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それから幾日かが過ぎ、今日は帝都で催される皇帝陛下ご臨席の大夜会。
願わずにいたその日は、無情にも私の前に訪れてしまった。
帝国中から名だたる貴族が集う、今季でも一際格式の高い社交の場だという。
私は朝から落ち着かない気持ちを抱えたまま、エイミーの手を借りて夜会の支度を整えていた。

今夜は狩猟会の時と同じように、帝国内の多くの貴族が集まることになるだろう。
それだけではなく、皇帝陛下のお声がかかった外国の客人も数名いらっしゃると聞いている。
東部から出席するのは、もちろん私ただ一人。
東部を代表する立場として招かれる以上、どんな些細な振る舞いであっても、後ろ指をさされるようなことがあってはならない。
私自身だけではなく、故郷の人々まで恥じるような姿は見せたくなかった。
そんな思いから、少しでも大人びた印象になるように整えてほしいとエイミーにお願いして、すでに数時間が経っていた。
ようやく身支度を終えた私の姿を鏡越しに眺めると、エイミーは感嘆したように、ほうっと小さく息を吐いた。


「お嬢様、とてもお綺麗です」


鏡に映った私は、いつもの自分とは少し違って見えた。
前髪は柔らかくふんわりと持ち上げられ、そのまま後ろで上品にまとめられている。
首筋がすっきりと見えることで、いつもより少しだけ幼い印象を抑えるような雰囲気になっていた。
身にまとっているのは、雪のように清らかな白を基調に、淡い碧色を重ねたドレス。
胸元から腰にかけては繊細な刺繍が施され、裾に向かうほど碧の色が柔らかく溶け込んでいる華美すぎないのに仕立ての良さがひと目で伝わる、上品な一着だった。
腕には、肘より少し上まで届く白いグローブを着けている。
腕の傷はほとんど癒えていたものの、いまだ残っている傷跡を隠すために選んだものだ。
けれど、今の流行だというドレスは思っていた以上に胸元や背中が開いていて、鏡の中の自分を見ているだけでも、なんとなくそわそわしてしまう。
それでも、いつもより少しだけお姉さんらしく見える自分の姿には、自然と微笑みが浮かんだ。


『エイミー、ありがとう。いつもより大人っぽく見える気がする。さすがだね』

「いいえ、お嬢様自身がお美しいんです。お嬢様の透明感のある美しさには、誰も敵いませんよ」

『励ましてくれてありがとう』


背が低めで、顔立ちが幼い私は、以前ニコラ様から、まるで子供が紛れ込んだようだと言われたことがある。
夜会にはまだ慣れていないからこそ、せめて場違いには見られたくなかった。
少しでも大人びて見えるようにと願って選んだ装いが、ちゃんと私の背伸びを支えてくれているといいんだけど。


「お嬢様、あまり緊張されず、今夜は夜会を楽しまれてきてください」

『うん、そうするね』


その言葉に頷いたところで、部屋の扉が控えめに叩かれた。
エイミーが扉を開くと、そこに立っていたのは相馬卿だった。
一礼して顔を上げた相馬卿は、私の姿を見て僅かに目を見開いた。
それから、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。


「とてもお綺麗です。隊長も喜ばれますね」

『ありがとうございます、相馬卿』


今夜のために、こんなにも素敵なドレスや装飾品を用意してくださったのは総司様だ。
夜会に出ることを思えば緊張してしまうけど、それ以上に、きちんとお礼を伝えたいという気持ちが胸にあった。


『エイミー、行ってきます』

「はい。お気をつけていってらっしゃいませ、お嬢様」


名残惜しさを振り切るように小さく笑ってから、私は相馬卿とともに部屋を出た。
公爵邸の正面玄関まで続く廊下を歩いていくと、やがて高い扉の先に、夜の訪れを待つ馬車が姿を現した。
玄関前には、アルディオン公爵家の紋章を堂々と掲げた二台の大きな馬車が並んでいる。
磨き上げられた車体には玄関の灯りが柔らかく映り込み、黒く艶めく扉や金の装飾からも、公爵家の威厳が感じられた。
その馬車の傍には、すでに三人の奥様方が集まっていた。
私は少しだけ緊張しながら歩み寄り、三人に向かって深く頭を下げた。


『皆様、ご機嫌よう』


できるだけ明るく、感じよく聞こえるように微笑んで顔を上げる。


『素敵なお召し物ですね。どなたも本当にお綺麗で、思わず見惚れてしまいました。私もご一緒させていただけることを嬉しく思っています。今夜はどうぞよろしくお願いいたします』


三人は何も言わないまま、ただ揃って私を見つめている。
その沈黙が少し心に刺さったけど、余計なことを気にしてはいけないと自分に言い聞かせ、背筋を伸ばして静かに立っていた。
三人の視線は、私の顔から髪へ、そして白と碧色のドレスへとゆっくり移っていく。
けれどやがて千様が、ふっと瞳を細めた。
その表情を見て、私は小さく息を呑みながらも、何も言わずに次の言葉を待った。


