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今日は楽しい一日になる予定だった。
学年代表の挨拶は緊張するけど、教室に行けば総司達がいて、仲良い友達もできて。
夜は明日からの生活を楽しみに眠る……そんな生活が始まると思っていた。

でも実際は全く逆で、廊下では沢山の生徒達が私を見てこそこそと何かを話している。
向けられる視線が決して良いものではないと直感でわかったから、正直教室に行くのは怖かった。

だけど教室に行けば、総司や伊庭君、平助君がいる。
みんながいれば大丈夫だと、気持ちを前向きに足を早めた。
だからまさか教室があんなに空気の重い状態だとは思わなかったし、あそこまで自分が嫌われていることも知らなかった。
何より私のせいで三人まで酷い扱いをされてしまったことが何よりも辛かった。


『明日……行きたくないな』


鏡の前、切れてしまった唇にクリームを塗りながら、か細い声で本音が溢れる。
するとそれと一緒に涙も溢れて、中々止まってはくれなかった。

ずっと自分の挨拶が良くなかったからなのか、護衛を三人も連れているからなのか。
様々な理由を考えていたけど、あの大公子殿下に言われた言葉で全て分かった。
周りからあんな風に思われてるなんて、今まで考えてもみなかった。


『……うっ……』


ここ最近はようやく外出も怖くなくなって、誘拐の時のことも吹っ切れてきたと思っていたけど、私が忘れても周りは決して忘れてくれない。
その上、その時のことを好き勝手に想像されて、その偽の出来事がまるで本当であるかのように認識されてしまうことが怖くて不安で堪らなかった。


「お嬢様、今お時間宜しいですか?」

『は、は……いっ……』


泣いていたせいで上手く息が吸えないまま、ティッシュで涙を拭いて少しだけドアを開ける。
私の顔を見た山崎さんは何かを察したのか、申し訳なさそうに声を掛けてくださった。


「夜分に申し訳ありません。本日は大変だったそうですね。お身体は大丈夫ですか?」

『はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます』

「無理はなされないで下さいね。実は先程、下で沖田さんと会いまして、お嬢様に話があるそうなので今応接間で待って頂いているのですが」

『総司が……?要件は何でしょうか?』

「すみません、俺も要件までは確認しておりません。ただ沖田さんが木を登ろうとしているところを偶然見かけてしまいまして」

『……………』

「恐らくあの人のことですから、お嬢様と会えないままだとまた木を登って侵入しそうだったので、応接間で会って頂くことにしました」

『お手数お掛けてしまって申し訳ありません……。あの、このことは……』

「勿論どなたにも話しておりません。それにお二人のご関係は山南さんから伺って知っておりますので、沖田さんに御用がある際はお声を掛けて頂ければ今後は自分が部屋を手配致します」

『ありがとうございます、山崎さん。そう言って頂けてとても有り難いです。では……準備が出来たら応接間に向かいますね』

「応接間までは俺も同行しますよ。ここでお待ちしています」


山崎さんにお礼を告げて、一人部屋で鏡を見ると完全に泣き顔になっている。
総司を心配させたくないから鏡で笑顔を作ってみたけど、逆にとてつもなく酷い顔だった。

時刻はもう十一時過ぎ。
あまり待たせても総司も休息が取れなくなってしまうだろうから、取り敢えず山崎さんと一緒に応接間へと足を運ぶ。
山崎さんにお礼を告げて、ドアの前で深呼吸して。
一度意識的に口元を上げてから部屋の中へと入った。


『待たせちゃってごめんね、来てくれてありがとう』

「ううん、僕の方こそ急にごめんね。山崎君から色々聞いた?」

『うん。総司、見つかっちゃったの?』

「そうなんだよね、ここに来てまさかの」

『山崎さんが誰にも言わないって言ってくださったから良かったけど、気をつけないと危ないよ?』

「そうだね。これからは山崎君が部屋を用意してくれるみたいだから、素直に頼むことにするよ」

『うん、その方が安心だよね。あ、カモミールティーだ』

「さっき侍女の方が持ってきてくれてさ」

『嬉しいな。頂きます』


他愛のない話をしながらも、あまり総司の顔は直視出来ないまま目の前の紅茶に口をつける。
すぐ真横からは総司の視線を感じるから、それに気付かないふりをして熱い紅茶に息をそっと吹き掛けた。


