10

セラ嬢を呼んだ場所は、建設途中の別邸にある庭園だった。
ここは誰にも立ち入りを許していないし、今後も出入り口には見張りを置くつもりでいる。
この場所はセラ嬢と僕だけのためだけに作られた、秘密の花園のようなものだった。

昼間は途中で昼寝をしてしまったから、ゆっくり話す時間がほとんどなかった。
それなのに僕の耳に残っているのは、王太子との未来を望んでいる彼女の言葉ばかりだった。
別に気にするようなことじゃないと思っていても、心に引っかかったものは僕の中から消えてくれない。
悶々としたまま過ごすのが嫌で、こうして再び彼女に会うことにした。

だけど、いざ顔を合わせてみれば、セラ嬢はまだ子供を作らないのかなんて聞いてくる。
何の含みもなく尋ねてくるものだから、僕のことなんてもう完全にそういう対象として見ていないんだなと、気が滅入ってしまった。

……まあ、当たり前か。
僕たちの縁は、あの時にとっくに途絶えている。
それに僕にはもう三人の妻がいるし、彼女を無理矢理この国に連れてきた僕が、まさか自分を好いているなんてセラ嬢が想像するはずもない。
仕方のないことだとわかっていても、もどかしさは常に胸に残る。
その感情を顔に出すわけにはいかないから、僕はいつものように軽く微笑み口を開いた。


「セラ嬢の子供も、凄く可愛いと思うよ」


素直な気持ちをそのまま言葉にすると、彼女の大きな瞳が僕を見上げた。


「きっとその子は君に似て、空色の大きな瞳をしてるんだろうね。肌の白さとか、明るすぎないブロンドの髪とかも似たら、余計に可愛いと思うし」

『ふふ、そうでしょうか』

「うん。そんな子が生まれたら、僕は凄く可愛がっちゃうと思うな」


敢えて何事もないように、さらりと告げる。
すると彼女の瞳がふるりと揺れて、恥ずかしそうに伏せられた。


『ありがとう……ございます』


少し照れた様子の小さな声を聞いて、胸の奥が甘く疼いた。
君と僕の子供なら、きっと物凄く可愛いに決まってる。
僕達が合わさって出来た子供を早くこの目で見てみたい。
だから、いつか僕の子供を産んでね。
その日が楽しみでどうしても口元が緩んでしまう。


「子供はさ、男の子と女の子、どっちが先がいい?」

『ふふ、両方産むこと前提なんですね』

「当たり前でしょ。どっちも欲しいし、両方見てみたいしね」


僕がそう答えると、セラ嬢は少し考えるように目を伏せ、それから柔らかな笑みを浮かべた。


『んー、迷いますけど、やっぱり最初は男の子です』

「へえ、意外。どうして?」

『お家のこととか考えると、後継は早めに産んだ方が、自分も安心できる気がしたんです』

「まあ、確かにね。じゃあ最初は男の子で、次は女の子って感じかな」

『それが一番理想的ですね』


そう言って、セラ嬢はにこにこと微笑んだ。
その笑顔を眺めながら、僕も穏やかに笑い返す。
彼女が思い描く未来に、僕がどんな形で存在しているのかなんて、今の僕にはわからない。
それでも、彼女が僕の隣で子供の話をしている。
それだけで満たされていくのだから、我ながら随分と単純なものだと思う。
やがて彼女が紅茶を一口飲むと、庭を渡る風が強く吹く。
先程から微かに漂っていた彼女の香りが風に乗り、今までよりもはっきりと僕のもとに届いた。


「なんか、凄く良い香りがするね」

『りんごのですか?』

「ううん、セラ嬢から」


そう答えると、彼女は目をぱちぱちと瞬かせたあと、何かに気づいたようにぱっと表情を明るくした。


『エイミーが毎日、色々な香油で髪や身体を清めてくれるんです。その香りかもしれません』

「そうなんだ。君に似合ってる香りだと思うよ」

『私もこの香りが好きなので、そう言って頂けると嬉しいです。今日は白百合の香油を使ったって、エイミーが話していました』


百合と聞いて僕の脳裏に浮かんだのは、彼女の故郷であるアストリアの紋章だった。
そして白百合は、セラ嬢を象徴する花。
清楚で、それでいてどこか高貴な雰囲気を纏う花は、確かに目の前の彼女によく似合っている。


