9
ニコラの処刑を滞りなく終えた僕は、後の始末を三木と武田に任せると、自室に戻って身を清めた。
血の匂いを落とし、着替えを済ませたところで、ようやく肩の力が抜ける。
あとはセラ嬢の顔を見に行くだけだと思いながら、扉に手を掛けようとした時だった。室内の扉が控えめに叩かれ、返事をする間もなく、千が顔を覗かせた。
案の定、彼女は僕の姿を見るなり眉を寄せ、何かを探るような眼差しを向けてくる。
「帰ったのね。もしかして、今日は処刑日だったの?」
「うん、まあ、そんなところだよ」
「珍しいわね。いつもは週明けにすることが多いのに」
「別に、いつもまとめて処刑しているわけじゃないよ。忙しい時に、たまたま僕がそうしていただけ」
「そう。今日の罪人は陛下からの命で?一体、何をした人なの?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
ただ話の流れで尋ねただけなのだろうということは、千の表情を見れば分かった。
けれど、よりにもよってなんで今日なんだと思うのも無理はない。
僕が思わず鋭い視線を向けると、千は一瞬だけ言葉を呑み込み、それから困ったように小さく笑った。
「ごめんなさい。立ち入ったことを聞いたわ。家族とはいえ、簡単には話せないこともあるものね」
「その通りだよ。ごく限られた人間にしか知る権利を与えられていないことを、僕がべらべら話せるわけないじゃない」
「今度から気をつけるわ。それで、ニコラの件だけど……」
「心配だよね。今日もまだ見つからなかったから、明日はニコラの捜索にさらに人員を割けるよう、陛下にも許可を頂くつもりなんだ。仕事がなければ僕自身も捜索に加われるんだけど、それもできないから、もどかしいよ」
余計なことを言われる前に、僕は淀みなくそう告げた。
もちろん、本心から出た言葉ではない。
でも、相手が望んでいる正しい答えを選び、それらしく口にしてしまえば、たいていの会話は穏便に終わる。
嘘をつくことに罪悪感など覚えないし、必要ならいくらでも真実らしい言葉を並べられる。それが僕にとって、もっとも無駄のないやり方だった。
だけど千は僅かに眉を寄せたまま、僕の顔をじっと見つめている。
その目には、呆れたような色さえ浮かんでいた。
「なに、その演技。私の前では取り繕わなくてもいいわよ」
「……はい?別に取り繕ってなんていないけど」
「嘘ね。だって、総司がニコラを心から心配しているわけがないもの」
あまりにも迷いなく言い切られて、今度は僕のほうが顔を顰めた。
千はそんな僕を見て、ふっと表情を緩める。
「そんな顔しないでよ。安心して?私も別に、ニコラの心配なんてしていないわ」
「……ああ、そう。そこまではっきり口にできる君も、なかなか大したものだと思うけどね」
「もちろん、普段はちゃんと心配しているふりをしているわ。私達三人の仲が悪いなんて、外で噂されるのも嫌だもの。総司だって、夫として捜索に力を入れているように見せないと体裁が悪いから、そうしているだけでしょう?」
本当に、千は厄介だ。
僕が人に見せたくない部分まで、昔からよく理解している。
大抵の相手なら、いくらでも言葉で煙に巻けるのに、彼女の前ではそう簡単にはいかない。
けれど、それも仕方のないことなんだろう。
僕は幼い頃から彼女には毒を吐いてるし、千自身もまた、昔から僕とよく似た冷めたところを持っている。
今だって、ニコラの身を案じているわけではないと、何の躊躇いもなく口にしたくらいだ。
それなら、いつまでも馬鹿らしい芝居を続ける必要もないか。
僕は小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
「……まあ、そうだね。君の言う通りだよ。捜索を怠っていると思われれば、何かと面倒だとは思ってるかな」
「やっぱりね」
「でも、君だって僕と同じでしょ?それなら、僕だけを責めるのは公平じゃないんじゃない?」
