6
僕が話すと笑顔を見せてくれるセラは、会話が少し途切れる度、思い詰めた顔をしていた。
綺麗な白い頬には痛々しい痣が出来て、唇まで切れている始末。
これをやったのがあの男だと考えると、今からでもまた殴りに行きたい衝動に駆られた。
とは言え、明らかについ先程まで泣いていたような顔をしていたのに、セラは僕の前では何の弱音も吐いてくれない。
今日のことを聞いてくるわけでも、文句を溢すわけでもなく、ただ僕の問い掛けに答えるだけだった。
勿論言いたくないことや言い難いことがあるのは僕にも分かってるつもりだけど。
それでも僕は、セラの本心に触れて寄り添ってあげられるような存在でいたかった。
「眠い?」
『ううん、眠くないよ。でももうすぐ十二時になるから、総司もそろそろ戻った方がいいよ。身体休めないと』
「うん、そうなんだけどね」
『私なら大丈夫だよ。心配して来てくれたんだよね。ありがとう』
ふわりと微笑んだセラは、いつものように僕の胸辺りに可愛らしく擦り寄ってくる。
でもこのままだと結局聞きたいことも聞けないままだから、意を決して聞くことにした。
「聞きたいことがあるんだけど、いい?」
『うん?』
「今日あの男に何か言われてたけどさ、何言われたの?」
セラは素直な分、どちらかと言うとその心情が顔に出易い。
それは僕がこの子をよく見ているからというのもあるかもしれないけど、僕の問い掛けを聞いて、瞳が不安そうに揺らいだのを見逃さなかった。
『あ、なんだろう……あの人が何て言ったのか、よく聞こえなかったんだよね』
「そうなの?」
『うん。多分ちょっとした文句じゃないかな、苛々してたみたいだったし』
あの時、セラは明らかに何か良くないことを聞いた反応をしていた。
だからこそこうやって誤魔化されることは複雑で、話して貰えない理由も気になった。
僕が頼りないのか、それともただ言い難いのか……その理由はわからないけど、本当は頼って欲しい。
そのために僕はここまで強くなったつもりだからだ。
「でも本当は聞こえてたんでしょ?酷いこと言われたんだなって、セラの様子でわかったよ」
『ううん……そんなことはないけど』
「僕には話せない?」
『……そういうわけじゃ……ないんだけど……』
涙目でそう言ったセラは、僕を見ることもしないまま下を向いて喋らなくなってしまった。
これだとまた僕がこの子をいじめているような心情になってしまうから、どうしたらセラが苦しまなくて済むのかそればかり考えていた。
「言いたくないなら無理して言わなくてもいいよ。嫌なこと思い出させてごめんね」
『総司が謝らないで……』
少し震えた声は頼りなさげに小さくて、目の前の身体をそっと腕の中で抱き締める。
後頭部に触れた手で優しく髪を撫でると、耐え切れなくなったのか耳元で小さな啜り泣く声が聞こえた。
『うっ……、っ……』
「大丈夫だよ……」
腕の中の小さな背中が悲しみに耐えて震える度に、言いようのない苦しみが僕の心にのし掛かる。
学院に通うことが決まった日から、今日が来るのを指折り数えて楽しみにしていたセラを見てきたからこそ余計に辛く感じた。
それでもこうして誰かに涙を見せられることは、大事な発散方法の一つだと思うから、僕の前だけでは我慢しないで欲しいと思う。
だから何時間でも、朝までだっていい。
ただこの子の気が晴れるまで、このまま傍にいたいと思った。
『ごめ……んね……』
「何が?」
『泣いちゃったから……』
「馬鹿だね、そんなことで謝らなくていいのに」
暫くして少し落ち着いたセラは、そっと僕の胸元の服を掴む。
顔を見れば言葉通り頬には涙が沢山ついていたから、それを指先で優しく拭った。
「泣きたい時はいつでも僕の胸をお貸ししますよ。ちょっと高いけどね」
『ふふ、高いの?』
「高いよ。でも君なら払えるでしょ」
『ええ?高いのは困るよ、私に払えるのかな』
「払えるよ。僕が欲しいのはお金とかじゃなくてさ、セラの笑った顔が見たいだけだから」
『それって高いって言わないよ』
「そう?僕からしたら、セラが笑ってくれる方がどんな高価なものより価値があると思うけどね」
『ふふ』
笑ったかと思ったらその直後には顔が歪められて、再び泣き始めたから、その変わり様に少し驚く。
でも僕の前で惜しみなく流してくれる涙やその泣き顔が愛しくて堪らなくて、唇に出来ない代わりに彼女の額にそっとキスを落とした。
「今日の挨拶凄い良かったよ、最後までちゃんと聞いてたからね」
『ありがとう……』
「折角頑張ったのにね……、なんか今日は嫌な雰囲気だったよね」
