に傷が残るのは良くないと話していたけど、その言葉どおり、本当に傷跡を気にかけてくださっていた。
この調子なら、いつか綺麗な肌に戻る日も来るかもしれない。
そんな小さな希望が、私の胸にも芽生え始めていた。


『総司様こそ、あの火傷はもう大丈夫ですか?』

「うん。僕は火傷した直後に薬を塗ったから、一回でほとんど治ったよ」

『それなら安心しました』


私がほっと胸を撫で下ろすと、総司様は肩を竦めて苦笑する。


「僕は別にどうでもいいんだけどさ。君はちゃんと治さないとね。薬はたっぷり塗ってる?」

『たっぷりというより、きちんと満遍なく伸ばして塗っていますよ』

「それならいいけど、少し薄いかなと思ったら遠慮しないでもっと使いなよ。惜しむような物じゃないから」


そう言いながら、総司様は私の腕をそっと持ち上げ、薄く残る火傷の痕を再び見つめる。
傷に向けられた眼差しは少し痛ましげで、見ている私の方が胸を締めつけられてしまった。


『そんなに心配なさらなくても大丈夫ですよ。最初の頃と比べたら、見違えるくらい良くなってます』

「そういう問題じゃないんだよ。傷は薄くなっても、残ることがあるでしょ」


私は自分の腕に視線を落とす。
少し前まで赤く腫れ、見るだけでも苦しくなるような傷に覆われた場所は、今では薄桃色の跡が細く残るばかりになっている。
お薬を塗るたびに少しずつ肌の色が戻っていくのが嬉しくて、その変化を密かに喜んでいた。


『心配してくださりありがとうございます。でも、本当に不思議なお薬ですね。こんなに早く良くなるなんて思っていませんでした』

「帝都でも評判の薬だからね。昨日、買い貯めておいたから、気にせず沢山使って」


総司様がそう言って、寝台の横にある棚の戸を開けると、そこには薬の入った瓶がぎっしりと並んでいて、その量の多さに私は目を丸くした。


『……そんなに沢山ご用意してくださったなんて、知りませんでした』

「なくなってから慌てるのは面倒だからね。手に入る分は先に買っておいたんだ」

『でも、とても高価なお薬なのではないのですか……?』

「高いか安いかなんて気にしなくていいよ。傷が残る方が困るでしょ」


さらりと言ってしまうけど、それだけの数を集めるのは簡単ではなかったはずだ。
それでも総司様は、その苦労を語ろうとはしない。
ただ傷が少しでも綺麗に治るようにと、それだけを考えてくれている。
私は胸の前で両手を重ね、小さく頭を下げた。


『ありがとうございます。きちんと毎日塗ります』

「うん。その方がいいよ」


総司様は満足そうに頷くと、上げていた寝着の袖を乱さないよう静かに下ろしてくれた。


「あと、痒くなっても掻かないこと。治りかけが一番残りやすいから」

『はい。我慢します』

「約束ね」

『約束します』


そう答えると、総司様はようやく安心したように微笑んだ。
傷が治れば、総司様ももうこんなに気を揉まずに済むのかもしれない。
だから私は、明日も明後日も忘れず薬を塗って、一日でも早くこの痕を消したいと願った。

私は寝台から立ち上がり、改めて総司様を見上げる。
きょとんとしている総司様の前、私は一度丁寧に頭を下げた。


『総司様、一週間、本当にありがとうございました。折角のお休みだったのに、最後まで私のお世話ばかりさせてしまいましたね』


本当なら、申し訳ありませんと頭を下げるべきなのかもしれない。
けれど今は謝るよりも、この一週間ずっと胸に積み重ねてきた感謝を、きちんとお伝えしたかった。


『総司様のお陰で身体もすっかり元気になりましたし、気持ちまで明るくなりました。今日までは沢山甘えさせていただきましたけど、明日からはもう私一人でも大丈夫です。お仕事も始まりますし、これからは総司様ご自身やご家族のために、お時間を使っていただけたら嬉しいです』


言葉にしながら、この一週間の出来事が胸を巡る。
この屋敷で辛い思いをしたばかりの頃は、誰の言葉も信じられなくなり、総司様のことまで嘘つき呼ばわりまでしてしまった。
それでも総司様は、あの時口にした約束を一つも違えることなく、私を護り、安心して過ごせるよう力を尽くしてくださった。
総司様にとっては公爵家の当主として果たすべき務めだったのかもしれないけど、私にとってはその一つひとつが救いだった。
穏やかな食事の時間も、並んで庭園を歩いたことも、傷の具合を気遣ってくださる何気ない一言も、そのどれもが凍えていた心を少しずつ温め、前を向く力を与えてくれた。

