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早朝の執務室。
僕の向かいに立っているのは、セラ嬢付きの侍女、エイミーだった。
彼女は毎朝こうして僕のもとに足を運び、セラ嬢の身の回りについて細かな報告をしてくれる。
昨日は夜会があったこともあり、普段に比べれば報告することは少なかったらしい。
それでも、いつも通り一つ一つ丁寧に話し終えた彼女を見据え、僕は椅子に背を預けながら口を開いた。


「今日から、毎晩寝る前に飲ませていた薬は、もう飲ませなくていいよ。昨日、僕が回収したからね。今夜からは何も飲ませず、そのまま眠らせてあげて」

「かしこまりました」

「それから、昨晩セラ嬢にも話したんだけど、君にもあの薬がどういうものなのか、きちんと理解しておいてほしいんだ」


僕はあの薬が表立って扱われるような品ではなく、裏の経路を通じて密かに取引されていたことを説明した。
依存性はなく、効能も素晴らしいが、副作用として異様なほど深い眠りに誘われることなど、必要な範囲だけを選んで聞かせる。
エイミーは黙って耳を傾けていたものの、やがて不思議そうに眉を寄せた。


「承知いたしました。ですが……なぜ、薬を飲み終えた後になって、そのような詳しいお話をなさるのですか?」

「少し考えたらそのくらいわかるでしょ。ようは、最初から何もかも知っていたことにしておいてほしいんだよ。あの薬を飲めば深い眠りに落ちてしまう。だから、君自身も以前からセラ嬢の様子を気にしていた、そういうことにしておいてくれる?」


エイミーの大きな瞳が、僅かに揺れた。
それでも、余計なことを尋ねずに飲み込もうとしているのが、その表情からはっきりと分かった。


「承知いたしました。そのように申し上げます」

「うん。それでいいよ」


僕が穏やかにそう告げると、彼女は小さく息を吐いた。
若い侍女だけあって、感情が顔に出やすい。
そういうところは、おっとりしているセラ嬢にも少し似ている。
もっとも、セラ嬢は何事にも素直に反応するように見えて、肝心なところでは驚くほど聡い。
だからこそ、余計なことを軽々しく口にするような真似はしない。
そんなところも好ましく思う反面、肝心な彼女の心は読めないとこも多かった。


「そう言えば、昨日の夜会の後のセラ嬢の様子は?何か考え込んでいたり、君に何か話したりしてなかった?」

「いえ、特には……。帝国の夜会は初めてで緊張したけれど、閣下のおかげで楽しめたとは仰っていたくらいです」

「そう。あの子、他の男とも一曲ワルツを踊ったんだ。そのことは話してなかった?」

「はい。何も聞いておりません」


迷いのない返事だった。
エイミーの表情を見れば、嘘を吐いているようには見えない。
彼女は正直すぎるくらい正直だから、隠し事をすると途端に顔に出る。


「じゃあ、今日ちょっと聞いてみてよ。昨夜は誰かとワルツを踊ったのか、とでも尋ねれば、それほど不自然にはならないでしょ?」

「かしこまりました。お嬢様にお聞きしてみます」

「うん。それで、もし話した内容まで聞けそうなら、できるだけ具体的に聞いておいて。その男と何を話したのか、どんな様子だったのかもね。それと……あれから画家のシャルルとは関わっていない?」

「はい。あの絵を描いていただいてからは、一度もお会いしておりません」

「そう。あとは……」


今夜は、以前僕が渡した舞台の鑑賞にニコラが出向く日だ。
帝都の中とはいえ、東側にあるこの屋敷とは正反対の西側に歌劇場がある。
随分と離れた場所ではあるけど、今夜ばかりはその距離が都合よく思えた。
僕の大事なセラ嬢を傷つけた借りを、ようやく返せる時が近付いてきたのだと思うと、胸の奥に静かな愉悦が広がっていく。
表情に出しすぎないように気をつけているつもりでも、どうしても口元には笑みが浮かんでしまった。


「今夜、僕は早く帰る予定なんだ。セラ嬢のところに遊びに行くから、待っていてねって伝えておいてくれる?朝、廊下で偶然会った時に僕からそう言われた、とでも伝えておけばいいから」

「かしこまりました」

「じゃあ、よろしくね。もう下がっていいよ」

「はい。失礼いたします」


一礼したエイミーが執務室を出ていくのを見送りながら、僕は再び机の上に視線を戻す。
するとそれから間も無くして、ほぼ入れ替わるように相馬が入ってくる。
真剣な眼差しの中には、僅かな迷いも滲んでいたけど、相馬は僕を真っ直ぐ見つめて口を開いた。


