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それからというもの、僕は父の仕事に同行する機会が増えていった。
父が担っていたのは、治安を守るような穏やかな政務ばかりじゃない。
陛下の命を受け、反逆の疑いを持つ者を捕らえ、罪を犯した者に罰を下し、時には命そのものを奪う。
それが、帝国の剣と呼ばれる者の仕事だった。
血の匂いが残る牢獄も、罪人が裁きを待つ薄暗い地下室も、剣を抜くことになる争いの場にも、父は僕を連れて歩いた。
帝国の秩序を守るために誰かの命を断つことさえ頻繁にあるのだと、言葉で教えられるより先に、その光景を見せられる日々だった。

そして僕にとって、いつしかそれは特別なものではなくなっていった。
人を斬ることにも、罪人を罰することにも、怯えた目を向けられることにも、いちいち心を動かされることがなくなっていく。
最初の頃は耳に残っていた命乞いの声も、血の匂いも、何度も繰り返すうちに、ただの日常の一部へと変わっていった。
父の狙いは、きっと僕をこの環境に慣れさせることだったのだろう。
帝国の剣として生きる以上、人の命を奪うことに躊躇していては務まらない。
誰かを斬るたびに手を震わせ、罪人の言葉に心を揺らしていたら、いざという時に剣を振るえない。
父はそれを誰よりもよく知っていたからこそ、僕を自分の仕事に同行させ、実際の命のやり取りを何度も目の当たりにさせたのだと思う。
父の隣で過ごす時間が増えるほど、僕の中にあった感覚や常識は、少しずつ形を変えていった。
     

「……どうか……命だけはお助けを!妻と娘がいるんです……っ。私が死ねば、あの二人はどうやって生きていけばいいのですか……!」


その日も、地下牢に繋がれた一人の男が、僕の姿を認めるなり顔を歪めて叫んでいた。
人を殺すことは、本来なら恐ろしいことなのだろう。
誰かの命を奪えば、その家族が泣き、その者を愛していた人間の人生まで変わってしまう。
だけど僕の心はまるで動かず、ただ父から受けた命令を思い出していた。
罪状は確認済み、判決も下されている。
僕がここにいる理由は、ただ一つだった。


「総司、片付けろ」

「はい」


父は皇帝陛下から特別な権限を与えられ、帝国の法に基づいて罪人を裁定し、その刑罰を決める役目を担っていた。
罪状を調べ、身分や過去の行いも確認した上で、法に定められた刑の中から相応しいものを選ぶ。
その最終的な判断を委ねられているのが父だった。


「……ひっ」


鞘から滑り出た刃が、昼の光を受けて冷たく輝く。
男はなおも何かを叫んでいたけど、もう言葉として耳に入ってこなかった。
僕はただ剣を構え、父から教え込まれた通りに呼吸を整え、迷うことなくその首を斬り落とした。


「だいぶ慣れてきたようだな」


父の言葉に、僕は血の気配が残る刃を眺めながら、涼しい顔で答えた。


「剣を振るうたびに情を挟んでいては、帝国の剣は務まりませんから」


剣は誰かを守るためだけに存在するものではなく、帝国の秩序を乱す者を断ち、その命令を完遂するための道具でもある。
それを振るう者に必要なのは、優しさではなく覚悟なのだと、僕にも少しずつ分かり始めていた。
けれど、その日の父は、それだけで終わらせるつもりがなかったらしい。


「今日はもう一つ、お前に教えておくことがある。ついてこい」


夜もとっくに深まり、屋敷の中はすっかり静まり返っている。
普段なら処刑を終えれば、それで一日の務めも終わる。
こんな時刻から命じられるとは思っていなかった。
それでも余計なことは尋ねず、僕は黙って父の後を歩いた。

連れて行かれたのは、屋敷の奥にある古い休憩室だった。
来客を通すための部屋でもなければ、普段の食事に使われる場所でもない。
かつて使用人たちが休息を取るために使っていたらしく、小さな卓と椅子、それから水差しと杯が置かれているだけの、ひどく簡素な部屋だった。
夜間に使う者はいないらしく、廊下の灯りもこの部屋の前だけは薄い。
扉を開けると、そこにはすでにクラウス兄上がいた。
僕たちの姿を見ると、兄上は椅子から立ち上がり、父に向かって静かに会釈をする。


