7

はっとして目を覚ますと、私は見慣れた部屋のベッドの中にいた。
ぼんやりと天井を見つめながら、いつの間に眠ってしまったのだろうと考える。
昨夜の出来事を辿ってみると、総司様に子守唄を歌ったところまでは覚えているのに、その先の記憶が途切れていた。
もしかして、総司様が寝台まで運んでくださったのかな?
そう思うと、申し訳ないと思いながらも心がほんのりと温かくなるようだった。


「おはようございます、お嬢様」


不意にエイミーが朝食の支度を整えるため、部屋に入ってくる。
まだ少し眠気の残る身体を起こし、私は彼女に向かって微笑んだ。


『おはよう、エイミー。ごめんね、少し寝坊しちゃった』

「いいんですよ。昨夜はニコラ様を案じて遅くまで起きていらっしゃったと閣下から窺ってます」

『……ニコラ様は?見つかった?』

「いいえ。昨晩の捜索では見つかっていないそうです」

『そう……。心配だね』


窓の外に目を向けると、昨日の激しい雨が嘘だったかのように、青い空が広がっていた。
これだけ明るくなれば、昨日よりも捜索もしやすくなるはずだと思いたい。
どうか一刻も早くニコラ様が見つかりますようにと、祈るような気持ちで空を見つめていた。


『総司様、大丈夫かな……』


ぽつりと零した言葉に、自分でも不安が滲んでいるのが分かった。
こんな状況なのに眠ってしまった自分が、恨めしく思えてしまう。
総司様は昨夜も遅くまでニコラ様を案じていたと思うのに、私は何もできないまま眠り込んでしまった。

それに、昨夜は不思議な夢を見たような気がする。
総司様の腕の中に包まれて、優しく身体を撫でられる夢。
お腹の奥がふわっとなって、とても心地良くなってしまうあの感覚が忘れられなくて、私は寝台に座ったまま、ぼんやりと夢のことを考えてしまう。
夢なのにあんなに気持ちいいなんて、少し不思議。
そう思いながら、私は昨夜の記憶をもう一度辿るように、総司様の面影を思い浮かべていた。


そしてその日の夜を迎えても、ニコラ様の安否は確認されていないままだった。
だいぶ冷え込んできたのに、行方がわからなくなってから丸一日。
ニコラ様が今どんなお気持ちでいるかを考えたら落ち着かなくて、私は部屋の中をそわそわ歩き回ったり、窓から外の様子を窺っていた。
するとそれから暫くして、総司様と相馬卿らしき人影が屋敷に戻ってくる姿が見えた。
けれど当たり前に総司様が私の元を訪ねてくるわけもなく、時間はただ流れていく。
寝支度をほぼ終えて、エイミーが私の髪を梳かしてくれている時、私は彼女に話しかけた。


『ニコラ様のこと、何か進展あったのかな』

「どうでしょう……。私も先程から部屋の外には出てないので、気になりますよね。他の使用人に聞いてきましょうか?」

『お願いしてもいい?このままだと気になって眠れなさそうなの』

「わかりました。では確認してまいりますので、少々お待ちくださいね」

『ありがとう、エイミー』


部屋を出て行くエイミーの後ろ姿を見送りながら、私は再び窓の外へとぼんやり視線を向けた。
すると、以前私の部屋の前で護衛をしてくださっていた騎士の方達だろうか。
確か三木卿と武田卿だったと思う。
その二人が大きめの箱を台車に乗せ、馬を引きながら屋敷から去って行くところが目に入った。


『こんな遅くに何を運んでいるんだろう……』


不思議に思いながら呟いた時、部屋の扉がノックされ、私はぱっと振り返った。


「お嬢様、聞いてまいりましたよ」

『おかえりなさい。どうだった?』

「使用人の話では、まだ見つかったとの報告はないそうです。それに……」


そう言ったきり、エイミーが言葉を濁すものだから、私は小首を傾げながら彼女を見つめた。


『どうかしたの?』

「いえ……お嬢様は、閣下のお仕事内容はご存知ですよね?」

『帝国の剣として、帝国内の秩序を守る帝国一の騎士だよね?』

「そうなんですが、閣下が日々、罪人の処刑などにも携わっていることもご存知ですか?」

『うん……それは、なんとなくだけどわかってるよ』


前線で戦うことはもちろん、陛下の命によって誰かの命を奪うこともある。
それくらいのことは、私にもわかっていた。
北部では東部より争いが多いらしく、武力が重んじられていることも聞いている。
きっと総司様が請け負っているのは、私が目にするような綺麗な仕事ばかりではないのだろう。
そして人に刃を向けてきた分だけ、総司様自身にも数え切れないほどの敵意が向けられてきたのだということは、あの傷だらけの背中を見れば、容易に想像できてしまうことだった。


