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庭園の中、寒さに耐えながら総司を待っていた私は、中々来ない彼を思い浮かべて手に息を吹き掛けていた。
昼間はまだ少し暖かいこの時期も、夜は一気に気温が下がるみたい。
もっと厚着をしてくれば良かったと後悔していた。

あと十分、あと五分……そう思いながら待っているうちに気付けばここに来て一時間。
今日も会えないかもしれないと考えると、淋しさが寒さを上回るから、まだ待っていたいと思う私がいた。
会いたい理由はわからないけど、総司に出会ってからの私はいつも彼のことばかり考えている。
訓練場で総司の姿が見えると嬉しくて、目で追っては今日も頑張ろうと思うことが出来た。

腕を抱いてぼんやりと総司の笑顔を思い浮かべていると、不意に地面を蹴る音が聞こえてくる。
視線を向けた先には息を切らした総司がいて、縮んでいた筈の私の心は花を咲かせたかのように一気に広がった。


『総司……来てくれたんだ』


嬉しい、そう思う気持ちは気のせいではないみたい。
特に今夜は待った時間が長かったからなのか、総司に会えることが特別に感じられた。

けれど目の前の総司は見てわかる程に瞳を揺らして、まるで何か信じられないものを見るような目で私を見つめてくる。
そしてゆっくり歩みを進めると、私の頬を確かめるかのように優しく撫でた。

そのいつもとは違って見える彼の様子に、首を傾げて微笑んでみたけど。
そんな私を見て顔を歪めた総司は、私をその腕の中に優しく閉じ込めた。


『総……司……?』


お父様以外の男の人に抱きしめられたことは初めてで、驚きから身動きが取れなくなる。
自分の心臓が早鐘のように鳴っていることに気付けば、恥ずかしくも感じられた。
でも私を抱きしめる腕は震えていて、肩も僅かに揺れている。
その様子がまるで泣いているみたいだったから、総司が心配でまた鼓動が早くなった。


「……セラ……ごめん……」

『え……?』

「……本当に……ごめんね……」


最初はここに来るのが遅くなったから、謝まってくれたのかと思った。
でもあまりにも悲しそうに吐き出された言葉を聞いて、直感でそのことではないとわかった。

悲しみに堪えるように私をきつく抱き締めるから、何かあったのかもしれない。
何一つわからない中でも、私に謝らなくていいんだよって伝えたくてそっと唇を開いた。


『総司、私は大丈夫だよ?』

「……っう……」

『総司……』

「……っ、……ごめ……」


辛そうに吐き出された総司の声を聞いたら、悲しみが伝染したかのように私の視界もぼやけてきてしまう。
この人が悲しむ姿は見たくないと思ったし、出来ることなら慰めてあげたいとも思った。
背中を撫でてあげたくても、腕ごときつく抱き締められている身体は身動きも取れなくて。
ただ言葉を掛けてあげることしかできなかったけど、総司のために今出来ることを懸命に考えていた。


『……総司、大丈夫だよ。私がいるからね』


頼りないかもしれないけど、少しでも頼って貰えたら嬉しいと思う。
私を救ってくれたこの人に、私だって救いの手を差し伸べたいと思うから。


「……セラ……」


耳元で聞こえた私の名前を呼ぶ声は、悲しみに溢れていた。
きつく抱きしめる腕も震えているのに、まるで離さないと言うように力は強くて。
いつもの総司からはとても想像できない姿に、私の胸は苦しくなった。


『……総司』


総司の名前を呼ぶ声に真心を込める。
かろうじて動かせる指先だけで、総司の服をぎゅっと握った。
そうすればそれに応えるように私を抱きしめる総司の腕にも余計に力が入る。
総司の温もりと香りを身体全部で感じながら、ただ大人しく身を任せていた。


「ごめん……、なんか……情けないね」


それからしばらく時間が経ち、そっと身体が離される。
思わず総司を見つめたけど、総司は直ぐに目元を押さえて私とは違う方向を向いた。
少し気まずそうにしながら隣に座る総司は、いつになく儚く見えてしまう。
今夜渡す予定だったハンカチを取り出した私は、それをそっと彼の頬に当てた。


