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総司様と過ごす午後の時間は、胸の中に溜まっていた重たいものを溶かしてくれる。
先の見えない不安や故郷を思う寂しさに心を曇らせる日も少なくない。
それでも、こうして総司様と向かい合って紅茶を飲み、他愛ない話をしている間だけは、そんな憂鬱な気持ちを少し忘れられるような気がしていた。


「君の専属になった、エイミーって子はどう?」


総司様に尋ねられ、私は自然と笑みが零れる。


『とっても良い子です。優しくて明るくて気が利いて、たまに面白いことも言うんですよ。私、エイミーが大好きなんです』

「ははっ、それなら良かった。侍女とは言っても、一日の大半を一緒に過ごす相手だからね。相性が良いのが一番だと思うよ」

『はい。エイミーと一緒にいると全然疲れないんです。気を遣わなくても自然にお話しできますし、今では私にとって大切なお友達です』


その言葉に、総司様は優しく目を細めた。


「そっか。それは何よりだね。僕も相馬とはそんな感じだから、君の言いたいことはよく分かるよ」


確かに、お二人はいつもご一緒にいらっしゃる印象がある。
性格はあまり似ていないように見えるのに、総司様は相馬卿の前では自然体だし、相馬卿もまた、総司様を心から慕っていることが伝わってくる。
主君と家臣という言葉だけでは言い表せない信頼が、お二人の間にはあるように思えた。


『総司様は相馬卿と仲良しですもんね。お二人もお友達みたいな関係なんですか?』

「うーん、どうだろう。やっぱり主従ではあるから、純粋な友達とは少し違う気もするけどね」

『でも相馬卿は、総司様をきちんと立てながらも、言うべきことはちゃんと仰っていますよね。この前ご一緒した時も、そんなお二人を見ていてとても素敵な関係だなって思いました』

「まあ、相馬は口煩いからね。気づけば僕ばかり叱られてる気がするよ」


困ったように笑いながら紅茶を口に運ぶ総司様。
でも、その顔は少し嬉しそうだった。
きっと総司様を恐れて、本音を言えない方も多いはず。
そんな中でも遠慮なく向き合い、必要なら苦言も口にできる相馬卿は、総司様にとって大切な存在なんだろう。


『凄いですね、相馬卿。立てる時は立てて、叱る時はちゃんと叱って。まるで……』


そこまで言って、ぴんと浮かぶものがあった。


『総司様の奥様みたいです』


笑顔でそう告げた途端、紅茶を飲んでいた総司様は少しむせた。


「けほっ……君は馬鹿なのかな。相馬が奥さんなんて絶対に嫌なんだけど」

『ふふっ、ごめんなさい。でも、本当にそんな感じがしたんです。もちろん総司様には素敵な奥様方がいらっしゃいますけど、相馬卿はお仕事中だけ総司様の奥様役みたいだなって』


総司様は呆れたように苦笑いしながら、すぐに意地悪な笑みを浮かべてみせた。


「それ、本人が聞いたら泣くよ」

『そうでしょうか?』

「間違いなくね」


総司様は思い出したように目を細めると、肩を揺らして小さく笑った。


「そう言えばさ。まだ僕が結婚する前の話なんだけど、相馬に本気で言われたことがあるんだ。俺は隊長の奥様にはなれませんよって」


一瞬きょとんとしてしまったけど、その光景を想像した途端、思わず吹き出してしまった。


『あははっ。本当にそんなことを仰ったんですか?』


笑いが止まらなくて口元を押さえる。


『総司様が相馬卿に甘え過ぎて、相馬卿ご自身も、もう奥様みたいなものだと思ってしまったんですね』

「そんなわけないでしょ」


総司様も可笑しそうに笑いながら首を横に振る。


「まあ、頼り過ぎてたのは否定できないけどね」

『総司様が誰かに頼るなんて、少し意外です』

「アルディオンの爵位を拝命したばかりの頃は、何もかも手探りだったからさ。屋敷の管理も書類仕事も、気付けば相馬に任せっぱなしだったんだ。そのせいで父にも相馬にも、いい加減早く結婚しろって、顔を合わせるたびに言われてたよ」

『それは言われても仕方ありませんね。総司様はお外でのお仕事がお忙しいですし、お屋敷を守る方がいなければ皆さん困ってしまいます』

「まあ、そうなんだよね。だから結局、やむを得ず結婚した。正妻も二人の側室も、僕の意思とは関係なく、全部このアルディオン公爵家のためにね」


紅茶を静かに口に運び淡々と仰った総司様の言葉を聞いて、私は思わず言葉を失う。
こんな話を私が聞いてしまって本当に良かったのだろうかと胸の奥が少しざわつく。
だけど、夫婦は一緒に暮らす時間の中で少しずつ気持ちが育つこともある。
最初は政略結婚でも、今はきっと違うのかもしれない。
そう思い直し、私は小さく微笑んだ。