「父上、お待ちしておりました」

「ああ」


父はそれだけ答えると、兄上の向かいに僕を座らせた。
そして何の説明もないまま、僕たちの前に小さな錠剤を置いた。
僕の前には一粒、兄上の前には四粒。
どちらも赤い色をしていて、薬と呼ぶには妙に毒々しい印象があった。


「これは何ですか?」


僕が尋ねると、父は答える代わりに僕を一瞥した。


「飲めば分かる」


父はそう言うと、兄上に視線を移した。
兄上は赤い錠剤を見つめたまま、何も言わない。


「私は外に出てくる。クラウス、総司のことを見てやれ」

「承知しました」


兄上が答えるのを確認すると、父はそれ以上何も語らず、扉の向こうに姿を消した。
重い扉が閉じる音が、静まり返った部屋に響く。
残された僕と兄上の間には、赤い錠剤だけが置かれていた。


「最近、体調に問題はないのか?」


クラウス兄上とこうして向き合って話すことは、滅多になかった。
幼い頃の僕は兄たちから何かと目をつけられ、弄ばれることも多かったし、僕が自分の身を守れるほど強くなってからは、そうしたことこそなくなったものの、兄弟仲が良くなったわけでもない。
必要がなければ言葉を交わすことさえない、それが僕たちだった。
だからこそ、今の兄上が浮かべている表情には、妙な違和感があった。
世間話をするつもりでも、僕の機嫌をうかがっているわけでもない。
ただ、いつになく真剣な眼差しで僕を見つめているその視線には、僕自身がまだ知らない何かを案じているような色があった。


「はい。アストリアでの療養のおかげで、喘息もすっかり治りましたよ。最近は熱を出すこともありませんし、以前よりずっと身体の調子はいいです」

「そうか」

「それより、この薬は何の薬なんですか?」


血の繋がった家族とはいえ、僕は父や兄上を無条件に信頼しているわけではない。
むしろ、これまでのことを考えれば、何も知らされないまま差し出された薬を素直に飲むことに抵抗を感じた。
僕がもう一度尋ねると、クラウス兄上はしばらく黙り込む。
やがて兄上は、重い息を吐いてから口を開いた。


「聞けば、飲めなくなるぞ」

「飲めと言われたんですから、飲みますよ。帝国の剣になるには必要なことみたいですからね」

「まあ……俺とお前には、避けて通れない道なのかもしれないな」

「それで、これは何の薬です?」


僕が迷いなく問い直すと、兄上は目の前に置かれた赤いカプセルをしばらく見つめ、それから低い声で告げた。


「毒だ」

「……毒?」

「俺たちはこれから、いつ命を狙われてもおかしくない立場に身を置く。剣を持った相手なら、自分の腕で対処できる。だが、毒はそうはいかない。食事や酒など、警戒していても完全に防ぎ切れるものじゃない。だから毒に対する備えも必要になる」

「毒に慣れる、ということですか?」

「そういうことだ」


僕は改めて、自分の前に置かれた赤いカプセルを見つめた。
兄上の言葉を聞いた後で見ると、その小さな姿が禍々しく思えてくる。


「このカプセルは少量ずつ毒を摂取して、身体に耐性をつけていくためのものだ。俺も二年ほど前から始めている」

「二年も?」

「ああ。だが、毒と一言でいっても一種類じゃない」


兄上はそう言って、静かに言葉を続けた。


「人の身体に害を及ぼすものには、いくつもの種類がある。神経を侵して身体の働きを狂わせるものもあれば、呼吸や心臓に影響を及ぼすものもある。臓器を傷めるものや、長い時間をかけて身体を蝕むものもあるし、食物に混ぜられても気づきにくい性質を持つものだってある。見た目も匂いも分からないものなら、なおさら厄介だ」

