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オリエンテーションを終えた後も、僕達の学院生活は何の問題もなく順調だった。
学業に専念するのは大変なこともあるけど、クラスに知り合いも増え、ここ最近は変な噂を流されることもない。
それは恐らくセラの人柄のお陰でもあり、彼女も毎日を楽しく過ごせている様子だった。

そんなセラが今、特に親しくしているのは鈴鹿家のご令嬢。
彼女とは馬が合うらしく、二人が仲睦まじくしている姿は学院内では当たり前の光景だった。


『それでね、千ちゃんがこのノートをくれたんだ』


セラは初めて同性の友達が出来たことが余程嬉しいのか、学院でも彼女といない時間はない程に仲が良い。
僕と二人でいても千ちゃん千ちゃん。
一日に何回、この名前を聞くんだか……という感じだ。


「ふーん、良かったね」 

『可愛いよね。そのお店が隣国にあるらしいんだけど、今度二人で千ちゃんとお買い物に出ようって話してて』

「言っておくけど二人は駄目だよ」

『でも千ちゃんが女の子二人で行きたいって言うんだけど……』

「千ちゃんはどうか知らないけど、セラは駄目。また攫われたりしたらどうするの?」


しゅんとしてしまったセラは、「そうだよね」と言いつつどこか悲しそうだ。


「仲が良いのは良いことだけど、気をつけなよ」

『何を気をつけるの?』

「まだ出会って間も無いでしょ。あんまり信用し過ぎたら駄目だよって言ってるの」

『そんなこと言わないで欲しいな。千ちゃんは良い子だよ』

「そうかもしれないけど、念の為気をつけた方がいいよってこと」


誰に対しても常に警戒心は持つべきだ。
人の腹の内なんてわからないし、いつ足元を掬われるかもわからない。
一歩外に出れば貴族同士の足の引っ張り合いは日常茶飯事だから、手放しで信用するにはまだ早過ぎる気がした。

でもセラにそれを告げたところで、彼女は少し不服そうに唇を尖らせている。
少し前まではこの子の一番のお気に入りは間違いなく僕だった筈なのに、今は完全に千ちゃんに取られてしまった感じだ。


「ねえ、聞きたいんだけど」

『うん?』

「セラは僕と千ちゃん、どっちが好きなの?」


割りかし真面目に聞いたのに、きょとんとしたセラは直ぐにくすくす笑い始めた。


『どうしたの?真剣な顔で何を言うのかと思ったよ』

「別に笑うことでもないと思うんだけどね」

『男の人の中では総司が一番好きで、女の子の中では千ちゃんが一番好きだよ』

「僕の質問聞いてた?そういうことじゃなくて、どっちが好きかって聞いてるんだけど」

『同じくらい?』

「……あっそ」


僕とは何年も一緒にいるのに、結局その程度なのかとそっぽを向く。
すると温かい温もりが僕の右腕を包み、セラが抱き付いてきたことが分かった。


『嘘だよ。総司が飛び抜けて一番に決まってるよ』

「どうだろうね。そうは感じないけど」

『本当だよ。私がどれくらい総司のことが好きか、総司だってわかってるよね?』


確かに少し前まではこの子の気持ちは伝わってきていたけど、ここ最近はそうでもない。
何故なら学業に追われ、以前にも増して忙しくなった僕達は、一緒に過ごせる時間は増えたものの、二人だけで過ごせる時間は殆どないと言っても過言ではなかった。
加えて折角の二人の時間も、千ちゃん千ちゃんとあの子の話ばかり。
正直色々と足りないと思ってしまうのは仕方のないことだ。


「全然わからないけど?」

『え?そうなの……?』

「全く伝わってきませんけど」

『…………』


冗談半分、本音半分でそう言ってみれば、セラの眉はすっかり下がってしまった。
それでも優しい言葉をかける気になれなかったのは、僕のしょうもない子供っぽさが原因なんだろうけど、そんな僕にセラは素直に擦り寄ってきてくれる。