『でも、結果としては良かったのではないですか?』

「何が?」

『奥様方は皆さんとても素敵な方ですし、総司様のことを大切に想っていらっしゃるのが伝わってきます。そんな方々とご縁があったのは、幸せなことだと思います』


私の言葉を聞いた総司様は、しばらく何も答えなかった。
やがてティーカップを静かにソーサーに置く音だけが部屋に響き、総司様はどこか諦めたような笑みを浮かべた。


「いや。良かったと思ったことは一度もないよ」


その一言だけで、部屋を包んでいた穏やかな空気がふっと色を変えた気がした。
冗談でも照れ隠しでもない。
今の言葉が総司様の本心なのだと自然に伝わってくるようで、私は返す言葉を見つけられないまま総司様のお顔を見つめていた。
総司様は深い息をひとつ零すと、いつもの隙のない優雅さを少しだけ崩し、頬杖をついたまま私を見つめた。
そのエメラルド色の瞳は然程笑っていないのに、口元だけはどこか楽しそうに緩んでいる。


「それなのに不思議でさ。僕の好きな女性は長身で、綺麗で、落ち着いていて……なんて、勝手なことばかり言われてるみたいなんだ」


それは私が聞いていた通りの言葉だったから、思わずぱちりと目を瞬かせた。


『違うのですか?』

「全然違うよ。そもそも好きな子の理想なんてないし」

『ないのですか?』


思わず聞き返すと、総司様はくすりと笑みを深くした。


「なんで?僕の好みが気になる?」


その視線がまっすぐ私を捉える。
冗談めいた口調なのに、視線だけは逸らしてくれなくて、その眼差しに胸が小さく鳴った気がした。
慌ててその鼓動を隠すように視線を落とし、ティーカップの縁にそっと指先を添える。


『そういうわけではないです』

「なんだ。じゃあ教えない」


あっさりと言われてしまい、会話の流れで聞いただけだったはずなのに、秘密にされると少しだけ悔しくなる。
気づけば片頬がふくらみ、じとりと総司様を見つめてしまっていた。
そんな私を見た総司様は、困ったように眉を下げながら笑う。


「セラ嬢は?昔は優しい人が好きって言ってたけど、それ以外はないの?」


そう聞かれても、すぐには答えが浮かばなかった。
誰かを好きになる理由は、紙に書き出せるようなものではないと思う。
笑った顔が好きだったり、一緒にいると安心できたり、気づけばその人を目で追ってしまったり……そんな小さな積み重ねが、いつの間にか特別な気持ちになるのではないだろうか。
だからこういう人と言い切れるものは、やっぱり思いつかない。


『私も特にないですよ?』

「えー、嘘だ」

『そもそも、総司様が教えてくださらないのに、どうして私だけ話さなければならないのですか?不公平です』


そう言って紅茶をひと口飲み、拗ねたように顔を横に向けると、総司様は楽しそうに笑っていた。


「じゃあ質問を変えるね」


その笑みが、少しだけ静かになる。


「セラ嬢は薫殿下と婚約する約束をしてたみたいだけど、あの王太子のことは本気で好きだったの?」

『……え?』
 

思いもよらない質問が投げかけられて、持っていたカップがわずかに揺れた。


「この人じゃなきゃ駄目だって、本気で思えるくらい好きだった?」


柔らかな問いかけ。
それなのに、その奥には何かを確かめるような響きが隠れている気がして、胸が締めつけられる。
私はゆっくりとカップを受け皿に戻し、自分の指先を見つめた。


『薫様は幼い頃からずっと傍にいて、たくさんの思い出があります。私が苦しい時も、いつも支えてくださいました。だから薫様のことは勿論大切に思っていたのですが、アストリアにいた頃は、薫様がいつも傍にいてくださることや、私のために心を砕いてくださっていたことが、当たり前になっていて……。本当の意味で自分の気持ちがよくわかっていなかったんだと思います』


薫様は、幼い頃からいつも傍にいてくれていた人。
一緒に庭を歩き、本を読み、季節が巡るたび同じ景色を眺めてきた。
だから婚約の話が出た時、薫様の隣で過ごす未来をすんなり想像することができたし、彼のことは今も昔も大好きだ。
でも、それが恋かと聞かれたら違うのだと思う。
なぜならアストリアにいた頃の私は、ずっと総司様だけを想っていたから。
人は、同じ時に二人の人を心から愛することはできない。
あの頃の私の心には、総司様への想いだけが確かにあって、だからこそ薫様に向ける気持ちを恋だと呼ぶことはできなかった。

ただ……あれから色々なことがあり、こうして帝国に来た今は、総司様への想いも少し変わった。
そして同時に、当たり前のように私の傍にいてくれた薫様の存在が、どれほど大きなものだったのかを知った。
私が苦しんでいる時も、離れた場所にいる今も、薫様は変わらず私のことを想い、私のために心を尽くしてくれている。
その優しさを、私は今まできちんと見つめられていなかったのかもしれない。
もし、この先また薫様の傍で生きることが許されるのなら、今度こそ私も薫様の支えになりたい。
生涯をかけて、受け取った優しさを返していきたい。
そう思う気持ちが、今の私の中に確かにあった。