「セラ、大丈夫?」

『うん、私は大丈夫だよ。総司こそ、怪我は大丈夫?』

「僕は全然平気。刺し傷があっても、木登り出来ちゃうくらいだからさ」

『ふふ、総司はいつも無茶し過ぎなんだよ』

「僕はいいんだよ。慣れてるしね。でも君は無理をしたら駄目だよ、何かあったらなんでも僕に話して」


いつものように髪を耳に掛けてくれる総司は、優しい言葉を掛けてくれる。
それなのに私は総司の方をちゃんと見れなくて、ただ涙が溢れてこないようにずっと手元のティーカップだけを見つめていた。


『ありがとう。総司もなんでも話してね』


総司に何でも話したい気持ちはあるし、今まではそれが出来ると思っていた。
でも今回のことはそんな単純な問題ではないから、話すことに抵抗を感じてしまう私がいた。

だってやっぱり、周りからあんな風に思われてるなんて好きな人には知られたくない。
それが自分の中のくだらないプライドのせいなのか、がっかりさせてしまうことを恐れているのかはわからなかったけど、総司に話したら自分がもっと惨めに思えてしまいそうで怖かったのかもしれない。


「セラ、傷見せて」

『傷は大したことないから本当に大丈夫だよ?』

「いいから」

『あ……』


手元のカップは総司に取り上げられて、テーブルへと戻されてしまった。
総司は私の頬に手を添えると、顔を顰めながらも優しく頬を撫でてくれた。


「……結構な痣になってるんだけど」

『お風呂入る時ににガーゼを取っちゃったの。明日、学院にはしていった方がいいのかな……』

「そうだね、なんか痛々しいよ。ここも切れちゃったの?」

『そうみたい。でも唇は直ぐ良くなりそう』

「ごめんね、僕が近くにいたのに」

『どうして総司が謝るの?総司のせいじゃないよ』


あの人が大公子殿下だということは、彼が胸につけていた紋章で直ぐに分かった。
だから総司が一方的に手を挙げたら総司が罪に問われるかもしれないと、気付けば身体が飛び出していた。
まさかそのまま叩かれるとは思っていなかったけど、元はと言えば私のせい。
私が三人を巻き込んだことで、皆の楽しい学院生活まで奪ってしまったのではないかと胸が痛かった。


「あいつ……セラの顔にこんな痣を作るなんて許せないんだけど。殺してやろうかな」

『駄目だよ、そんな物騒なことを言ったら……』

「いや、だってさ……納得いかないじゃない。今日殴った時に、もっとぼこぼこにしておけば良かったよ」


あの時、頬を叩かれた衝撃で机にぶつかった私の身体は結構な勢いで床に倒れた。
肩や背中も痛かったけど、一番はやっぱり頬の痛みで、最初は何が起きたのか自分でもよくわからなかった。

でも直ぐにはじめが身体を支えてくれて、見れば総司達が私を叩いた人や他の男子生徒と大乱闘を起こしていて。
どちらかというと総司達がほぼ一方的に相手を攻撃していたから、皆のその強さに圧倒されてしまったことはよく覚えている。


『ふふ、今日だいぶぼこぼこにしてくれてた気がするよ』

「あんなんじゃ全然足りないってば」

『十分だったよ。いつも私のためにありがとう』


私が教室に辿り着いた時、あの人と総司が揉めていたのもきっと私の良くない話が教室内で出ていたからだろう。
それに怒った総司があの人の胸元を掴んでいたのだとしたら、いつだって私の味方でいてくれる優しさが嬉しかった。

でもきっと総司はもう、私が皆にどう言われているかは知っているのかもしれない。
だからこうしてわざわざ会いに来てくれたのだと思えば、情けないし申し訳なくなってしまった。


「明日からのことは心配しなくて大丈夫だよ。もうこんなことがないようにするし、セラの傍から離れないようにするよ」

『そんな気にして貰わなくても平気だよ。学院には学ぶために行くんだから、総司も学業に専念してくれて大丈夫だからね。私もそうするし』

「うん、勿論勉強もちゃんとするよ。でも僕の中で一番大切なのは君を護ることだからさ」

『ありがとう。総司がいてくれるだけで心強いよ』


明るく答えてみても何故か総司の顔は晴れなくて、時々お互いが無言になってしまうこの空気が、今夜ばかりは少し落ち着かなかった。

明日からはまた学院があるし、もうすぐ授業も始まるし。
私、本当に大丈夫なのかな。
学院やクラスの人達に馴染めるのかな、と漠然とした不安が心を襲う。
それでも時計の針は確実に進んで、少しずつ明日は近付いてくる。
皆の言葉や冷たい視線を思い出せば、ナイトドレスに乗せた拳には無意識に力が入っていった。

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