「ご機嫌よう。こちらこそ、今夜は総司のことをよろしくお願いするわ」


千様がそう告げると、その言葉に誘われたようにニコラ様とリーシェ様が瞳を細めた。
二人とも目元には鋭さを滲ませているのに、口元には社交用の柔らかな笑みを浮かべている。
その笑顔がかえって、私には少し怖く感じられた。


「まあ、セラ嬢は相変わらず清純ぶるのがお好きなんですねえ。純白のドレスを着れば、それだけで清らかで可憐なご令嬢に見えると思っていらっしゃるの?」


ニコラ様は楽しそうに笑いながら、私のドレスを頭の先から足元まで眺めた。


「ですが帝国内では鮮やかなお色が人気を集めているのですのよ。まあ、セラ嬢のように幼い顔立ちの方には、少し難しいかもしれませんわね。せっかくの華やかな色も、ドレスだけが目立ってしまいますもの」


リーシェ様もいつもの落ち着いた声のまま、私の姿を眺めている。


「それにしても、セラ嬢は流行りをわかっていないのに、相変わらず一流のものを欲しがるのですね」

「仕方ないことなのかもしれませんわ。せめて生地や仕立てだけでも立派なものにしておかなければ、彼女をエスコートする旦那様まで恥をかいてしまいますもの」

「今夜は狩猟会の時のように総司様に恥をかかせないでくださいね?」


そう言って小首を傾げたニコラ様は、細めた瞳の奥に愉しげな光を宿した。
ニコラ様が着ている鮮やかな真紅のドレスは、肩をすべて見せる大胆な仕立てになっている。
胸元から流れるように落ちる布地は美しく身体の線を包み、首元には先日のお誕生日に総司様から贈られたのだろう、深い紅色のルビーが輝いていた。
その宝石とドレスの色合いは綺麗に馴染んでいて、ニコラ様の華やかな美しさをいっそう引き立てている。
リーシェ様は鮮やかな橙色の細身のドレスをまとっていた。
赤茶色の髪によく似合う色で、すらりとした姿を包む仕立ても洗練されている。
千様が来ているのは、深い緑色のドレスだった。
裾や胸元には細い銀色のラインが走っていて、落ち着いた色合いの中にも品のある華やかさが感じられる。
三人とも背が高く、大人の女性らしい美しさを身にまとい、夜会という華やかな舞台にも馴染んでいた。

私も今夜は少しでも大人びて見えるように頑張ったつもりだった。
それなのに、こうして三人の姿を目の前にすると、私の精一杯のおしゃれなんて、まだまだ足元にも及ばないのだと思い知らされてしまう。
心が少しだけ沈んだけど、今夜の私はただの一人の令嬢としてここにいるわけではない。
東部からただ一人招かれた者として、この場に立つのだから、いつまでも気後れしているわけにはいかなかった。
私が小さく息を吸い込み、意識して顔を上げた時。


「その色は僕が選んだものなんだけど、そんなに駄目だったかな」


背後から聞こえてきたよく知った声に、私が思わず振り返ると、そこには総司様が立っていた。
今夜の総司様は、夜会のために仕立てられた黒のタキシードを身にまとっていた。
上着は深い黒でまとめられているものの、襟元には私のドレスと同じ淡い碧色を思わせる絹の差し色が入っている。
純粋に同じ色を揃えたわけではなく、胸元の飾りやネクタイにはごく控えめに碧の色が覗く程度で、その姿はむしろ私の白と碧の装いを引き立てるように整えられていた。
夫婦なら、同じ色合いの衣装で揃えることも自然だけど、私と総司様は夫婦ではない。
だからこそ、あえて同じ意匠を強く重ねず、それでも並んだ時には不思議と調和するように選んでくださったのかもしれない。
そう考えると、心が少し温かくなるようだった。
総司様は私の隣まで歩み寄ると、少しだけ首を傾けながら、私の姿を眺めていた。


「僕は、よく似合ってると思うよ」


その一言だけで、さっきまで縮こまっていた心が元気付けられていく。
三人の奥様方と比べれば、まだまだ幼く見えるかもしれない。
それでも総司様が似合うと言ってくださったのなら、それだけで今夜の私は少しだけ胸を張っていられる気がした。
だから総司様にお礼を言おうと口を開きかけた、その時。