「責めてなんていないわよ。ただ、総司が私の前でまでそんな顔をする必要はないって思っただけ」
「そんな顔って?」
「決まっているでしょ?何も感じていないくせに、心配しているような顔よ」
千の言葉に、思わず苦笑が漏れた。
それでも、彼女には分からないだろう。
僕が誰を気に掛け、誰のために動いているのかだけは、決して知られるわけにはいかない。
だからこそ僕は、いつものように笑った。
「君には敵わないな。でも、見つかればいいとは思っているよ。ニコラが無事で戻ってくれば、それに越したことはないからね」
「ふうん、そう。でも、その優先順位は結局、仕事より低いのよね」
「僕の仕事は、他の人間では代わりが務まらないものも多いんだから、仕方ないでしょ。それで?何か僕に話があるんじゃないの?」
「別に、特別な用事があるわけじゃないわ。ただ、家族の一人が行方不明になっているのに、そのことについて夫婦の間で何も話さないというのも、道理に反している気がしたから、一応声を掛けただけよ」
「君こそ、僕以上に取り繕っているじゃない」
「取り繕っているわけじゃないわ。公爵家の女主人として、今どういう状況なのか把握しておく必要があるでしょう?ニコラがどういう経緯でいなくなったのか、今どんな捜索が行われているのか、そのあたりは総司から聞いておきたかったの」
千の真面目な顔を見ながら、僕は心の中で小さく息を吐いた。
千は感情だけで物事を判断するような人間ではないし、自分の立場に必要なことなら、たとえ興味がなくてもきちんと確認する。
だからこそ、僕も余計なことを話す必要はないと判断して、ニコラがいなくなった経緯から昨日から今日にかけての捜索の状況まで、必要なことだけを順に説明していった。
馬車は西の森の中で発見されたものの、ニコラの姿はなく、御者も見つかっていないことも伝えると、黙って聞いていた千が、話を聞き終えるなり、深いため息を吐いた。
「意味が分からないわね。事件なのか事故なのか、それすら分からないなんて」
「本当にね。馬車だけが残されて、乗っていた二人が消えているんだから、僕にもまだ何とも言えないよ」
「公爵家の御者は全員調べたの?」
「うん。御者を束ねている馬車管理官に命じて、屋敷に仕える御者を一人ずつ確認させたよ。でも、帳簿に記録されている御者は全員そろっていた。だから、ニコラが乗った馬車を誰が操っていたのか、それだけが分からないんだ」
「何よ、それ。それじゃあ、その御者が一番怪しいじゃない」
「そうだね。最初から公爵家に入り込んでいた人間なのか、それとも誰かが御者を装ったのか……まだ何も分からないけど、可能性としては考えておく必要があるだろうね」
「それなら、屋敷の管理は大丈夫なの?」
「その点なら心配しなくていいよ。馬車管理官には、今後は御者の出入りと担当車両を必ず記録させるようにしたし、門衛隊の隊長にも、御者を含めて屋敷に出入りする者の身元確認を今まで以上に徹底するよう命じてある。馬車を出す際も、担当する御者と同行する護衛の名前を出庫簿に残させることにした。二度と同じことが起きないよう、こちらでできる対策は取っているから、君が気を揉む必要はないよ」
僕はいつもの穏やかな顔を崩さず、水差しから杯に水を注いで喉を潤した。
静かに杯を置くと、千はまだ僕から視線を外さず、こちらを見つめていた。
「そもそも、護衛は気付かなかったの?二人連れていたと聞いたけど、いくら馬車が暴走したからって、二人そろって馬車を見失うなんてことがあるかしら?」
「それについても報告は受けているけど、馬車馬に刺激されて、護衛達の馬も突然ひどく興奮したから、手綱を引いても制御できないほど暴れたらしい。二人はまず自分の馬を落ち着かせることを優先するしかなくて、その間に馬車の行方がわからなくなったんだって。あの夜は風雨も強くて、視界も悪かったから、距離が開けば追跡はかなり難しかっただろうね。もちろん、護衛の判断に問題がなかったとは言わないけど、今さら彼らを責めたところで、ニコラが戻ってくるわけでもないからね」