「それなら余計にセラ嬢にぴったりだね。君は東部でアストリアの白百合って呼ばれてるんでしょ?」


僕は北部の人間だから、彼女がそう呼ばれていることを知ったのは、婚約が破棄されて彼女の身辺を調べている時だった。


『それは……アストリアの紋章が百合だからです。だからなんとなく、そう呼ばれてしまって。本当は白百合なんて恐れ多いんですけどね』

「そんなことないよ。でも別に白百合じゃなくてもいいかな」


セラ嬢はきょとんとした顔で僕を見つめている。


「たとえば、アストリアの天使、とかでも似合ってると思うけど」

『もう……やめてください。それこそ恥ずかしいです。あの子が天使なの?って、笑われてしまいます』

「あははっ、誰もそんなこと思わないってば」


セラ嬢は、すっかり僕にからかわれたと思っているらしい。
少しだけ頬を膨らませて、困ったように僕を見ている。
でも僕は別にからかっているわけじゃない。
この子と過ごしていると、本当に何度も天使みたいだと思うことがあった。
初めてその姿を見た時もそうだったし、久しぶりに再会した時、頭上から突然落ちてきた彼女を受け止めた瞬間にも思った。
そして今も月明かりを受けながら、庭を渡る風に柔らかな髪を揺らしているセラ嬢は、僕の知っているどんな言葉でも言い表せないほど綺麗だった。


『あの、総司様?』

「うん?」

『どうして、私をここに呼んでくださったのですか?もしかして、何か大事な話があるのですか?』


こんな時間に僕が呼び出したせいで、何か事情があると思ったらしい。
月明かりの中で向けられた瞳には、少しだけ不安が浮かんでいた。
思えば、今夜の呼び出しは、完全に僕の私情でしかない。
昼間にも少し顔を合わせているから、いつものように君の生活を気にかけているから、なんて理由では通らないし、伝えなければならない話があるわけでもなかった。


「正直に言うと、君をここに呼んだ理由はちゃんとあるんだ」


そう言うと、セラ嬢の表情がわずかに強張った。
何を言われるのかと、真っ直ぐ僕を見上げている。
その顔が可愛くて思わず笑いそうになったけど、僕はいつものように口元だけを柔らかく緩めた。


「でも、内緒」

『え?内緒?』

「うん。君には教えない」


だって僕が君をここに呼んだ理由は、ただ君と過ごしたかったからだ。
その顔を見たかったし、その声を聞きたかった。
それから、この静かな庭園で、誰にも邪魔されずに君とゆっくり時間を過ごしたかった。
そんなことを今の君に正直に言えるわけがない。
でも僕の言葉が予想外だったのか、セラ嬢はぽかんと僕を見上げている。


「ふはっ……なんなの、その顔」

『総司様こそ……内緒ってなんなんですか?』

「内緒は内緒だよ。言いたくないってこと」

『意味がわからないです。折角ここまで来たのに』

「なんかその言い方だと、ここに来たくなかったみたいだね」

『そういうわけではなくて……』

「じゃあ、この場所に来て良かった?」

『……はい。とても綺麗ですし、夜の庭園は帝国に来て初めてだったので、とても嬉しいです』

「それなら、細かいことは気にしなくていいじゃない」


そう言って笑うと、セラ嬢は少しだけ困った顔をした。
納得したわけではなさそうだけど、さっきまでの不安そうな色が瞳から消えているのを見て、僕はそれだけで十分だと思った。