『そんなことないよ。誰にでも悲しい時はあるし、総司が悲しい時は私が慰めてあげるね』


目元に残った涙をそっと拭くと、総司は私を見て再び辛さに堪えるような表情を浮かべている。
そしてそのハンカチに視線を移すと、僅かに目を見開いていた。


「このハンカチ……」

『あ、これ今日総司に渡したいなって思ってたハンカチなんだけど』


そう言って総司の前でハンカチを広げ、彼に見せてみた。


『じゃん、なんと私が刺繍した総司の名前入りなのです』


総司に少しでも元気になって貰いたくて、敢えて明るくそう言ってみた。
するとそっと手を伸ばした総司は、そのハンカチを受け取るとまるで慈しむように撫でてくれていた。


「ありがとう、嬉しいよ」

『良かった……。でもあんまりじっくりは見ないでね。まだ刺繍も勉強中で、上手に出来たわけじゃないから』

「凄く上手だよ。このハンカチ、ずっと使うよ。ニ年後も大切に使ってるからね」

『ふふ、二年後?随分具体的なんだね』


いつものように総司はふざけてそう言ったのかと思っていた。
でも総司は切なそうな瞳で私を見ると、静かな音色で尋ねてきた。


「セラは僕のこと覚えてないの?」

『え?総司のこと?』

「少し前までずっと一緒にいたじゃない、全く思い出せない?」


総司の言っている言葉の意味がわからなくて、思わず言葉を詰まらせる。
あまりに真剣に聞いてくるから、いい加減に答えることも出来なくて、どう返事をすればいいのかもわからなかった。


「……そうだよね。今のは忘れて」

『総司……、ごめんね。私、何か忘れてた……?』

「いや、そうじゃないよ。ちょっと……僕が今日変なんだと思う。だから気にしないで」

『でも……』

「いいんだ、セラがいてくれるだけで」


今まで見たことないくらい優しい笑顔でそう言った後、総司は私に近付きそっと髪を撫でてくる。
あまりの距離の近さと言われた言葉に心臓がまたドキドキ煩くなるから、思わず彼の胸元を手で押し返してしまった。


『そ、総司……なんか近いよ』


僅かに目を見開いた総司は、「ごめんね」と言って寂しそうに微笑む。
一瞬見えたその悲しそうな表情から彼を傷付けてしまったのように感じて、今の言い方は良くなかったかもしれないと、また心が痛くなる。


『あの……ね、私で良ければ何でも話して欲しいって思ってるよ』


例えば騎士団員の誰かに虐められたとか、今の待遇が彼には合わないとか……総司が悲しむ理由を頭に思い浮かべてみたけど、正直その程度のことで目の前のこの人があんなに弱った姿を見せるとは思えなかった。

でも総司は「ありがとう」と言いながらも何も話さないまま、ただ私を悲しそうに見つめているから、私のせいだったらどうしようと心配にもなる。
記憶を辿っても心当たりはなくて、総司の顔を見上げながら聞いてみることにした。


『私……総司に何かしちゃった……?』

「え?」

『総司が悲しそうな顔で私を見てるから、もしかしたら私のせいなのかなって思ったんだけど……』

「何言ってるのさ、セラは何もしてないよ」

『本当……?』

「うん、本当に本当だよ」


総司の言葉を聞いて少し安堵するものの、それなら何に悲しんでいたのか気になるし心配に思う私がいる。
勿論無責任に根掘り葉掘りは聞けないけど、これだけは伝えたいと思った。


『総司が何かに困ってたり、悲しいと思う時は私に出来ることならなんでもするよ。何か私に出来ること、ないかな?』


私ならお父様や山南さん、騎士団の人達に直接話を通すことが出来る。
総司の悩み解消のお手伝いが少しくらいは出来るかもしれないと思ったから言った言葉だった。
そして総司は瞳を揺らして私を見ると、「本当に?」なんて聞いてくる。
その様子が可愛らしくて、私は元気良く頷いた。


『勿論だよ。出来る限りのことをしたいと思ってるよ』

「じゃあセラに触ってもいい?」

『え?』

「それが一番元気が出るんだ」


予想もしていなかった言葉に私が総司の顔を凝視すると、総司も真面目な顔で私を見つめていた。


『あの、でも……触るって……どこを?』

「どこでもいいよ、例えば髪の毛とか」

『髪の毛……なら……』


そう返して直ぐ、近付いてきた総司の手が優しく私の髪を撫でる。
顔にかかった髪をそっと耳にかけてくれた総司は、ようやく少し微笑んでくれた。


『こんなことで本当に元気出るのかな』

「うん、一番出るよ」

『それなら良かったけど……』


本当に良かったんだけど、今日の総司はいつもと違う気がして先程から心臓がやたら煩い。
至近距離からじっと見つめられても目のやり場に困るから、少しずつ顔が俯きがちになってしまった。