だから、いつまでも甘えていてはいけない。
総司様が安心してお仕事に向かえるように、今度は私が自分の足で立ち、毎日をきちんと過ごせるようにならなくてはならない。
そんな思いを込めて微笑むと、総司様は少しだけ困った様子で笑い、静かな声で言った。


「確かに仕事が始まるから、明日から屋敷にいる時間は少なくなるね。でも、それと君を気にかけることは別だよ。君が一人で大丈夫だと思えるようになったのは良いことだと思うけど、この屋敷で安心して暮らせるように配慮するのは、これからも僕の役目だから」

『お心遣いありがとうございます。でも、いつまでも総司様に甘えてしまうわけにはいきませんし、総司様にもう安心だと思っていただけるように、私も少しずつ頑張ってみます。ですから総司様は、私がこのお屋敷にお世話になる以前までの生活をしてくださって構わないですよ』

「それはつまり、こうやって部屋に頻繁に来たり君を気遣わなくていいって、そういうこと?」

『はい。何かあれば護衛の方に相談させていただきますし、処遇が決まるまでの間、この部屋で大人しく過ごしています。私がそうしたいのです』


私がそう言うと、総司様は再びくすりと笑った。
けれど、その笑みは先程までの穏やかなものではなく、どこか意地悪そうに目を細めた笑みだった。


「君を一人にして安心だ、なんて思える日が来るとは思えないけどね」


さらりと言われた言葉に、私は思わず目を瞬く。


『それは、どうしてですか?』

「だって君は昔から危なっかしいし、ちょっと目を離した隙に誰かの餌食になってそうじゃない。それなのに無駄にお人好しだし、危機感も足りないしね」


そう言うと総司様は、大袈裟なくらい深いため息を吐いた。
……それはつまり、私が頼りないと言われているのだろうか。
少しだけ悔しくなって、私はむっと唇を結ぶ。


『お言葉ですが、幼い頃とは違います。総司様ほどではありませんけど、私だってアストリアで色々頑張ってきたんですよ』


私なりに努力を重ねてきたつもりだった。
公爵家の跡取りとして国を支えられるよう、政治や法律、歴史に外交、経済を学び、軍事国家であるアストリアを支えるため戦術や兵法についても教わった。
礼儀作法や語学はもちろん、音楽や薬学まで、将来どのような立場になっても困らないよう幼い頃から学び続けてきたのだ。
すると総司様は、少し感心したように眉を上げる。


「ああ、そう言えば通ってた王立学院では、ずっと首席だったんでしょ?凄いね」

『え?』

「それに、ピアノやヴァイオリンのコンクールでも何度か優秀賞を取ってたっけ。昔からピアノが上手だったもんね」


思わず総司様を見つめる。
そんなことまで、どうしてご存知なのだろう。
私が驚きを隠せずにいると、総司様は腕を組み、面白そうに口元を緩めた。


「どうして知ってるのかって?」

『はい……』

「帝国で人質を選ぶ時は、それなりに色々な資料が集まるからね。その中で少し目にしただけだよ」


曖昧に濁された言葉を聞いて、それ以上は深く聞けなかった。
人質候補になった人達は、そこまで細かな経歴まで調べられていたのだろうか。
複雑な気持ちが残ったけど、今さら考えたところで変わることではないから、その思いを胸の奥にしまい込んだ。

一人で色々と考えていると、そんな私の様子をじっと見つめていた総司様は、私の頬にかかる髪をそっと耳にかける。
私達の間にあった距離は縮まり、その真っ直ぐな眼差しに捕まってしまったかのように、私は身動き一つ出来ないまま彼を見つめ返していた。


「君が頑張り屋なことも優秀なことも知ってるよ。でも、それと今回のことは話が別でしょ。注意するに越した事はないし、君は女の子なんだから、余計なことは考えないで素直に僕に護られてればいいんだよ。それが君にとって一番良いことだって、少し考えたらわかる筈なんだけどな」


責めるわけでも、命令するわけでもないのに、総司様の優しい声には有無を言わせない力があって、逆らうなと静かに告げられているようだった。
どうしてそんなふうに感じるのか、自分でも分からないけど、静かに逃げ道を塞がれてしまうような感覚を覚える。
反論しようと思えばできたはずなのに、その眼差しを前にすると、言葉がうまく出てこなかった。


『……で、でも……このお屋敷では、お部屋の外にも護衛の方を置いていただけていますし、私はもう十分護られていると思います』


すると総司様は少しだけ肩を竦め、呆れたように笑った。


「護衛がいることと、僕が君を気にかけることは別問題だよ」

『どうして、別問題……なんですか?』

「護衛は不審者を近付けないのが仕事。でも僕はこの屋敷の主人だからね。君がきちんと食事をしてるか、薬は塗ってるか、眠れてるか、不自由はないか。そういうことまで確認するのが僕の役目なんだ。だから仕事が始まったから君のことは全て護衛に任せます、なんて無責任なことはしないよ」