「それにさ、せっかくこんな綺麗な場所に来たんだから、難しい顔してるより笑ってたほうがいいよ」

『……もう。総司様は、いつもそうやって誤魔化しますね』

「そうかな」

『そうですよ。何か聞いても、教えてくださらないことが多いですし』

「だって、僕が何でも正直に話したら、君はきっと困るでしょ?」

『私が困ることなんですか?』

「うん」


思わずそう答えると、セラ嬢はしばらく僕の顔を見つめたあと、困ったように小さく首を傾げた。


『よく、わかりません』

「それでいいよ。わからないままでいて」

『わからないままで、本当に平気なんですか?』

「うん、今はね」


眉を下げた彼女は、また少しけ淋しそうに目を伏せると、冷めかけた紅茶を静かに口に運んだ。
しばらく何も言わなかったのに、やがてカップを両手で包むように持ったまま、ぽつりと小さな声を落とす。


『もしかして……私の処遇についてのことですか?』

「え?」

『前に総司様は仰ってましたよね。果たしてもらいたい重要な役割があるって。その時が来たら、嫌がらずに受け入れてもらうことになると』


そう言えば、あの頃の僕達は会話をすればよく重苦しい空気になっていた。
あの日もパンケーキを食べながら、そんな話をしていたんだっけ。


「別に君の今後の話をするために呼んだわけじゃないよ。でも、それがどうかしたの?」

『ずっと気になっていたのです。わざわざ嫌がらずにって総司様が仰っていたから……私が気が重くなるようなことなのかなって。総司様は私が気の毒で、優しくしてくださるんですか?』


参ったな。
まさか、あの時の言葉を今まで覚えていたなんて。
当時のセラ嬢は、僕から距離を置こうとしているように見えた。
そんな相手に、自分の側室となり、いずれは後継者を産んでほしいと告げたら、素直に受け入れられるはずがない。
だから僕は、最初から逃げ道なんてないような言い方をした。
今思えば、ずいぶん卑怯だったと思う。

実際、その話を本当に伝えた時、セラ嬢がどんな顔をするのか、僕にはまだわからない。
だからこそ、それまでに少しでも僕との間にあるものを変えておきたかった。
一緒に食事をして、庭を歩いて、他愛のない話をして。
そうやって少しずつ今の僕を知ってもらえたら、いつかその話をした時にも、少しくらいは僕の言葉を聞いてくれるんじゃないかと……そんなことを考えていた。
その矢先に、こんなことを聞かれるなんてね。


「いや、違うよ。そんなことは考えてないってば」

『本当にそうなのですか?』

「どうしたの?今日は随分疑り深いね」

『だって……総司様は私に優しくしてくださいますけど、決して私の味方ではないでしょう?』


その言葉に、胸の奥が鈍く痛んだ。
幼い頃なら迷うことなく答えられた、僕は君の味方だよ、と。
君が困っていれば手を差し出したし、君が泣きそうな顔をしていれば、僕が傍にいるから大丈夫だと胸を張って言えた。
あの頃の僕にとって、それは疑う余地もない事実だった。

そして君も、僕の味方だと言ってくれていた。
だからこそ、今になって思い出す。
あの日、先に僕を見放したのは君の方だったじゃないか、と。
そんなことを考えてしまう自分が、ひどく嫌になる。
セラ嬢だけを責めたいわけじゃない。
あの日から僕だって、何度も君を傷つけてきた。
それでも、昔の僕が信じていたものまで忘れることはできなかった。


「まあ……味方とは違うかもね。だって、君を帝国に連れてきたのは僕だし」


セラ嬢の瞳が大きく揺れた。
月明かりを映したその瞳を見つめていると、昔の記憶が不意に胸の奥から蘇ってくる。
幼い頃の君も、愛らしい顔で僕を見上げていた。
あの頃はそれだけで嬉しくて、胸の中には愛おしさばかりが溢れていた。

でも今は同じ瞳を見ているのに、胸の中にはいくつもの感情が入り混じっている。
嬉しいだけじゃなく、悔しさも、悲しさも、苛立ちもある。
何をしても昔のようには戻れないのだという、どうしようもないもどかしさまで、胸の奥に絡みついて離れなかった。