「ごめん、やっぱりまだ足りないみたいだ」


言葉を口にする前に、腰に回された彼の腕が優しく私を引き寄せる。
気付いた時にはまた総司の腕の中にいて、優しく抱きしめられていた。


「……うん、この方が元気が出る」

『総司……でも……』

「駄目?」


耳元で囁かれた言葉に思わず目をきつく瞑ってしまったけど、心臓は壊れそうなくらい早いのに、この温もりを心地良いと思ってしまう私がいる。
本当はこんなことをしたら駄目だとわかっていても、感情のまま伸びた私の手は、抱きしめ返すように大きな背中のぎゅっと掴んだ。

するとそれに応えるように総司の腕の力も強まって、服越しに感じる総司の鼓動や彼の香りを私の中に取り込むように息を吸う。
その時間がとても特別で、幸せなものに感じられた。


「明日も会える?」

『明日?』

「うん。明日も明後日も、僕は毎日君に会いたい。時間が出来た時はここに来るから、セラにも来てもらえたら嬉しいんだけど、駄目?」


先程から気のせいだと思って気にしないでいたけど、こんな言われた方をしたら勘違いしてしまいそうになる。
それに総司の「駄目?」という聞き方は、可愛い過ぎてずるいと思う。


『駄目じゃないよ、私も総司に会いたいから時間が出来たらここに来るね』

「良かった、それを聞いて安心した。元気が出たよ」

『総司が元気になったなら嬉しいよ』

「セラのお陰だね、ありがとう」


私は何もしてないし今もただ抱きしめられているだけだけど、どうしてか離れたくないと思ってしまう。
今日知ったばかりの温もりなのに、ずっと前から知っていたような……そんな感覚すら覚えていた。
だからなのか気付いた時には無意識に総司の肩に頬を寄せ、その温もりを確かめるように擦り寄ってしまった。
その温かさを心地良く感じていると、総司は直ぐに身体を離して驚いた様子で私を見つめた。


「……あ、ごめんなさい……。なんか、つい……」


恥ずかしい。
というか居た堪れない。
今のはまずかったかもしれないと思うと、顔に熱が集まるのを感じたから、総司の顔を見ることが出来なかった。


「なんで謝るの?」

『ちょっと甘え過ぎちゃったかなって思って……』

「そんなことないよ。君に甘えて貰えるのは嬉しいから、いっぱい甘えてよ」


再び引き寄せられて、また優しい温もりが私を包んでくれる。
寒空の下、総司の腕の中は温かくて、まるでここが私の居場所であるかのようにずっとこうしていたいと本気で思った。


『総司?』

「ん?」

『大丈夫……?』

「うん、大丈夫だよ。セラがいてくれれば」

『でも……私何もしてあげられてないから……』


結局総司は何も話さないし、弱音も吐かない。
こうして私を抱きしめる理由も、涙の理由もわからなかった。
誰にでも話したくないことや話せないことはあるから詮索するつもりはないけど、総司のためにできること、何かあればいいのに。


「そんなことないよ。セラは傍にいてくれるだけでいいんだよ」

『……そんなことでいいの?』

「うん。セラがいてくれないと……僕は……駄目なんだ……」


いつものようなからかいも冗談もなく、弱々しく吐き出された言葉は、驚くほど私の心にすんなりと届いた。
こんな時なのに、心臓はまたドキドキと音を立てているけど、今夜の総司はきっと酷く弱っているんだろうと思った。

見習いの頃から、一度も弱音を吐かずに一人で戦い続けてきたから、その反動なのかもしれない。
だからこそ、たまにはこうして素直に弱音を吐いてくれた方が、私自身も安心できる気がした。

私は総司より年下だし、剣術の心得もない頼りない相手かもしれないけど、総司が私を必要としてくれる時には、少しでも傍に寄り添っていたい。
いつも総司がしてくれているように、そっと総司の髪に手を伸ばし、私より少しだけかたくてしっかりしたその髪を、優しく、労わるように撫でた。


