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部屋に戻って昼食を摂った後、予定通りヴァルモンの仕立て屋が私の部屋を訪ねてきてくれた。
話し合いの結果、白を基調に、淡いブルーを重ねたドレスを仕立てることになり、胸元には細やかな刺繍を施し、裾には光を受けると柔らかく輝く織りの生地を使うという。
飾り立てすぎず、それでいて夜会の席でも見劣りしないよう、仕立て屋の方がいくつもの布地を並べながら丁寧に説明してくれた。
私にはどれも素敵に見えてしまって、なかなか一つに決められずにいると、途中から総司様も加わってくださった。
すると、いつの間にか私より総司様の方が真剣になっていて、白や淡い青の布を次々と手に取り、私の顔の近くにあてながら楽しそうに選んでくださった。
鏡に映る自分の姿よりも、私を見つめながら布地を選ぶ総司様の横顔の方が気になってしまい、私は少し照れながらも、その様子を黙って眺めていた。
やがて採寸も終わり、仕立て屋の方が丁寧に頭を下げて帰られると、総司様はエイミーに室内にお茶を用意するよう指示を出した。
ほどなくして紅茶と菓子が運ばれ、エイミーは総司様の言葉に従って部屋を出て行く。
残された私は、静かになった室内で紅茶を一口飲み、ようやく緊張が解けたように小さく息を吐き出した。
『今日はドレス選びにお付き合いくださり、ありがとうございました』
「いいえ。君好みのドレスになりそう?」
『はい。今から出来上がるのがとても楽しみです』
そう答えながら、まだ見ぬドレスを思い浮かべると心が踊る。
だけど、ドレスを楽しみに思う気持ちとは反対に、夜会そのものについて考えると、どうしても心が重くなってしまう私がいた。
「夜会当日は僕が君をエスコートするからね」
『総司様がしてくださるのですか?』
思わず顔を上げると、総司様は何でもないことのように頷いた。
「君を預かっているのは僕だし、君をエスコートできるのは僕しかいないでしょ。陛下からも僕が引率するように言われてるしね」
『ですが、奥様方はどうされるのですか?』
「三人は夜会に慣れてるから平気だよ。会場までは皆で行くし、着いてから別行動になるだけだから」
また奥様方との間に余計な波風が立つのではないかと思うと、素直に喜ぶことができなかった。
ただでさえ私はこの家の方達からしたら厄介者でしかない。
そんな私が総司様にエスコートしていただけば、奥様方からすれば面白くないと思われても仕方がないように感じてしまう。
『私は一人でも問題ないですよ』
「何言ってるのさ。君を一人にできるわけないでしょ。それに三人には話してあるし、ちゃんと理解してもらってるから、素直に僕にエスコートされて」
『……はい、ありがとうございます』
それでも心配そうな私を見て、総司様は少しだけ表情を和らげた。
「万が一、また何かされたら僕に言うんだよ。ちゃんとセラ嬢のことは護るから、そんなに心配しないで」
総司様が私のことを気にかけてくださるのは、本当にありがたいと思う。
でも奥様方との間に何かあったとしても、それを私から総司様に訴えられるような立場ではない。
余計なことを口にすれば、それだけでまた誰かを傷つけてしまうかもしれないし、狩猟会の時の二の舞になりそうだと思った。
だから、夜会の日は誰にも迷惑をかけずに過ごせるように努めよう。
そう心に決めたところで、少し開いていたバルコニー沿いの窓から、涼しい風が室内に入り込んできた。
頬を撫でる風に思わず目を細めた時、机の上に置かれていた紙がふわりと舞い上がる。
それは私の向かいに座っている総司様の近くに落ちた。
「あれ?何か落ちたよ」
総司様がそう言って、足元に落ちた紙を拾い上げてくれる。
だけどその紙に目を落とした直後、エメラルド色の瞳がすっと細められた。
「これは何?」
その紙に描かれていたのは、先ほど庭園で花を眺めていた私の姿だった。
色とりどりの花に囲まれ、風に髪を揺らしながら佇んでいる私を、シャルル様が描いてくださったものだ。
『先程、庭園を散歩していたら、花を眺めていた私をシャルル様が描いてくださっていたんです』
「君が描いていいって言ったの?」
『そういうわけではなく、気付いたら描いてくださっていました。私がその場から離れようとしたら、もう少し動かないでいてほしいと仰っていたので、その場で立ち止まって、最後まで描いていただいたんです』
総司様の視線が痛い。
先ほどまで仕立て屋の方と楽しそうに布地を選んでいた姿が嘘のように、今は鋭い気配が漂っている。