我ながら、よくもまあこれだけ滑らかに嘘が口から出てくるものだと思う。
こうして聞かれることは想定の範囲内だったし、今回の件は事前に細部まで徹底して口裏を合わせてある。
千も特に不審に思ってはいないのだろう、いつもの様子で頷いた。
「分かったわ。何か聞かれたら、私もそう答えればいいのよね」
「うん、そうして」
「あと、もしこのままニコラが見つからなかったら、どうするの?」
「どうするも何も、捜索を続けてもらうしかないよね。今のところ手掛かりらしい手掛かりもないんだから、見つかるまで探してもらうより他はないよ」
そう答えながらも、その可能性はないことを僕は知っている。
ニコラの遺体は、今夜のうちに西側の森に運ばれることになっているからだ。
暗闇の中では見つからなくとも、明日になれば捜索隊の誰かが森の奥で息絶えた彼女を発見するだろう。
その時になれば、僕は夫として悲痛な顔を作り、捜索に尽力した者として振る舞えばいいだけの話だった。
「総司は、あくまで自分では探しに行かないのね」
「まあ、僕にも仕事があるからね。公爵家の当主として放り出せない仕事もあるし、帝国の剣として僕にしかできない役目もある。何もかも自分で動けばいいというものでもないでしょ」
「もし、私がニコラと同じようにいなくなったとしても、総司は探してくれないの?」
不意に投げ掛けられた言葉は、いつになく穏やかだった。
冗談を言っている様子もなく、千は静かな眼差しで僕の答えを待っている。
正直なところ、そんなことはなってみなければ分からない。
けれど、千をニコラと同じように扱うつもりがないことだけは、僕自身がよく分かっていた。
ニコラは僕にとって、役目の上で側室という肩書きを持つだけの存在だ。
でも千は幼い頃から知る人間であり、長い年月を共に過ごしてきた家族でもある。
何より、このアルディオン公爵家を支えるために、千は正妻として領地の財政や屋敷の采配を担い、家臣たちの取りまとめから社交の場での公爵家の立場を守ることまで、僕が剣と公務に追われている間も多くのことを引き受けてくれていた。
「君がいなくなったら、僕がちゃんと探しに行くよ」
「それ、本当なの?」
「当たり前じゃない。君はニコラと違って公妃なんだから、いなくなって困るのは僕だけじゃないしね」
「その理由は、あまり嬉しくないわ」
「勿論、理由はそれだけじゃない。僕達は幼い頃からの付き合いだし、君にはちゃんと情もある。千にはこれまで色々と助けてもらっているから、これからも今まで通り、互いに支え合っていきたいと思っているよ」
それは、僕にとって嘘ではなかった。
千に特別な感情を抱いているわけではないけど、彼女がこの公爵家にいてくれることは僕にとって大きな意味がある。
屋敷のことを任せられる人間がいるからこそ、僕は自分の役目に専念できるし、狩猟会の時だって、あの場が騒然となった際に冷静に人々を鎮めてくれたのは千だった。
ああいう場面で彼女の判断力と立場がどれほど頼りになるか、僕は誰よりもよく知っている。
だから、千がいなくなるのは困る。
そういった意味で口にした言葉だった。
「それなら良かったわ。その言葉、信じているから」
千は珍しく柔らかな微笑みを浮かべた。
その表情を見ながら、僕もいつものように穏やかな笑みを返す。
「うん。信じていていいよ」
「それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ、千」
千はそれ以上何も尋ねることなく、静かに扉を閉じて部屋を出ていった。
一人になった室内には、先ほどまで彼女がいた気配だけが淡く残っている。
どうしてあんな問いを僕に投げ掛けてきたのか、その理由までは分からない。
でも今までと同じように互いの立場を理解し、必要以上に踏み込まず、適度な距離を保っていれば、これからもきっと上手くやっていけるだろうと思っていた。
ページ:
トップページへ