6
昨日のわだかまりが残ったまま次の日を迎えた僕は、様々な感情を上手く対処出来ない自分に辟易していた。
これ以上長引かせても意味がないし、あの子を苦しませたいわけでもない。
それでも納得出来ない部分はあるからこそ、朝は昨日に引き続き素っ気ない態度になってしまった。
そして迎えた昼休み。
先日出した学院関係の書類に不備があったことから、僕は教員室に向かう羽目になった。
無駄に広いこの学院は、教室のある棟と教員棟など様々な建物に分かれているから移動がとにかく面倒臭い。
今もわざわざ一度外に出て教員棟に入館し、漸く不備を直し終わったところだった。
「あんたがこの棟にいるのは珍しいな」
教員室を出たところではじめ君に会い、そんな言葉をかけられる。
いつも風紀委員やら何やらで忙しそうなはじめ君は、今日も昼休みの時間に奉仕の仕事をしていたようだ。
「ちょっと提出した書類に不備があってね。はじめ君はまた委員会の仕事?」
「いや、今日は生徒会の手伝いをしている。次回の選挙に出ようと考えているため、先に勝手を知っておく必要があると思ってな」
「本当に真面目だね、はじめ君は」
こんなに真面目なはじめ君が、もしご両親の本当の過去を知ってしまえば相当苦しむことになるかもしれない。
そう考えるとまた心の端が痛くなる気がして、敢えて視線を窓の外へとずらす。
視界に入る中庭の周りには立ち入り禁止の札が立てられていて、中庭で一緒にお弁当を食べたいと言っていたセラの言葉をふと思い出した。
「あんたはちゃんと彼女を護ってやっているのだろうな」
「セラのこと?勿論護ってるよ」
「ならばこんなところにいないでセラの傍にいるべきではないのか?」
「そうしたくても、それぞれ委員会とかあるし、今日みたいに先生に呼ばれたりしたら無理な時もあるんだよ。でも今は平助と伊庭君が一緒にいるから大丈夫でしょ」
「そういった気の緩みが思わぬ事故に繋がることもある。三人いるからといって油断するべきではないと思うが」
「まあ、そうなんだけどね。僕もこれからどうやってあの子を護っていけばいいか日々考えてるんだけどさ」
昨日の一件から、こうして護衛される日々はセラにとっては窮屈ではないかと複雑に思う自分がいる。
勿論窮屈に思われていたとしてもあの子を護れるのなら僕は傍にいたいけど、いつか疎まれてしまうのではないかという不安も心に生まれた。
「俺は住んでいる方向も違えば、昼も委員会活動などで忙しい。あんた達がセラに危害が及ばないよう護ってやって欲しい」
「なんか……俺の女を護ってやってくれみたいな言い方だね」
「そのようなつもりはないが……」
「まあ、言われなくてもちゃんと護るよ。そのために僕達がいるんだしね」
難しいことは考えず、あの子の身の安全を第一優先にするべきだ。
はじめ君と別れた後、そんなことを考えながらセラにどう話をしようか考えていた。
けれど教員棟を出て中庭近くを歩いていると、誰かがまるで体当たりするかのように思い切りぶつかってくる。
顔は見えなかったものの、黒いスーツを着たそいつは謝罪の言葉もなしに去って行った。
「……なにあれ」
生徒ではなさそうだし、まさか先生?