まるで当たり前のことを話すような口調でそう告げると、総司様は少しだけ口元を緩める。


「だから時間ができたら明日からも様子を見に来るし、この部屋にも今までどおり顔を出す。君がもう大丈夫ですって何回言っても、その確認はやめない」

『ですが……』


私の言葉を柔らかく遮ると、総司様はどこか意地悪そうな笑みを浮かべた。


「そんなに難しく考えなくてもいいよ。それとも、僕が君を気にかけるのは嫌?」


嫌とかじゃない。
そうじゃなくて、先程からずっと髪を撫でられ続けているから、落ち着かなくなってしまって、正直あまりお話も頭に入ってこない。
そっと見上げると、切れ長のエメラルド色の瞳は柔らかく細められている。
目が合えば心音がまた早くなり、私はさりげなく視線を逸らしてぽつりと言った。


『……嫌じゃないです』


私は迷いながらも、静かに言葉を続ける。


『総司様がそうしてくださると仰るのでしたら、私はそのお気持ちに甘えさせて頂きます。ただ……どうか無理はなさらないでくださいね。総司様には、私以外にも大切になさるべき方々がおられるのですから』

「心配しなくても、僕ができないことまで引き受けるつもりはないよ。でも、君を護ることまで他の誰かに任せるつもりもないってこと」

『はい……』


その返事を聞いた総司様は、縮めていた私との距離を何事もなかったかのように静かに戻した。
その途端、胸につかえていた息がホッと零れる。
気付かないうちに緊張していた自分に戸惑っていると、総司様はいつものように小さな包みを私の手に乗せた。


「理解してくれたなら良かったよ。ほら、今夜もこれを飲んで寝て。久しぶりに外に出たから、疲れもあるだろうしね」


掌に乗せられた鎮痛剤を眺めながら、私はそっと総司様を見上げた。


『このお薬は、いつまで飲むのですか?』

「どうして?」

『もう痛みはだいぶ取れてきましたから、そろそろ飲まなくても平気なのかなと思ったんです』

「ああ……」


総司様は少しだけ考えるように口を閉ざし、それから柔らかく微笑んだ。


「身体に悪い薬じゃないから、まだしばらく飲んでいても平気だよ。これは痛みを和らげるだけじゃなくて、気持ちを落ち着かせたり、心と身体を楽にしてくれる効果もあるからね」


そうなんだ。
総司様がそう仰るなら、言われた通り飲み続けた方がいいのかな。
実際、この薬を飲むようになってからは夜もぐっすり眠れるようになったし、朝も身体が軽く感じられる。
あれほど重たかった心まで穏やかになっている気がして、不思議なくらいだった。


「ほら、飲んで」


水まで差し出されて、私は一度頷くと、素直にその薬を飲む。
その様子を見守っていた総司様は、ようやく満足そうにふっと微笑んだ。


「いい子だね」


少しだけ子ども扱いされているような気もして、なんとも言えない気持ちになってしまう。
総司様から見れば、私はそんなに頼りなく映っているのかな。
奥様方のような大人びた美しさもなければ、背も高くない。
総司様の好みの女性とかけ離れているから、きっと総司様から見た私は、守ってあげなければならない子供のままなのかもしれない。
そんなことを考えていると、不意に総司様が小さく首を傾げた。


「セラ嬢?」


私が考え事をしていたからか、総司様は小首を傾げて私を見る。
余計なことばかり考えてしまう自分が嫌になるけど、これだけは告げなければと、少し緊張しながら再び総司様を見上げた。


『狩猟会でのこと、ごめんなさい』


ずっと謝りたかった。
何度も言葉にしようとして、そのたびに胸の中で迷ってしまい、結局今日まで言えずにいた。
でも、あの日の私の行動が、この先も総司様を縛り続けることになるかもしれないと思うと、もう黙っていることはできなかった。


『アルディオン公爵家を陥れるようなことをしてしまい、申し訳ありませんでした』


本当は身柄を預ける場所を変えてほしいと願い出るだけのつもりだった。
だけどあの時の私は、すべてを話してほしいという総司様の言葉さえ、自分を逃がさないためのものなのだと感じ、その言葉にあえて従い、胸にしまっていたことをすべて打ち明けた。
そうすることで総司様のお立場が悪くなると分かっていても、あの時の私は自分を守ることに精一杯で、立ち止まって考える余裕なんてなかった。
けれど総司様と毎日を過ごすうちに、心にあった罪悪感が少しずつ大きくなっていった。
あの時、ほんの少しでも総司様を信じて、この人に相談していたら。
今になって、そんな後悔ばかりが静かに胸を締めつけている。