「随分、色々あるんですね」

「ああ。だから一種類の毒に慣れたからといって、何でも平気になるわけじゃない。相手がどんな毒を使うかなんて、こちらには分からないからな」

「なるほど……」


父がなぜ、処刑の仕事を終えたこんな夜更けに僕を連れてきたのか、ようやく分かり始めた気がした。
帝国の剣とは、ただ剣術に秀でていればいいわけじゃない。
人を斬る覚悟だけでも足りない。
毒を盛られ、騙され、罠を仕掛けられ、それでも生き残って命令を果たすだけの強さが求められる。
兄上は自分の前に置かれたカプセルを眺めながら、淡々と続けた。


「俺も最初は苦労した。今では、ある程度まで耐えられるようになったが、それでも油断はできない。毒に対する耐性は万能じゃないからな」

「それなら、僕も同じように覚えていくんですね」

「そうなるだろうな」


兄上の声には、どこか諦めに似た響きがあった。
けれど僕は、さほど深刻には考えていなかった。
剣を覚えるのと同じだ。
帝国の剣として必要だと言われたなら、この身体に覚えさせればいい。


「最初は辛い。だが身体が覚えてしまえば、じきに耐えられるようになる」


そう言って、クラウス兄上は自分の前に置かれた四つのカプセルを手に取り、水とともに四粒を飲み下していく。
その姿を目の前に、僕も赤いカプセルを指先で摘まみ上げた。
たった一粒。
これを飲むだけで、毒に耐える力がつくというのなら躊躇する理由もなかった。
僕も水で喉を潤し、カプセルを飲み込む。
身構えていたものの、しばらく待ってみても、身体に変わった様子はない。


「案外、どうともないものですね」


そう口にして、僕は小さく笑った。
けれど、その余裕が長く続くことはなかった。
最初に感じたのは、胸の奥に生まれた妙な重苦しさだった。
呼吸をするたび、胸の内側がじわりと締めつけられるような感覚が広がっていく。
やがてそれは鈍い痛みに変わり、腹の奥まで重く沈んでいった。


「……っ」


さっきまで何ともなかったはずなのに、身体の芯から熱が奪われていく。
額に冷たい汗が浮かび、息を吸うたびに胸が苦しくなり、僕は思わず卓に手をついた。


「……ごほっ……」


声を出そうとした瞬間、喉の奥が込み上げるように熱くなった。
咳き込んだ拍子に、口元から赤いものがこぼれる。
僕は反射的に手のひらで受け止め、吐き出した血を見つめたまま、しばらく何も言えなかった。

向かいでは、クラウス兄上も小さく咳き込んだ。
兄上は口元を覆い、僅かに赤く染まったハンカチを見下ろした。
けれど、僕とは違って慌てる様子はない。
苦しそうに眉を寄せながらも、この程度ならまだ耐えられるという落ち着きがあった。

クラウス兄上は、これを二年も続けてきたのだ。
思い返してみれば、二年ほど前、クラウス兄上が珍しく騎士団の訓練に顔を出さなかった日があった。
体調でも崩したのかと思っていたけど、その後も顔色の優れない日を何度か見かけた。
僕はそれを、ただ疲れているのだろうとしか思っていなかったけど、今なら分かる。
兄上は二年もの間、誰にも知られず毒と向き合ってきていた。
僕は胸の痛みに耐えながら、兄上を見つめた。


「……うっ、……く」


内臓の奥を掴まれているような痛みに、思わず身体を丸める。
冷や汗が次々と浮かび、呼吸を整えようとしても、胸の苦しさがそれを許してくれない。
そんな僕を見つめながら、兄上もまだ少し苦しそうに息を整えていた。


「……最初は、そんなものだ。身体が毒を覚えるまでは、痛みも吐き気も出る。だが、朝方には少しずつ落ち着いてくるだろう」


兄上はそう言って、ハンカチを静かに畳んだ。


「今夜はまともに眠れないと思うが、部屋に戻ったら身体を休めろ。それから……吐き出そうとするな。苦しくても、今は身体に覚えさせることが先だ。そうすれば、次からは少しずつ楽になる」


帝国の剣になるということは、自分の身体そのものを、命を狙う者たちから生き残るための武器に変えていくことなのかもしれない。
僕がこれから歩く道の険しさを知った夜、僕は襲いくる苦しみの中で、ただセラ嬢の微笑みだけを何度も思い浮かべていた。


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