それにしたってぶつかってきたら謝罪するべきだと苛立ちを抱えながら、遠くなっていく後ろ姿を睨んでいた。
そしてようやく教室に戻ってくると、平助と伊庭君、千ちゃんが楽しそうにお昼ご飯を食べている。
呑気そうで羨ましいけど、セラの姿が見えないから教室の中を無意識探す僕がいた。
「総司じゃん、おかえり!」
「ただいま。僕を待たずに食べてたんだ、酷いね」
「すみません。君がいつ戻ってくるのか分かりませんでしたから」
「あれ?沖田君……怪我してるの?」
「え?」
「血みたいなのが付いてるわよ?」
千ちゃんの指差した場所を見れば、開けて着ていたブレザーの下、白いワイシャツにはべっとりと何かがついている。
まるで血のような真っ赤なそれは、少し乾いて赤黒くなっている場所もあった。
「うわ……、何これ」
「もう新しい制服汚しちまったの?ぜってー山南さんに怒られるじゃん」
「何が付いてしまったのでしょうか?まさか血ではないですよね?」
「僕は怪我なんてしてないよ。なんかでも……」
まるで血のようだ。
それに血のような香りもする。
「最悪、ほんと気持ち悪いんだけど」
思い当たることと言えば、さっきぶつかってきたあいつが怪我をしていたとか?
どちらにしても、人の制服をこんなに汚しておいてどうしてくれるんだって話だ。
「それより、セラは?」
「セラはって、お前こそちゃんと仲直りしたのかよ」
「そうよ。セラちゃん、沖田君のことで凄い悩んで、朝だって泣きそうになってたんだからね?」
「別に喧嘩したわけじゃないんだけどね」
「喧嘩みたいなものでしょう。でも、今ちゃんと話してきたんですよね?」
「え?話なんてしてないけど。僕は教員室に行ってただけだよ」
「は?お前呼び出しといてまだ行ってねーの?」
「セラはだいぶ前にここを出ましたよ、早く行ってあげて下さいよ」
「はい?行くってどこに?」
「中庭よ。沖田君が呼び出したんじゃない」
皆の話が見えなくて、一度眉を寄せて三人を見る。
そして嫌な予感がして全身がひやりとした時、外で誰かの悲鳴が聞こえた。
「うわ、なんだ今の悲鳴……」
「またトラブルでしょうか、勘弁して欲しいですね」
「なんだか中庭の方に人集りが出来てるわよ」
「……セラが……危ない……」
「え?あ、おいっ……総司……!」
平助の呼び掛けを無視して、限界まで足を動かし階段を乱雑に飛ばしながら駆け降りる。
後ろから僕を追う伊庭君達の声がしたけど、振り返らずに中庭の方へ向かった。
人集りを掻き分け進むと、衛兵が辺りを囲むように何人も立っている。
その先には制服しか見えないけど倒れている一人の女子生徒がいて、その周りに夥しい量の血が広がっていた。
「退いてっ……入れて下さいっ……」
「君!ここから先は入ってこないで!」
「知り合いかもしれないんですよ……!」
いや、そんなはずがない。
違うに決まってる。
そう思っても確かめずにはいられなくて、僕は必死に衛兵の手を振りほどこうともがいていた。
平助たちも駆けつけ、壮絶な空気の中で誰もが息を呑む。
その視線の先、衛兵が退いたわずかな隙間から見えたのは、青ざめた顔で瞳を閉じ、静かに横たわるセラだった。
「……セラっ……!セラ……!」
ただ彼女のもとへ行くことだけを考え、全身の力で拘束を振り払う。
けれどすぐさま数人がかりで押さえ込まれ、再び地に叩き伏せられた。
その時、一人の女子生徒が悲鳴を上げ、僕を指差して青ざめる。
「……ポケットに……血が……」
その言葉に衛兵が反応し、僕の制服に手を伸ばした。
取り出されたポケットから出てきたのは、まだ生々しく血に濡れたナイフだった。
「総司……お前、それ……」
「違う、僕のじゃ……」
「そこの男子生徒を捕らえろ!」
凄まじい力で押さえつけられ、泥にまみれた床へ顔を押しつけられる。
それでも必死に首をもたげ、視線を向けた先の光景に僕の頭は真っ白になった。
「……嘘だ……」
血の中に横たわっているセラのブラウスは、もうすべて真っ赤に染まっていた。