『今度からは勝手に判断して総司様にご迷惑をおかけしないようにします。何かあった時は、まず総司様に相談させていただきますから』

「謝らなくていいよ。別にそのことがあったから君から目を離さないようにしようとか、そんな理由で君を気にかけてるわけじゃないから」


明日からも私を気にかけてくださると聞いた時、狩猟会であんなことがあったから、責任を感じてそうしてくださるのだと思っていた。
だから少しだけ苦しくて、申し訳なくて、素直に喜べなかった。
そんな私の心を見透かしてしまったみたいに、総司様は静かに続ける。


「それに、セラ嬢はあの日の前日、バルコニーから僕に何か伝えようとしてくれてたよね。本当はその話をするつもりだったんじゃないの?」


その一言に、胸の奥にしまい込んでいた記憶が静かによみがえる。

……そうだった。
あの時までは、総司様に相談しようと思っていた。
屋敷で起きていることを全てお話しして、どうか助けていただけないかとお願いするつもりだった。
けれど、その前にニコラ様が現れて。
あの方と言葉を交わすうち、私は怖くなってしまった。
もし総司様に相談して、総司様が私ではなく他の方の言葉を信じてしまったら。
私のことを煩わしく思われてしまったら。
そう思っただけで胸が締めつけられて、総司様を頼ることが怖くなってしまった。
それなら、誰にも頼らず一人で戦った方がいい。
そう思い込んでしまうほど、あの時の私は総司様から取るに足らない存在だと思われてしまうことが何より怖かったのかもしれない。

今になって思えば、あれは間違った選択だったと分かる。
でも、あの時の自分が抱えていたどうしようもなく入り乱れた気持ちは、今でもうまく言葉にはできない。
私は誤魔化すように小さく笑ってみせたけど、その笑みは長く続かず自然と視線が下に落ちた。


「ごめんね。僕がもっとセラ嬢を気にかけてあげられていたら、君も僕に相談できたんだろうけど」


その言葉に、私は勢いよく首を横に振る。


『いいえ。総司様は謝らないでください。陛下の前ではあんなふうに言ってしまいましたけど、私は総司様のせいだなんて……そんなこと、一度も思ったことはありません。あの時は私も冷静ではありませんでした。だから……総司様には責任を感じてほしくありませんし、私のことも必要以上に気にして頂かないで大丈夫です』


そう言って両手をぎゅっと握り、小さく胸の前で力を込めた。


『総司様が私のために色々と整えてくださったお陰で、私はほら、もうこんなに元気になりました』


しんみりした空気を追い払いたくて、私が精一杯明るく笑ってみせると、総司様は何も言わなかった。
ただ綺麗な瞳で私を見つめている。
その眼差しは優しいのに、どこか切なさを帯びているようにも見えたけど、すぐにふっと微笑んだ。


「元気になったのはわかったけどさ。でも君が何度、平気です、元気ですって言っても、僕はちゃんと様子を見に来るよ。いくら君が困るとしても、それはもう諦めて」


あまりにも総司様らしい言い方に、思わず小さく笑ってしまう。


『ふふ。総司様は私に諦めてって言い過ぎですよ』

「前も言ったっけ?」

『はい。帝国から出られないから諦めて、とか。アルディオン公爵家からは出られないから諦めて、とか』


総司様は眉を下げて苦笑いをしながらも、決して謝ったり、その言葉を撤回したりはしない。
けれど、都合の良い言葉を並べて私を安心させようとするより、ずっと誠実なのかもしれない。
あの時は冷たく聞こえた言葉も、今なら少し違う意味で受け取ることができる。
総司様はいつだって、曖昧な優しさではなく、私が向き合わなければならない現実をきちんと伝えてくださっていた。
そして、その上で私がここで安心して過ごせるように、できることをしてくださっていたのだ。


「……まあ、君がそうやって笑えるようになったなら、良かったよ」

『総司様のお陰です』


素直にそう伝えると、総司様は一瞬だけ目を細めた。


「そういうことを簡単に言うから、君は危なっかしいんだよね」

『どうしてですか?』

「僕みたいな人間を、すぐ信用するから」


冗談めかした口調だった。
けれどその瞳はどこか真剣味を帯びている気がして不思議に思っていると、総司様は再びふっと笑った。


「ほら、もう寝なよ」


総司様は半ば無理矢理会話を終わらせると、寝台に身体を預けた私の上に、コンフォーターを優しくかけてくれた。
そっと伸びてきた指先が私の前髪を撫でると、急に襲ってきた睡魔に瞼が重くなってくる。


「それじゃあ、おやすみ。明日もちゃんと朝食は食べるんだよ」

『はい。おやすみなさい、総司様』


穏やかに微笑む総司様に、私も笑みを返した。
明日からは、また総司様がお部屋にいらっしゃらない時間が増える。
私も私にできることを探して、帝国のことを学びながら、この場所で少しずつ前へ進んでいこう。
そう思いながら、私は静かな眠りに身を委ねた。

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