『ごめんね……。でも本当に総司のことが一番大好きだよ。本当に大切に思ってるんだよ。だから私のこと……嫌いにならないでね』


嫌いになれたらいっそ楽だけど、そんな日は死んでも来ないと言い切れるほど僕は君が好きだよ。
本音を言えば、他の誰もいない世界で君と二人だけで過ごしていたい。
そう思ってしまうくらい、君の瞳には僕だけを映して欲しいと願ってしまう。


「嫌いになんてならないよ」

『本当?』

「嘘だと思う?」


僕が髪を耳に掛けると、少し恥ずかしそうに僕を見上げるその顔が好きだ。
その時のセラの瞳は僕だけを見つめて、次の温もりを待ち侘びるかのような眼差しで僕を誘う。
そして瞳が閉じられた時には唇が重なって、また僕の心は彼女一色に染まる。


『ん……』


応接間のソファーの上、甘噛みするようにセラの唇を堪能しながら、稀にもっと先を望んでしまいそうな自分の感情に気付いていた。
欲張りになるつもりはなくても、好きな子にもっと触れたいと思うのは当たり前の感情でもある。
勿論、欲に塗れた男にはなりたくないからそれを我慢するばかりだけど。


『総司、大好きだよ』

「僕も好きだよ」

『どのくらい?』

「んー……この世界がぶっ飛ぶくらい?」

『ふふ』


愛らしく微笑む顔を眺めながら、そっとその肩を押せばセラの身体はソファーへと沈む。
その上に覆い被さるようにして身を寄せると、再び引き寄せ合うように唇が重なって。
何度も確かめ合うようにお互いの温もりを求めた。

たとえこれ以上触れることができないとしても、もっと違う顔を見せて欲しい。
額や頬にキスを落としてそのまま唇を耳に寄せると、小さな身体はわかり易く揺れた。


『や……くすぐったいよ……』

「じゃあこれは?」

『ぁ……や……』


耳たぶを甘噛みすると聞こえくる甘い声も、頬を赤らめて僕を見つめる顔も、僕の中で抑えていたものを簡単に呼び起こしてしまうらしい。
それに耐えるように華奢な肩を撫で、そのまま辿った先にある細い腕を掴んだ。

少しずつ、でも確実に僕を蝕んでいくこの想いは、以前山南さんに言われた言葉を思い出させる。
相手を想うが故にそれを制御するのが難しい時もある、なんて言っていたけど、あの言葉が正解だったと今になればよくわかった。


「セラは耳も小さいね」

『耳もって、あとはどこが小さいの?』

「身長とか?」

『身長は、これからまだ伸びるもん』

「出会った頃からそう言ってるけど、全然伸びてないじゃない」


はっきり事実を言ってみると、セラは不服そうに口を尖らせるから笑ってしまう。


『まだ伸びるんです』

「そうなんだ」

『総司は背が大きい女の子の方が好き?』

「別に身長は関係ないよ。さすがに僕を抜かれたら困るけど」

『ふふ、総司を追い越すことはないよ』

「あとは手も小さいよね」


微笑みながら自分の手を見つめたセラは、僕の手と比べようとしているのかそっと手のひらを向けてくる。
そこには出会った時につけられた傷が薄く残っていて、まだ幼かったあの頃の僕達を思い出した。

あの時から三年近くが経ち僕達は成長したけど、セラを護りたいと思う気持ちは変わっていない。
この子のために努力を続けたあの頃の純粋な気持ちを僕自身が大切にしたかったから、今日も僕は余計な感情は抑え込んだ。


「ほら、小さいでしょ」

『総司が大きいんだよ。手も身長も』

「あと身体全部かな、僕の中に丁度収まりきる感じが良いよね」

『私は総司に抱きしめてもらうの、好きだよ。守られてるみたいで安心できるんだ』


あんまり安心され過ぎるのもどうかと思うけど、首筋にそっと抱き付いてくるセラはいつもの如く愛らしく擦り寄ってくる。
首の真横で頭をすりすりと動かしてくるから、細いセラの髪の毛が当たって擽ったくて仕方ない。