その姿は眠っているようなのに、その小さな身体を呑み込むほどの血の量に息が詰まり、胸の奥で何かが崩れる音がした。
「……セラ……!」
叫んでも微動だにしないその姿に、嫌でも最悪の可能性が浮かび上がる。
それでもどうしても信じられなかった。
信じたくなかった。
「セラ……返事してよ……目を開けて……!」
頬を伝って熱いものが流れ落ちる。
腕を押さえつけられているせいで、彼女に触れることもできない。
温もりを確かめることさえ、許されない。
なぜ誰も彼女に駆け寄らないのか。
なぜ止血をしようとしないのか。
なぜ医者すら呼ばれないのか。
胸の奥を掻き乱す違和感と焦燥感が僕から冷静さを奪い、叫ばずにはいられなかった。
「セラに処置を……!早く止血を……!医者を呼んで……お願いだから、早く……!」
「黙れ!」
「何してるのさ!こんな状態で放っておいていいわけないだろ!セラを助けるのが先だ……!」
誰か。
誰か、セラを助けて。
目の前に倒れているのは、僕にとって何よりも大切な人なのに。
僕の名前を呼んでくれたあの声も、優しい笑顔も、全部……もう二度と見られなくなるかもしれないのに。
そんなの、絶対に嫌だ。
「ふざけるな……!セラが……セラが死んだらどうするのさ……!」
喉が裂けるように痛いのに、それでも叫ばずにはいられなかった。
声が震え、言葉にならない何かが喉をせり上がる。
「僕のせいにするならすればいい!だけどセラを助けて……!お願いだから……!」
必死に訴えているのに、返ってくるのは冷たい沈黙。
どうして何もしてくれないのか、僕には理解なんてできるわけがなかった。
「お願いです!彼女に治療をしてください……!」
「総司は犯人じゃねーよ!おい……!離せっ……!」
僕と同じように声を張り上げる伊庭君と平助も、数人の衛兵に押さえつけられている。
「静かにしていろ!」
「どうしてです!?なんであの子をそのままにするんですか……!」
必死に問い詰める僕に、衛兵の一人が言い放つ。
「もう手遅れだ」
「……は?」
「もう息をしていない」
その言葉を聞いた時、一瞬世界の音が消えた。
嘘だ……そんなはずがない。
だってすぐそこに、セラはいる。
青白い顔をして、瞳を閉じて、眠るように……でも、確かにそこにいるのに。
「嘘だ……!そんなのっ……」
嫌だ。
そんなこと、認めたくない。
「っ離せ……!僕がっ……絶対に死なせない……!」
力の限り抵抗しても、押さえつける手は緩んではくれなかった。
「おい、その生徒を連れて行け」
「セラっ……!セラっ……!」
もがいても叫んでも、セラの瞳はもう開かない。
あの愛らしい唇が、僕の名前を呼ぶこともない。
世界が音をなくしたまま、僕達を残酷に引き裂いていくようだった。
誰も僕の話は聞かないまま、無理矢理連れて行かされた場所はコンクリートで囲まれた巨大な牢獄施設だった。
そこの一つに入れられた僕がセラのことを聞こうが喚こうが、衛兵は立ち去ってしまう。
そのまま何時間も時間が過ぎて、牢獄の鉄格子がある通気口からはもう星が見えていた。
「セラ……」
あの子はどうなった?
なんであの時、衛兵達はセラに何の処置も施さなかった?
そもそも僕の見間違いでセラじゃなかった可能性もある。
そんな色々な思考がぐちゃぐちゃに入り混じり、自分が今正常に物事を考えていられているかもわからなかった。
その証拠に寒くもないのに手の震えが止まらない。
これが現実かもわからない程に気が動転していた。
それなのにいくら待てどもここには誰一人来なくて、自分が置かれた状況も、セラのことすら何一つわからない。
頭がおかしくなりそうな中、正気を保つ為に何度も柵に頭を打ちつけていた。
それからどれくらい経った頃だろう。
朦朧とした頭で、もうこれは全部嫌な夢に違いないと考えていた時、ようやく誰かが入ってくる音がする。
ゆっくりと顔を上げると、牢の前にいたのは苦しそうに顔を歪めて僕を見下ろす山南さんだった。
ページ:
トップページへ