「今日は、その処刑日だったそうですね。閣下は屋敷に戻られてから、暫く地下牢にいらっしゃったそうです。地下から戻られた時は、いつも以上に凄かったそうですよ」

『凄い……って?』

「返り血ですよ。私はまだそのお姿を見たことはありませんが、偶然見てしまった使用人は、恐ろしくて声なんてとてもかけられないのだと聞いたことがあります。今夜は特に、全身に血を浴びたようだったと……」


私は総司様の姿を想像してしまい、思わず小さく息を呑んだ。
私は今まで、いつだって綺麗に整えられた総司様しか見たことがない。
アストリアを襲撃された時でさえ、皆がかなり傷付いていたというのに、総司様にはさほど返り血が付いていなかった。
私は剣で戦ったことがないから、どんな処刑の仕方をすればそこまで返り血を浴びることになるのかなんて、もちろんわからない。
ただ、考えれば考えるほど胸の奥がざわついてしまって、私はそれ以上想像することを無理にやめた。


『総司様は怪我はしていないんだよね?』

「閣下はしてませんよ。全て相手の血だと思いますけどね」

『それなら……いいんだけど』


そう口にしてから、私はふと胸の内に引っかかるものを覚えた。
待って……それならいい、なんて言うのもおかしな話ではないだろうか。
処刑されてしまった人達が、どんな罪を犯したのかすら私は知らないのに、総司様が無事だったことだけに安堵してしまうなんて。
けれど、もしその人達のことを知ってしまったら、きっと私は苦しくなってしまう。
だから今は、何も知らないままでいたいと思ってしまう。
何も知らず、何も考えずにいれば、この心に生まれた小さな苦しさも、きっと気付かないふりができるから。


「お嬢様は、このような時でも閣下の心配をされるのですね」

『私はこのお屋敷で総司様にお世話になってる立場だから、一応ね』

「閣下はお強いお方なので大丈夫ですよ。それにしても、全身血塗れになるような処刑方法なんて、本当にあるんでしょうかね。首を落とすだけなら、そこまで返り血はかからないと聞きますし。声を大にしては言えませんが、屋敷の人間は皆、影で閣下をとても恐れているんです。地下牢に入る許可を得ているのは閣下と、ごく僅かな騎士だけですから。中で何が行われているのか、ひどく残忍なことが繰り返されているんじゃないかと、専らの噂です」


そこまではすらすらと話していたエイミーだったけど、いつものように途中からみるみる顔を青ざめさせると、私の手をぎゅっと握りしめた。


「お嬢様?私がこのようなことを申していたなんて、閣下には……」

『もちろん、言わないから大丈夫。エイミーがいなくなったら、悲しいもん』


思わずそんな言葉を口にしてから、胸の奥が苦しくなった。
まるで、このことが総司様に知られたらエイミーが消されてしまうみたいな言い方になってしまった気がしたからだ。
でも、それは幼い頃から薄々感じていたことでもあった。
総司様は、本気で腹を立てた相手にはきっと容赦をしない。
アストリアで誰も殺されずに済んだのは、あの侵略が講和の締結を目的としたもので、総司様が怒りや感情のまま皆を斬りつけていたわけではないからなのだろう。
もし、あの中に総司様の怒りを買ってしまっている人が一人でもいたなら……。
そう考えた途端、背筋がひやりとして、私は膝の上で拳をぎゅっと握りしめた。


『ニコラ様が見つからなくて、総司様もむしゃくしゃしてるのかな』

「だからと言って、それを理由に酷い処刑をされたら、された側はたまったもんじゃありませんよね」

『そうだよね……。それに、処刑された方々のご遺体はどうされてるの?』


ふと、先程窓から見えた光景が脳裏に浮かんだ。
人一人が余裕で入ってしまいそうな大きな箱を台車に乗せ、屋敷から運び出していた二人の騎士。
総司様が特に信頼していらっしゃる方達なのだろうと思っていたけど、まさか、あの箱の中に処刑されてしまった方が入れられていたのではないか。
そんな考えが浮かんでしまい、身体がぞくりと強張った。


「詳しくはわかりませんが、焼却炉があるそうですよ。食堂にあるものとはまた別に、とても大きな焼却炉だと。恐らく、そこでご遺体を焼かれているのだと思います」

『……そうなんだ。それなら、外に運び出したりはしないよね?』

「毎回外に運び出していたら、それこそ大変だと思いますよ。相当な数になると思うので」


総司様がそれだけ多くの人の命を終わらせてきたのなら、その数だけ多くの人から向けられた怨みや悲しみ、そして残された未練までも、総司様は背負って生きていらっしゃるのかもしれない。
そう考えただけで心が重く沈み、息をすることさえ少し苦しく感じられた。