『うん……っ、ぅ……』
恐らくセラは、影で自分がどう言われているのか知っているんだろう。
僕の言葉を聞いて、より辛そうに涙を溢す様子でそう察した。
何一つ悪いことなんてしてないのに、出鱈目に後ろ指をさされて、きっとこの子だってどうしていいかわからない筈だ。
それでも本当は僕の前ですら泣く気はなかったんだろうし、一人で我慢するつもりだったんだろうけど。
そんなことをさせるつもりは僕には更々ないんだよって伝えたかった。
「僕はちゃんと知ってるよ。君が誘拐された時、自慢出来ることじゃないけどずっと一緒にいたんだからさ」
『うん……』
「だからセラが引け目を感じたりする必要はないし、何も悪いことはしてないんだから堂々としてればいい。僕達からしたら君は誰よりも可愛い自慢のお嬢様なんだよ」
『そんなことないよ……私のせいで皆にまで迷惑掛けて……』
「こういうのは迷惑って言わないし、僕達は自分の意志で主人を選んでるんだ。君が困ったり悲しい想いをした時に、傍にいて護りたいし一緒に戦いたい。だから僕達は君と学院に通うことにしたんだよ」
僕の言葉を一生懸命に聞いてくれているセラは、泣きながら何度も頷いてくれる。
拭っても溢れる涙は彼女の頬を赤く色付かせるから、その泣き顔が愛しくて頬が自然と緩んだ。
『今日、皆が私の為にあんなに怒ってくれて……嬉しかった。でも同じくらい……申し訳なくて………』
「別に申し訳なく思う必要ないのに」
『でもこんな……変な噂を立てられてる私の護衛なんてきっと……嫌だろうなって……』
「そんなこと思うわけないじゃない、なんでそうなるのさ」
『でも、皆も楽しみにしてたのに……私が全部壊しちゃったから……』
完全に泣きモードなのか、息を吸うのも苦しそうに泣いてしまうセラは、僕達のことまで気にして悩んでいたらしい。
この姿を平助や伊庭君に見せてあげたいくらいだけど、やっぱりこれは僕だけの特権にしておきたくてそっと腕の中に閉じ込めた。
「僕もあの二人も、そんなことこれっぽっちも考えてないってば」
『わかってるよ。でも……皆が優し過ぎるから、余計に辛くて……』
「はは、何それ。じゃあ僕達は君に冷たくすれば良かったの?」
まあ、僕も含めてセラに冷たくできるわけがないんだけど、もし仮に冷たくしたらそれはそれでこの子を泣かせてしまいそうだ。
『本当にね、総司達には自由に過ごして貰いたいよ。ずっと私の傍にいる必要はないし、したいことして貰って大丈夫だからね』
「それ本当?」
『うん』
「じゃあ、あいつらをもう一回ぼこぼこにしようかな。縛り上げてから屋上に吊るして、そのまま半日放置とか面白そうだよね」
『それはだめ……』
「なんで?したいことしていいんでしょ?」
『総司が責められるようなことはしないで欲しいの……』
「そう?じゃあやっぱり僕はずっとセラの傍にいよっと」
僕を見つめたセラは、折角少し泣き止んでいたのに、また視線を逸らして涙目になっている。
目尻に少し湧き出た涙を拭うと、ようやく視線が僕へと戻された。
『ありがとう』
泣き疲れたのか、少しぼんやりとしているセラは僕の胸に擦り寄るようにくっついてくるから、腕の中でその身体を支える。
その温もりが心地良いのと、セラの気持ちが少し見えたことへの安堵から、斜め上から見える彼女の横顔を眺めていた。
でもまだ解決していないことがあって、僕の心には引っ掛かりが残っている。
それはあの男がセラに言った言葉のことだった。
「ねえ、セラ」
『うん?』
「教えてよ。あいつになんて言われたの?」
これでまたこの子が拒んだら、この件を聞くのはもうやめようと考えていた。
身体を離してセラを見つめると、やっぱりその瞳は大きな揺らぎを見せていた。
『そんなに気になるの……?』
「当たり前でしょ。心配なんだよ」
『でも……綺麗な言葉じゃなかったから……』
「口にしたくないなら、紙にでも書く?」
『そっちの方が嫌だよ……』
「……確かにそうだね、ごめん。でもセラの言葉じゃないんだから気にしないでいいよ」
顔を俯かせたまま一度静かになったセラは、口を開いては閉じて、また開いては閉じてを繰り返した後、泣き出しそうな表情で教えてくれた。
『最初は……お前は傷物の淫乱公女なんだろって言われて……』
「……は?」
『誘拐犯の男達相手に……ま、股を広げて………』
そこまで言って顔を赤くしたまま話さなくなってしまったセラを見て、次の言葉が出る前に僕の方から声を掛けた。