シャルル様は公爵家の方ではないから、気安く話してしまったらいけない相手だったのかもしれないと、不安な心情になった。
「……そう。他には何か話したの?」
『いいえ。絵をいただいて、そのまますぐ部屋に戻りました』
「何か聞かれたりしなかった?」
『はい、何も』
「それならいいけど、本当に勝手なことをしてくれるよね」
『……あ……申し訳ありません……』
冷たく吐き出された言葉を聞いて、私はすぐ頭を下げたけど、恐る恐る顔を上げると、総司様が目を瞬かせている。
そして、先ほどまでの険しい表情を少し和らげ、困ったように笑った。
「いや、セラ嬢のことじゃないよ。あのシャルルっていう画家のこと。庭園を勝手に歩き回られるだけでも気分が悪いのに、帝国の来賓である君に気安く話しかけるなんて、どうかしてるよ。教養のない人間って、これだから嫌なんだよね」
総司様はそう言いながら、手にした絵を見下ろしていたけど、その瞳には明らかな嫌悪が浮かんでいる。
けれど……シャルル様は私を困らせようとしたわけではない。
ただ、画家として目の前にある景色に心を動かされて、その瞬間を残したかったのだと思う。
花を眺めていた私を描いてくださったのも、きっと芸術家としての感性がそうさせただけ。
あの方の瞳には、私自身ではなく、その場に広がっていた花や光、風まで映っていたように感じていた。
『むしろ私が自分の立場を弁えずに、申し訳ありませんでした』
「セラ嬢は謝らなくていいよ。勝手に絵を描かれて、不快だったでしょ?」
『いいえ、そのようなことは……』
私は思わず、首を横に振った。
『とても綺麗に描いてくださっていましたし、私はこのように自分の姿を見ることなんてできないので、大好きな花の中にいる私を残してくださったことが、少し嬉しかったです』
そう伝えると、総司様は何も言わずに私を見つめた。
その表情からは、何を考えているのか読み取れない。
ただ、手にした絵を見下ろす瞳だけが、先程よりもいっそう冷えて見えた。
でもふっと笑うと、眉を下げて今度は私に視線を向けた。
「セラ嬢は優しいね。でも、そうやってすぐ相手を信じると危ないよ。こんなものを渡してくる時点で下心があるって見え見えじゃない」
『下心?何のでしょう?』
「何のって……」
総司様は呆れたように息を吐いた。
「いい?あの画家は口では芸術だなんだって綺麗なことを言ってるかもしれないけど、結局はリーシェをパトロンにしてるような奴だよ。そんな男に勝手に描かれて、気持ち悪くないの?」
『はい……。気持ち悪くはないですけど』
思ったままを答えると、総司様はしばらく黙り込んだ。
シャルル様がどうしてリーシェ様の庇護を受けるようになったのか、その事情を私は知らない。
だから、そのことだけでシャルル様という方を判断することもできなかった。
「……呆れた。君は潔癖な性分かと思ってたけど、案外鈍感なのかな」
そう呟いた総司様はここ最近では見せなかった少し冷たい笑いを浮かべて、私を見つめていた。
「僕が言いたいのはね。もっと警戒心を持って気をつけてってこと。この絵を渡したのだって、何か良くないことを企んでるからかもしれないでしょ?そもそもリーシェの愛人っていう立場なら、その立場を弁えて自分からは話しかけないのが最低限の礼儀だよ。それなのにあの画家の男は、そんな当たり前のことすら出来ずに君に近付いて、こんなものまで渡してる。だから、余計に勘繰らないと」
総司様の言うことは、きっと間違ってはいないのだと思う。
実際貴族の間には、細かな礼法や暗黙の決まりがいくつもある。
私は昔から、相手の身分よりも、その人がどんな人なのかを気にしてしまうところがあったから、シャルル様がどのような立場にいるのかを知った後も、絵を描いてくださったことばかりを嬉しく思っていた。
けれど、私を預かる立場にある総司様からすれば、私の身に何か起こらないよう慎重になるのは当然のことなのかもしれない。
それに、もしここで何か言い返して反省していないと判断されたら、唯一出歩くことが許可されている庭園にすら行けなくなってしまう。
それだけは絶対に避けたかったから、私は肩を落として総司様を見上げた。
『ごめんなさい。今度からは気をつけます』
「……わかってくれるならいいけど。ていうか、別に僕は君に怒ってるわけじゃないからね?」
『はい。でも、次からはあまりお話ししないようにします。絵も描いて頂きません』
「どうしたの?今日はやけに素直だね」
『私はいつも素直ですよ?』
ついさらりと言い返してしまうと、総司様は眉を下げて少し笑っていた。
「まあ、そういうことにしておいてあげる。今後あの画家には庭園を自由に歩かせないよう、リーシェに言っておくよ」