僕がどれだけ優しくしたいと思っても。
どれだけ君が安心して過ごせる場所を用意しても。
こうして月明かりの綺麗な庭園に連れ出して、ただ笑っていてほしいと願っても。
今はもう、僕の中にあるものが、そのまま真っ直ぐ君の心に届くわけじゃない。
そしてそれは僕にも言えることだから、その事実を今さら思い知らされた気がした。


「そんな顔しないでよ。僕だって別に、君に嫌われたいわけじゃないんだからさ。それに、僕が君に優しくする理由なんて、君が思っているほど難しいものじゃないよ」

『そうなんですか?』

「うん。僕達は過去に色々あったけどさ。でも、僕とセラ嬢はどちらかと言うと巻き込まれただけでしょ?昔自分が好きだった子に少しでも良くしてあげたいと思うのは、別にそんなにおかしなことじゃないと思うんだけどね」


自分で口にしておきながら、ずいぶん都合のいい言葉だと思った。
僕の中に残ってしまった気持ちは、あの日から一度だって消えてくれなかったのに。
でも、至極真っ当な話だと思わせてしまえばいい。
僕達は過去に想い合っていた。
だから、今でも相手を気にかけることくらいある。
そう思ってもらえれば今は十分だった。


『……ありがとうございます』


呟くように告げられた言葉を聞いて、僕はその声に誘われるように右側を見る。
すると少し潤んだ清らかな瞳が僕を見つめて、柔らかく細められた。


『総司様が今仰ってくれた気持ちで優しくしてくださっているのなら、とても嬉しいです。それに、私も同じ気持ちです。私も総司様と過ごした日々を、今でも大切に思っているんですよ。だから……帝国に来てから色々なことがありましたけど、総司様にはそれ以上に感謝している気持ちの方が大きいんです』


胸の奥に、甘い痛みが広がる。
そんなふうに言われたら、期待してしまいそうになる。
僕はそれを悟られないように、いつもの笑みを浮かべた。
すると、僕の目の前に華奢な右手が差し出された。


『これからも総司様は、お立場を優先させてくださって構いません。ですが、お仕事と関係ない時は、改めてお友達として仲良くしてくださいますか?』


話せば話すほどセラ嬢を欺くことになるのはわかっていても、今更罪悪感は抱かなかった。
僕を疑いもしないで見つめてくるこの子を、ただ早く僕のものにしたい。
そこまで辿り着いてから、セラ嬢との関係性を改めて作っていけばいい話だ。


「勿論、いいよ」


そっと握った手は、小さくて柔らかくて少し力を入れたら簡単に折れてしまいそうだ。
このまま手を引いて腕の中にその身体を抱きしめられたらどんなにいいだろう。


『ふふ、なんだか照れくさいですね』

「こんなことで?」

『もう、こんなこととはなんですか?折角総司様とお友達になったのに』

「そもそも友達って、なろうって言ってなるものじゃないよね。自然と親しくなって、気付いたら友達っていうのが普通でしょ」

『確かにそうかもしれないですけど……』

「ああ、でも。小さい子供がよく言うよね、お友達になろう?って」


そう言ってにやりと口角を上げてセラ嬢を見れば、彼女は目をぱちりと瞬かせると、膨れた様子で僕を睨んだ。


『もう、総司様』

「なに?」

『なに、じゃないです。私、怒ってるんですからね』

「ははっ、君が怒っても誰よりも怖くないよ」

『誰よりもって、酷い』


笑いながら言うと、セラ嬢も眉を下げて笑っている。
君がこうして楽しそうに笑ってくれているなら、それだけで十分だ。


「ねえ、セラ嬢」

『はい?』

「もう少しだけ、ここにいようか」

『ふふ、そうですね』


返ってきた声が、月明かりの夜に静かに溶けていく。
僕は何も言わずに笑った。
僕は月を眺めながら、隣にいる彼女との静かな時間をただ大切にしていた。

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