「変な言葉まで言わなくていいよ、大体分かったから」
『……最後は、それで喜んでたんだろって言われて……』
「うん……」
『みんな知ってるって……言われたの……』
思っていた以上の汚い言葉の羅列に、もはや湧いてくるのは殺意だけだ。
涙目で僕を見ることもしてくれなくなったセラの様子から、これは彼女の口から言わせるべきではなかったという後悔まで生まれた。
「ごめん。まさかここまでとは思わなかったんだ。嫌なこと言わせてごめんね」
『ううん……』
「あいつ、頭おかしいんじゃないの?本気で許せないんだけど」
『でも、もう何もしなくて大丈夫だからね。こっちから手を出したら問題になっちゃうし、もう関わりたくないの。総司達にも関わって欲しくない……』
不安そうにそう言ったセラの言葉に頷いて、慰めるようにその髪を撫でたけど、よりにもよってこの子にそんな言葉を吐いたあの男が憎くて仕方ない。
どうしてあの時のセラが、あんなに顔を赤らめて今にも泣き出しそうになっていたのか、ようやく繋がった。
「うん、わかったよ。セラもあんな男に言われたことなんて忘れなよ」
『うん。でも、私皆からそういう風に思われてるんだよね……?それに、総司達三人ともそういう関係なんじゃないかって……言われ……』
「あんなの気にしなくていいってば。そもそもそんな酷い噂は流れてないよ」
『じゃあ総司は私のこと、どう聞いたの?』
「まあ……誘拐されたことがあるってことと、その間に男達に何をされたのかって、その程度だよ」
『やっぱりそう言われてるんだ……』
今はこれからの社交界デビューに向けて人脈を広げていかなければならない大事な時だ。
その出鼻を言われのないことで挫かれたら、傷付くのは当たり前だ。
あの時僕が、この子をもっと早くに助け出していたら今とは違う未来があったのではないかと後悔ばかりが募るけど。
過去を振り返るより、今出来ることでこの子を笑顔にしたいと思う。
「噂されるのは嫌だけどさ、噂は結局噂でしかないよ。実際は違うんだから、それをわかった上で君と接してくれる人を見つければいい。噂だけを鵜呑みにする相手は結局その程度の人間なんだから、付き合う必要なんてそもそもないしね」
『総司が私の立場だったらそう思う?』
「勿論。元々世界中の人とわかり合うことなんて絶対無理だからさ、僕は自分が大切だと思う人達に理解して貰えたらそれで十分満足かな」
綺麗事かもしれないけど、僕の本心でもある。
その言葉を黙って聞いていたセラも、涙はもうすっかり止まって、少しすっきりとした顔付きで僕を見上げた。
『そうだよね、総司の言う通りだと思う。別に皆にわかって貰えなくてもそれでいい。本当の私を見てくれる友達を一人でも見つけられたら十分かな』
「うん、そうだね」
『それに総司達がいてくれるから、私寂しくないよ』
そう言って微笑んだセラは、もういつもの彼女だった。
明日からも胸を張って通って欲しいから、僕はあの二人と一緒に彼女を護る盾になろうと思う。
『いつも気にかけてくれてありがとう、総司』
「いいえ。アストリアの騎士としてお嬢様を気にかけるのは当たり前のことですからね」
『騎士としてだけなの?』
少し上目でわざとらしくそんなことを聞いてくる様子には笑ってしまうけど、ふざける元気が出てきたなら安心だ。
「さあ、どうだろうね」
『そもそも、総司って私の何なの?ちゃんとお付き合いしてるって思ってくれてるんだよね?』
「ははっ、今更そんなことを聞くのはどうかしてるよ」
『でもどうなのかなって……』
「僕は最初からずっとそのつもりだったけどね。セラは違ったみたいで傷付くな」
敢えてそう言った僕の言葉に、眉を顰めたセラは赤い目のまま恨めしげに僕を見つめた。
「冗談だよ、おいで」
目の前にいるのに僕が両手を広げれば、嬉しそうに胸に飛び込んでくるところが可愛いと思う。
背中に回された彼女の腕が僕を必要だと言うかのように抱きしめてくれるから、僕も抱きしめる腕に力を入れた。
「僕と付き合っていただけませんか?お嬢様」
『ふふ、いいですよ』
「やったね。有効期限は何年かな」
『永遠にずっと、私は総司といたいよ』
この子の隣にいる為なら、僕はどんなことでも出来ると思う。
この想いはきっと何よりも強みになる筈だから、これから先も君といられる未来が欲しい。
そう願いながら過ごしたこの夜は、また思い出の一つとして僕の心を色付かせてくれるだろう。
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