「はは、くすぐったいってば」

『じゃあさっきのやり返してあげるね?』


何かと思えば、セラの唇が耳に触れて僕の真似事なのかそっと耳に唇を寄せる。
動かされるとぞわりとした感覚が身体中を走り、それと同時に完全に変な気分になってしまった。


「ちょ……やめ……」

『くすぐったい?』


耳元で聞こえる甘い声が僕を煽るように興奮を高めていくから、思わず首に周されていた両手首を掴み、半ば力づくで拘束を解いた。


「……そういうことしたら駄目でしょ?」

『……ごめんなさい。でも総司がしたみたいにはしてないよ?』

「それでも駄目だよ」

『うん、もうしないね。くすぐられるのがそんなに苦手って知らなくて……ごめん』


そういうことじゃないんだけど、取り敢えずそういうことにしてセラから身体を離す。
彼女の身体も起こしてあげると、少し照れくさそうに笑っていた。


『なんか今の総司、凄く可愛かった』

「可愛いって言われても嬉しくないんだけど」

『でもいつもとは違う総司が見れて嬉しかった。だから、またしちゃったらごめんね?』


僕と同じことを考えていたらしいセラの言葉を聞いて、少し安堵したような変な感情になった。
自分ばかり求めてしまっているようでそれを表に出すのは抵抗があったけど、少しでもこの子が同じように想ってくれるのなら、それはむしろ嬉しいと思うから。
僕の様子を窺うように上目で見つめてくる彼女の様子に、思わず笑ってしまう僕がいた。


「ついさっき、もうしないって謝ってたばかりなのにね」

『だって本当に可愛いかったんだよ、声とかも。なんか少しドキドキしちゃった』

「そんなことでドキドキされてもね。言っておくけど僕に何かしたら三倍にして返されると思っておいてね」

『そしたら私もまたその三倍で返してあげる』

「ふーん、でもセラは僕には敵わないと思うけどね」

『そうなの?』


セラは首を傾げているけど、体格差から言っても力で言っても当たり前のことだ。
それがわかるからこそ護ってあげたいし、大切にしてあげたいと思う。

でもセラは、本気で疑問に思っているらしい。
まるで無垢な子供のような表情をするから、僕は思わず口元を緩めてしまう。


「例えばさ、力比べをしても僕の方が勝つでしょ?」

『それはまあ……そうかも』


少し考えてから、納得したようにこくりと頷いた。
セラの手首を軽く取って、指で包み込むように握ってみせる。
そこは細くて華奢で、少し力を入れたら簡単に折れてしまいそうなくらい儚い。


「こうやって簡単に捕まえられるしね」

『……うん』

「だから僕から逃げようと思っても、僕が捕まえるよ」


そう言いながら、握った手を優しく引く。
ふわりとバランスを崩したセラの身体を、僕はそのまま腕の中に収めた。


『ふふ、またそういうことする』

「だって、セラのことが好きだからね」


抱きしめる腕に力を入れると、僕の胸元に頬が寄せられた。
小さな手がそっと僕の背に触れて、遠慮がちに僕に身体を預けてくる。
胸や肩にそっと擦り寄ってくるところが、本当にたまらない。
まるで子猫が心地よい場所を見つけて甘えるみたいにしてくるから、そんなセラの様子が愛らしかった。

だから更に腕に力を込めると、セラは少しくすぐったそうに肩をすくめた。
でも逃げようとはせず身体を寄せてきてくれるから、僕は微笑んでセラの髪にそっと唇を寄せた。


『なんだか、落ち着く』

「そう?じゃあずっとこうしてようか」

『それは、ちょっと恥ずかしいけど。でも悪くないかな?』

「ははっ」


セラは言葉通り背中に回した腕に力を込めて、離れようとしない。
むしろほんのり赤くなった耳が、何よりも素直な気持ちを物語ってくれているようだった。

この温もりを、何があっても護り抜こう。
強くそう思いながら、僕は腕の中のセラを優しく抱きしめた。

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