「きゃあ!総司様、今夜もとっても素敵です!ニコラはどうですか?総司様がくださったペンダントに合うように、ドレスを仕立てたんですよ」


ニコラ様が嬉しそうな声を上げながら、総司様の腕に愛らしく縋りついた。


「うん、いいんじゃない。やっぱりニコラには、そういう明るい色がよく似合うね」


ニコラ様が嬉しそうに微笑むと、今度はリーシェ様が総司様に話しかけた。


「私も、先日旦那様からいただいた髪飾りをつけておりますの。髪色にもよく馴染みますし、さすが旦那様ですわ」

「それなら良かったよ。僕の見立ても間違ってなかったみたいだね。ドレスも髪飾りもリーシェよく似合ってる」


総司様はそう答えると、今度は千様の姿に目を留めた。


「千のその香り、あの香水だよね?ちゃんと使ってくれてるんだ」


千様は僅かに目を見開き、それからほんのり頬を染めると、照れを隠すように視線を逸らした。


「もちろん、つけるわ。せっかく贈ってもらったものなのに、しまったままにしていたら香りも薄らいでしまうでしょう?」

「うん。千らしい香りだと思うよ。ドレスもいい色だね」

「……ありがとう」


千様はほんの少し口元を緩めただけだったけど、その横顔を見れば、総司様に褒めてもらえたことを嬉しく思っているのが私にも伝わってくる。
ニコラ様も、リーシェ様も、千様も、みんな総司様が大好きなのだと思う。
その後も四人は楽しそうに言葉を交わしていて、私は少し離れた場所で、笑顔を浮かべながら黙ってその様子を眺めていた。

それなのに、ふとした時、私だけがその輪の外にいるような気持ちになった。
もちろん、私は三人の奥様方のように総司様の家族ではない。
今の私は、この屋敷に身を寄せているだけの身なのだから、こうして眺めていることの方が自然なのだろう。
だから、淋しいなんて思ってない。
そう思っているはずなのに、心には小さな淋しさが残ってしまった。

そして、そんな時に限って、昔の自分の姿が鮮明に蘇る。
総司様が大好きで、いつか総司様と結婚するのだと、疑うことすら知らなかった頃の私。
あの頃の私が、今の私を見たらいったい何を思うのだろう。
自分の知らない場所で、こんなにも遠い立場になってしまった私を見て、可哀想だと泣いてしまうのだろうか。
そんなことを考えていると、ふいに相馬卿の声が耳に届いた。


「隊長、そろそろ出発された方が宜しいかと」


その言葉に我に返る。
総司様は小さく頷くと、穏やかな笑みを浮かべた。


「そうだね。じゃあ、僕はセラ嬢と一緒の馬車に乗るよ」

「ええ?馬車も別なんですか?ニコラ、総司様と同じ馬車がいいです」


不満そうに頬を膨らませるニコラ様に、総司様は困ったように笑った。


「今夜はセラ嬢のエスコートを頼まれてるからね。出発する時から一緒にいるのも、その役目のうちなんだよ」


その言葉を聞いて、私は慌てて口を開いた。


『総司様、私は大丈夫です。奥様方とご一緒の馬車に乗っていただいて構いません。私一人でも、きちんと会場まで行けますから』


けれど総司様は、私の言葉を聞くと僅かに目を細めた。


「駄目だよ。君を預かっている以上、屋敷を出る時からきちんと付き添うのが礼儀だからね。今夜は帝国中の貴族だけじゃなく、陛下が招かれた外国の方々もいらっしゃるんだ。東部から来た客人を、公爵家が途中まで一人で向かわせるなんてことはできないでしょ?」


総司様は淡々とした口調でそう告げると、私が言葉を挟むより先に続けた。


「それに、会場に着いてから僕が君を迎えに行くような形にしたら、周りから見ても不自然だからね。今夜は僕が公爵家の人間として、君を最初から最後まできちんとエスコートするよ。君が東部からの客人として恥ずかしい思いをしないようにするから、それくらいは任せて」


その言葉を聞いて、私は小さく瞬きをした。
私が気を遣って身を引こうとしても、総司様には総司様のお立場がある。
私を預かっている公爵家の人間として、今夜の私をきちんと扱う責任があるのだ。
そう考えれば、これ以上遠慮を重ねる方が、かえって総司様を困らせてしまうのかもしれない。
私は静かに頷いて、頭を下げた。


『ありがとうございます。よろしくお願いいたします』


そう答えると、総司様は満足そうに微笑んだ。
その横で、ニコラ様が少し不満そうに唇を尖らせているのが見えたけど、総司様は気づかないふりをしているようだった。


「じゃあ、行こうか。あまり待たせると、また相馬に急かされそうだしね」

「もう十分お待ちしておりますよ」


すぐ後ろから相馬卿の声が飛んできて、総司様が小さく笑う。


「ほらね」


そのやり取りが可笑しくて、私も思わず微笑んだ。
さっきまで心の奥にあった緊張が、少しだけ和らいでいく。
私は総司様に促され、用意された馬車の方に歩き出した。

夜会という華やかな場所に向かうことへの不安は、まだ消えたわけではない。
きっと今夜は、たくさんの視線を浴びることになるだろう。
私の言葉や振る舞いひとつで、東部のことまで何か言われてしまうかもしれない。
それでも今は、不思議と一人で立ち向かわなければならないような心細さはなかった。
隣には、私を東部からの客人としてきちんと扱おうとしてくださる総司様がいる。
私は背筋を伸ばし、馬車の前で立ち止まると、夜空を見上げた。
今夜がどんな夜になるのかは、まだわからない。
けれど、せっかく招かれた夜会なのだから、できることなら笑顔で過ごしたい。
そう願いながら、私は総司様の差し出してくださった手を借りて、馬車の中に乗り込んだ。


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