『そこまでして頂かなくても大丈夫です。それに私のせいでそのようなことになったら、私とリーシェ様の仲も悪くなってしまいますし……』
「そんなこと言ってたら、またあの男と会うかもしれないでしょ?」
『その時はきちんと言います。公爵閣下から屋敷外の方との接触は控えるようにきつく言われていると伝えれば、シャルル様も必要以上に話しかけてこないと思うんです』
総司様は何も言わず、私をまっすぐ見つめていた。
その視線に負けないよう、私も懸命に見つめ返す。
私だって総司様に心配をかけたくないし、これ以上周囲との間に問題を起こしたくもない。
それなら自分から気をつければいい。
そう考えていると、しばらくして総司様はふっと軽く息を吐き出した。
「わかった、それならいいよ」
『ありがとうございます』
「でも次はないよ。あの男とは話さないで」
『はい、わかりました』
とりあえず丸く収まってほっとしたのも束の間、総司様はまるでその紙を破る準備でもするように、紙の上側を指先でつまんだ。
「じゃあ、これはもういらないよね」
『あっ……破らないでください……っ』
思わず声が大きくなってしまったけど、私の言葉を聞いて総司様の手が止まる。
「どうして?」
『どうしてって……それは私の絵です』
「うん。だから?」
『だから……その……私がもらったものですから』
「でも、いらないでしょ?」
『いります。せっかく私のために描いてくださったものなのに、破ってしまったら可哀想です』
「可哀想って、あの画家が?」
『この絵です。それに……私も少し可哀想です』
思わずそんなことを言ってしまってから、恥ずかしくなり、頬が僅かに熱くなった。
そんな私を総司様が目を丸くして見てくるから、余計に恥ずかしくなって視線を落とした。
「君が可哀想なの?」
『折角、綺麗に描いてもらえたのです。それを破ってしまったら、もう二度と見られなくなってしまいます。私はこの絵を気に入っていますから、できれば残しておきたいです。ですから、それは私にくださいませんか?』
「そんなに自分の絵が欲しいなら、僕が描いてあげようか?」
『え?総司様、絵画の心得があるのですか?』
「ううん、まったく」
しらっとそう言って、総司様はいつもの意地悪な笑みを浮かべている。
その悪びれない様子に私が思わず片頬を膨らませてしまうと、今度は少し困ったように微笑んでいた。
「そんな顔されたら、僕が悪者みたいじゃない」
『総司様が破らなければ、悪者にはなりませんよ?』
思い切ってそう返すと、総司様が一瞬だけ黙った。
そしてふっと息を漏らすように笑い、手にしていた絵を破る代わりに、机の上に戻してくれた。
『ありがとうございます』
「まだ何も言ってないけど?」
『でも、優しい総司様のことですから、私のお願いを聞いてくださいますよね?』
私は絵を見つめながら、少しだけ首を傾げた。
『だって、この絵を破ってしまっても、総司様には何の得もありません。それなら破らないほうがいいと思うんです。そうすれば総司様も悪者にならずに済みますし、私はこの絵をまた見られます。一石二鳥だと思いませんか?』
自分でも、ずいぶん都合のいいお願いをしている気はする。
けれど、せっかく私のために描いてもらった絵だ。
庭園の中で微笑む自分の姿を、いつでも眺められるのだから、出来ることなら手放したくなかった。
そう思って総司様を見つめていると、彼は呆れたように目を細めた。
けれど数秒後にはくすり笑い、いつもの柔らかな表情に戻っていた。
「わかったよ。この絵は君の好きにして」
『良かった……、ありがとうございます』
嬉しくなって、私は絵を両手でそっと抱えた。
『大切にしますね』
「そんなに大事にするほどのもの?」
『はい。だって、私が庭園にいるところを残してくれた絵ですから』
「ふうん」
総司様は相変わらず素っ気ないけど、もう破られる心配がないだけで十分だった。
『それに、もし私がいつかこの屋敷を離れることになっても、この絵があれば、ここで過ごした時間を思い出せますから』
そう言って微笑むと、総司様は何も答えなかった。
ただ一度だけこちらを見て、それからすぐに視線を逸らす。
『総司様?』
「なに?」
『いえ。何でもありません』
どうして返事をしてくれなかったのか、私には分からなかった。
でもせっかく残してもらえた絵を眺めていると、そんな些細なことも気にならなくなってしまう。
私はもう一度、絵の中で微笑む自分を見つめてから、そっと胸元に抱き寄せた。
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