「隊長、おはようございます」

「おはよう。今日は良い朝だね」

「そうでしょうか?昨日に引き続き、天気が荒れているように思いますが。また雷が落ちそうです」

「だからだよ。こういう天気の時は、なんか不吉なことが起こりそうじゃない?雨は見えなくていいものもうまく隠してくれるだろうからね」


僕の言葉を聞いて、その意図を探ったのだろう。
相馬は再び眉をしかめて僕を見つめた。


「三木さんと武田さんの準備はできているそうです。龍之介君とも今日の段取りを確認しましたが、問題なさそうです」

「そう。ご苦労様」

「隊長、本当に宜しいのですか?」


今夜、僕はニコラを断罪する。
そのために、僕はあらかじめ馬車が通る道を変えさせることにした。
普段使われている街道に荒れた箇所があるという話を流し、雨が続く今なら、少し遠回りでも別の道を選ぶほうが賢明だと思わせる。
そうして森を抜ける途中に馬車が事故に遭ったように見せる計画だった。
龍之介には、御者として別人を演じてもらい、三木と武田は護衛としてニコラに同行する。
表向きはニコラの身を守るために付けられた者たちだけど、実際はニコラを眠らせ、森の奥にある小屋に移すよう指示してある。
僕が同行してしまえば、どれほど慎重に手を回しても、ニコラの失踪と僕を結びつけて考える者が出るかもしれない。
だからニコラの失踪が発覚した時までは、僕は騎士団や屋敷に顔を出し、決して一人ではない状況を作る予定だった。
誰かに僕の行動を問われた時、僕は無関係だと答えられるようにしておくためだ。


「いいに決まってるでしょ。この日を心待ちにしていたんだ。ようやく、あの時のことを裁けるよ」

「ですが……やり過ぎでは?」

「どこが?むしろ生温いくらいだよ。相馬だってセラ嬢が受けた仕打ちは見たよね」

「確かに、あれは意地悪の域を超えていましたが、何もここまでする必要はないのではないかと思うのですが」

「それは僕が決めることだよ。この件について、相馬に口を出す権利はない筈だけど」


苛立たしげにそう言えば、相馬は眉を下げ、申し訳なさそうに頭を下げた。


「いえ、俺はいかなる場合も隊長に従います。ただ、万が一のことを考えて、隊長の身を心配したんです。ニコラ様のご両親などはいかがされるおつもりですか?」

「ああ、それなら心配はいらないよ。あの家は、お金さえ渡しておけば大抵のことは丸く収まるような家だからね。事故として処理されたあと、僕から見舞金でも送っておけば、娘を失った悲しみより先に金額のほうを気にして、ありがたく受け取るよ。親子揃って金銭に目がないっていうのも、こういう時には便利なものだね」


それに、僕が疑われないために、敢えて直ぐには断罪しなかった。
ニコラの誕生日に、彼女が欲しがった高価なルビーを贈ったのも全てこの日のためだ。
自慢することが好きなニコラのことだ。
自分の両親には勿論、昨日の夜会や、その他の社交の場にもあの宝石をつけて、僕からの贈り物だと言い回っていたらしい。
その話だけを聞けば、外の人間は僕がそれなりにニコラを大切にしていると思うだろう。
まさか僕が自ら自分の側室であるニコラを手にかけたなんて、露にも思わない筈だ。


「俺は今回、何もしなくていいんでしょうか?」

「相馬も手伝ってくれたじゃない。今日の舞台のチケットをとったり、経路を調べたり」

「あの程度は仕事のうちに入りませんよ。他の三人は現場に行くのに、俺だけが屋敷にいていいのかと」

「相馬は僕といつも一緒にいることが多いでしょ。だから今回は敢えて動かないで欲しいんだ。念のためにね」

「なるほど……確かに、普段一緒にいる俺が急に別行動を取れば、そのほうがかえって目立ってしまうかもしれませんね」

「ははっ、そういうこと。君なら分かってくれると思ってたよ。それに、セラ嬢も言ってたよ。相馬は僕の奥さんみたいだって」

「はい?」


思いもよらない言葉だったのだろう。
相馬はしばらく唖然とした顔で僕を見つめていたものの、やがて困ったように苦笑を浮かべて言葉を続けた。


「隊長と結婚したら色々と苦労が絶えなさそうです。命がいくつあっても足りませんよ」

「大丈夫だよ。相馬はよく僕に仕えてくれてるから、特別に殺さないでいてあげる」

「その言い方はやめてくださいよ。今日に限っては冗談でも笑えません」

「酷いな。これでも僕はセラ嬢の次に君が好きなんだけどね」


半ば冗談のつもりで、そう告げてみる。
もちろん、セラ嬢と相馬とでは、その言葉に込めている意味がまるで違うし、そもそも相馬は男だ。
でも、こういう時くらい素直に言ってみてもいいだろうと思った。
すると相馬はどこか嬉しそうに頬を僅かに染めて、柔らかな笑みを浮かべた。


「俺は隊長に命を救っていただいた身ですから。この命が続く限り、誠心誠意お仕えするつもりです。最悪の場合、隊長になら命を奪われても構わないとさえ思っています」

「いや……奪わないし、そこまで忠義を尽くされても困るんだけど。もう少し自分の命を大事にして、賢明に生きようとしなよ」


相馬の言葉は嬉しい反面、行き過ぎていて、思わず苦笑が漏れる。


「それに、僕が君の命を奪うなんて、そんな勿体ないことをするわけないでしょ。これからもちゃんと自分の役目を果たしてよ」

「承知しました。今後も隊長から仰せつかった役目を果たします」

「うん。よろしくね」

「では、そろそろ任務に出ましょうか。いつも通りに」

「そうだね。僕達は今日も第一部隊の職務を全うして屋敷に戻ろう」


僕がそう言えば、相馬もいつもの笑顔を返してくる。
いつもと変わらない日常の中、僕は口元に弧を描いた。


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