『でも、離れたことで分かったんです。私にとって薫様がどれほど大切な方だったのか。もしこの先、誰かの隣で生きていくことを願えるのなら……私は、薫様の隣にいたいです。今は、薫様でないと駄目だったんだって、そう思っています』


私がこの先どうなるのかは、まだ何ひとつ決まっていない。
自分の心とどう向き合えばいいのか、どんな未来を願っていいのか、迷いは消えない。
それでも、もし自分で選ぶことができるのなら、私は薫様の隣にいたいと思った。
そんな素直な気持ちを口にしたら少し恥ずかしくもあって、誤魔化すように少し笑う。
総司様もふっと笑うと、その笑顔を残したまま言った。


「そっか。今回のことで自分の大事な気持ちに気付けたなら良かったね」

『はい』

「まあ、気付いたところでもう永遠に叶わないけど」

『…………』


笑顔のまま、そんなことを言うなんて。
以前なら、きっと胸が痛んで何も返せなかったと思う。
けれど最近の私は、総司様が時折見せるこの意地悪さにも少し慣れてしまったのか、悲しむより先にじっと彼を見つめることができた。


『その言い方は意地悪ですね』

「そう?僕は本当のことしか言ってないよ」

『いいえ、意地悪です。私は昔、総司様のことをよく見てきたつもりでしたけど、こんなに意地悪なことを仰る方だとは知りませんでした』


少しだけ強気になって言葉を返すと、総司様は何がおかしいのか眉を下げて笑っている。


『何がおかしいんですか?』

「頬が膨らんでるなって思って」 

『これだけ意地悪を言われたら、誰でも膨らむと思います』

「そんな意地悪を言ったつもりはないんだけどな」

『総司様にそのつもりがなくても、私は悲しかったです。総司様って優しいのか意地悪なのか、わからないですね』


私を気遣ってくれて、こうしてお菓子を買ってきてくれたり、侍女との関係まで気にしてくれるのに、時々ひどく意地悪な言葉を口にする。
幼い時もたまに悪戯はすることはあったけど、あの頃の意地悪はもっと可愛らしいものだった。
私が傷つくようなことを、絶対に言う人じゃなかったのに。

けれど、それは仕方ないことなのかもしれない。
昔の総司様は、少なからず私を大切に思ってくれていた。
だから、私にとても優しかった。
でも今は、私に向ける特別な想いがないからこそ、何も気にせず本音を口にできるのかもしれない。
これが、本当の総司様なのだろうか。
そんなことを考えていると、総司様がふいに口を開いた。


「セラ嬢だって、普段は優しいけど、たまに凄く意地悪じゃない」

『え?私がですか?』


思わず聞き返すと、総司様は頬杖をついたまま少しだけ視線を逸らした。


「うん。僕だって君に言われた言葉に、何度も傷付いてるんだけど。今日なんて、すっごく意地悪だよ」


そう言った総司様の横顔は、怒っているわけでも、私をからかっているようにも見えず、ただ少しだけ淋しそうに見えた。

私……そんなに総司様を傷付けていたの?
特に今日は、そんなつもりで言葉を選んでいたわけではなかった。
でも、自分に悪気がなかったからといって、相手を傷付けていい理由にはならない。
前に言い合いになった時は、私自身も総司様に酷いことを言ってしまった自覚があったからこそ、その時の苦しさが蘇ってきてしまう。


『あの……ごめんなさい。総司様を傷付けてしまったのなら、謝ります』

「どうせ君は、僕が何に傷付いてるかなんてわからないでしょ。だから謝ってもらわなくても別にいいよ」

『何が総司様を傷付けてしまったのか、仰っていただけたらきちんと反省しますし、これからは気を付けます。なので教えて頂けませんか?』

「絶対やだ」


あまりにも迷いなく返された言葉に、私は思わず目を瞬いた。
絶対やだ、なんて。
まるで子供のような言い方だった。
普段は何事にも動じず、余裕のある笑みを浮かべている総司様からは、とても想像できない姿だった。


『総司様……』


エイミーが聞いた侍女達からの話によると、総司様は早朝に屋敷を発ち、戻られるのは殆ど日付が変わる頃なのだという。
服に血がついたまま帰ってくる日もあれば、酷く疲れた表情をなさっている日もあるそうだ。
それでも休むことなく執務室に向かい、夜更けまで書類に目を通していることも少なくないらしい。
そんな毎日を過ごしているのに、今日は仕事が早く終わったからと、お菓子を買って私の様子を見に来てくれた。
口では意地悪を言うこともあるけど、それでもこうして気にかけてくれるのは、総司様なりの優しさなのだと思う。
本当に私を傷つけたいなら、こんなふうに時間を作って会いに来たりはしない。
そう思うと、心の中に残っていた小さなわだかまりが少しずつ溶けていき、私は静かに立ち上がった。

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