『辛い時は私を頼ってね。総司が楽になれるように、ずっとそばにいるから』


顔を上げた総司は、瞳を揺らして私を見つめる。
そして柔らかく微笑み、言ってくれた。


「ありがとう。なんかだいぶ回復した気がするよ」

『ふふ、良かった』

「セラ、もう一回笑って」

『え?』

「セラの笑った顔、見せてよ」


本当にどうしたんだろう、今日の総司……。
いつもの意地悪さがまるでないから調子が狂うけど、私は素直に笑ってみせた。


『ふふふふ』

「ははっ、何その笑い」

『総司が笑ってって言ったんだよ?』

「うん、そうだね。良かったよ、セラの笑った顔がまた見れて」

『私も。今総司が笑ってくれて嬉しい』


そう言って微笑めば総司の瞳は再び大きな揺らぎを見せて、彼の指先がそっと私の頬を撫でる。


「セラ」

『うん?』


総司は何も言わないまま私をじっと見つめるから、私もそのまま動けなくなってしまう。
まるでそうすることが当たり前のように総司の顔が近づいてきて、私は目を見開いた。

でもそんな時、庭園には誰かが入ってくる足音がする。
咄嗟に離れた私達の前に現れたのは、先程ここで会った山崎さんだった。


「お嬢様……と、沖田さんですか?」

『あ、山崎さん……えっと、こんばんは……』

「こんばんはじゃありませんよ。まだここにいらしたんですか?しかも沖田さんと」

『もうお城に戻るところで……くしゅっ……』


話している途中なのにくしゃみが出てしまったけど、ふわりと肩に温かいものが掛けられる。
総司は自分の上着を私に掛けてくれたらしい、少し申し訳なさそうに微笑んでいた。


「寒かったよね、気付かなくてごめん」

『ううん、ありがとう。これ、あったかいね』


それに少し前までも総司が抱きしめてくれていたから、温かかった。
勿論、今は言えないけど。


「沖田さん、こんな夜遅くまでお嬢様をお引き止めになるのはおやめ下さい」

「ごめんね、山崎君」

『あの、呼び出したのは私なんです。だから総司のことは叱らないで貰えませんか?』

「そうなんですか?それでしたら仕方ないのかもしれませんが……」


山崎さんは何も注意しなくなったから、思わず総司と目を合わせて微笑み合う。
会った時より心無しか元気になった総司を見て、少し安堵した私がいた。
それに明日、明後日、明々後日……ほんの少しだけだとしてもここで総司と会えるのは嬉しいと思う。
これから色々な話をして、総司のことをもっと知ることが出来たらいいな。


「遅くまでありがとう、ゆっくり休んで」

『ありがとう。総司もゆっくり休んでね。おやすみなさい』

「おやすみ」

「では沖田さん、失礼します。お嬢様、行きましょう」

『はい』


山崎さんに連れられて、庭園からお城に続く階段を上がって行く。
でもどうしても総司が気がかりで、出入り口で思わず後ろを振り返った。

すると総司はまだ同じ場所で、私をずっと見送ってくれている。
思わず彼に手を振れば、総司は柔らかく微笑みを浮かべ、手を振り返してくれた。


『くしゅっ……』

「お嬢様、大丈夫ですか?風邪を引かれないよう気をつけてくださいね」

『はい……。あの、最近総司の様子はどうですか?何か困ってることとか騎士団内でのトラブルとか……ないでしょうか?』

「沖田さんですか?最近は毎日楽しそうにされていますよ。熱心過ぎるのは相変わらずですが、団員達ともだいぶ打ち解けてきているみたいですし、特に問題はなさそうに見えます」

『そうなんですね、良かった……』


それなら総司は何にあんなにも悩んでいたんだろう。
とても気になってしまう。
それにさっきのあの雰囲気……なんだったんだろう。


「お嬢様、顔が赤いですが大丈夫ですか?熱などありませんよね?」

『え?あ……全然大丈夫ですよ。元気です……!山崎さん、送ってくださりありがとうございました』


山崎さんに「おやすみなさい」と告げて、足早に部屋へと入る。
少しドキドキしながら、総司のことを気にかけて。
その日の夜は、なかなか寝付けない私がいた。


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