「あと、先程お嬢様はニコラ様が見つからなくて、閣下がむしゃくしゃされているのかもと仰られていましたが、閣下がそこまでニコラ様のことを気にかけているようにも見えませんよね?」

『そんなことはないと思うよ?昨晩も気にされながら、伝達を待っていた様子だったし』

「でも、閣下自ら捜索に行かれてませんよね」

『それは仕事があるからだと仰ってたよ。きっと帝国の剣として、あと公爵家の当主として守るものが多くて、独断では動けないんだと思う』

「まあ、そうなんですけどね。でも先程、偶然廊下の影から閣下を見てしまった使用人が話していたことなんですけど」


エイミーはそう言うと、まるで誰かに聞かれてしまうことを恐れるように、私の耳元まで顔を寄せた。


「血塗れで自室に向かって歩いて行く閣下が、僅かに鼻歌を歌っていたらしいんです。凄く機嫌が良さそうだったという話ですよ」

『……え?そうなの?見間違いじゃなくて?』

「はい。口元も笑っていたという話です。そもそも奥様が失踪されて、血塗れになるまで処刑した後で、鼻歌なんて歌います?私、それを聞いてぞっとしてしまいました。ですから、お嬢様も閣下には気をつけた方が……」


物凄く真剣な顔で話すエイミーの言葉を聞いていた時。
部屋の扉から、コンコンと控えめなノックの音が響き、エイミーの肩がびくんと大きく跳ねた。


「ぴゃあ……!」

『ふふっ、ぴゃあって。可愛い、エイミー』

「ど、どなたでしょう?と言っても、この時間にお嬢様のお部屋にいらっしゃるのは、閣下くらいしかいらっしゃいませんよね」


まだ動揺の抜けない様子だったけど、エイミーは一つ深く息を吸うと、気持ちを落ち着かせるように胸を撫で、それから扉まで歩いて行き、そっと開いた。
そこに立っていたのは、エイミーの予想通り、総司様だった。
柔らかそうな夜着を身に纏い、先程エイミーから聞いた話なんて、まるで別人のことだったかのように、穏やかな笑みを浮かべている。


「ただいま、セラ嬢」


総司様は、いつも通りだった。
ニコラ様のことを悲しんでいるようにも見えなければ、先程まで処刑をしていた人にも見えない。
私が幼い頃から見てきた、私の知っている総司様が、そこにいるだけだった。


『おかえりなさい、総司様。今日も遅くまでお疲れ様でした。お戻りになってくださって、嬉しいです』

「ありがとう。今、少し入ってもいい?」

『はい、どうぞ』

「君はもう下がっていいよ」


総司様はいつも私の部屋に来ると、エイミーにそう告げて部屋から出す。
今夜もそれは変わらず、ほどなくして二人きりになった私は、少し複雑な心持ちのまま総司様と並んでソファーに腰を下ろした。
今日はもう千様も屋敷に戻られているし、リーシェ様もいらっしゃる。
それなのに、どうして総司様は私に会いに来るのだろう。
そんな疑問が胸に浮かんだけど、もしかしたら他の奥様方の前で別の奥様の心配をしている姿を見せるのは、旦那様として気まずいのかもしれないと思い直す。
けれど、どれだけ考えてみても、総司様のお心を私が読み取れるはずもない。
それなら、このお屋敷を出るまでのあと一ヵ月、余計なことは考えずにいよう。
そう自分に言い聞かせながら、私は隣に座る総司様を静かに見つめた。


『ニコラ様、まだ行方がわかっていないと聞きました。今日はお天気も良かったので、見つかってくださるといいなと思っていたのですが……心配ですね』

「そうなんだよね。捜索の人員を増やすように手配もしたし、土地勘のある衛兵にも捜索を手伝って貰ってるんだけど。本当、どこに行っちゃったのかな……」


総司様は小さくため息を溢し、沈んだ声でそう言った。
その横顔を見つめていると、やっぱり総司様はニコラ様のことを心から案じているのだと思えた。
その事実に、私は安堵する。
こんなふうに安心してしまうのは、おかしなことなのかもしれないけど、私にとっては大切なことだった。


『きっと大丈夫です。ニコラ様もきっと帰ってきてくださいますから、一緒に無事を信じて待ちましょう?』


どうか早く見つかって欲しい。
毎日顔を合わせていた大切な人が、ある日突然いなくなってしまう悲しみをよく知っているからこそ、そう願わずにはいられなかった。

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